シネマに包まれて-映画祭報告

presented by 河北新報

(1)少女から大人への心理描く/ナント3大陸映画祭に「ほとりの朔子」

2013/11/25

2013nantes_p_01_03.jpg 11月21日朝、西フランスの古都ナントで開かれている3大陸映画祭(11月19-26日)にやってきた。1年が経つと習慣のように訪れて19度目になる。

 映画祭はアジア、アフリカ、中南米の3大陸に絞った作品だけを提供し続けるユニークなもので、今年で35回目を迎える。コンペティション部門9作品(フィクション7作品、ドキュメンタリー2作品)、招待作8作品のほか、「北京から香港-中国映画の歴史1930~50年」の11作品、「インド映画100周年」の12作品、「レンズを通して見る南アフリカの歴史」の13作品、「現代ブラジルに焦点」の10作品などの特集が組まれ、今年も盛りだくさんだ。会期中、中心街の3つの映画館(6スクリーン)と郊外の3会場(3スクリーン)で計92本が上映される。

 仙台から成田経由だと、乗り継ぎ時間も加えて、ほぼ1日がかりの旅。21日早朝のパリは思っていた以上寒くて2度、おまけに雨だった。新幹線(TGV)を使ってのナント着が午前9時前。こちらも小雨で寒い。10時から映画を見始めた。初日は日本を含むコンペ部門4作品と、この映画祭で出会い、関心を持ち続けていたツァイ・ミンリャン監督の最後の作品(招待作、今年のベネチア映画祭で引退表明)を見た。

 日本のコンペ作は深田晃司監督(33)の「ほとりの朔子」(2013年、日米合作)。タイトルの「ほとり」は最近ではピンとこないかもしれないが、境界をやんわり示す辺(あたり)のことで、水辺が分かりやすいだろうか。ヒロイン朔子の微妙な位置づけを表している。

2013nantes_p_01_02.jpg 大学浪人生の朔子(二階堂ふみ)は、叔母の海希江(鶴田真由)と一緒に海と山のほとりを避暑で訪れる。叔母の幼なじみと、彼の甥で高校生の孝史らと出会う。孝史との出会いや、叔母たち大人の世界にも巻き込まれ、子どもと大人の「ほとり」にいる朔子は、人生の複雑さをかいま見ることになる。
 深田監督は2010年の「歓待」が、この年の東京映画祭「ある視点」部門賞を受賞して注目を浴びている。東京下町の小さな印刷所に流れ者が居座り、次々と他人を呼び込んで起きる騒動に翻弄される家族らの姿が、視点を変えるとユーモラスであって、けっして他人事ではないことを描き出していた。

 「ほとりの朔子」は今年の東京映画祭コンペ部門出品作。深田監督は、22日訪れるとのことで、上映前あいさつはなかったが、ほかの場所で「『歓待』の延長線上にある作品」と表現している。朔子にではなく、海希江や孝史らに視点を移すと、「ほとり」の意味するものは別ものになってくる。監督は「100通りの見方ができる作品にした」とも言っている。脚本も監督で、孝史が大震災による原発事故で福島から避難しているという設定の中で、原発との関わりは何が正しい、といえるのかも問う。派生して朔子には、インドネシアを研究している海希江に、「どうして日本人なのに日本のことを研究しないの」か問わせる。返答はこうだ。「自分のことは自分が一番知っている、と思っているけど、そんなことはないの。他人や他国から見ることで分かることもあるのよ」

 海が海岸沿いに迫り、海と山の双方が視野に入る景観は、それだけでも見応えがある。二階堂ふみ(19)の、少女の恋愛感情から大人へと一歩踏み出す表情の、ちょっとした違いが見どころだ。大人たちが、本音を隠しながら話を合わせる場面での、違和感の仕草と表情も何ともいえない。彼女は、東日本大震災後に舞台設定した、孤独な少年と少女の魂の彷徨を描いた「ヒミズ」(園子温監督)で、少年役の染谷将太とともに2011年のベネチア映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞、今や若手女優のホープだ。「歓待」に続いて、監督が所属する平田オリザ主宰の青年団からの出演者(古館寛治)が役達者ぶりを発揮しているのも楽しめる。

 韓国の「我らのスンヒ」(2013年)はホン・サンス監督(52)が得意とする、おしゃれなラブストーリーだ。
フィルムスクールの学生スンヒは、恋人でもある担当教官に米国留学への推薦状について相談するのだが、彼女がかつて好きだった学生2人も入り交じった6日間が描かれる。
サンス監督は1996年の処女作「豚が井戸に落ちた」で、ロッテルダム映画祭のグランプリを獲得して注目される。2010年以降では、「教授とわたし、そして映画」「次の朝は他人」、仏女優のイザベル・ユベールを主演にした「3人のアンヌ」などが、3大映画祭で話題になってきた。「アバンチュールはパリで」(03年)のタイトルでも分かるように、欧米的エスプリがきいた作品は、ヨーロッパでは大人気だ。この日も会場はいっぱいで、その人気を実感させられた。
今年のベルリン出品作「誰の娘でもないヘウォン」(13年)とも、ストーリー展開は重なる。"恋敵"3人が場所や状況で重なり合い、時には不安な構図にもなるのだが、落ち着くところに落ち着いていく...。ストーリーは相変わらずでも、場所、状況の違いを楽しむ、その小粋さが受けるのだろう。音楽の使い方もツボにはまっていて楽しめた。

