衝撃の告白(三日後には消します)
テーマ:ブログ三日間限定で、サンマーク出版「日本語の練習問題」の
「あとがき」を公開します。
この中に、私がなぜ本書を執筆したのか、その動機が書かれています。
おわりに
私には二人の息子がいるのですが、長男は早熟で、親が特に何かを教えなくても、
自分で勝手に絵本を取り出し、次から次へと夢中で読み続ける子供でした。幼い子供
にしてはやたら小難しい言葉を使い、それがかえって生意気に思えることもあったの
です。
それに対して、次男はおっとりとして、素直な子供でした。まるで女の子のような
かわいらしい顔をしていて、家内は本人がその意味を理解できないでいるのをいいこ
とに、彼の髪の毛を伸ばし、それを赤いリボンで束ねたり、女の子っぽい服ばかりを
着せたりと、自分勝手に楽しんでいたようです。次男はみんなが思わずかわいいと振
り向くような、お人形のような幼子だったのです。
また私もそれが自慢で、本当に眼に入れても痛くないようなかわいがり方をしまし
た。ところが、彼が成長していくにつれて、私たちの胸にしだいにどす黒い不安が広
がっていくのを感じ始めました。いつまでたっても、彼は言葉が喋れないのです。知
能障害を持っているのではないかと、密ひそ かに覚悟を決めたこともありました。
今なら「論理エンジン」という言語プログラムを開発しているのですが、当時はま
だ私も予備校講師として教壇に立ち始めたところで、まだ「現代文」という教科を教
えているにすぎません。それにしても、現代文の講師である私の子供に、よりによっ
てなぜ、といった思いが否めませんでした。
三歳児健診で、言語障害の疑いがあるから、一度専門家の検診を受けるように勧め
られたときは、私たちは「やっぱり」と思わず顔を見合わせたのです。恐れていた事
態がついに現実のものとなるのではないか、その夜は夫婦二人で彼の将来についてい
つまでも語り合ったものです。家内は仮に言語障害であったとしたら、それを子供の
個性として受け入れていこうと、強い決意を示していました。
実際に、幼稚園に上がろうというのに、「お父さん」が言えないのです(なぜか
「お母さん」は言えたのですが)。彼が話せたのは数語の単語だけで、「わんわん き
た」といった連語は言えませんでした。
検診の結果は、極度に言語の発達が遅れてはいるが、それはこの子の個性であって、
障害とまでは言えないという判定でした。ただ、言語能力が発達していないことには
変わりありません。
ところが、家内は彼のある能力に着目し始めたのです。
それは三歳から習わせたバイオリンで、彼は「メリーさんの羊」という連語は話せ
なかったにもかかわらず、「メリーさんの羊」という曲を弾けるようになっていたの
です。
──家内はおそらく藁わら にもすがる思いだったのでしょう。
彼の欠点を修正するよりも、長所を生かすことを選んだのです。
来る日も来る日も家内は嫌がって泣き叫ぶ次男をつかまえ、無理矢理にバイオリン
の練習をさせるようになりました。彼が幼稚園、小学校と成長するにつれ、子供の反
抗は激しくなっていきます。時には家内のほうがかんしゃくを起こして、泣き叫ぶこ
ともありました。そんな時の家内の様子は、私の目からは鬼気迫るものに思えたもの
です。
私はバイオリンがそんなに嫌いなら、もうやめさせたほうがいいのではないかと、
何度か忠告しました。すると、今度は家内との夫婦喧げん 嘩か ──。私には普段から出張続
きで、子供と接する時間があまり取れないといった負い目がありました。「それなら
あなたが子供の教育を見て」と言われたなら、私は返答に窮するしかなかったのです。
次男は小学六年生になる頃から、日ごと変へん 貌ぼう していきました。もちろん、日常生活
には困らないほどの言語能力は身についてきました。そして、家内は子供の抵抗ぶり
に疲れたのか、その頃からヴァイオリンの道をあきらめ、塾に通わせることになりま
した。
やがて彼は中学に入り、体育会系の部活動を始めたこともあってか、体はしだいに
大きく頑丈になり、そして絶えず何かにイライラしている様子でした。もちろん、言
語能力はまだ著しく劣っています。長男と三人で会話をしているときも、次男一人だ
け参加することはありません。
そして、思春期といった難しい時期を迎えるに当たって、私たちの間に大きな問題
が生じてきたのです。私たちと彼との間に、まともな会話がまったく成り立たなくな
ったのです。
彼は誰よりも神経が過敏で、心の中では抑えきれないほどのさまざまな思いが渦巻
いていたはずです。でもそれを外に出す言語能力を持ちません。私たちのほうでも、
彼が言葉として発してくれないことには、その思いを理解してやることも受け止めて
やることもできません。そして、やがて彼は時折肉体を通してその不満を訴えるよう
になりました。家族に直接暴力をふるうことはなかったけれど、突然怒鳴り出す、
「殺すぞ」と叫ぶ、壁を拳で血が出るほど殴る、物を壊すなどの、威嚇行動をたびた
び起こしました。
