2013年11月26日08時52分
【吉本美奈子】東京都千代田区三崎町と猿楽町の住所表示に、かつて冠していた「神田」をつけるかどうか。実は40年以上前に神田を外した歴史がある。10年近く、住民の意見が二分するなか、区は25日、34年ぶりに住居表示審議会を開いた。賛成派、反対派双方から主張を聞く場を設けることなどが決まったが、解決の見通しはついていない。
両町はJR中央線の水道橋駅の南側の地域で、人口は計1663人(11月1日現在)。区内には「神田神保町」や「神田小川町」など神田のついた町名が26残る。
歴史をたどると、明治初期は「三崎町」「猿楽町」という町名だった。1947(昭和22)年、千代田区ができた際、「神田三崎町」「神田猿楽町」に。62年、郵便配達などの効率化を目的に施行された住所表示法を受け、区は64年、「神田冠称の不採用」を決め、67年に神田三崎町は三崎町に、69年に神田猿楽町は猿楽町になり、今に至る。
2004年、神田冠称の復活の要望書と署名約1100人分が区に提出された。区は住居表示検討懇談会を開き、07年、冠称復活へと動き出す。ところが、約1500人分の反対署名が出された。12年の区のアンケートでは、賛成、どちらかといえば賛成が57・4%、反対、どちらかといえば反対が42%だった。
「神田」復活を要望するのは、両町にある三つの町会長を中心とする住民。「神田は価値のあるブランド名。歴史ある名称を復活させ、地域を活性化させたい」と訴える。「渋谷の猿楽町との違いが明確になる」との声も。
一方、反対派は「猿楽町は元は武家屋敷。『神田』の意味は、神社に供える供物を作る田畑。なぜ意味が違う名称を上につけるのか。歴史的にみても神田猿楽町だったのは22年間とわずかにすぎない」と主張する。事業者からは「住所表示が変わると印刷物の作り替えなどで出費が増える」との声も出ている。
今回の審議会は区議や地区連合町会長、神田郵便局長ら20人で構成。会長には山口正紀・副区長が選ばれた。
委員からは「もっと住民の声を聞くべきだ」などと意見が出された。町名の変更には議会の議決が必要。
区は「地域が円満に暮らしてもらいたいが、意見が二分している。結論が導かれるまで、審議を続けたい」と頭を悩ます。
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朝日新聞社会部
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