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【社会】

取り違え男性 実の両親会いたかった 実弟と酒酌み交わす

産院のミスで取り違えられ、記者会見で複雑な思いを語る男性=27日夜、東京・霞が関の司法記者クラブで

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 「生まれた日に時間を戻してもらいたい。本当の両親に育ててもらいたかった」。六十年前に病院のミスで別の赤ちゃんと取り違えられたことが裁判などで明らかになった東京都の男性(60)が二十七日、都内で記者会見し、別人と入れ替わった人生に複雑な思いをにじませた。

 取り違えがあったと知った直後は「こんなことが世の中にあるのか」と事実を受け入れられなかったという。本当の両親はすでに他界しており、「生きているうちに会いたかった。写真を見て涙がこみあげてきた」と話す。女手一つで育ててくれた「母親」には「貧乏だったが、できる限りのことをしてくれた。感謝している」と語った。

 一九五三年三月三十日、東京都墨田区の病院で二人の男の子が産声を上げた。出産時刻の差はわずか十三分。分娩(ぶんべん)室で数人の助産師らが沐浴(もくよく)させたり、身長や体重を量ったりした。足の裏には、それぞれ違う母親の名前が記された。

 手元に戻ってきた赤ちゃんを見て母親の一人は「用意した産着と違う」と気になった。だが取り違えを疑う人は誰もいなかった。男性の運命はこのとき大きく変わった。

 育った家は楽な生活ではなかった。父親は二歳の時に亡くなり、母親が生活保護を受けながら三人兄弟を育てた。六畳のアパートでの四人暮らし。同級生の家庭にはあったテレビなどの家電製品はなかった。

 兄二人は中学卒業後すぐに働き、男性も家計を助けるために町工場に就職した。だが「進学したい」との思いは強く、自分で学費を工面しながら定時制の工業高校へ。大学進学はあきらめ、配送トラックの運転手として働いてきた。

 一方、本当の両親は教育熱心で、家庭は経済的にゆとりがあった。四人の子ども全員が私立高校から大学に進み、弟三人は大手企業に就職した。

 取り違えが判明したのは二〇〇九年。今回とは別の裁判の中で実施されたDNA鑑定で、本当の弟三人と「兄」との血縁関係が否定された。その後、実の弟らが病院に残った資料を調べ、血のつながった兄である男性を捜し出し、今年六月、戸籍も本当の両親の長男に変更された。

 二十六日の東京地裁判決は病院側に三千八百万円の賠償を命じ「真実の両親との交流を永遠に断たれた衝撃と喪失感は償いきれない」と男性の無念さをおもんぱかった。

 男性は記者会見で自分と取り違えられた男性については「同じ犠牲者。憎んではいない」と思いやった。最近は実の弟の家を訪ねて酒を飲む。「長い時間はあったけど、弟とはうまくやっていけそうな気がする」と表情をゆるませた。

 

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