 ミャンマー生まれ、台湾で学んだミディ・ズー監督(31)の「貧しき人々(POOR FOLK)」(2012年)は、全てがお金中心の東南アジアで、貧困が生む悲喜劇を描いたもの。主人公の妹が人身売買の手に落ちたことから、仲間とバンコックへ向かい、賭博や地元ギャングとのアンフェタミン違法販売などで金を稼ぎ、助け出そうとする。複雑に絡んだ人間関係と一筋縄ではいかない「悪の世界」、彼らは妹を助け出せるのか。
 犯罪映画の全ての要素を取り込みながら、決して最強のヒーローでない男たちの家族愛に支えられた奮闘ぶりが、広角レンズの長回しを通して、予期せぬユーモアさえ呼び覚ます。だが、自分たちの「正義」のためには別な犠牲者も必要になる...。

 ブラジルのマルコス・ピネンタル監督の「SOPRO」(2013年)は、ブラジルの南東部、ミナスジェライス州の高地SOPROの自然と、その中に生きる人間と動物を取り込んだドキュメンタリー。
 3つの要素のどれかに主体が置かれることが普通だが、この作品ほどバランス良く切り取った作品はまれではないか。吹き荒れる砂煙、凶暴なハイエナやハゲタカが獲物を狙っている。そんな中で人間は、最低限の穀類と家畜で支えられ、テレビの音声(後半では馬の背に乗ってパラボラアンテナが運ばれてくるのだが)はなく、対話も最小限ながら、強く結ばれている。高齢者と少ない子どもの強固な結び付きは、この厳しい環境の中だからなのか。独り遊びする子どもは決して寂しくはないのだ。そこが都会とは違う。牛の出産をじっくりとらえたシーンは、直後の子牛が立ち上がりを母子ともどの頑張りが、見る者を熱くする。これこそが命の保存なのだが、果たして恵まれた人間の生き様は、どうなのか。

2013nantes_p_01_01.jpg 最後に見たのが、招待作品、ツァイ・ミンリャン(55)の「野良犬」(台湾・仏合作)だ。新興住宅地の看板持ちでわずかな収入を得ている男は、台北の廃ビルに子ども2人と暮らす。子どもはスーパーの試食品で餓えをしのぶ。そして謎の女も加わる...。大都会の片隅で野良犬のように生きる人間を彼独特のセリフの少ない、ドキュメンタリー的な、そして極端な長回し、という独特のスタイルで描く。

 監督に出会ったのは、ナントに最初に訪れた1993年だった。台北の若者の孤独感、焦燥感と親との確執を醒めた視点で描いていて引きつけられた。ナントで最優秀処女作賞を得た。翌年の「愛情萬歳」では、空間をすれ違い的に共有する若い男女3人を通して、都会の持つジレンマが生み出す孤独感や焦燥感を、距離を置いてじわりと感じさせる秀作だった。ナントで連続受賞、ベネチア映画祭ではグランプリに輝いた。

 その後も「河」(97年)でベルリン映画祭銀熊賞、台北の映画館の最後の夜を描いた「楽日(らくび)」(2003年)でもナント観客賞を獲得、この映画祭とともに歩んできたのを同時体験してきた。

 それだけに、今年のベネチア映画祭で宮崎駿監督に続き、ツァイ・ミンリャン監督も引退表明したのには驚かされた。その理由が「(今、主流の)商業映画をつくることは自分の信念に反する」というものだった。いかにも監督らしいが、55歳での引退は、何といっても早すぎて、残念だ。

 彼の作品を支え、成長してきたのが主演のリー・カンション。「野良犬」でも、監督特有の長回しが随所に出てくるのだが、鶏のもも肉をほおばるシーン(8分間)に耐えられるのは、カンションしかいないだろう。「楽日」ではラストで5分間、同じシーンが流れた。今回も、ここまで必要なのかと、旅の疲れもあって、自問しながら見た。ただ生きる、それ以外を考えない、男と子どもたち。そぎ落とした「虚無」の世界の、これが結論なのだろうか。

 23日に開幕する第14回東京フィルメックスでは「ピクニック」というタイトルで特別上映される。原題が「郊遊」なので、全くお門違いとは言えないが、違和感も覚える。

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2013nantes_p_01_04.jpg 今年のポスターは南アフリカ特集にあやかって、映画のワンシーンが使われている。モノトーンに金色を配した、簡潔だが、映画祭の特徴を表した構図になっている。

 上映開始時の映像は、1昨年から同じ、これまでの受賞作のうち、ツァイ・ミンリャン、サタジット・レイ、ウォン・カーウィらの代表作の場面をつないだもので、最後に砂が洗われて字が浮かび、受賞者一覧に変わるという趣向も昨年と全く同じ。予算が問題だとしても、フランスらしい工夫があっても良かったのでは、と思わせられた。

 写真(上) 水面の広がりに物思う朔子(二階堂ふみ)(「ほとりの朔子」より)
 写真(下) 男の誕生日に、謎の女がケーキを用意して現れる(「野良犬」より)

(桂 直之)