銀座のマチ弁(弁護士遠藤きみのブログ) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013-11-14

[][]11月14日 特養199日目 虎の門病院再々入院11日目(朝の連絡、江戸ばす時刻表広告、夫がテレビで島倉千代子さんの葬儀のニュースを) 17:46

 今朝は、8時10分頃出勤。

 まず、特養への夫の病状についての報告書を作成して、FAX送信。

 その後、メールの確認をしたら、執行抗告事件の関係で、管理会社の○○さんから、昨晩私が送信したメールに対する返信のメールが届いていた。

 明日の午後、執行センターまで行ってくださるそう。

 裁判所の担当書記官にその旨FAXで連絡。

 次に、夫の依頼者への電話。

 夫が倒れた後、依頼者に連絡しておいでいただき、私への委任状をいただいた後、相手方に解決案の提示をさせていただいたのだが、その後回答がなく、どうしたものかと考えていたところ、昨日、後任の担当者という方から電話があって、こちらの案で結構と言われたので、改めて、それで解決してよいかどうかの確認。

 「それで結構です。よろしくお願いします」というお返事。

 その後、広告会社からの電話。

「前に江戸ばすの時刻表への広告の掲載をお願いしましたが、1月発行の時刻表へまたお願いしたいのですが」というお話(中央区内で1月下旬に配達される読売新聞11200部への折込)。

 「12月末に勝どきの自宅に事務所を移す予定なのですが」と言ったら、新しいご住所などに変えさせていただいて、正面の一番良い場所に掲載させていただきますので、是非」と言われ、料金もたいした額ではない(31,500円)ので、掲載OKということに。

 すぐFAXが届き、必要事項を記載し、署名押印して、返信。

 前回の本文は「銀座に32年のアットホームな事務所です。」

 今回は「銀座に33年。今年から勝どきの自宅で皆様の相談相手」とする予定

 事務所の名をどうするか(今考えているのは、「勝どき遠藤法律事務所」)、決まったところで連絡して、原稿確定ということに。

 

 11時30分に事務所を出て、病院へ。

 夫は、穏やかな表情で眠っていた。

 口を開いての「ハーハー」はなし。

 看護師さんが、「お熱があるので」と言って、氷枕を頭の下と両腕の腋の下へ。

 ステーションから、「遠藤さんの体温37度7分」という声が聞こえた。

 12時半にレストランに行って、昼食(ヒレカツ重定食、1000円)。

 1時に病室に戻ったら、栄養の滴下が止まっていたので、ナースコール。

 看護師さんが見えて、チューブの調整。

  2時過ぎに主治医と担当医の先生3人の回診。

  私が「お蔭様で随分落ち着いて来たようです」と言ったら、皆さんにこにこしておられた。

 主治医の先生が、「まだ少しむくみが残っているわね。少し水分を減らした方がいいかも知れないわね」などと担当医の先生に話し掛けながら、病室から出て行かれた。

 それから暫くして、夫が目を開いた。

 「目が覚めたのね。良かった。先生から今日退院と言われたけど、まだ無理と言って、もう少し入院させていただくようにしたの。」などと説明。

 夫は、また目を閉じて、眠ってしまった。

 それから15分くらいしてから、今度は、前よりも大きく目を開いたので、テレビのスイッチを入れてみた(この病室は,料金が高いので、カードなしでテレビを見ることが出来る。)。画面は、島倉千代子さんの葬儀のニュース。

「島倉千代子さんが亡くなったの。實さんと同じ75歳ですって。」などと説明。夫は一生懸命画面を眺めていたが、途中で眠ってしまったので、テレビを消した。

 その後、また目を覚ましたので、もう一度テレビのスイッチ。

 画面は、白鵬の土俵入り。

 そこへ看護師さんが見えて、「遠藤さん、お相撲がお好きなんですか」と夫に質問。夫は、いつものとおり知らん顔。

 私が、「相撲より、野球の方が好きで、タイガースのファンなんです」と代わって、返事。

 血圧の測定結果は、100と60だそう。

 今日は、心配なさそう。

 4時半に、夫に、「これで帰るわね。明日また来ます。元気でいてね。」と声を掛けてから、病室を出て、事務所へ。

 

