日米秘密情報機関:「影の軍隊」ムサシ機関長の告白

-国民の皆様に情報の本質を理解して頂くための良書の紹介-
…平城弘道元陸将補:講談社:2010.9…
詳細、具体的かつ明快に綴る自衛隊とその情報史の一面

元東部方面調査隊・相馬原派遣隊長 高井三郎

過去3年間に陸上自衛隊の元幹部による情報勤務に関する著作が続いている。
すなわち、2008年に草思社から「自衛隊の情報戦-陸幕第二部長の回想:塚本勝一」、同じくアスペクト社から「自衛隊『影の部隊』情報戦記録:松本重雄」が登場した。
更に講談社からは、2009年の「自衛隊秘密情報機関-青桐の戦士と呼ばれて:阿尾博政」に次いで、2010年9月に今回の主題の図書が出版された。

 各作品とも、各著者の生い立ちに始り、旧軍歴ないしは自衛隊歴を説く間に情報勤務に関する経験、回想及び所見に触れており、それぞれ特色がある。
然るに、平城著書は、際立った存在であり、詳細、具体的かつ明快な表現により自衛隊情報史の一面を説いているので、史料的価値に富む。
本書は、主題の情報勤務の他、旧軍時代の戦場体験、警察予備隊入隊の経緯、その後の各級指揮官、統合幕僚会議(統幕)の要員及び統幕学校職員としての実務経験に加え、退役後の実業家としての活動にも具体的に触れている。

 著者の情報勤務の経歴は、警察予備隊本部(その後、保安隊本部)の情報調査部ソ連情報係、陸上自衛隊中央資料隊(現基礎情報隊)の第一科長(ソ連担当)、陸上幕僚監部第二部(現運用支援・情報部)の第二部特別勤務班(略称、別班)の班長及び東部方面総監部第二部(現情報部)の部長から成る。

 本書に出て来る、ムサシ機関(その後、コガネイ機関と改称)とは、当時の別班関係者が関与した通称であり、組織の正式呼称ではない。
著者は、ソ連、中国、北朝鮮など国外軍事情報の収集に当たる別班の創設と別班長就任の経緯、当時の組織機構、階級別の定員、経費に加え、所属要員などの実名も明らかにする。

 思うに、元自衛官の回想録は、過去のしがらみから、往々にして気を使い、本人が現役時代に関係し、あるいは知り得た人物の実名に触れない場合が多い。
ところが本書の著者は、これらの人物の実名と行状も忌憚なく紹介する。
それには、優れた業績や仁徳に輝く上司、同僚及び部下にとどまらず、制服に対し理不尽な態度を採った防衛庁内局の課長、それに迎合する将官、佐官の実名も載っている。

 然るに、人物情報の公表は世俗的な欲求に応える内情暴露でなく、防衛省(庁)と自衛隊の仕組みとその問題点の素直な披瀝である。
端的に述べれば、現在も変らない病的な文民統制の実態と弊害を指摘し、その改善を献策している。
したがって、本書は、国防中央機構の在り方、特に改善の方向を考えるためにも多分に参考になる。
ちなみに、石破防衛庁長官が指示した制服と文民の混然一体化を主眼とする制度改革は、その後、政権交替により立ち消えになり、現在に至っている。

 ところで、別班は、独力による情報収集の他、日米政治レベルの合意に基く自衛隊と米軍の間で収集すべき情報項目を決定し、それぞれ入手した情報を交換するという高度の保全が要求される任務も遂行した。
米軍が苦労して収集した貴重な情報を日本側が不用意に漏洩した場合、相互の信頼感を損ね、今後の協力態勢が壊される事になる。

 したがって、この点の保全処置は厳格であったと著者は強調する。
このような組織の特色こそ、「日米秘密情報機関」と言う俗称に表明されている。
一方、別班及び米軍情報機関から成る日米共同組織が、埼玉県朝霞のキャンプドレ-ク(現朝霞駐屯地)に在った1965年頃から共産党及び朝鮮総連は、米軍と連携する別班の存在を薄々感じ取り、独自の内偵を進めていた。
                      
