中国内陸部の河北省・正定県(せいていけん)。
4月、ここで天安門事件の犠牲者を悼む式が行われました。
于世文さん
「門の向こうの花壇に犠牲者の写真を飾り、追悼の言葉を記しました。」
追悼式を呼びかけた、于世文(う・せぶん)さんです。
この場所で追悼式を開いたのには、わけがありました。
正定県は、習近平国家主席が政治の道を歩み始めた場所。
そこで行動を起こすことで、習近平国家主席に改革の道を歩んでほしいと思ったのです。
事件当時、南部広東省の大学で学生リーダーだった于さん。
学生たちに北京での運動に参加するよう鼓舞した結果、仲間の中から犠牲者が出たことに、ずっと罪の意識を感じてきました。
于世文さん
「多くの人が事件は過去のことだと言います。
しかし、私たちは学生リーダーでした。
私たちが学生を扇動し、事件は起きてしまった。
追悼式は私のけじめです。」
中国では、今も天安門事件に関する情報はインターネットで規制され、当局が追悼式など、事件に関する動きを封じ込めようとしています。
于さんは当局に察知されないよう、知り合いの元学生などを直接訪ね、追悼式への参加を呼びかけました。
追悼式の当日、于さんは携帯電話や移動の車を変えるなどしながら、式典会場と決めていた河北省の葬儀場に向かいました。
しかし多くが当局に出席を阻まれ、この日参加できたのは、僅か5人。
さらに、開始後30分ほどで警察に踏み込まれ、式は中止させられました。
この日、写した写真もほとんど没収されました。
追悼式の様子がうかがえるのは、準備中に写した、この写真だけです。
拘束された于さんは、8時間にわたる事情聴取を受けました。
それでも、24年間で初めて中国本土で行われた追悼式として、香港のメディアは大々的に報じました。
于世文さん
「習近平氏ゆかりの地で追悼式ができたのは、意義がありました。
目標は、犠牲者が戦った場所である天安門広場で国葬を開くことです。」
当局に妨害され、追悼式に出席できなかった人も多くいます。
呼びかけ人の1人、安寧(あん・ねい)さん。
事件で同級生を亡くしました。
北京で民主化運動に加わっていた安さん。
あの日、安さんは活動拠点の北京大学で、天安門広場にいた仲間と電話していた時、「大変なことが起きている」と聞かされました。
友人が持ち帰った血まみれの服を見て、たくさんの死者が出ていると分かったといいます。
安寧さん
「犠牲者が着ていた血まみれの服を同級生が持って帰ってきました。
水でぬれたように、全体が血まみれでした。」
その後、反政府団体を組織したとして、逮捕。
5年間にわたり服役しました。
出所したあとも、事件の関係者であることを理由に定職に就けず、妻の収入に頼る生活。
今でも当局は、しばしば安さんに電話をかけ行動を確認するなど、習近平体制になっても、監視が弱まる様子はないといいます。
安寧さん
「犠牲者を追悼するためだけでなく、私たちが求めているのは事件の真相究明です。
中国共産党はずっと嘘をついています。」
状況が改善されないことに、遺族は失望感を強めています。
事件で当時19歳の息子を亡くした、張先玲(ちょう・せんれい)さんです。
張先玲さん
「二十数年たちましたが、事件のことを考えると、とてもつらいです。」
張さんは、事件の遺族たちで作る団体のメンバーとして活動。
しかし団体で墓参りをしたり、事件現場を訪れたりすることは妨害されてきました。
事件の真相究明や、責任者の処罰を求めてきた張さん。
しかし、政府は「一部の学生らによる“暴乱”だ」として、全く対応していません。
先月(5月)31日、張さんたちは遺族123人の連名による文書をインターネット上で発表しました。
習近平政権になって、状況が変わることへの僅かな期待を抱いてきましたが、裏切られたと感じています。
文書では、今回初めて「絶望が近づいている」と訴えました。
張先玲さん
「追悼式が成功したことには非常に感動しています。
習近平氏や李克強氏の新世代は、庶民の苦しみも、政治の闇も理解している。
専制政治のもとでの、この数十年の苦難を理解している。
政府に誠意があるなら、遺族との対話を始めてほしい。」