2013-11-04
■[弁護士業務][介護日誌]11月4日 特養189日目 虎の門病院3回目の入院第1日目(低ナトリウム血症の最悪の状態と判明して緊急入院)
今朝は、午前7時50分に特養に直行。
夫は、昏睡状態。
9時頃看護師さんが見えて、血圧などの測定。
上が60台、下は40台だそう。
これから嘱託医に電話するので、暫くお待ち下さいと言われ、その結果を待っていたところ、血圧が低いと言っても体温は普通なので、休日に病院に連れて行くまでの必要はないという話になったよう。
私が、「主人の症状は明らかに塩分の不足、塩分の不足で痙攣や昏睡という症状というのは、かなり重篤。
夫は心臓が弱く、脳の血管が細いので、血流が弱くなると、心筋梗塞や脳梗塞の心配が出てくる。心筋梗塞になったら大変」と言ったら、看護師さんは「その時は救急車を呼ぶから大丈夫」と言われた。
私は、「そうなったら、手遅れ」と頑張った。
結局、私が自分で虎の門病院に電話して、救急診療のOKをとったら、行ってもかまわないということに。
携帯電話は電池の具合が悪く、特養の中に公衆電話がない(工事との関係で片付けたそう)ので、区民センターの隣の公園の横の公衆電話まで行って、虎の門病院の救急外来に電話。話は分かったが、特養の入所者については、特養の職員からの電話をいただく必要があるとのことで、特養に戻って、看護師さんに電話してもらい、OKに。
次にもう一度公園横の公衆電話まで行って、月島の介護タクシーに電話。
今他に出ていて、行けるのは12時過ぎとのこと。それで結構とお願い。リクライニングの車椅子を頼んだ。
約束どおり、12時過ぎに介護タクシーが到着。
病院には12時50分頃到着。
救急事務室で受付の手続。
夫は、すぐ救急処置室へ。一緒に付いて行ったが、車椅子から診療台に移されると、「奥様は外の椅子で待っていてください」と言われて、事務室の横のソファーへ。
タクシーの料金は5900円(内車椅子の料金2000円)。
4時半に看護師さんが見えて、「先生から、説明は後でしますが、入院の必要があるので、入院の手続をお願いしますと言われました。」というお話。「私も入院のお願いをしようと考えておりました」と言って、事務室でその手続。
前回と同じく差額料金1日当たり14700円の二人部屋でもかまわないという書類にも署名。
4時50分頃、若い男の先生が見えて、検査結果の一覧表を渡してくださった後、「ナトリウムの値が異常に低いので、栄養調整しなければなりません。あとの詳しい説明は病棟でしてもらうことにします。これから入院の準備があるので。」と言われて戻られた。
ナトリウム値は、116(標準値は139〜146)。
低ナトリウム血症の最悪の状態(下記の説明参照)
前回の入院に際してかかりつけ医がこれは大変と驚いた尿素窒素値100よりはるかに多い141という尿素窒素値(標準値は18〜21、前回の脱水症による入院の際の退院直前の検査結果は18)などびっくりするような値ばかり。
そして、15分ほどして、看護師さんが「これから5階へお連れします。」と声を掛けて下さったので、一緒に5階へ。
「病室は、すぐ変わります。」とのこと(前回も入院の翌日、救急用の病室からステーションの前の二人部屋に変わっていた)。
また、「あちらのソファーでお待ち下さい」と言われて、ソファーに。
5時半頃、看護師さんが、「食事はどうなっていたのでしょうか」と聞きに来られたので、説明。
「その内容で、塩分が不足してしまったのです」と説明して、昨日特養に提出した「お願い」の控えをお見せした。
「すごい! これ奥様が全部ご自分で書かれたのですか。」とびっくりしておられた。
6時過ぎに、点滴中の夫(目を開いていた)に「入院できて良かったわね。また良くなるわよ。さよなら、明日また来るわね」と声を掛けて、病院を後に。
