☆ 里芋
◆ とれる場所が由来!?
蓮の葉はかくこそあるもの意古(おき)麿が家にあるものは芋(うも)の葉にあらし(「万葉集」)、この
「ウモ」は里芋のことで、すでに奈良時代、原産地の熱帯アジアから中国を経て渡来していたらしい。
イモのことを古くはウモといい、山芋、里芋をさした。江戸時代中頃からサツマイモ、末期からジャガイモのこともいうようになった。「ウモ」について「大言海」では「埋(うも)ニテ、根塊(こんかい)ニ就キテノ名カ」としている。
地下にある球茎だから、その名がついたのだろうというのだ、日本最古の漢和辞書「新選字鏡(しんせんじきょう)」に「蕷・芋・伊母(いも)」とあるので、「ウモ」が「イモ」とナマったのは平安初期のこととおもわれる。
また「新撰字鏡」以後に成った本草書「本草和名(ほんぞうわみょう)」や辞書「和名妙」では、芋の和名を「以倍都以毛(いへついも)とか「以閉都以毛(いへついも)とか記している。
これは、いまの表記にすれば「いえついも」であり、畑で栽培する芋という意味で、山に自生する山芋(長芋・自然薯(じれんじょ)と対比した名称である。
「里芋」の名も、山芋にたいして、里で栽培されるところからつけられたものであり、「いえついも」からきているのかもしれない。
里芋は別名「いもぐすり」ともいわれた。すりおろして小麦粉とショウガのしぼり汁をまぜたものが、はれものや、火傷、肺炎などの高熱に湿布がわりとして特異な薬用効果をあげたらしい。