記者の目:新ローマ法王と現代日本=福島良典

毎日新聞 2013年08月27日 01時25分

 「踏むがいい」−−。カトリック作家の遠藤周作は代表作「沈黙」で、キリシタン禁制の江戸時代、踏み絵を迫られた宣教師にそう促すイエス・キリストの姿を描いた。キリスト教と日本風土の相克をテーマとした遠藤の心中にあったのは日本的な「母なる神」だろう。池長潤・大阪大司教(76)は「土地が変われば、新しいキリスト教の顔が出てくる。欧州では罪と罰の『厳しさの神』が前面に出すぎ、罪を許す(神の)寛大さが薄れていた」と指摘する。

 ◇アジア地域での信仰拡大に意欲

 約1300年ぶりに欧州域外から誕生した法王の視線の先にはアジアがある。ブラジル訪問の帰路、同行記者団との質疑応答で「アジアに行かなければならない」と訪問に意欲を示した。前々任の故ヨハネ・パウロ2世(在位1978〜2005年)が「三千年紀(2001〜3000年)の務めはアジア」と語ったように、世界の成長センターであるアジアはバチカンにとって死活的な地域だからだ。

 法王は「(神学生時代)日本に宣教に行きたかったが、健康上の理由でかなわなかった」と明かしており、日本への関心も強い。だが、約1億4000万人のカトリック教徒を擁するアジアにあって、日本の信徒数(2011年現在)は44万5927人。人口のわずか0.35%という少数派だ。「日本の社会にカトリックはそれなりに知られているが、発展していない」(高見三明・長崎大司教)のが実情だ。

 キリスト教を「邪教」として禁じた日本近世史の影響もあるだろう。だが、「他人を踏みつけてでも、物的な豊かさを追求するいまの日本の社会がキリスト教の価値観からかけ離れている」(池長大司教)という側面がありはしないか。物質主義や金融市場主義に異を唱え、人間性の回復を訴える法王。そのメッセージは、宗教に対する態度の違いを超え、モノと情報があふれる現代日本の消費社会に価値観の見直しを迫っている。(ローマ支局)

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