2013-11-13

[][]11月13日 特養198日目 虎の門病院への再入院10日目(午前中も大忙し、退院は延期に) 19:50

 今朝は、8時発のバスで出勤。

 9時過ぎから、次々裁判所や関係者から事件関係の重要な電話。

 その関係の連絡のメールなどをしていたら、9時45分ころ、10時からの法律相談のお客様。

 夫のことをとても心配してくださっている。

 

 11時半に事務所を出て、病院へ。

 病室では、義妹が先に着いて、看護師さんが栄養チューブの接続をする様子を見ていた。

 夫は、ハーハー大きな息をしながら眠っていて、義妹と私が声を掛けても目を開けず。

 ひとまずレストランで食事をしながら、経過の説明。

 30分後に病室に戻って、二人で夫の様子を観察。

 1時20分頃、義妹は、銀座の旅行会社へ(ニュージーランドへ3ヶ月の語学研修に行くことになり、その説明会だそう。)。

 間もなく、師長さんが見えて、「先生が明日退院の予定とおっしゃっているのですが」と言われたので、「こんな状態で戻されたら特養が困ると思います。昨日相談員の○○さんからお電話いただいて、今日の4時に特養の相談員などが病院に来て、先生から説明を受けるので、私も同席して欲しいと言われたので、そのつもりで居るのですが、特養は、受入れが可能かどうかの判定会議を開いてからでないと受入れOKというわけにはいかないはずです。私としては、もう少し良くなって、安心できる状態にしていただいてから、退院させていただきたいのです。」というような話をしたら、「先生にそう伝えます」と言われた。

 2時50分頃、夫が突然目を開けた。

 「良かった!目を開けてくれて。さっき○子さんが見えたのよ。「マコちゃん良くなってね」と言って帰られたの」と言ったら、目から涙。

ティッシュで拭いた後、また目を閉じて、眠ってしまった。

 血圧の検査に見えた看護師さんに測定の結果を尋ねたら、「100、58」

 3時15分から生食溶解液100ccの点滴開始。

 4時少し前に、看護師さんから、「これから検査にお連れします」という連絡。

 ストレッチャーに移されて、病室から出て行った。この時夫の顔を見たら、目を大きく開いていた。

 脳波の検査のよう。

 4時を過ぎても、特養の相談員さんが見えないので、もしかしたら病院の相談員さんの部屋におられるのかもしれないと考えて、1階の連携室へ。

 私が、「主人は4時に検査に行きました。特養の方々がこちらに見えているのではと考えてこちらに伺ったのですが」と言ったら、相談員さんから、「先生から奥様へのお話がなかったのでしょうか。特養へは、もう少し検査してからでないと退院というわけにはいかないので、今日の説明はなしという連絡をしたということを聞いたので、その連絡を受けたのは私が最後なのかと思って、奥様への連絡はしなかったのです。」というお話。

 何はともあれ、明日の退院ということはなくなったよう。良かった。

 「月と火は、仕事の予定が詰まっているので、迎えに来ることが出来ません。来週退院という話になったら、水曜日以降になるようよろしくお願いします」とお願い。

 夫は、5時半頃病室に戻って来た。

 ベッドに移された後、黒い制服の男性4人が、「感染症の検査に」と入ってこられたので、私は、デイルームに。昨日した輸血の関係のよう。

 医師の説明があるのではと待っていたが、どうもなさそうなので、6時過ぎに目を覚まさない夫に向かって「また明日来るわね。元気で居てね」と声を掛けて、病室を出た。

 事務所に戻ってから、義妹に電話。まだ電車の中のようで、留守録に「退院延期になりました。」とメッセージ。

 暫くして、義妹から電話。 退院延期という話に喜んでくれた。

 

