スポーツの Social Performance を問う | 5/9 | |
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広瀬 一郎 | ||
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# 有閑階級と近代スポーツ
スポーツという語は、もともとフランスの古語で「気晴らし」を意味するdesportからきているもので、その後貴族の気晴らしの中で狩猟を中心とした身体活動を指すようになり、更に下って気晴らしのための運動全体を意味するようになったと言われている。(鹿島、1992)特に18世紀の英国においてジェントリー層が、特権的レクリエーションとして好み、紳士のたしなみとして普及していった。クリケットやゴルフや乗馬のクラブが出来始めたのも18世紀の中期から後期にかけてのことであった。(注6) この層はまたスポーツを単純な気晴らしとしてだけではなく、社交の場として積極的に利用をしていた。そこで自らの富を誇り、商売上のネットワークを形成し、さらには貴族層を招きコネを作る事等が目論まれていたようだ。自分の娘を上流の家に嫁がせ、自らの一族が貴族の一派に入り込むというかなり政略的な見合いの場としての機能があったのである。どうもスポーツは当初からするだけではなく、見たり、見せたり、見られたり、語り合ったりする事が当然付随する楽しみを提供する交流のソフトとして機能していたようだ。いずれにせよ日がな一日を費やしてテニスやクリケットに打ち興じることは、限られた階級にしか許されなかった「気晴らし」であったのである。この点をヴェブレンはスポーツが「有閑階級の顕示的閑暇」つまり「ヒマのひけらかし」として発生したと指摘している。(注7) ヴェブレンは野蛮時代の文化が高度に発展した時誕生した有閑階級をレジャー階級と呼び、その最高の発展形はたとえば封建時代の日本に見られると述べている。またこの階級の非産業的な職業として統治、戦闘、宗教的職務と同時にスポーツを挙げている。非生産的な職業につくということは、一般人に許されるものではない。それがこれらの職業を大変名誉のある象徴に仕立て上げる。有閑階級とはそうでないものに対する象徴的な存在として機能する。人々は競って有閑階級のマナーをまねようとする。スポーツが「もたざるもの」に対して「もてるもの」を象徴する存在として発展したという指摘は、当初から公共的で民主的なものとして発生したかのようなスポーツに関する従来の記述と真っ向から対立するものだが、大変興味深く、また説得的である。恐らく「公共」という概念を担う公とか、「民主的」を体現する市民という概念の変遷に関わる問題がここには含まれていると思われる。ここでスポーツが果たした象徴的役割という視点は重要である。(注8) ところでスポーツの成立時における階級性を問題にする場合に、19世紀の英国におけるパブリックスクールが果たした役割を無視するわけにはいかない。 近代になって、特に産業革命を経た英国社会において産業市民、つまりブルジョワジーが台頭し社会のヘゲモニーを握る。彼らはいわゆる無産階級と違い、裕福ではあるがそれまでの貴族と決定的に違うのはモノを生産する、つまり仕事をするという点である。そして仕事をする産業人として通用する人間を作り出す場として機能したのがパブリックスクールだった。象徴的なのはラグビーを創始した人物として有名なラグビー校の校長、トマス・アーノルドである。彼は20年という校長在任期間中にパブリックスクールの改革を進めた立派な教育者であったが、その改革の理念は立派な産業人育成という目的を持っていた。すなわちルールを重んじ、フェアに振るまい、友愛を忘れず、生産を通じて社会に奉仕することを徳目とした。(注9) これらを身につけさせるためにスポーツは理想的な装置として機能した。同時にその機能を果たすことを通じてスポーツ自体も洗練され、現在の形式を整えていったという経緯がある。そして産業主義が世界化すると共にスポーツも世界化していったのである。 因みにクーベルタン男爵は、思想的にトマス・アーノルドの賛美者であった。両者の共通点は、民主主義とは健康にして志操堅固なエリートの育成を通じてこそ達成できるものであり、自主独立の気概をもった健全なエリートの養成によってこそ、スポーツは社会の安寧に対して大いに資するべきだという点であった。
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