銀座のマチ弁(弁護士遠藤きみのブログ) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013-11-24

[][]11月24日 特養209日目 虎の門病院再々入院22日目(更に良くなっていた) 19:17

 午前7時45分に家を出て、事務所へ。

 11時30分に事務所を出て、病院へ。

 病室に入って、まず夫の顔を見てから、モニターの確認。

 なんと心拍数が82と表示されていた。

 間もなく◎◎先生が見えて、「随分良くなりましたね。来週の初めには人工呼吸器を外して、酸素マスクだけで大丈夫でしょう。酸素の量も徐々に減らしていきます。」などというお話。

 私が、「さっき目を開けていました」と言ったら、先生も「さっき私が来た時も目を開けていましたよ」とおっしゃった。

 夫に「先生が見えたのよ。目を開けて」と言ってみたが、夫は、目を開こうとせず(眠ってはいないはず)。

 今日の昼の担当の看護師さんは、若い可愛らしい方。

 一生懸命やっておられたが、時々失敗。その度に、ステーションに行って、相談したり、応援の看護師さんに来てもらったり。

 途中夫の酸素量が異常に低くなってしまった時は、少し心配になったが、なんとか無事に済んで、夜の担当の方に代わった時のモニターの各数値は、血圧92・65.心拍数80と更に安定。

 夫は、気持ち良さそうに、すやすや。

 夕方、◎◎先生が見えて、検査用の血液の採取。

 その後、ベッドの上での、体重測定も。

 来週は、諸検査の結果が判明してから、特養の職員への説明などが実施されて、退院に向けての調整ということになるのでしょうか。

 夫に、「いつも昼食の時話掛けてくださった87歳のおばあさんが「遠藤さんどうされたんだろう」と心配して、廊下の訃報を毎日見ているのではないかしら。元気な姿で特養に戻れたら、きっと喜んでくださるでしょうね」と言ったら、目から涙。

 

 5時45分に、今晩と明日の私の行動予定と連絡先を記載したメモを看護師さんにお渡しした後、病室を出て、事務所へ。

 明日は、午前11時と午後2時30分に、各東京地裁の期日。

 

[][]11月23日 特養208日目 虎の門病院再々入院21日目(良くなってね、弁護士仲間は薄情) 07:42

 午前7時過ぎに,10円玉をあるだけ持って、東久留米の義妹と東あずまの弟にそれぞれ病院の公衆電話から電話(携帯電話は電池切れ)。

 義妹夫婦は、その長男の車で、10時頃、弟夫婦は、11時頃、来てくれるそう。

 夫は、一時39度近かった体温が平熱に戻り、血圧も上が90台、下が60台に戻って、「スースー」という息の音。

 8時頃、渡り廊下の向こう側に行って、自動販売機のヨーグルトを買って来た。

 夕食も食べていなかったので、お腹が空いた。

 ハンドバッグの中に、播磨屋の黒豆の甘納豆の残りがあったのを思い出して、3粒食べた。

 10時前に義妹夫婦と甥、姪3人の5人が、11時頃弟夫婦が、到着。

 弟夫婦の到着前に、下のレストランで、義妹一家と一緒に朝食(ホットケーキセット、義妹が全部払ってくれた)。

 仙台の義弟も来てくれることが判り、その到着を皆で待つことに。

 昼食は、弟夫婦と一緒に下のレストランで。

 弟夫婦は、来週の土日に義妹の亡父の七回忌の法要のため一家で香川県に行く予定になっているため、夫の葬儀と重なるようなことになったらどうしようかと心配していたそう。

 私から「そんなことにならないよう主人に頑張ってもらうから」と言ったので、少し安心したよう。

 弟の妻の姉夫妻からのお見舞いをいただいた。

 (最近いただいた喪中の挨拶状でご主人のお母様がこの秋亡くなられたことを知った。そのお悔やみもしていないのに、先にお見舞いをいただいてしまい、申し訳ない。)。

 義弟が、1時少し前に到着。

 弟夫婦とは、その結婚式以来の再会のよう。

 私が、弟の妻は、「当時、宝塚のスターのようだった」と言ったら、ご本人も含めて、皆さん、同じように考えていたそうで、義妹から、「紫色のドレス、素敵だった」などという話も。

 8人の方々が、それぞれ、「マコちゃん、良くなってね」と夫に声を掛けてくれた。

 夫は、目を瞑ったままだったが、話は全部聴いているよう。

 甥・姪・義妹の夫の後、弟夫婦が先に帰って、義妹と義弟が残り、5時半頃まで夫の様子を見守ってくれた。

 オムツ交換のため病室から出された際、播磨屋の喫茶コーナーへ。

 「これは安い」と二人とも大喜び。

 「マコちゃんにもう少し入院していてもらって、また寄りたい」とも。

 病院への道で、私から、「主人の、弁護士仲間は、最初の入院直後に私がいない時に1人面会に来て、名刺を置いていってくれただけで、年賀状などで、折に触れ入院先、入所先などをお知らせしているのに、誰も面会に来てくれず、お見舞いの手紙などもなく、所属している形になっている派閥からは、何度断っても、弁護士会の選挙の度に、誰それに投票するようにという割り当ての書面、会費の請求、ゴルフなどの遊びの連絡や派閥の会員の家族の訃報などがしょっちゅうFAXで届くの。主人がとても大切に思ってお付き合いしてきた仲良しグループのメンバーも含めて、誰も病気で倒れてからの主人のことを気遣ってくれている人はいないようなので、もしも葬儀ということになった際、主人の弁護士仲間への連絡は一切する必要がないと思っているの。私のお客さんや友達は、いろいろ心配してくださっているのに。」という話をしたら、二人とも「弁護士って、そんなものなの」と驚いていたが、「そうした方がいい」と言ってくれた。

 何はともあれ、夫の弟妹も含めての今晩からの葬儀の準備ということにならずに済んで良かった。

 これからのこともあるので、万一の場合の、連絡先の名簿の作成と葬儀の方法などについての検討位はそろそろしておいた方がよいであろう(アプラスの墓石ローンを利用して、永代使用権の購入費用と墓石の建立費用の合計額の8割を7年間の割賦弁済とした関係で、お寺には、私が権利者として登録されているが、亡義母の希望で、建立者の氏名は夫の氏名にした生前墓が根岸のお寺にあるが、そこに夫の遺骨を埋葬するためには、その寺の住職による葬儀が必要。簡単に小額の費用で済む葬儀というわけにはいきそうもない。)

 看護師さんが見えて、「奥様、今晩はお帰りになって結構ですが、緊急の場合にすぐ電話連絡できるようにしておいて下さい」というお話。

 6時45分頃、病室を出て、事務所に戻った。

 病室を出る際、夫に、「これから事務所に戻ります。また明日来ます。それまで元気でいてね」と声を掛けたら、「ウン」という声が、呼吸器のマスクから(口から発せられる声が外に大きく聞こえるようになっているよう)。

 事務所には、水曜日の事件の相手方代理人から、準備書面などがFAX送信されて来ていた。

 FAXの受信日は、22日と表示されていたが、23日受領と記載して、受領書を送信。22日は不在で受け取れなかったことも付記。