2013-11-12

[][][]11月12日 特養197日目 虎の門病院への再々入院9日目(輸血、病院の相談員さんから明日の会議の連絡、四役会の会場、3億円の賠償命令) 20:46

今朝は6時半に起床(3時半に就寝)。

7時半に家を出て、途中築地で下車して、京橋郵便局の夜間窓口に寄って、収入印紙を購入し、裁判所宛の郵便を投函。

事務所に出てから、間もなく期日という事件の依頼者へのメール連絡など。

11時半に事務所を出て、病院へ。

 夫は、検査に行っているとのことで、5分ほどデイルームで待っていたら、夫が戻って来た。

 ストレッチャーからベッドへの移動が済んでから、入室。

 昨日まで着けていた酸素吸入器は外されていて、夫は、口を開けて、ハーハー息をしていた。

 名前を呼んでも目を開かず。

 間もなく主治医の先生が見えて、「まだ痙攣があるわね」「赤血球が異常に少ないので、輸血した方が良いのではないかと考えているのですが、いいかしら」というお話。「よろしくお願いします」と申し上げてから、「昨日のご説明の書類も添付して、特養に報告させていただき、退院に向けての調整を病院の相談員さんとしてほしいということも頼んでおきました」ということも。

 今日は、先生の方から、「この状態のまま帰したのではいけないと思って」とおっしゃっていただけた。

 

12時半頃レストランに行こうと、エレベータの前まで行ったら、主治医の先生が来られて、「今◎◎(担当医)が奥さんに輸血の承諾書をいただきにお部屋に行ったところ」と言われ、病室に戻って、承諾書に署名

 その後、昼食(和風ハンバーグ定食、1100円)。

 4時から輸血開始。袋に「献血」「濃縮赤血球剤」と記載されていた。

 貴重な血液、献血してくださった方々に感謝。

 この速度だと9時頃までかかりそう。

 5時に病院を出て、ひとまず事務所へ。

 携帯電話の留守録を聞いたら、病院の相談員さんからの午前10時過ぎの電話。

 明日の午後4時から、特養の相談員などが病院に来て、医師らの説明を聞いてから、退院に向けての日程などについての相談をする会議を開くことになったので、よろしくという連絡。

 病院に電話したら、相談員さんがまだおられたので、「お電話ありがとうございました。」とお礼。

 その後、判例秘書の発売元の○○さんに電話。明日のソフトの設定の予定は取り消していただき、改めて連絡させていただくことに。

 メールの確認をしたら、同窓会の会長から、11月27日の四役会に当事務所を使用させて欲しいという連絡。

 OKの返事。 

 会長のご退官後の新事務所でという話で、日時の調整が進められていたのだが、多くの役員から「遠過ぎる」と記載した回答が届いたよう。

 その次の四役会(来年)は、東京駅丸の内南口からのバスで15分の自宅マンションのパーティールーム(1時間500円。入居直後、高校の同期会の会議で約1年間、毎月1回使用したことがあったが、その後は、入居者からの使用申込みが余りないよう)でと考えているのですが・・・,皆さん来てくださるかどうか・・・

 帰宅後、夫の修習同期生に東京地裁で3億円の損害賠償金の支払いを命じる判決が昨日言い渡されていたということを知った。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131111-OYT1T00777.htm 

 







 

2013-11-11

[][]11月11日 特養196日目 虎の門病院への再々入院8日目(原稿の受渡し、主治医からの説明、病室の変更、13日の予定変更のお願い、特養への報告、「脳の傷」についての疑問) 20:52