「将来大きくなったら、家族をみな殺してやる」と言ったこともありました。「生き
ていても仕方がない」と呟つぶや いたこともあります。心の底では、真っ直ぐな、優しい感
情が流れているのに、言葉で人とコミュニケーションができずに、心を閉ざしてしま
ったのです。
家内は「あの子の喋る言葉は3Uしかない」と嘆きました。
つまり、「うざい」「うるさい」「うっとおしい」、あらゆることをこの三つの言葉で
片付けてしまうのですから、たいした言語運用能力の持ち主だと言えるでしょう。
やがて次男は音楽大学に進みました。
彼は友達がいないといいます。心を通じ合うわずかな親友はいるらしいのですが、
大学のクラスメートのほとんどが彼となじむことができないらしいのです。彼は最初
から言葉でコミュニケーションを図る努力を放棄しています。きっとこれからもそう
やって不器用にこの厳しい競争社会を生きていくことでしょう。ただ、私は彼が言葉
では表現できないけれども、真正直で純粋で優しい心の持ち主だということを知って
います。
でも、今でも時々強烈な悔恨の情を持って、自分を責め苛さいな む時があります。なぜ、
幼い頃、自分の職業をある程度犠牲にしても、彼に徹底的に言語力を鍛えてやらなか
ったのか、と。
今は音楽の道を進もうとしているので、果たして何が正解だったのか、私には分か
りません。今の彼が幸せなのか、そうでないかも分かりません。でも、いつか彼がど
こかで本書を読んでくれればと願っています。
私の死後でも彼が本書を読み、彼の父と母が彼のことをどれほど心配し、心を痛め
たのか、いや、そんなことより、せめて自分の内面を言葉で表現できるようになって
くれればと願います。だからこそ私はこの本に対して、一切の手抜きも妥協もするこ
となく、息子が読んでも簡単に「美しい日本語」が身につく内容になるよう、全身全
霊をかけて仕上げました。
じつは彼に限らず、今や、日本の危機、世界の危機です。
そして、それは同時に言語の危機、日本語の危機でもあります。そのために、私は
まず滅びゆこうとしている日本語をこの時代から救い出したい。本書はそうした願い
を込めた、私の初めての「日本語」の本です。
私たちは言葉で世界を再認識します。物事を思考するにも、瑞みず々みずしい感性でもって
外界を捉えるにも、すべていったんは言葉を介在させなければなりません。その言葉
の運用能力のレベルによって、人はそれぞれが無限の階層社会のどの位置にいるのか
が決まるのかもしれません。
だからこそ「美しい日本語」を身につけている人は、自然と一目置かれるようにな
るのでしょう。
私は決して人間を幾階層かに区別しているわけではありません。同じ世界に暮らし
ながらも、言葉の運用能力によって、思考の仕方も、世界の捉え方も、コミュニケー
ションの仕方も異なっているという事実を指摘したいだけです。
人付き合いが苦手な人、コミュニケーションがうまく取れない人、物事を深く考え
ることができない人、将来を予測できない人、相手の考えていることが分からない人、
そうした人は日本語の運用能力を鍛えることによって、今までとはまったく異なる世
界を生きることが可能なのです。
言葉の使い方を鍛えることによって、論理力が鍛えられ、感性が磨かれ、人付き合
いが変わり、仕事がスムーズに運び、恋愛などのプライベート面でも充実し、絶えず
世界を瑞々しく捉え直すことができるようになり、まさに今までよりももっと楽しい
人生を送ることも可能になるのです。
そして、私たちが絶えず使っているその言葉が、日本語なのです。
私たちはふだん、日本語を特に意識することもなく使い、そして特に問題がないよ
うに「思え」ます。しかし、その日本語をより正しく論理的にし、そのうえでもう少
しだけ感性を養ってみるだけで、あなたの日本語は何倍にも美しくなります。
するとあなたの生活が、そして人生が何倍にも輝き始めるのです。
本書を手に取り、日本を代表する名文を読み解くことで日本語の練習問題に触れた
あなたは今、美しい日本語という人生最大の武器を手にしています。
日本語は日本人の力の源であるとともに、その人の人格や性格を形成する源でもあ
ります。本書によって、あなたの日本語が美しく磨かれ、あなた自身が言葉に見合っ
た品格あふれた人物へと成長することを、私は心よりうれしく思います。そしてそん
な私たちから成る日本という国が品格と強さを持った存在になることで、私たち自身
がより充実した人生が送れる世の中になることを切に願っています。
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1 ■感銘を受けました。
言葉の教育にかかわるものとして、お子さんのことを告白された勇気に感動いたします。私にも、ダウン症をもつ娘がいます。言葉の不明瞭さも、知的な遅れもあります。けれど、別の意味での存在という癒しの力を持っています。息子さんは、きっと音楽という媒体で、自分を表現されていかれるのだと思います。先生の正直さに心打たれました。より多くの方にこの本が読まれますよう願っております。