中日新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

史上初の英断を尊べ 参院選は「違憲・無効」

 参院選の「違憲・無効」の判決は史上初だ。広島高裁岡山支部は限りなき一票の平等を求めた。この英断を尊び、国会は速やかに抜本改革を図るべきだ。

 この判決が秀逸なのは、国民主権の原理や、代表民主制などについて、正確かつ常識に沿って適用した点に表れている。

 日本国憲法は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…」で始まる。

 その文言を引用しつつ、「国民主権を実質的に保障するためには、国民の多数意見と国会の多数意見が可能な限り一致することが望まれる」と述べた。これが憲法が求める平等な一票の姿である。

「35%で過半数」の矛盾

 国会は国権の最高機関であるが、国会議員を選んでいるのは、われわれ国民である。国民の多数意見が、国会議員の多数意見と食い違ってしまっては、主権者の意見が国政に正しく反映されないではないか。

 有権者の一票の価値にゆがみが生じると、当然ながら、国民の多数意見が国会議員の多数意見にならない。判決はまっとうな視点に立っている。

 今年七月の参院選は、最大格差が四・七七倍もあった。つまり、ある人が「一票」を持っているのに、ある人は「〇・二一票」しか持たない。この矛盾した状態について、判決は別の表現方法で、うまく言い当てている。

 まず、最も議員一人当たりの有権者数が少ない選挙区から、順番に選挙区を並べてみる。そして、議員の数が過半数に達するまで、有権者数を足し算する。

 そうすると、有権者数の合計は約三千六百十二万人になる。それを全国の有権者数で割り算をするのだ。その結果、たった約35%の有権者で、過半数の議員を選んでいることがわかる。

頓挫したブロック制論

 「全有権者数の三分の一強の投票で、選挙区選出議員の過半数を選出できるのであって、(中略)投票価値の不平等さははなはだ顕著である」

 小学生レベルの算数の世界だ。深刻なずれを生む選挙制度が、まかり通ってきた方がおかしい。

 国民主権や代表民主制、法の下の平等という憲法原理を用い、「選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等」「徹底した平等化を志向するものである」とも言った。根源的で良心的な考え方だと評価したい。

 しばしば、人口比例で議員の配分を決めると、「都会が有利になる」などと言われる。だが、今回の参院選で最も不利益をこうむったのは、最北の地・北海道の有権者なのだ。次は兵庫である。そもそも、都会が有利になるのではなく、平等になるだけだ。

 長く参院では、約五倍もの格差が漫然と放置されてきた。二〇〇九年の最高裁は「合憲」としつつも、「定数を振り替えるだけでは格差の縮小は困難」と抜本改正を求めた。

 その翌年に西岡武夫議長は、都道府県単位の選挙区を廃止し、比例代表を全国九ブロックに分割する試案をまとめた。この場合だと、最大格差は一・一五倍まで縮まる。大選挙区にすると、一・一三倍になるとの試算もあった。

 ブロックを十一にする大選挙区の案も出たりして、抜本改革に向かうかに見えた。だが、西岡氏が一一年に死去すると、この機運は一気にしぼんで消えた。国会は怠慢を決め込んだのだ。

 一〇年の参院選訴訟を審査した昨年の最高裁判決では、「違憲状態」としたうえで、「都道府県単位の選挙区を設定する現行方式を改めるなど立法措置を講ずる必要がある」と、さらに踏み込んだ表現にした。

 それでも、国会は「四増四減」という小手先の直しに安住し、今夏の選挙に至ったのだ。〇九年の大法廷判決から、実に約三年九カ月もの期間があった。この経緯を眺めるだけでも、立法府の慢性化したサボタージュは明らかだ。

 昨年の最高裁では、複数の裁判官が現行法の枠組みを続ければ「選挙無効にする」と言及したから、岡山判決が突出しているのではない。むしろ、「現行方式を改めよ」とする“憲法の番人”の指摘に忠実だったといえる。

 今回の訴訟の特徴は、全国四十七すべての選挙区での無効を求めている点だ。一つの選挙区だけ無効が出た場合、その議員が不在のまま是正が行われる。

「事情判決」を封印する

 その不公平がないように、あえて全国提訴したわけだ。違憲でも選挙は有効とする「事情判決の法理」を封じる狙いもある。

 高裁レベルの判決が終了すれば、最高裁はいよいよ決断が迫られる。「国民の多数決と国会議員の多数決の一致」−。当たり前の答えが出るのを期待する。

 

この記事を印刷する

PR情報



おすすめサイト

ads by adingo




中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