スポーツの Social Performance を問う 2/9
広瀬 一郎

   # 近代以前にスポーツはあったか?


そもそも近代以前にスポーツがあったのかどうかという点は甚だ疑問である。無論身体活動としての運動はあったであろう。だがむしろスポーツという概念が、社会の中で明確に意識的に形成されるのは近代以降のことであると理解した方が議論がはっきりする。(注2) (だとすると「近代スポーツ」という呼称自体トートロジーに陥ってしまうことになる。)どうもスポーツに近代を付けることは当初から大変イデオロギー的な意図が含まれていたようだ。

もっともスポーツを「ルールと競争の要素を持ち、肉体の行使を要求するゲーム類似の活動」(「スポーツ人類学入門」K・ブランチャード、Aチャスカ著)等と定義すれば近代以前にもそういう身体活動があっただろうとは想像できる。ただ問題はそういう身体活動が社会においていかなる意味を持っていたのかという点なので、身体活動という物理的定義の共通性によって古代からのそれを一括りにスポーツと称し、便宜的な区分を古代とか、近代だとか、時間的なものによって行おうとすると、最も重要な問題点が見えにくくなり議論の混乱を招くのであろう。問題は古代か近代かという時期的な差なのではない。。ある身体活動がその時の社会において「いかなる位置を占め」「いかなる機能を果たしているか」なのである。

 たしかに「スポーツ人類学入門」(前出)の第2章では「スポーツの意味」が取り上げられており、「ゲーム」や「儀礼」や「闘争」や「体育」や「レクリエーション」などの社会的に認知し得る概念要素について言及されている。これらの要素に基づいて遡れば、確かにスポーツの原型と呼ばれるものは古代から存在するようにも見える。

現在認識できるスポーツの明確な最後の絵画表現は、シュメール文明の初期王朝時代(紀元前3000から1500年)の遺跡に認められるという。また文学におけるスポーツの記述は、古代ギリシャまで遡る。紀元前15〜10世紀にかけて語り継がれた物語を集大成したホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」の中にも明らかに現代のスポーツのルールと思われる場面が数多く見られる。さらにプルタークによれば既に紀元前6世紀初頭のギリシャのアテネにおいて、オリンピックの勝者には賞金が支払われていた。我が日本でも「日本書紀」に描かれた「相撲」の原点と言われる当麻蹶速と野見宿禰の対決や、大化の改新の発端となった蘇我入鹿の暗殺が中臣鎌足と中大兄皇子により法興寺の「蹴鞠」の時に企てられたのは有名な話である。

また文献上では12世紀末のノルマンディ地方を本拠としたいわゆるノルマンディ派の小説「エアネス」に登場している「disport」が最初ではないかと言われている。(「スポーツの歴史」レイモン・トマ;白水社1993)

シュメール王朝から現在まで約5千年の間にスポーツが担ってきた役割を大雑把に以下の5つに纏めることも可能である。

1.宗教的側面 祭事の一環として、また儀式として

2.政治的側面 戦争など闘争の代替物として

3.娯楽的側面 行う娯楽として、または見る娯楽として

4.教育的側面 近代国家における兵士教育と特に産業革命以降は産業社会の成員にするための体育として

5.健康的側面 現代人の健康維持のため

ただしこれらの5つの側面にしても後世の我々が勝手に解釈しているだけで、当時の人々がどれほど明確にそれを意識していたか疑わしい。近代になって「スポーツ」という概念が確立した後に、その観点から言わば逆照射して初めてできる区分なのではないだろうか。古代スポーツもスポーツだというのは、まるでリヤカーも車輪が付いているのでカー(自動車)ではないかと考えるようなもので、文化人類学的にはそこにある程度の意味はあるだろうが、今日の自動車社会の問題点をどう解消するかという実践的な検討にはあまり寄与しないと思われる。我々が現在スポーツと呼ぶ概念は、あくまで近代以降に成立したものであり、この概念によって括れるような共通の意味を近代以前のスポーツは有していないと考えられる。

つづく