2011/02/03

韓国系新興プロテスタントの脅威

赤い十字架の乱立する異様な光景
韓国を訪れたことのある人なら、だれもが教会の多さに気づくことだろう。ソウルの街を車で行くと、街のあちこちに独特の異彩を放った赤いネオンサインの十字 架があるのがわかる。それもそのはず、韓国はいまや世界でも有数の「キリスト教国」なのである。韓国統計庁が2005年発表したところによると、韓国の仏教人口が全国民の22.8%であるのに対し、カトリック人口は10.9%、プロテスタント人口は18.3%にものぼるという。歴史上韓国は欧米列強の植民地となったことがなく、キリスト教が伝えられてからまだ200年ほどしか経っていないことを考えれば、国民の約3分の1(すなわち約1400万人)がキリスト教徒を自認しているというこの統計結果は驚愕に値する。全人口の1%程度(すなわち約100万人)にすぎないとされる日本のキリスト教人口とは、およそ比較にならない。

なぜキリスト教国に?
日本と韓国は歴史的・地理的な隣国であるにもかかわらず、キリスト教の猛威という点においてなぜこうも違っているのだろうか。この分野に明るい多くの識者に よると、この種の問いの答えはナショナリズムと宗教の結びつきにあるという。すなわち、キリスト教がアメリカや韓国のような国で幅を利かせているのはそれがナショナリズムと堅く結びついているからであり、逆に日本で不振なのはナショナリズムとの相性が悪いからということだ。キリスト教禁教下で長らく醸成された「キリスト教邪教観」や、戦前・戦中を通じた天皇制や国家神道との接触事故のトラウマで、日本のキリスト教はナショナリズムとの相性がすこぶる悪い。第2次世界大戦がとうの昔に終結した今でも、キリスト教と国家神道やナショナリズムとの確執は長く尾を引いている。これに対し韓国では、日韓併合時代の反日運動や独立運動、神社参拝拒否を多くのキリスト教徒たちがになった経緯から、キリスト教とナショナリズムとの結びつきが非常に強い。さらには第二次世界大戦 後も、冷戦下の反共主義や民主化運動の影響もあって、キリスト教は韓国のナショナリズムや民衆心理とますます強く結びついたのである。国際基督教大学名誉教授の古屋安雄氏は、次のような皮肉な言葉を述べている。
「つまり、日本ではキリスト教は欧米の帝国主義あるいは植民地主義の手先ではないかと、国家神道のナショナリズムと対立したのに、韓国ではその日本のナショナリズムに対抗するために、立ち上がった韓国の独立運動を支えるナショナリズムとキリスト教が結ばれたのである。韓国のキリスト教が盛んなのは、日本のおかげではないか、とまでいわれる所以である」
韓国系新興プロテスタントの特徴
韓国のキリスト教を考えるにあたって、「韓国系新興プロテスタント」という概念に触れておくことは非常に有益だろう。韓国のキリスト教はとくに新興プロテスタントにおいて、特徴的な要素が多く指摘されているからだ。わたしがこの表現を最初に見たのは有名ブログ「随想 吉祥寺の森から」においてだが、きわめて有効な概念なので、ここではもう一度わたしなりの再定義を行いたい。「韓国系新興プロテスタント」とはひとことでいうと、北米発の福音派が朝鮮半島に飛び火し独自の進化を遂げることでさらに危険度が倍増した、感染力の強いマインド・ウイルスである。注意しなければならないのは、わたしのいう「韓国系新興プロテスタント」 はいわゆる正統/異端の区別を全く問わないということである。「摂理」や「神様の教会世界福音宣教協会」のような異端と認定される団体も含まれるし、「ヨハン早稲田キリスト教会」のような日本福音連盟に加盟するいわゆる正統派キリスト教会も含まれる。統一教会は新興だが、もはや見るからにプロテスタントの体裁をとっていないため、韓国系新興プロテスタントから独自の進化を遂げた近縁のマインド・ウイルスに位置づけられよう。在日大韓基督教会という教団は韓国系だが新興ではないためこれに含まれないが、その教団に属する個々の教会や信者がそのあり方次第で含まれる場合も考えられる。一般的にいって、韓国系新興プロテスタントには以下のような特徴がある。

・聖書無謬説や進化論否定などの前近代的な思考
・(ときに正体を隠した)強引な布教活動
・一世代での急激な教団の膨張
・大規模な礼拝様式
・牧師への権力集中およびそれを乱用したパワハラ
・名誉を見せつけるかのような社会活動と功績の演出
・拝金主義ともいえるほどの献金の巻き上げ
・積極的な海外進出
・オカルトを連想させるような奇跡の演出
・日本に対する歴史意識やナショナリズムを前面に出した説教

