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【芸能・社会】都はるみ 歌手生活50年 念願かなった筒美作品2013年11月29日 紙面から
歌手生活50周年イヤーの都はるみ(65)が、10月に出した記念曲「ありがとう おかげさん」で感謝の思いを届けている。きたやまおさむ、筒美京平という初めての作詞作曲家コンビによるスローナンバー。天国へ旅立った恩人だけでなく、今の自分を支えてくれる人たち、ファンへの思いは、聴く人それぞれにも思い当たる人生ソングだ。 「私がここに生きているのは 草葉の陰で見守っている あなたが背中を押してくれるから」。流行歌の詞では、珍しい「草葉の陰」。きたやまさんならではの言葉遣いだが、はるみはここが最も気に入っているという。同じ京都出身、しかも実家が近所だったことも分かり、打ち合わせの初対面で意気投合した。サビの「おかげさんの おかげさんなんです」も、お互いの思いが一致した京言葉だ。 一方、筒美さんに曲を依頼したのは、「20代からの夢だった」。うなり節で一躍有名になり、演歌歌手のイメージに染まったが、「自分にない世界に行ってみたい」とずっと思っていたという。念願かなっての筒美作品。「聴いてると難しそうに聞こえるけど、歌った方が面白い。筒美さんの曲って『ブルーライトヨコハマ』だって『木綿のハンカチーフ』だってそうでしょ。今回、それが分かりました。(新曲は)今までの曲と全然違うから、どんな風に歌ったらいいのか、まだ分からない。年中、練習してますよ」と声を弾ませた。 作曲家の市川昭介さん、作詞家の吉岡治さん、星野哲郎さんら恩人を随分見送った。今年5月23日には、所属事務所サンミュージックの相澤秀禎会長が旅立った。 デビュー以来所属したコロムビア芸能から離れることになった時、次の事務所が内定していたのに、「一度会ってみたら?」と知人に言われて会ったのが相澤さん。初めて話したその席で「行きます」と答えた。「縁だったんでしょうね」とはるみ。「(相澤さんに)私の葬式をやってほしかった」というほど信頼し、強い絆で結ばれていた。 しみじみ「おかげさん」と思うのは、ステージで歌っている時という。2年ほど前から客席に降りて歌う演出をしているが、「はるみちゃん、頑張って」という声が絶えない。時には、「オレ独身なんだけど」という男性ファンの呼び掛けに会場がドッとわく。 「亡くなった人の力も大きいけど、自分が今やっているのは、やっぱり自分一人の力じゃなくて、皆さんのおかげなんですっていうこと」。湿っぽくなく歌われる「おかげさん」は、はるみ世代だけでなく、それぞれの境遇で生きている現代人すべてに通じる思いを、代弁者として歌っているようだ。約50カ所をツアーで回り、12月11日の東京・明治座で歌い納める。 (本庄雅之) ◆五輪の年にデビューデビューしたのは東京五輪が開催された1964(昭和39)年。たちまちスター街道を駆け上がった。「浅草国際劇場でワンマンショーをやっていた時、袖にスタッフが誰もいなくてみんなテレビを見てた、私が歌ってるのに」と当時の思い出を話したはるみ。東洋の魔女と称された女子バレーの試合だったという。7年後の東京五輪のころは「歌ってるかどうか分からない」が、「オリンピックはゆっくり見たい」と笑った。 PR情報
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