「政府は、防衛のすべてを包み隠さずに明らかにせよ。
世を憚る秘密活動は人民を弾圧する武力行使や侵略戦争の布石」というのが、彼らの戦略目的を有利に導く狙いに基づく主張である。
しかしながら、どこの現代国家でも国防上、公開すべき部分とこれを制限すべき部分があり、それ故に本書は、この点を弁えて記述する。       
 一口に国民と言うが、その中には、国益を損ねる敵性分子なども潜んでいるので、重要な情報を相手を選ばず無制限に放出する訳には行かない。
したがって、当時の別班は、対象勢力(警備上、考慮すべき団体)に対し、組織自体の存在も含め、情報保全に努めたのである。
いみじくも平城著書は、ややもすれば興味本位で防衛の微妙な部分を知りたがる一般大衆に対し、情報保全の重要性を啓発している。

 別の話題になるが、著者が、1970年夏に東部方面総監部第2部長から統幕3室の訓練班長に補職後、担当した四六統合図上演習は、情報保全と文民統制の両視点から重大な教訓と示唆を与える事件であった。
すなわち、内局側に一切、秘匿して演習を計画実行したので、責任者の班長は統幕学校に左遷されて栄進の道を絶たれた。
   
 敢えて制服側が秘匿した背景として、1963年における統合図上演習(三八(みつや)研究)を、その2年後に社会党の岡田春夫議員が国会で暴露して大問題になった事件がある。
当時、演習に参加した制服が専ら漏洩の責任を問われて処罰されたが、実際には、内局の防衛担当が制服の力を殺ぐために、極秘の計画を意図的に漏洩したと言われている。
平城著書には、そこまで書かれていないが、この機会に重要な背景を思い出す事ができた。

 注目すべき事に、平城氏が別班長当時の部下であった阿尾博政氏が書いたとされる「自衛隊秘密情報機関-青桐の戦士と呼ばれて」の幾つかの核心的な部分を明確に否定する。
例えば、阿尾著書は、「別班長の特命により退職し、「阿尾機関」という事務所を新宿区大久保に置いて八百屋に化け、官舎に住む自衛隊幹部とその家族の思想動向を調査した。」と記述する。
しかしながら、別班長が、情報員としての動向に多分に問題のある阿尾氏を別班から除いて陸幕2部に異動させたと言うのが真相である。

 なお、阿尾本人は別班を離れて依願退職後、雑貨屋になって自衛隊現役の後輩を尋ね、洗剤などを売り歩いていたと我が友人は語っている。
実のところ阿尾著書は、その巻末に解説を載せている作家、安部英樹氏の代筆であり、したがって、元自衛官、特に情報勤務の経験者から見て、不自然ないしは虚構と見做される記述が非常に多い。

 ところで、評者(高井)は、平城別班長が活躍中の1965年3月から約2年間、東部方面調査隊・相馬原派遣隊長を務めていたので、陸幕第2部別班の存在を知っていた。
当時、東部方面調査隊から少数の情報員が別班に派遣されており、共産党の資料にも片鱗が伺える記事が載っていたからである。
ただし、「ムサシ機関」という通称とその任務と役割に関しては、自衛隊退役後に初めて知る事ができた。

 中央と各方面隊に配置されていた調査隊は、各部隊の対情報(保全)の支援に任ずるため、編制(編成でない)で定める公然部隊であって、別班のような臨機編成による非公然組織ではない。
なお、海空各自衛隊も基地の保全業務を遂行する調査隊を有していた。2004年以降になると、調査隊は情報保全隊と改称し、更には陸海空統合の情報保全隊に改編されて現在に至っている。

 「自衛隊『影の部隊』情報戦」の著者、松本重夫氏は、米陸軍CIC(対情報部隊)を参考にして、調査隊を創設し、情報の原則と教義を定める「陸上自衛隊情報教範」の起案と発行も実現した功労者である。
松本著書には、調査隊創設の経緯、藤原調査学校長との軋轢、そして退役後における韓国との関わりを含む情報秘録を網羅する。

 平城著書の話題に戻るが、やがて90才の声を聞く大先輩が、青年顔負けの充実した著作を出された偉業に驚かざるを得ない。もともと資質に優れている上に研鑽努力を重ね、八面六臂の活躍を続けて来た人材は、年を経ても色褪せず益々力量を発揮する。