無関心ではすまされない
日本人にとっていかにキリスト教がなじみ薄いものだからといって、韓国系新興プロテスタントの存在を無視すべきではない。というのも、韓国はアメリカについで世界第2位の宣教師排出国だからだ。2000年には韓国から派遣された1万人を超える宣教師が世界156カ国で活動していたという。投資のわりに実り少ない日本宣教をアフリカ宣教へと乗り換えつつあるアメリカにとって代わって、韓国が日本のキリスト教界の命運を握る存在になるのはまず間違いない。ファンダメンタル系のキリスト教諸団体連合機関である日本福音同盟理事長の中島秀一は、わが国のキリスト教会に対して確実に影響力を強めつつある韓国系キリスト教という現実に対しこう苦言を呈したという。
「韓国の協力がないと(国内の教会は)やっていけなくなる」
「いろんなルートで宣教師たちが入ってくるので、信頼できる人なのかをこちら側で見極めるのは難しい」
当然ながら、これらを原因にさまざまな反社会的な事件が引き起こされてきた。もちろん日本においてもそうである。うそだと思うなら、「韓国系キリスト教」と聞いて平均的日本人が思い浮かべそうなものをざっと挙げてみるがいい。最近だとおそらく、

・韓国発症の信仰宗教・統一教会(協会)によるマインドコントロールや反社会的行動
・聖神中央教会の在日韓国人主観牧師・金保による長期にわたる組織的な強制わいせつ事件
・韓国系プロテスタント教会・ヨハン早稲田キリスト教会によるダミーサークルや偽装セミナーを利用した執拗な勧誘活動
・韓国発症のカルト教団「摂理」の創始者・鄭明析による数々の性的暴行事件
・日本国内60教団2000もの教会に多大なる影響を与えてきた韓国人牧師・卞在昌による長期の強制わいせつ疑惑
・韓国出身の牧師/宣教師・安津畑節子による偽装結婚のあっせんと3億円の仲介料の稼ぎ
・韓国系インターネット新聞「クリスチャントゥデイ」は統一教会(協会)が一般キリスト教企業を装ったのではないかという疑惑、いわゆる「クリスチャントゥデイ問題」
・大韓イエス教長老会による政府の警告を無視したアフガン入国とボランティアを装った布教活動、そしてそれに伴う人質事件、いわゆる「2007年タリバン韓国人拉致事件」
・オンヌリ教会・サラン教会等による大々的な布教イベントの演出
・進化論を否定し擬似科学とされる創造論を普及させる「ラブ・クリエーションセミナー」の実施
会員数83万人(2007年)を誇る世界最大級の教会の汝矣島純福音教会の創立者・趙鏞基による重婚疑惑や伝統的キリスト教からの逸脱疑惑

といった具合だろうか。では、これら韓国系新興プロテスタントの悪弊の原因はどこにあるのだろうか。少なくとも、1. 韓国社会の病弊、2. ファンダメンタリズムの系譜というふたつの原因が考えられる。そこで、以下ではこれらふたつの問題に関して簡単に考察してみることとする。

1. 韓国社会の病弊
まず、「奇跡の演出」について考えてみよう。韓国のキリスト教に見られるこうした傾向は、韓国土着の呪術からの影響が指摘されている。法政大学社会学部教授の高尾利数先生は、こう述べている。
「・・・現代の韓国で急成長しつつあるキリスト教に、「巫術的」要素が、そしてあえて言えば「呪術的」要素が強すぎることも深く関連しているのではないかと思うのである。信仰が現実的な癒しをもたらすべきものであることに異存はないが、それは「巫術的」や「呪術的」な方向へ歪められてはならないと思うのだ。(略)現代の韓国は、こういう問題点・課題を持っているのではなかろうか」
また、「牧師への権力集中およびそれを乱用したパワハラ」について考えてみよう。MSN産経ニュース【週刊韓(カラ)から】によると、韓国は2007年現在で性犯罪率が日本の約4倍とアメリカ並みに高いという(もっとも、保守的な韓国の方がアメリカと比べて被害届を出さないことが考えられるため、実際にはアメリカ以上の高さとも考えられるらしいが)。つまり、暴力的なまでに単純化して考えれば、韓国人牧師による性犯罪率も日本人牧師によるそれの約4倍だということになる。実際にはこの種の要因は複雑に絡み合っており、その場合に応じて厳密に考えることが必要である。