 今朝は4時半に起床。

 原稿書きの続き。

 6時に出版社の担当の○○さんにメールで本日の予定を連絡して、ご都合のよい時刻に原稿を受け取りに来ていただくようお願い。

 6時半の始発のバスで事務所へ。

 事務所で、原稿の最後の仕上げ。

 それが済んだところで、メールの確認をしたら、午後2時から3時の間に病院まで来てくださるそう。

 その後、事件関係の書類の作成。

 11時40分に、出来上がった原稿が入った袋も持って、事務所を出て、病院へ。

 夫は、眠っていて、名前を呼んでも目を覚まさず。

 パットの残が1枚だけになっていたので、売店へ買いに行こうと考えて、病室を出たら、看護師さんから、「師長と○○先生が奥様に説明したいことがあるそうなので、お部屋で待っていてください。」というお話。

 まず師長さんが見えて、「申し訳ありませんが、本日の午後2時から8階の○○○号室に変わっていただきたいのですが。同じ2人部屋の窓側で差額料金も同じです。」というお話。承諾書に署名

 次は、12時半から、夫の病状についての主治医からの説明。

 ナトリウム値は標準値になり、手足の痙攣も薬の投与で消えたが、肺炎の方はなお治療中などという説明のほかに、誤嚥性肺炎で重篤な症状になった際、人工呼吸や気管支切開というようなことまで希望するかどうかという質問。「命が助かる見込みがあるのであればお願いしたい」と答えたら、一度人工呼吸器を付けたら、我々医師は外すわけにはいかなくなるし、そのような状態での受け入れ先を見つけるのは困難、「奥さんも、お仕事があるのに、大変でしょう」というようなお話。

 脳波検査の結果は、「脳の異常興奮が確認でき」「脳梗塞後でありその他の原因で脳が多少傷ついており、今回のナトリウムの異常や感染症が重なって痙攣が起きたと考えてい」るというご説明。

 13日に検査結果を検討した上で、問題なければ14日退院の予定というお話だったので、私から「13日に明日退院と決まっても、受け入れ側の特養の方ですぐ対応していただけるかどうか心配ということと、私は1日も早く退院させたいと考えているわけではなく、退院してすぐまた救急車というようなことにならないよう、もう少し夫の状態が良くなるまで入院させていただきたいと考えているということを述べさせていただいた。

 どうも主治医の先生は、夫の現在の状態(意識面)は、ずっと前からと変わりないものと考えておいでのよう。

 2時に病室の移動作業の開始。

 8階に行って、病棟のステーションの前で、「遠藤です。よろしくお願いします」と挨拶したら、見覚えのあるお顔がいくつも。前回の入院先は、7階の北ではなく、8階の北だったのだ。

 荷物の整理中、出版社の○○さんが見えて、酸素マスクや点滴のチューブを着けた夫の様子に少し驚かれたよう。

 地下一階のレストランで、コーヒーとケーキをいただきながら、原稿についての説明や夫の状態について多少お話した後、○○さんからのお仕事関係のお話も伺って、お別れ。

 

 病室に戻って、荷物の片づけが済んだところへ、先生方が3人で見えて、夫の様子を確認。

 私が、デジカメ画像を印刷したものをお目に掛けながら、夫は、前は、こんな状態ではなかったということを説明したが、主治医の先生は、にわかには信じられないというようなご様子。

 「ご主人が、奥様のお話は分かるというのであれば、重篤な状態になったとき、人工呼吸器や気管切開まで希望するかどうか聞いて下さい。」と言われた。

 6時に病院を出て、事務所へ。

 13日の午後はずっと病院に居られるようにした方がよいと考えて、午後3時から法律相談の予定だった◎◎さんにメールでお願いして、午前10時からに変更していただき、4時半に事務所に来て、5時半頃から一緒に病院に行く予定にしていた夫の妹に電話して、正午の面会開始時刻に病院に来てもらうよう予定の変更をしてもらった。後は、5時に見える予定の判例秘書の発売元の☆☆さんに来ていただく日時の変更を明日お願いするだけに。

