北海道北部に位置する「日本最北の村」猿払村(人口2854人)で、一基の「慰霊碑」が波紋を呼んでいる。
追悼の対象となっているのは、第2次大戦中、この地に「強制連行された」とされる朝鮮半島出身の労働者たちだ。2013年11月26日に除幕式が行われる予定で、地元紙・北海道新聞も14日付でその完成をしっかり報じていた。
ところがこの慰霊碑、実は「無許可」。しかも韓国紙が、村も建立に関わっていたと報じたため、騒動はますます大きくなった。
「強制連行というが、根拠はあるのか」
村役場の担当者は、この5日ほどの間に、こうした「問い合わせ」を優に100回以上は受けたと語る。
「確かに、慰霊碑を作るという意向があるということは聞いていた。だが、村役場として正式に把握したのは、19日、村長に除幕式の出席を求める案内が届いてからです」(村職員)
問題の慰霊碑は現在、村の共同墓地に静かに鎮座している。「記憶」「継承」――こう大書された、高さ2メートル余りの真新しい石碑だ。碑には日本語とハングルで、建造の趣旨が刻まれる。
なぜ、この村に慰霊碑が作られねばならなかったのか。話は第2次大戦中にさかのぼる。
かつてこの地では旧陸軍により、対ソ戦に備え「浅茅野飛行場」の建造が進められていた。1942~44年にかけて行われた工事には、日本人労働者に加え、多くの朝鮮半島出身者が動員され、厳しい環境での重労働に。少なくとも100人近くが亡くなったことが当時の資料から確認されている。遺体は飛行場近くの旧共同墓地などに火葬・埋葬され、その後は半ば忘れられた存在となっていた。
2000年代に入り、これらの動員を「強制連行」と位置付けた上で、朝鮮人労働者たちの遺骨を「故郷」に返還しようという運動が本格化する。中心となったのは、地元住民、そして研究者や宗教者、在日コリアンなどからなる市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」だ。2006年から始まった発掘作業には、日韓の大学生などが参加、その取り組みは、地元紙・北海道新聞、朝日新聞などにもたびたび紹介された。
そして建てられることとなったのが、上記の慰霊碑だ。建立には発掘関係者とともに、韓国政府系機関「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会」も携わった。除幕式には村長の出席も求めるなど、猿払村での活動の「集大成」となるはずだった。
ところがこの事実を韓国紙が20日に報じると、日本のネットは大騒ぎとなった。特に、その報道では村も建立に関わっていると受け取れる内容だったため、「韓国側の主張に沿った碑を自治体が作るとは」などと唱える人が相次いだのだ。
突如日本各地からの「電凸」を受ける羽目になった村役場の担当者はしかし、村は建立には関与していなかったと強調する。そもそも、村有地である共同墓地への建立には村長の許可が必要だが、その申請も村側では受けていなかった。要するに「勝手に作られた」というのだ。
このことを理由に、猿払村は除幕式の中止を市民団体側に求め、ひとまず慰霊碑のお披露目は先送りに。
宙に浮いた格好の慰霊碑はどうなるのか。「もちろん、このままにはできません」と担当者は言う。協議はこれからだが、「改めて申請を出すか、移転するか」のどちらかを選ぶことになるそうだ。
なお、韓国・聯合ニュースでは「無許可」問題には触れず、あくまで上記の「抗議活動」などの圧力が除幕式中止の原因だとしている。
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