前年からの候補にも、3060安打のクレイグ・ビジオ氏や91年のワールドシリーズMVPで254勝のジャック・モリス氏ら有力候補がいる。
野茂氏は勝利数などでは見劣りするが、その後、イチロー(ヤンキース)や松井秀喜氏(ヤンキースなど)ら日本のスター選手がメジャーを目指すキッカケとなった。自身も現役引退後のプロ野球の臨時コーチのみならず、現役時代に日本でクラブチームを立ち上げ、台湾など海外でも野球教室を開くなど野球普及にも尽力してきた。日米球界の橋渡し役にもなっただけに、野球ファンの間では「国民栄誉賞を!」との声さえ挙がっているほどだ。
今回の殿堂入りはかなりの狭き門だが、候補に残ったこと自体が歴史的快挙。野茂氏のメジャーでの高い評価を意味している。
米野球殿堂
野球界で偉大な功績を残した人物に与えられる表彰。表彰者は米ニューヨーク州クーパーズタウンにある野球殿堂博物館にレリーフが飾られる。1936年にタイ・カッブ、ベーブ・ルースら5人が初めて殿堂入りし、これまで選手は237人いる。競技者部門はメジャー在籍10年以上で引退から5年たった選手が選考対象で、全米野球記者協会が選考して毎年1月に発表。監督・審判部門などはベテランズ委員会が選考して発表する。いずれも有効投票数の75%以上の得票が条件となる。
日本の野球殿堂は1959年創設。競技者表彰と特別表彰があり、競技者表彰は「プレーヤー部門」と「エキスパート部門」に分かれている。米国と同様、75%以上の投票数を獲得した人が殿堂入りとなり、今年1月で競技者表彰は82人、特別表彰は98人となった。
野茂 英雄(のも・ひでお)
1968(昭和43)年8月31日生まれ、45歳。大阪府出身。成城工高(現成城高)から新日鉄堺を経て90年ドラフト1位で近鉄入団。「ドクターK」と呼ばれて活躍したが、球団との確執などで95年にドジャースへ移籍。メジャーでもトルネード旋風を起こし、96年はド軍、2001年はレッドソックスでノーヒットノーラン。03年にNOMOベースボールクラブを設立。05年には日米通算200勝を達成した。07年はベネズエラリーグでプレーし、08年にロイヤルズで戦力外となり現役引退。その後、オリックスや広島の臨時コーチなどを務め、09年に名球会入りした。1メートル88、104キロ。右投げ右打ち。
(紙面から)