2013年6月4日(火)

天安門事件から24年 中国はいま

1989年、中国で、民主化を求める学生や市民を武力で鎮圧し、多くの死傷者を出した天安門事件から、今日(4日)で24年。
習近平体制になって初めて、この日を迎えました。
これまでと同様、国内メディアは事件に関連したニュースを一切伝えていません。
天安門広場では大勢の警察官が配置され、市民の抗議行動などを警戒して、身元の確認や手荷物の検査が厳しく行われていました。



中国外務省 報道官
「(天安門事件の評価は)これまでも何度も述べているので、繰り返さない。」

一方、当時デモに参加し逮捕された元学生や遺族などは、今も苦しみ続けています。





犠牲者遺族
「24年たっても問題が解決されないなんて、ひどいと思います。」

天安門事件は今、中国でどう受け止められているのでしょうか。



髙尾
「世界に衝撃を与えた天安門事件から、今日で24年がたちました。
事件の犠牲者は、政府側の発表だけで300人以上に上ります。
事件の真相は今も明らかにはされず、中国政府は追悼式など、事件に関する動きを厳しく規制しています。」

鎌倉
「一方、1国2制度のもと、報道の自由が認められている香港では今、犠牲者を悼む大規模な式典が行われています。
香港で取材をしている石部記者と中継がつながっています。」

天安門事件から24年 関係者は今

中国内陸部の河北省・正定県(せいていけん)。
4月、ここで天安門事件の犠牲者を悼む式が行われました。

于世文さん
「門の向こうの花壇に犠牲者の写真を飾り、追悼の言葉を記しました。」

追悼式を呼びかけた、于世文(う・せぶん)さんです。
この場所で追悼式を開いたのには、わけがありました。
正定県は、習近平国家主席が政治の道を歩み始めた場所。
そこで行動を起こすことで、習近平国家主席に改革の道を歩んでほしいと思ったのです。
事件当時、南部広東省の大学で学生リーダーだった于さん。
学生たちに北京での運動に参加するよう鼓舞した結果、仲間の中から犠牲者が出たことに、ずっと罪の意識を感じてきました。

于世文さん
「多くの人が事件は過去のことだと言います。
しかし、私たちは学生リーダーでした。
私たちが学生を扇動し、事件は起きてしまった。
追悼式は私のけじめです。」

中国では、今も天安門事件に関する情報はインターネットで規制され、当局が追悼式など、事件に関する動きを封じ込めようとしています。
于さんは当局に察知されないよう、知り合いの元学生などを直接訪ね、追悼式への参加を呼びかけました。
追悼式の当日、于さんは携帯電話や移動の車を変えるなどしながら、式典会場と決めていた河北省の葬儀場に向かいました。
しかし多くが当局に出席を阻まれ、この日参加できたのは、僅か5人。
さらに、開始後30分ほどで警察に踏み込まれ、式は中止させられました。

この日、写した写真もほとんど没収されました。
追悼式の様子がうかがえるのは、準備中に写した、この写真だけです。
拘束された于さんは、8時間にわたる事情聴取を受けました。



それでも、24年間で初めて中国本土で行われた追悼式として、香港のメディアは大々的に報じました。

于世文さん
「習近平氏ゆかりの地で追悼式ができたのは、意義がありました。
目標は、犠牲者が戦った場所である天安門広場で国葬を開くことです。」

当局に妨害され、追悼式に出席できなかった人も多くいます。
呼びかけ人の1人、安寧(あん・ねい)さん。
事件で同級生を亡くしました。
北京で民主化運動に加わっていた安さん。
あの日、安さんは活動拠点の北京大学で、天安門広場にいた仲間と電話していた時、「大変なことが起きている」と聞かされました。
友人が持ち帰った血まみれの服を見て、たくさんの死者が出ていると分かったといいます。

安寧さん
「犠牲者が着ていた血まみれの服を同級生が持って帰ってきました。
水でぬれたように、全体が血まみれでした。」



その後、反政府団体を組織したとして、逮捕。
5年間にわたり服役しました。
出所したあとも、事件の関係者であることを理由に定職に就けず、妻の収入に頼る生活。
今でも当局は、しばしば安さんに電話をかけ行動を確認するなど、習近平体制になっても、監視が弱まる様子はないといいます。