昼食抜きでお腹が減っていたので、事務所の手前の丼屋さんで、マグロとアボガドの丼(680円)をいただいてから事務所へ。
まず夫の妹と私の下の弟(いつも入院の保証人になってもらっているので)に夫の入院について報告。
二人とも「えっ、また」とびっくり。
その後、検査結果の一覧表を添付して、特養へ「虎の門病院への入院についてのご報告」と題する書面をFAX。これで私が一昨日から説明したとおりということをスタッフの皆さんに分かっていただけることでしょう。
2013-11-03
■[弁護士業務][介護日誌]11月3日 特養188日目(「お願い(要急)」の書面5通持参、今日も血圧は,上が70台、夕方の面会も)
5時半に起床後、本日付けの「お願い(要急)」の書面を起案(昨日提出したものは走り書きで、細かい説明までされていなかったので)。
8時頃事務所に出てから、多少の手直しをして、添付資料も含めて、6部印刷。
名宛人の皆さんにそれぞれ見ていただけるようにと考えたもの。
昨日急ぎの相談があるというメールをいただいた方から、訴状のFAX。
簡単な内容のメールを送信した後、10時20分に事務所を出て、特養へ。
夫は、ベッドの中で、昏睡の状態。相変わらず左手と左足の痙攣が続いている。
夫の担当の介護士さんに、今日と明日は離床なしでとお願い。塩分が不足しているようという説明も多少させていただいた。
栄養と水分の注入開始。
看護師さんから、今日も血圧が、上で70台という説明。
チューブを外していただいた後、昨日書類を渡した看護師さんに持参した書類5部を渡して、「よくご覧になってください」とお願い。
人の命に関わる緊急のお願いなので、休日でも、例えば提出された書面の写しを嘱託医の自宅にFAX送信して、当面の指示を求めるという程度のことはしていただけてもよいのではないかという気がするが、そういうことをいちいちしていたら、きりがないということでの取扱いなのか、すべて、「休み明けに先生が出てこられてから」というお話。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1230780302
名前を呼んでも目を開けてくれない夫に、「今日と明日、頑張ってね。明後日になれば、先生に診てもらって、ちゃんとしてもらうようにするからね。」と声を掛けていたら、前のベッドの新入りのおじいさんから「うるさい」と怒鳴られてしまった。斜めお向かいの先輩のおじいさんは、心配そうなお顔でこちらの様子を見ておられる。
12時半に特養を出て、事務所へ。
松屋の地下で米八のお弁当(698円)を買って
事務所に戻ったら、法律相談ご希望の方からレターパック。まずその中の書類に目を通してから、昼食。
(追記)
3時半に事務所を出て、もう一度特養へ。
血流が弱くなっているようなので、心筋梗塞や脳梗塞の恐れもあり、少しも早く医療設備と医療スタッフが揃っている虎の門病院に連れて行けるようにした方がよいと考えた(特養では,点滴も,酸素吸入も、心電図の計測もできない)ため。
夫は、相変わらずの昏睡状態。
既に栄養と水分の注入が開始されていた。
看護師さんが見えて、「血圧70台」というお話。
その後、「奥様、明日病院へ行っていただけるお時間ありますか」と言ってこられた。「大丈夫です」と返事(私が今朝お渡しした「お願い」を皆さんで読んでくださったよう。)。
最終的には、明日の朝の血圧の測定値を見てからどうするか決めるということに。
事務所に戻ってから介護タクシーの手配と病院への連絡をしようと考えていたが、明朝にということになった。血圧が戻らず、すぐ病院へという場合は、救急車を呼んでいただけるよう。
明日は、面会開始時刻の8時に特養に到着するよう家を出る予定。
