体調わる子の毒吐きブログ

私の私による私のためのデトックスブログです

「亡くなった母に優しく出来てなかったなー」と、子供時代を思い出した話。

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常に優しくあれたらいいのになー。

今日は、母に優しくできてなかった子供の頃の自分について書く。

なんか色々思い出して精神薄弱になってるから、ブログに書くチャンスでござる。

 

母は、おいらが小学3年の頃に亡くなった。

 

母は、あまり身体が丈夫じゃなかった。

おいらが覚えている限りで、2回は入院している。

 

母は家にいても「具合悪い」「ごめんね」とばかり言っていた。

体調も悪いせいか、グズグズめそめそしていることが多かった。

怒ってる顔よりも、メソメソしている顔のほうが記憶にある。

ニコニコしてる顔よりも、メソメソの顔のほうが記憶に多い。

そのぐらい、メソメソしていることが多い母だった。

 

いつも具合の悪そうな母。

最初のうちは「大丈夫?」と声をかけて、おいらは心配していたと思う。

母が入院したときも泣いて、女性の看護士(友達のお母さん)に病院のベンチで慰められてた。

会いにいくたびに泣いてしまってた自分を思い出したけど、何をそこまで悲劇のヒロインぶってたのかよくわからん。

まあ子供だったから、医者やら看護士に「心配ないからね」「大丈夫だからね」と言われても、信用せずに「死んじゃう」「死んじゃう」って思ってたんだろう。

アニメとかドラマって「大丈夫って言われながら死んじゃう」っていう、そういう展開多いし。

 

いつもいつも具合が悪い、具合が悪いと言っていた母。

退院して家に帰ってきたときは嬉しかったけれど、しばらくすると、やっぱり毎日「具合悪い」「気分悪いからうるさくしないで」って言われ始めた。

学校から帰ってきても、寝てて「おかえり」って出てきてくれないし、なんだかひとりぼっちな気分になっていった。

 おいらは、だんだん母のことを心配出来なくなっていった。

毎日毎日、毎日毎日心配しても、母の具合はよくならないからだ。

心配しても、心配しても「心配かけてごめんね」っていうだけ、ただそれだけ。

何もよくならない。

心配したって無駄。

だんだん、だんだん、おいらも疲れていった。

 

そして自分自身でもびっくりするような、黒い感情を抱くようになった。

「なんで他の子のお母さんと違って、うちのお母さんはダメなの?」

「どうして私ばっかりこんな思いしなくちゃいけないの?」

「○○ちゃんは、いつもお母さんとお出かけしてるのに」

「いっそ、お母さんなんかいなくなっちゃえばいいのに」

 

あのときの感情は、割とハッキリおぼえている。

でも思ったあとに、すごくモヤモヤした。

当時は「罪悪感」って言葉を知らなかったけれど、あのモヤモヤは多分罪悪感。

そんな罪悪感が、そのときはあった。

あったはずだった。

あったはずだったのに、だんだんおいらは、母が具合悪くも心配しなくなってしまった。

どんどんブラック化していくおいら。

なんというか、本当に最悪な子だと思われるかもしれないけれど、「タダのなまけものじゃん」って、母に対して思うようになってしまった。

あのときの自分を結構本気で殴りたい。

今、キテレツのとうじき乗って、タイムスリップして、ポンポコ殴りたい。

「お前の母ちゃん、もうすぐ死んじゃうんだぞ!」

「もっと優しくしろ!馬鹿!」

って、ポンポコポンポコ殴りながら、本気で言いたい。

 

その当時、母の母、つまりおいらのばあちゃんも、病院でずっと入院していた。

母が「おばあちゃんが植物人間状態なんだって」と言っていたのを覚えている。

「しょくぶつ?お花?」って聞いて、説明してもらったもんな。

 

今にしてわかることだけれど、母もそれで相当気を病んでいたと思う。

元々身体が弱いのに、精神的にもかなりきてただろうからストレス半端なかっただろう。

そんなときに、おいらは母のことを「なまけもの」なんて思ってたのだから、本当に申し訳なく思う。

母も、おいらが全然心配しなくなったことに気づいてただろう。

どんどん、娘が私から離れて行くって、もしかしたら思ってたかもしれない。

そして、もっともっと気を病んだかもしれない。

なんでもっと優しくできなかったんだろうって思う。

自分の神経を疑う。

無知だから?子供だから?そんなん通用しない。

自分の馬鹿野郎。

 

おいらのおばあちゃん、母の母は、とある月の6日に亡くなった。

それを追うように、おいらの母はその月の10日に亡くなった。

 

