復興を問う:東日本大震災 内閣府チェルノブイリ視察 支援法理念、報告書で否定 原発推進派に配布
毎日新聞 2013年12月01日 東京朝刊
東京電力福島第1原発事故への対応の参考にするとして内閣府が2012年3月、ロシアなどへ職員を派遣し、旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の被災者支援を定めた「チェルノブイリ法」の意義を否定する報告書をまとめていたことが分かった。同法の理念を受け継いだ「子ども・被災者生活支援法」の法案作成時期と重なるが、非公表のまま関係の近い原発推進派の団体などに配られていた。(社会面に「復興を問う第2部 消えた法の理念」)
支援法は、線量が一定以上の地域を対象に幅広い支援をうたって12年6月に成立したが、今年10月に支援地域を福島県内の一部に限定した基本方針が決まっており、成立を主導した国会議員らからは「国は早い時期から隠れて骨抜きを図っていたのではないか」と不信の声が上がる。
報告書はA4判30ページで、内閣府原子力被災者生活支援チームが作成。毎日新聞の情報公開請求で開示された。調査団は同チームの菅原郁郎事務局長補佐(兼・経済産業省経済産業政策局長)を団長に、復興庁職員を含む約10人。ウクライナ、ベラルーシ(2月28日〜3月6日)とロシア(3月4〜7日)を2班で視察し、各政府関係者や研究者から聞き取りした。
報告書は、チェルノブイリ法が年間被ばく線量1ミリシーベルトと5ミリシーベルトを基準に移住の権利や義務を定めたことについて「(区域設定が)過度に厳しい」として「補償や支援策が既得権になり、自治体や住民の反対のため区域の解除や見直しができない」「膨大なコストに対し、見合う効果はない」「日本で採用するのは不適当」などの証言を並べ、同法の意義を否定。両事故の比較で、福島での健康影響対策は適切だったと強調もしている。
支援法の成立を主導した谷岡郁子元参院議員(当時民主)は「視察自体聞いていない」。川田龍平参院議員(みんな)は「できるだけ被害を矮小(わいしょう)化したい意図が当時からあったことが分かる。支援法つぶしが目的だろう」と話した。
菅原氏は「自分は支援法に関与していない」と反論。一方で、支援法が低線量被ばくによる健康影響の可能性を認めて自主避難者の意思を尊重しているのに対し、菅原氏は「当時健康影響は過剰に強調されていた。それより心のケアが大事だと伝えるため、報告書を持っていろんな人に説明した」と述べ、チェルノブイリ法や支援法と異なる理念を広めるのに使ったことは認めた。これまで原発を推進する立場の有識者団体や、支援法を主導した議員とは別の一部議員などに配ったという。
また当時復興相として調査を指示した平野達男参院議員は「チェルノブイリ法の実情を見てくるよう指示した」と説明したが、「今読めば一方的過ぎると言われても仕方ない」と内容の偏りを認めた。菅原氏らが報告書をどう使ったかは知らなかったといい、「結果としてそういう(公表せず一部の人に配る)使われ方をした。いろいろな考え方を持っている人に配るべきだった」と話した。【日野行介】
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■ことば
◇子ども・被災者生活支援法
議員立法で12年6月に全会一致で成立した。年間累積放射線量が国の避難指示基準(20ミリシーベルト)を下回るが一定基準以上の地域を対象に、避難するかとどまるかによらず幅広く支援すると規定したが、線量基準を巡っては、成立を主導した議員らが年1ミリシーベルトを主張したもののまとまらなかった。国は支援策を盛り込んだ基本方針を今年10月になって閣議決定したが、線量基準は設けず支援地域を福島県内33市町村に限定。幅広い支援という法の理念は骨抜きにされ、県外自治体などから批判を浴びた。