2. ファンダメンタリズムの系譜

では、第2の原因としての原理主義の系譜とはどういうことなのか。先ほども挙げた古屋氏の述べるところに耳を傾けてみよう。
「・・・日本と韓国のキリスト教の決定的な違いは、神学の違いである。これはそれぞれの国に来たアメリカの宣教師の進学的背景と関係しているが、韓国の最大の教会である長老教会でいえば、日本に来たのは北長老教会であったが、韓国のそれは南長老教会であった。一九二〇年代のプリンストン神学大学の分裂以後も、韓国の長老教会は依然として『聖書無謬説』を信じる保守的な神学を報じていたが、日本は早くから聖書批評を認め、やがてはバルト神学の支配下に入る」
これは、韓国のキリスト教の多くがファンダメンタリズムの系譜を引いていることを示している。では、ファンダメンタリズムの系譜とはどういうものか。一般に、建国以来のアメリカを制してきたバックボーンは保守的なプロテスタントだったといわれる。だが、19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツからの近代的な聖書学や自由主義神学が北米に伝えられるやいなや、プロテスタント諸教派は大きな論争に巻き込まれる。やがてアメリカのプロテスタント諸教派は進歩的な考えを受け入れた主流派とそうでない保守派とに二分され、両者の間に大きな亀裂が生まれた。聖書無謬説や逐語的霊感説に立って「聖書は誤り無き神の言葉」とする保守派は、彼らがいうところの「キリスト教の根本的(すなわち、ファンダメンタルな)教理」に固執したため、「根本主義者(ファンダメンタリスト)」と呼称されるようになった。もはや社会学の用語となってしまったいわゆる「原理主義者」という語も、そもそもは「根本主義者」と同じく「ファンダメンタリスト」という英単語の日本語訳である。韓国のキリスト教に「聖書は神の霊感を受けて書かれた権威ある書なのだから一字一句誤りがない」とする極端な思想の影響がもともと強かったことを考えれば、それがカルト的病癖をすぐに抱え込むようになったとしても全く不思議ではない。

対処法:「3つのNO」
留学や旅行、仕事で韓国を訪れる場合は、滞在中に韓国系新興プロテスタントから布教を受ける可能性が十分にある。いやわざわざこちらから韓国へ行かなくても、向こうの方から頼まれてもいないのに日本へ布教に来てくれている。実際わたし自身、東京や地方の繁華街で声をかけられたことが少なくない。では、韓国系新興プロテスタントと思しき人々から勧誘を受けた場合、どのように対処すればいいのだろうか。心配に思う人は、次の3つの対策をとるのが望ましい。すなわち、①接触しない②交渉しない③妥協しない。これを名づけて「3つのNO政策」としよう。ちなみに、この名前は台湾に逃げた蒋介石が中国大陸に対してとった政策に由来する。

①接触しない
まずは、その種の人々が数多くいることがわかり切っている場所を、できるかぎりひとりだけで歩かないことである。たとえば、新大久保のコリアンタウンなどをひとりで歩きまわるのは自殺行為に等しいと言ってよい。ヨハン早稲田キリスト教会の周囲も危険である。さらにいえば、もっと一般的な街中にも布教をしている韓国系新興プロテスタントがうじゃうじゃいる。たとえば、蒲田駅の東口や西口の付近などだ。この種の情報に関しては、どこにどの教団が出没しているかのデータベースやマップが今後構築されることが望ましいように思われる。

②交渉しない
次に重要なのが、彼らに絶対に反応してはならないという原則だ。仮に話しかけられても、ただ無視して通り過ぎれば十分である。相手は布教のプロだ。むやみに論争してやろうなどと思って、話に付き合わない方がいい。いつの間にか、訓練された彼らのやり口に乗せられてしまうというリスク大だからである。フランス政府がエホバの証人たちに送り込んだスパイが、逆に信者にされてしまったという話もあるくらいだから、カルト信者を絶対にみくびってはならない。そもそも宗教について議論したいなら、道ばたでカルト信者と宗教について話し合うのでなく、まず書店で宗教学に関するまじめな本を読むべきである。とにかく、その種の信者と思われる人々を見かけたら絶対に交渉しはならない。こうした対処法を実行する際には、彼らの外見をある程度心得ておくことも重要だ。たとえばファイルを片手にもった2、3人のアジア人が駅前で寄り添ってきたら、それは外見的に韓国系新興プロテスタントである可能性がかなり高い。

③妥協しない
最後に、①と②は妥協せずに厳密に行うべきである。大学のキャンパス内で「じちゅは、これから日韓交流行事としてサンドイッチをちゅくって食べようかと思っているんですが、よかったら一緒にどうですか」と言われて、「まあ、これは宗教ではないから大丈夫だろう」と思うくらいの甘い気持ちではだめだ。彼らは、「ゴスペルコンサート」、「日韓交流イベント」、「就活セミナー」、「サークル」といったあらゆる手を使って、虎視眈々と一般の日本人を自分たちのコピーにしようとする。なにを言われようが自分は断固としてカルトに反対する、という強い意志をもっていないと、常に信者にされてしまうリスクは存在する。とにかく、なにがあっても妥協しないことだ。韓国系新興プロテスタントの具体的なありさまについてもっと知りたい方には、随想 吉祥寺の森からやや日刊カルト新聞 をご覧になることをお勧めする。

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