長谷川町子物語 感想
初めは見るつもりはなかったけれど…
『長谷川町子物語~サザエさんが生まれた日~』
見始めたら思いのほか良くて、
最後まで見てしまった。
サザエさんの連載が、
長谷川町子26歳~54歳の間に、6477回
毎日が締切の生活が、こんなに長く続く事を
私は想像しただけでゾッとした。
町子が9代目・市川海老蔵に会うシーンでは、
11代目・市川海老蔵が出演していて、
相変わらず色男だなぁと思って見ていた。
町子が出版社の依頼で、
海老蔵を楽屋取材するシーンでは、
「甘い物は好みません」と海老蔵は言ったのに、
その後、町でバッタリ会ってお茶した際には、
甘いものをパクパク食べている。
しかも、独身かと思っていたのに、
妻子発覚!という記事を見て驚く町子。
しかし転んでもただでは起きない。
しっかり漫画のネタとして使ってしまう。
町子役の尾野真千子が良かったなぁ。
泣くシーンでは、よくあんなに演技で
涙がこぼれるもんだと、感心した。
町子のお父様は家族思いの良い人だった。
でも、お父様は町子が女学校の時に亡くなった。
お母様は1年間泣き続けていたけれど、
思いっきり泣いた後は、
娘に自立する道を見つけてほしいと、
3人の娘を連れて東京に出た。
(町子は次女)
お母様が男前というか、思い切りがいいというか。
町子が『のらくろ』のファンで、
何気なく「田河水泡の弟子になりたい」と言ったら、
お母様は、すぐさま弟子入りするようにと言う。
姉ちゃんと町子と2人で田河水泡の家を訪ねたが、
会ってくれるはずもなく…と思ったが、どっこい。
姉ちゃんは「九州から会いに来ました」と、
完全に嘘ともいえないけど、
その時はもう東京に住んでいたからやっぱり嘘か、
嘘も方便というけれど、
姉ちゃんのおかげでうまく事が運んで、
町子は田河水泡の弟子となった。
田河水泡の役が三浦友和だった。
久しぶりに見たなぁ、三浦友和。
ちょっと太った?
でも、田河水泡はうまく演じていて、
ホロリとさせられた。
山脇高等女学校在学中に、
町子は弟子になったが、
今でいうと中学在学中に弟子になったわけで、
昔の人はすごいよね。
漫画家としてのデビューも早かった。
確か16歳と言ってたかな。
町子の姉ちゃんも絵の才能があったようで、
菊池寛の小説の挿絵を描いたりした。
姉ちゃんの婚約者の役が
チュートリアルの徳井だったね。
結婚か?という時に、戦争へ行くことになり、
ビルマのインパール戦で玉砕した。
姉ちゃんの気持ちを思うと泣けたなぁ。
妹も胸の病気になったりした。
町子が描いた漫画は、
サザエさんにしても、いじわるばあさんにしても、
思わず笑ってしまう作品ばかりだけど、
つらいこともたくさん経験してきたんだね。
サザエさんを出版しようにも、戦後で
お金もなく紙もない。
でも、お母様の鶴の一声で、
出版社「姉妹社」を立ち上げて、
自費出版してしまった。
お母様の決断力、恐るべし。
自費出版したのはいいけれど、
本のサイズが大きすぎて、返品の山。
するとお母様は2巻を出版すればいいと言う。
果たして、2巻を出版してみると、
飛ぶように売れて、そのおかげで1巻も売れた。
こうして、人気漫画家として、
ずっと走り続けた人なのに、
ある時ふと、漫画を描くのが嫌になってしまう。
「こんなくだらないことしてて、
それで私の人生終わっちゃうのかな?って」
「誰とでもなく、紙と向き合ってきた人生。
現実にいない人のために、毎日、知恵絞って、
苦しんでたそれだけの人生」
と町子は思い詰めてしまう。
そんな折、腫瘍が見つかり、町子は入院する。
お見舞いに来た田河水泡に町子は言う。
「自分はきちんと生きていない気がして」
そんな町子に田河水泡は言う。
「でも君は本当に生きていなかったの?
君の漫画を見れば分かるよ。
どの道に進んでも人は迷う。
悩みながら、迷いながら歩んできた足跡を、
君はもう少し認めてあげてもいいんじゃないかな?」
いいこと言うねぇ、田河先生は。
町子は入院していた病院で、
女の子がサザエさんを読んでいるのを見かけた。
すると、女の子は町子に「面白いよ」と言って、
サザエさんを渡してくれる。
最高に嬉しい瞬間だったと思う。
町子は思う。
「私が終わっても、あなたは生きてゆく。
それって不思議ね」
サザエさんは町子が思ったとおり、
町子の人生が終わった後も、生き生きと動いている。
それって本当に不思議。
田河水泡 1899年~1989年満90歳没
長谷川町子 1920年~1992年満72歳没
途中のBGMにテネシーワルツが流れて、
江利チエミを思い出しました。
サザエさんを演じた人が歌った歌だから
BGMとして流れたのかな?
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