母が亡くなった理由はわからない。

わからないというか「過労死」って父には教えられた。

でも、おいらは正直ピンときていない。

でも、過労死って言うんだから、過労死なんだろう。

 

亡くなったばあちゃんの家でお葬式をして、その次の日に母が亡くなったのかな。

おいらは、ばあちゃんの家の居間で、姉の面倒を見ていた。

姉は、知的障害だから、たまにおいらは子供だろうが面倒を見てたんだ。

お絵描きか、ひらがな書きか、なんかそんなことをしてたと思う。

大人たちは、何してたんだろう。

ちょっとよくわかんない。

そしたら、母が倒れたという知らせが入った。

知らせが入ったということは、母は外にいたんだな。

 

親戚のおばちゃん達が、もちゃもちゃと「大丈夫だからね」「心配いらないから」とおいらに言いにきた。

その場にいた従兄弟やら、初めて会った親戚の子やらの視線が、全部おいらに集中した。

でもおいらはそのとき、あまり心配しなかった。

「またいつもの感じかな?」「具合悪いって言ったら病院に連れていかれたのかな?」ぐらいにしか思わなかった。

だから、「うん」「うん」と適当にうなずいていた。

 

どのぐらい時間が経ったあとだろう。

廊下のほうから、おばちゃん達がざわざわしている声が聞こえた。

そして泣きながら、おいら達子供が集まっていた居間に3〜4人して入ってきた。

「わるちゃんのお母さん、今、亡くなっちゃったんだって」

「お父さんも頑張って、人工呼吸とかしたみたいだけど、だめだったみたい」

そういって、ワンワン泣くおばさんがいた。

ちなみにそのおばさん、初対面。

そして未だにどういう繋がりで、おいらとそのおばさんが親戚なのかはわからない。

おいら、親戚の前では超絶大人しいし。

全然会話しないし。

 

それで。

そこから先は全然記憶にないのだけれど、おいらは誰かの車に乗せてもらって病院に行った。

そして母の死に顔を見て、というか、一瞬だけ見せてもらって隠されたみたいな感じになった。

じいちゃんは、「お前は病室にはいないほうがいい」と気を利かせてか、おいらを病院の廊下のベンチに連れて行った。

この辺の記憶は曖昧。

かなり動揺はしていたと思う。

悲しいとは思ったけれど、「本当に?」っていうのが最初にきた。

まさか本当に死ぬとは思っていなかったんだもの。

でも、すんげー泣いた。

親戚の前では大人しいやつだったから、漏れそうになる声を必死に堪えながら泣いた。

謎の理性。

 

母が亡くなって時間が経つにつれて、だんだん、だんだんと悲しくなった。

自分のせいで、母が死んだのではないかとも思ったり。

今でも、たまーに自分のせいで死んじゃったのかなって思ったりもする。

「なんで?」ときかれたら「なんとなく」としか答えられないけど。

「おいらのせいじゃないんだろうけど」っていうのと「おいらのせいかもしれない」の間を、いったりきたりしてる感じ。

 

お葬式が終わって、火葬が終わって、骨になった母を見たときには「お母さんってこんなに小さかったのか」って思った。

 

最近では、自分が当時子供だったとしても、もっと母に優しくあるべきだったよなあって思う。

今更「産んでくれてありがとう」とか思ってるんじゃねーよって感じ。

言いたくても言えないじゃねーか。

昔は厨二病をこじらせて「死にたい」「死にたい」思ってたけど、今はキラキラ未来を思い描いて、頭にお花畑を咲かせている。

「産んでもらってよかった」って思ってる。

今、生理中だから若干メンタル弱って「ナプキンのハネを背中にこさえて飛び立ちたい!」「逃げ出したい!」とか思ってるけど、普段は結構幸せだ。

 

大切な人に対しては、ずっと優しくありたい。

優しくしないと、ずっと後悔が残る。

「思いやり」って、すげーダサい言葉だけど、結構大事だ。

 

あと、子供に心配をかけさせる親にならないように、体調管理はしっかりしなきゃな。

母は身体が弱かったけれど、おいらは多少腹が弱いのと、メンタルが弱いぐらいで、まー、健康?

健康!健康だ!なにが体調わる子だ!

吉田健康だ!!

 

あとは、子供に心配かけないような親になりたいかな。

色々、経験してそう思ってるぽよ。

お腹の中の赤ちゃんは、男の子かな?女の子かな?

 

違うね、この膨らみは脂肪だね。

孕んでないね。

はやく赤ちゃんが欲しいですなあ。

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あなたの亡くなったお母さんに幸あらんことを

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