私がベッドを離れる直前、夫が目を細く開けたので、「明日の朝、虎の門病院に行くことになったの。朝迎えに来るから、待っててね。」と話して、お別れ。夫の長いまつげが濡れていた。
2013-11-02
■[弁護士業務][介護日誌]11月2日 特養187日目(夫の様子がおかしい 事務所に戻ってから、再び特養へ。急ぎの相談)
5時起床。
7時に家を出て、事務所へ。
10時20分に事務所を出て、特養へ。
夫は、車椅子への移乗中。
廊下の一番奥のテーブルの横に車椅子を置いて、私もその斜め横に着席。
栄養と水分の注入に見えた看護師さんから、昨日の午後、血圧が異常に低かった(上が80、いつも120位)ので、入浴は休みにしたが、今日の血圧は平常というお話を伺った。
左手と左足の痙攣は続いていて、車椅子にまっすぐ腰掛けていられず、身体が左側に傾いてしまう。
栄養と水分の注入が済んでから、10分ほどその場にいたが、12時40分頃、「いこいの間」に夫を連れて行った後、私は、部屋に行って、戸棚の半袖の下着を持参した長袖の下着に交換。
その途中、夫が介護士さんお二人に付き添われて、部屋に戻って来た。
そして、ベッドへ。
介護士さんたちが出て行かれた後、夫は、「はあ、はあ」と激しい息遣い。
顔も手も冷たく、下唇が真っ白。
このまま死んでしまうのではないかと心配になるような表情。鼻筋の部分は、氷のように冷え切っている。
30分くらい傍にいてから、取り敢えず、お別れ。
事務所に戻ってから、疑われる塩分の不足について、インターネットでいろいろ検索。
大急ぎで、特養宛の「お願い」と題する文書を手書きで作成し、参考資料を添付。
それを鞄に入れて、もう一度特養へ。
まず、夫の様子を確認。
顔には少し赤み、ぐっと結んだ右手は温かかったが、左手は、冷たく、小刻みの痙攣が続いている。
部屋の前のステーションのカウンター前でとおりかかった昼食の栄養注入をしていただいた看護師さんに、「昨日主人の血圧が低かったというお話を伺ったので・・・」と話し始めたら、「ちょっとお待ち下さい」と言われて、夫の担当の看護師さんと交代。
最近の夫の症状は、塩分が不足しているためではないかと疑われるということを説明して、持参した「お願い」の文書をお渡しした。
「火曜日に嘱託医と掛かりつけ医に読んでいただいてから検討させていただくことになります。」という説明。
「火曜日に豊洲の病院に連れて行くので、その際、豊洲の病院で検査していただく方法もあるかと考えているのですが」と言ったら、「検査だけでしたら、かかりつけ医の先生のところで大丈夫です。入院の必要があるということになったら、またよろしくお願いします。」というお返事。
部屋に戻って、夫の様子を見た(声を掛けても全く反応なし)後、事務所へ。
http://gen-en.net/sio-lack.html
7時頃、メールの確認をしたら、遠方の方から、1時半頃に「至急相談したいことがあるので、連絡して欲しい」というメールが届いていたことが分かった。
「どんなご相談でしょうか。只今事務所にいます。」と返信。
間もなくメールが届いた。
2013-11-01
■[弁護士業務][その他][マンション管理][介護日誌]11月1日 特養186日目(クレカのポイントで三越の商品券12枚、廊下の奥で、弁護士会照会請求,屋上のティアラ点灯)
今朝は、7時に家を出た。
マンションの玄関を出る前に、1階のフロントで、新しい管理会社の警備員さんとご挨拶。
素敵な制服姿の若い警備員さんのお名前も「遠藤」さんだそう。
10分程歩いて、クロネコの配送センターへ。
ダイナースカードのポイントで申し込んでいた景品が貴重品扱いで届いたもの。
事務所へ向かうバスの中で開いてみたら、三越の1000円の商品券が12枚。
8時前に事務所に到着。
弁護士会照会請求書を作成し、4部印刷して、3部を記録と一緒に布袋へ。
10時20分に事務所を出て、特養へ。
