本書で取り上げられる池田晶子は、『14歳からの哲学』などのベストセラーで知られる哲学エッセイストである。池田の文章は、自分の直観的な結論を読者の前にポンと投げ出すというスタイルであり、非常に独特である。
池田自身が敬愛しているプラトンやデカルトやヘーゲルは、なぜそのような結論が導かれるのかについて渾身(こんしん)のロジカルな議論を重ねるのであり、評者はそこにこそ哲学の醍醐味があると考えているので、池田のスタイルには不全感を禁じ得ない。
しかしながら、本書の著者である若松は、池田のそのようなスタイルによってこそ光を当てることのできる思索があるのだという。そして池田のテキストをたんねんに読み解いて、そこから繊細な果実を抽出してくるのである。
若松が池田に読み取るのは、「言葉はいったいどこから来るのか」という問いである。ある言葉が、書き手を通路として貫いて彼方から降臨してくることがある。そのとき、その言葉を発したのは書き手なのか、それとも彼方(かなた)の存在なのか。
読み手のほうにおいても、同じことが言える。私がある文章に、いかづちのように撃たれるとき、私が出会っているのはその書き手なのか、それとも書き手という通路を伝ってこちらまでやってきた彼方の存在なのか。
池田はこのあたりの消息を、「私が言葉を語っているのではなく、言葉が私を語っているのだ」と書く。若松はこれを、さらに存在の深みに向けて掘り下げていく。するとそこには、池田という書き手を「場所」としてそこでさえずる鳥、芽吹く植物、流れる風が立ち現れ、そこにおいてちょうどつぼみが開花するように、言葉が、魂の交わりのコトバへと変じていくというのである。
若松は、自身が敬愛する哲学者、井筒俊彦を読むようにして、池田を読んでいるのであろう。たしかに池田は、存在がコトバとしてみずからを顕現する瞬間のことを繰り返し語っている。そして若松のまなざしもまた、この一点に注がれているのである。
(大阪府立大学教授 森岡正博)
[日本経済新聞朝刊2013年11月24日付]
人気記事をまとめてチェック >>設定はこちら
池田晶子
坪井正五郎、帝国大学理科大学(東京大学理学部)の人類学教室初代教授、1863年(文久3年)に生まれ、1913年(大正2年)にロシアで客死した。享年50。残念ながら、現在ではあまりよく知られていない。…続き (11/27)
1944年6月6日払暁、英・米・カナダを含む12か国の連合軍が、ドイツ占領下のノルマンディに怒涛(どとう)のような総攻撃を敢行する。これを迎え撃つドイツ軍は、沿岸防御施設「大西洋の壁」の他に、幅10…続き (11/27)
中小企業の経営支援事業などを手がける会社の社長が、自身を例に効率的な時間の使い方を説く。朝6時半に会社に着いて仕事を始める、携帯端末を使って細切れの「隙間時間」にも仕事をする…続き (11/26)
各種サービスの説明をご覧ください。