安寧さん
「犠牲者を追悼するためだけでなく、私たちが求めているのは事件の真相究明です。
中国共産党はずっと嘘をついています。」

状況が改善されないことに、遺族は失望感を強めています。
事件で当時19歳の息子を亡くした、張先玲(ちょう・せんれい)さんです。

張先玲さん
「二十数年たちましたが、事件のことを考えると、とてもつらいです。」

張さんは、事件の遺族たちで作る団体のメンバーとして活動。
しかし団体で墓参りをしたり、事件現場を訪れたりすることは妨害されてきました。
事件の真相究明や、責任者の処罰を求めてきた張さん。
しかし、政府は「一部の学生らによる“暴乱”だ」として、全く対応していません。

先月(5月)31日、張さんたちは遺族123人の連名による文書をインターネット上で発表しました。
習近平政権になって、状況が変わることへの僅かな期待を抱いてきましたが、裏切られたと感じています。  
文書では、今回初めて「絶望が近づいている」と訴えました。

張先玲さん
「追悼式が成功したことには非常に感動しています。
習近平氏や李克強氏の新世代は、庶民の苦しみも、政治の闇も理解している。
専制政治のもとでの、この数十年の苦難を理解している。
政府に誠意があるなら、遺族との対話を始めてほしい。」

天安門事件から24年 中国本土の現状

髙尾
「再び、香港の石部記者に聞きます。
24年たった今も、関係者の人たちの苦しい思いが伝わってきましたけれども、実際に取材をして、どう感じましたか?」

石部記者
「事件の関係者たちは、非常に厳しい状況に置かれていると感じました。
今日を前に中国本土では、民主活動家らの拘束が相次いでいます。
それだけでなく、今回取材した遺族の張さんは、当局が『敏感な時期だから』として、先月、香港に来る許可を出さなかったそうです。
関係者の多くが日常的に監視されており、今回取材する際にも、いつ、どこで面会するか、電話で連絡をとるのが非常に難しく、神経を使いました。
当局を恐れて、声をあげられない人たちも少なくない中、取材に応じてくれた人たちに共通していたのは、このまま事件を風化させたくないという強い思いです。
ここ香港とは違い、事件について、ほとんど伝えられることのない中国本土では、事件の記憶は急速に風化しています。」

「天安門のデモは知っていますか?」

市民
「少し記憶にあります。」

「あまり知らない?」

市民
「ほとんど知りません。」

「天安門事件に関心はありますか?」

市民
「ありますが、気軽に話題にはできません。」

石部記者
「関係者はこの間、事件の再評価と真相の究明、政府の謝罪と賠償、責任者の処罰を求めてきましたが、政府は一環して応じておらず、事件の風化とともに、関係者は焦りと一種の諦めを感じているように思います。」

習近平体制で 事件の評価に変化は

鎌倉
「習近平新体制になっても、やはり政府の締めつけは変わらないように見えましたけれども、どうなんでしょうか?」

石部記者
「そうですね。
ただ、このところ、関係者の間では、習近平政権で状況の変化を期待する雰囲気がありました。
例えば、当時、民主化運動に厳しい立場を取らなかったとして、保守派から批判され失脚した、胡耀邦(こ・ようほう)元総書記を表立って評価するような動きが出始めていたからです。
習主席の父親の習仲勲(しゅう・ちゅうくん)氏は、胡耀邦氏に近かったとされるだけに、胡耀邦元総書記がかつて暮らしていた家が今年(2013年)になって、国が重点的に保護する場所に指定され、再評価されるようになると、天安門事件の評価見直しにつながるのではないかという期待が高まりました。
しかし一方では、思想統制を強める動きも強まっています。
先月、大学の講義で、公民権や中国共産党の過去の過ちなどについて触れてはならない、という指示が出されたと香港で伝えられました。
また中国の大学講師によると、共産党中央が、大学の教員の思想を正すよう求める指示を出したといいます。」

中国政治 評論家 劉鋭紹さん
「習首席たち、新時代の指導者には既得権がある。
大きな変化を望まないでしょう。」



石部記者
「社会の安定を最優先に考える習近平政権では、関係者が求めているような事件に対する評価の見直しなど、引き締めを強めている今の現状からの大きな変化というのは考えにくいと思います。」

この番組の特集まるごと一覧 このページのトップヘ戻る▲