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アマーリエは二十六になった。
王に嫁いで、もうすぐ十年が経つ。
どういうわけか、アマーリエは諸侯や官吏たちからもそれなりに重んじてもらえるようになっていた。
王は四十二、王子は十八になっていた。王子は若い頃の王にそっくりと言われるまでにりりしく立派に成長し、背丈ももはや父を超していた。
正式な公職に就いて王の事業の幾つかを担うようになり、城の警護にも携わり、立派につとめているということだった。
民の関心は、この若く美しい王子がどんな恋をして誰をお妃に迎えるかということに集中していた。
国内外の貴族のみならず、有力官僚や豪商たちも娘を彼に会わせようとしてあの手この手を使う。
アマーリエのもとにも、令嬢を何とか王子に引き合わせてほしいと相談に来る者が訪れた。慈善活動に参加する貴婦人の中には、王子の歓心を買おうという意図が透けて見える者も少なからずいた。
このように人々が王子の恋の噂に熱中したのは、王の宣言による。
「王子の妃は、国内外も身分も問わず、王子の選んだ者にする」
王は、自分自身の経験を踏まえ、王子を最愛の女性と娶わせてやりたいと親心に考えたのだろう。
そんな中、家臣たちが、王とアマーリエの結婚十周年を祝う催しを企画した。都でのパレードをはじめ、城を挙げての宴、記念コインの発行などといった盛大なものだ。
アマーリエは、自分の具合が悪いことにしてやめてくれと頼んだ。結婚した時と同じようにだ。
官吏からは、王妃の体調が悪いことにしてしまうと民に不安を与えかねないと言われた。
王が反対してくれることを期待したが、おかしなことに何も言わなかった。
アマーリエは、費用がもったいないので、そんなことにかかるお金があるなら別のことに使うように宰相に命じ、やっと叶えられた。
結婚からちょうど十年目のその日。
アマーリエは朝早く起こされた。
その日は終日予定がなく、王妃の間で手紙を読んだり返事を書いたりしてゆっくりと過ごそうと思っていたのだ。
「どうしたの? こんなに早く」
寝台の側に立つ女官長も、困惑した顔をしている。
「突然の陛下のご命令なのです。今日は一緒にお出かけになると……」
アマーリエはびっくりして次の言葉が見つからなかった。
どうしても必要で予め決まった公務以外では、王は絶対にアマーリエと出かけたりはしなかった。それどころか、八年前に王の執務室で慰問のことで話をして以来、あいさつ以外の言葉を交わしていない。
アマーリエは訝しみながらも、支度を始める女官たちに身を任せ、顔を洗い、着替えをした。旅装を整えてもらい、王妃の間を出て城の外に向かう。
二年前に王子と出かけたのは、同じ冬でも空気が限りなく澄み、清らかな日だった。
今日は、どんよりと暗い雲が空に立ちこめ、何か不吉なことを予感させる。
車寄せに停まった馬車の中で、早くも王が待っていた。
「一緒の馬車に乗るの?」
小声で女官長に尋ねる。
この十年間、同じ場所に向かうときも、二人は決して一つの馬車、一つの船には同乗しなかったからだ。
女官長が眉を寄せながら頷くので、これ以上彼女を困らせたくないアマーリエは、おとなしく御者に手を取られて馬車に乗り込んだ。女官長は王の侍従とともに後ろの馬車に乗るらしい。
「おはようございます」
硬い声で言うアマーリエに、王は窓の外を見つめたまま鷹揚に頷き返しただけだった。
馬車はすぐに出発した。
車内は終始気まずい空気で満ちていた。
どこに連れてゆかれるのだろう、とアマーリエは思う。
もう役目は終わりだ、と父侯爵に突き返されるのだろうか。
それとも、いい加減にのさばって目ざわりだ、と人里離れた場所の崖の上から突き落とされでもするのだろうか。
尋ねる気も起きず、アマーリエは目を伏せ、ただ唇をきつく引き結んでいた。
馬車が一旦停まったのは、二年前に王子と立ち寄った小さな町だった。どうやら馬車はその方面に向かっているらしい。馬を休めた後、再び馬車が発った。
車体の軋む音と、気の遠くなるように長く続く重たい沈黙。
それを割って、王が口を開いた。
「おまえに贈り物がある」
アマーリエは目を上げた。王は窓の外に目を遣ったままぽつりと言った。
その横顔は、初めて会ったときと比べ、老いていた。目元にも口元にも覇気がない。
「この十年、尽くしてくれた礼だ」
アマーリエは小首を傾げる。王のために何かした覚えはなかったからだ。
「余は詫びなければならない。十年前の今日、余が愛するのは死んだ妃だけだと言ったことだ。おまえに財産と家族を捨てさせたことも、故郷には返さなかったことも」
こんなに長く王が話すのを聞くのは初めてだった。
僅かな違和感にアマーリエは眉をひそめる。
「詫びていただくことなどありません。わたしは、陛下が亡き妃殿下にお心を捧げていらっしゃることを、貴く思いこそすれ、悪く思ったことなど一度もありません」
アマーリエは続けた。
「わたしには財産などほぼありませんし、家族も元よりないも同じです。陛下は、ご存じの上でわたしと結婚なさったのではないのですか?」
一族から見捨てられ、王妃に担ぎあげられた女。
嫁いできた当初のアマーリエを宮廷の人々はそう呼んでいた。誰もが知っていることだ。
「では、故郷に帰らずともよいと申すのか」
王の声が震えていた。
「これも、いらぬと言うのか……!」
王は突然声を荒げ、懐から金色に輝く小さなものを取り出した。
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