 そうした連絡が済んでから、特養への報告書を作成して、FAX。

 (追記)

 帰宅後、インターネットで、次の記事を見つけた。

 http://www.health.ne.jp/library/5000/w5000599.html

 この記事の中の、低ナトリウムの状態が「重度の場合は、薬や点滴で血液中のナトリウム濃度を高める治療が行われる。この際、濃度を急激に高めると脳に損傷が起きる可能性があるため、徐々に高めていくことになる。」という記載から、もしかしたら、脳の傷というのは、ナトリウム濃度が急激に高められたことが原因で発生したのではないかという疑問が生じた。

 この点については、4日の救急センターでの検査の際、脳MRI検査が実施されていれば、その画像と、本日午前中に私への事前の連絡なしに実施されたらしい脳MRI検査(脳波の検査については、8日のブログに記載したとおり、事前に連絡があり、病室の前で、ストレッチャーに乗せらて、検査に行く夫を見送った。)の画像とを比較検討する方法で確認できるのではないかと考えているところ。

                           

 

 

 

 

2013-11-10

[][]11月10日 特養195日目 虎の門病院再々入院7日目(ボツリヌス菌療法、震顫(しんせん)、体重測定(47.4g)) 18:47

 5時半に起床。

 朝刊に脳梗塞の後遺症の筋肉の硬直についての広告記事。

 そのホームページを開いてみたら、「ボツリヌス菌療法」というのがあって、3ヶ月から4か月に1回病院行ってその注射をしていただく方法で、筋肉の硬直を和らげることができるよう。夫の右手と右足の状態は、説明図に描かれているとおりのもの。

 その治療を受けられる医療機関の一覧表も掲載されていた。

 虎の門病院を退院して、特養に戻ったら、次は、かかりつけ医の先生にお願いして、専門医の居る病院で、この治療を受けられるようにさせてあげたい。

 右手と右足の硬直がなくなれば、本人のみならず、介護士さんたちも随分楽になるはず。

 

 そろそろ事務所へと洗面所で身支度していたら、突然の大きな地震。扉を開けて、廊下へ。倒れた物や落下物はなし。

 8時に家を出て、事務所へ。

 原稿書きの続き。

 11時30分に事務所を出て、病院へ。

 11時50分到着。

 12時に病室へ。

 看護師さんが口腔ケア中。

 既に栄養の滴下が開始されていて、昨日と同じくブドウ糖注射液500ccの点滴も。

 

 夫は、声を掛けても目を開けず。

 右手と左足の振るえがなお続いていた。

 12時40分頃、地下1階のレストランへ。

 今日は、カキフライ定食(1150円)をいただいた。広島の牡蠣とのこと。美味しかった。

 休日なので、面会の人は多いのではと思われるが、昨日も、今日も、レストランのお客は少なく、ガランとしていた。

 1時に病室に戻ったら、夫の振えは大分収まっていて、安らかな寝顔。酸素吸入器からの酸素量は3。

 10分ほどした時点で、目を開いたので、声を掛けたら、目を閉じてしまった。少し様子を見ていたら、もう一度目を開いて、声を掛けたら、また閉じてしまい、その後は、目を開かず。

 看護師さんが見えた際、私が声と掛けたわけでもないのに、目を2回開けたという話をしたら、嬉しそうに、「そうですか。有難うございます。」とおっしゃって、ステーションへ。

 病室に戻られた看護師さんに、「足と手の震えも随分小さくなってきたようです」と言ったら、「そうですね。シンセン小さくなりましたね」と言われた。

(事務所に戻ってからインターネットで調べてみたら、「シンセン」は「震顫」。「痙攣」とは異なるよう。少し安心。)。

 

 3時半に体重測定。ベッドの上に器械で吊り上げての計測。47.4gだったそう。

 体重の計測結果を教えていただいた後、病院を出て、事務所へ。