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米ソの興亡1947〜1991〜 米ソ冷戦と経済戦争 〜
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アメリカとソ連のパフォーマンス ソ連のパフォーマンス
上の表は戦後のソ連のパフォーマンス。これを見ると、ソ連の成長率を支えていたのは資本ストックの成長率だということが分かる。つまり、国民の生活レベルを犠牲にして、ひたすら工業投資と、軍事支出に資源を集中していた。1950年代に約15%だったソ連の投資率は、1980年代には30%に達し、軍事費率もある推定では1980年代中頃には16%に達していたといわれる。 もちろん、初期の工業化段階ではこの政策も有効だったかもしれないが、工業へのこのようなアンバランスな投資はいずれ国のパフォーマンスを低下させる。新古典派の成長論では資本ストックには収穫逓減性があり、また資本ストックが増えれば増えるほど老朽化設備の修復に当てる固定資本減耗費が増え続け、消費のために残される生産物は無くなってしまう。 ソ連のパフォーマンスを見ると、まさにこの新古典派の理論がピッタリ当てはまり、資本の限界効率は年々低下傾向にあることが分かる。しかも、特筆すべきは技術進歩率で、1970年代以降ほとんど進歩していないどころか、1980年代にはなんとマイナス成長に陥っている。やはり、設備の老朽化が進み、国全体の生産性が落ち込んだ結果であろう。 また、技術進歩率に関してはむしろ1950〜60年代の数値がソ連の社会システムの中では奇跡的という見方もある。これは、西側の技術を導入する事にソ連が全力を傾けた結果であると推定される。しかし、1970年代以降、コンピュータや半導体といったハイテク部門の重要性が増すと、重工業優先のソ連ではその技術を導入するのが困難となり、技術進歩率は停滞、ついには設備の老朽化と相まって1980年代には技術進歩率はマイナスに陥ってしまった。 このように、1950年代末期には「20年以内にアメリカを追い抜く」とフルシチョフが語ったように、高い投資率と特定部門への資源の集中で高成長を成し遂げたソ連であったが、1970年代以降その構造的弱点が噴出し、国家は停滞、八方塞の状況となり、1980年代末期にはついに破局を迎える・・・。
アメリカのパフォーマンス
アメリカとソ連の実質GDPの推移
上のグラフはアメリカとソ連の実質GDPの推移と、ソ連の相対的な国力の推移である。このグラフからソ連は1950年代〜1960年代初頭まで目覚しいペースでアメリカを追い上げていることが分かる。「20年以内にアメリカを追い抜く」というフルシチョフの強気の発言も全くのハッタリでは無かったことが伺える。しかし、1960年代に入るとそのペースは一服し、1975年にソ連の相対的な国力は対米比45%と頂点に達し、その後は衰退局面に入り、逆にアメリカとの相対的な国力の差は拡大している。
実質GDPの推移 |
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1990年物価基準・PPP値
データの出所 ・ OECD(経済協力開発機構) ・ ブランシャール マクロ経済学下巻(東洋経済新聞社) ・ 世界経済の興亡200年(東洋経済新聞社)
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