夫は、車椅子への移乗中。
廊下の一番奥の席へ。
間もなく看護師さんが見えて、栄養と水分の注入開始。
いつも一人ぼっちのおばあさんが窓の傍へ。
背中を丸めて頭を下に。
前の方にのめってしまったら危ないので、すぐ傍まで行って、「どうされたんですか。どこか悪いんですか」と声を掛けた。
顔を上げて、「目が痛くて、足も、腰も痛いの」とおっしゃりながら、左足のズボンを捲り上げて、足を見せてくれた。パンパンに張った状態。そして、右足も。
「それは、辛いでしょうね。」と言ったら、「辛いなんてものじゃないの」というお話。
「100歳なの。早くお迎えが来てくれないかといつも考えているんだけど、駄目なの。前の運河に飛び込めるといいんだけど」ということも。
「そんなこと考えないで、長生きしてくださいね」と言って、元の椅子に。
100歳にはとても見えない。80歳くらいかなと思っていた。
夫は、ずっと眼を開けて、二人の話を聞いていたよう。4月に泉市内の特養で、102歳で亡くなった夫の母のことを思い出しているに違いない。
すぐ前の席の○○さんが、昼食を済ませて、お部屋に戻られる前に「昨日見えた弟さん、随分立派な方でしたね」と話掛けて来られたので、デジカメ写真を見ていただきながら、震災と津波の後、随分大変な思いをしたようだという話など。
夫も、聞いていた。
12時45分頃、夫を「いこいの間」のテレビの見える場所に移して、お別れ。
月島から有楽町線で桜田門へ。
東京弁護士会の事務室で、弁護士会照会請求の手続。照会先は病院(担当医宛にした。)。手数料と通信費、合計8110円支払い。
ついでに職印の印鑑証明書1通の交付申請も。こちらは、525円。
申請用紙と証明書の様式が変わっていた。
大分お腹が空いていたので、地下1階の洋食のレストランで昼食。ハンバーグランチ、1150円。
事務所に戻ったのは、3時少し前。
(追記)
帰宅して掲示板を見たら、屋上のティアラを今日から点灯というお知らせ。
私が理事長を退任した後の代々の理事会の方針で、長い間消灯されていたが、10月の理事会で、このティアラは、このマンションのシンボル、点灯すべきだという決議がされたのだそう。
消灯された時から、私も同じ考えをしていた。
今晩は、下を向いていて、気付かなかったが、明日の晩から、帰りのバスで勝どき橋を渡る時、また、美しく輝く白いティアラを眺められる。良かった。
エレベータでご一緒になった最上階のボタンを押された奥様にティアラ点灯の掲示を見たという話をしたら、にこにこしながら、「理事会でそうしようということになったんです」とご説明。理事のお一人のよう。
ティアラの輝きと一緒に12月下旬の「クリスマスパーティー」も復活するよう。
新しい管理会社は、最初の管理会社が他の会社と合併してできた会社とのこと。元に戻ったということになる。
夕刊を見る前に。まず、郵便受けに入っていた管理会社からの挨拶の文書に目を通した。
天井が高くて交換しにくい照明器具の電球の交換や重たい家具の移動なども、フロントにお願いすれば、担当の方をすぐ手配していただけるそう。
間もなく大きな家具の移動と廃棄が必要になるので、丁度良かった。
2013-10-31
■[弁護士業務][マンション管理][その他][介護日誌]10月31日 特養185日目(もうすぐ92歳の元気な声、気仙沼からお見舞い、名刺入れ,警備員さんとお別れの挨拶)
5時起床。
6時50分頃、間もなく92歳になる○○さん宅に電話。
お元気そうな声。
話の内容も、しっかりしている。
週に何度か、リハビリに行っておられるそう。
「○○が昨日上京して、今朝一緒に特養に行く予定」と話したら、「うちへは来なくていいよ。よろしくと言っていたと伝えてね。」と言われた。
8時に出勤。
10時に弟が来所。
「お見舞いが遅くなって申し訳ありませんでした」と言って、お見舞いの熨斗袋。
