スポーツの Social Performance を問う
広瀬 一郎

【注、参考文献】


(注1) 今福龍太氏の一連の論文。特に季刊「大航海」94年春号特集「スポーツ症候群」における多木浩二氏との対談。
(注2) スポーツ語の歴史
(注3) 鹿島茂、「スポーツという文化」所収、TBSブリタニカ、1992
(注4) ジュール・リメ著「回想」ベースボールマガジン社 1986
(注5) もっとも大会の誕生は更にそれから16年を要すのだが。
(注6) 例えばゴルフのセントアンドリュース・クラブも1754年に設立されている。
(注7)「有閑階級の理論」ちくま学芸文庫
(注8)ヴェブレンがこの本で指摘している有閑階級の「顕示的消費」、つまり見せつけるための消費とは、ボードリヤールが70年代に指摘することになる「象徴としての消費」論を想起させるものである。
(注9)「トム・ブラウンの学校生活」T・ヒューズに詳しい。
(注10)なにやらこれはスポーツ以外のもの、例えば「民主主義」等も同じ道を辿ったように思える。戦後の民主的な憲法も西欧の文明を安易に形式のみを取り込んできたわが国の常の対応の例外ではない。我々は字句の背後に流れる近代市民社会の思想まで理解して受容したのだろうか。大いに疑問であろう。
(注11)ここで大いに疑問を呈すると共に文部省をはじめとした教育関係者に猛省を促したい。
(注12)蛇足ながらJリーグの川渕チェアマンと過日お話する機会があったが、この点については期せずして意見の一致をみたことを報告しておこう。
(注13)ケビン・コスナー主演の「フィールド・オブ・ドリームス」を思い浮かべるがいい。
(注14)酒鬼薔薇問題を見よ。オウム真理教問題を見よ。
(注15)例えば「自由からの逃走」E・フロム著
(注16)「犯罪に向かう脳」原書房
(注17)同上