「大変なんだから、そんな心配いらないのよ」と返そうとしたが、「受け取ってください」と言われ、取り敢えず受領。
そして、お菓子のお土産も。
県知事から、11月3日の文化の日に「産業功労者」として表彰予定という通知をいただいたそう。
私が司法試験の受験勉強をしていた頃だったが、大学の夜間部を卒業して間もない弟は、甥が生まれる少し前に、義妹の実家がある気仙沼に行って、亡義父のお世話で、地元のホテルに就職し、早朝から夜中まで、気仙沼の人になり切って、ひたすら働き続けて来た。震災と津波の際は、妻子は「お父さんは誕生日の前の日に死んでしまった」と考えていたそうだが、電気も水道も止まってしまったホテルで、妻子への連絡もできない状態のまま、何日も、泊り客のお世話などを一生懸命していたそう。
良く頑張って来たね。ご苦労様。
http://www.youtube.com/watch?v=tFJzr-6z1Yc
お茶を飲んでから、特養へ。
既に夫は、部屋の前のカウンター席に腰掛けていた。
目は開けていたが、笑顔で挨拶というわけにはいかず(塩分が不足すると、笑顔が消えてしまうと虎の門病院の先生から言われた。恐らくその所為ではないかと思われるので、鶴巻温泉病院と虎の門病院でしていただいていたように、「ポカリスエット」の注入をお願いしようと考えているところ)。
間もなく看護師さんが見えて、栄養と水分の注入開始。
夫の隣で、弟といろいろな話。
夫は、下ばかり向いていたが、目は開けていて、私と弟の話を、全部聞いている。
私が、「いまに看護師の付添いのあるツアーもできるのではないかしら。そうなれば、實さんも参加できるわね」と言ったら、夫が、右隣にいた私の顔を見て、「無理だよ」と考えているのか、「そんな話はもういいよ」とでも言いたげな表情をした。
栄養と水分の注入が済んで、看護師さんにチューブを外していただいた後、3人で、館内散歩。
玄関のドアの外にも出て、夫に外の新鮮な空気を吸ってもらってから、弟と夫の記念写真
そして、夫をいこいの間のテレビの前に連れて行った後、夫とお別れ。
築地でバスから降りて、岩手県の銀河プラザのお店の中を一回りした後、歌舞伎座の前へ。
記念撮影をしていたら、隣にいたおじさんが、「お二人でどうぞ」と言ってくれたので、二人並んで、写していただいた。
その後、隣の文明堂のパーラーで、昼食。
絶品の「ハヤシライスランチ」(1000円)と「煎茶付きクリームあんみつ」(1300円)。
弟も、「とてもおいしい」と喜んでくれた。
そして、歌舞伎座の下のお土産売場を一回りした(私用の皮製の花模様の名刺入れとお土産の飴2袋を購入)後、三越のお菓子売場へ。「たね屋」で、気仙沼へのお土産の和菓子を2箱買って、弟に。
有楽町からJRでとのことなので、銀座中央通りの二丁目の交差点で弟とお別れ(事務所に来る時は、マロニエ通りに気付かず、晴海通りに出て、四丁目の交差点で左折という遠回りをして来たのだそう。)。
お疲れ様。お見舞いありがとうございました。夫が無愛想でご免なさい。
事務所に戻ったら、今月初めに終了した事件の依頼者から電話。
相手方にしてもらうことになっていた手続がまだ済んでいないようなので、催促して欲しいというもの。
早速、その関係の対応。
いつものように最終のバスで帰宅。
内廊下の扉を出た所で、フロントの警備員さんに「今晩は」。
「今日までですね、お世話になりました。」と挨拶。
「明日の朝までなんですか」と伺ったら、「今夜の12時に新しい会社の警備員と交替するんです」というお話。
「帰りの電車がなくなってしまいますね。ご自宅はどちらなんですか」
と尋ねたら、「調布です。」とのこと。
「それは大変ですね。」・・・
最後に、「お身体気をつけてください」と言われた。
改めて丁寧にご挨拶して、エレベーターホールへ。