ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
15
 


 その後、アマーリエと女官長は国内の十数の王立孤児院を慰問した。
 最後に訪問した最北の辺境にある孤児院で、ふたりはこれまでと全く違ったものを目にすることになった。

 その、世間に忘れられたような佇まいの孤児院では、しかし、まさに女官長とアマーリエがこうあってほしいと思っていたような経営が行われていたのだった。
 子どもはいきいきと遊び、年長者が職員とともに年少の者を見守り、やがては手に職を付けて自立してゆける土壌があった。
 国の最北の地にあるというのに、寒々しい気配はなく、人の笑顔で溢れていた。
 しかも、その運営はほとんどが補助金で賄われ、寄付は多くはないものの物資が足りない様子はなかった。

 実直そうな院長は、不思議そうにこう言ったのだ。
「ここは僻地ですから他の院のことはよくわかりませんが、子どもたちが健やかに育つのに十分な支援はいただいているものと思います」




「物資の横流しだと思われます」
 夕方、お茶の時間。
 女官長はアマーリエの向かいの席で書き付けの束をめくりながら、難しい顔で言った。
 彼女は孤児院で見せられた帳面の写しと、どこかから手に入れてきた分厚い綴りを照合しているのだ。

「どういうことですか?」
 尋ねるアマーリエに、女官長は顔を上げて答えた。
「王宮ではありえませんが、貴族の屋敷などの使用人たちの常套手段です。ろうそくの燃えさしのようなものならまだましで、麦粉や油をちょろまかして着服する者、果ては食卓に並ぶ銀器を売り払う恥知らずもおります」

「それが孤児院で行われているというのですか?」
「もしくは二重帳簿です。表の帳簿のとおりの金をいったん出入りの業者に払い、品物は半分の量しか納品させず、差額を裏で業者から受け取る。そうすれば帳面上はきれいに整います。これまでわたくしどもが見てきたように」

「まさか、そんなことをするでしょうか?」
 訝しむアマーリエに、女官長は厳しい声で言う。
「王立孤児院には、長らく慰問が……慰問という名の監視の目が入らず、内部の実態を知る者もおりませんでした。書面での収支報告で全てが済まされてきた実情があります。物資か金の着服でもなければ、あの現状はありえませぬ」
 女官長が悔しげに歯噛みする。

 アマーリエは女官長のカップに温かいお茶を注いでやる。
「かたじけのうございます。歯がゆいものです。証拠も掴めず、言及もできぬというのは」
 女官長は深いため息をついた。

「すみません。わたしに少しでも力があれば……」
 ぽつりと言うアマーリエに、女官長は首を振って見せる。
「初めから承知のことでございます。われわれが月に一度でもそれぞれの孤児院に入って牽制し、不正の証拠を掴めればよいのですが、資金と体がいくらあっても足りませぬ」

「そうですね。せめて、仲間を作れたらよいのだけれど、こんな酔狂に付き合ってくれる人なんて……」
 はあ、とアマーリエも深く吐息する。
 頬に手を当てて首を捻るが、よい知恵は浮かばなかった。
 自分の無力さを思い知らされるばかりだ。

 女官長がひといきにカップの茶を飲み干す。
 そして、何事か思いついたらしく、ぴんと背筋を伸ばす。
「付き合ってくれる者がいなければ、付き合わせればよいのです」

「どういうことです? 自分で言うのも恥ずかしいけれど、わたしには宮廷に協力してくれるあてなんてありません」
 尋ねるアマーリエに、女官長は襟を正す。
「確かにまだおりません。わたくし、この宮廷にひとり心当たりがおります。それから、他にも」

 女官長は口元を緩める。
「初めの一人はまだ動いてはくれぬでしょう。残りの者たちはここにはおりません。全員、実家に帰らせ嫁がせましたから」
「誰のことを言っているのです?」
「ここに勤めていた女官たちのことです。今はみな地方領主の妻です」
 アマーリエに嫌がらせをしていた者たちのことだ。
 いつの間にか全て入れ替わってしまっていた。

「お気づきだったと思いますが、二年前、あの者たちの入れ替えはわたくしの急務でした。だいぶ時間がかかりましたけれども。妃殿下に行ったご無礼の数々、咎められなかったことを万に一つの幸いと思え、決して御恩を忘れず心を入れ替えよと言い含めて宮廷から送り出しました」
「そうだったのですか……」
 アマーリエは目を反らす。
 おかしいなとは思っていたが、全く気が付いていなかったのだ。

「寄付を集め、孤児院を月一回慰問することなど、あの者たちの地位なら容易いことでしょう。毎日通わせたい、いえ、孤児院に寝泊まりさせたいほどです。慰問であれば孤児院側も文句は言えないし、あの者たちも妃殿下にならって貴婦人の勤めを励行しているという名目も整います」

「待ってください。そんな、昔のことで脅すようなことはよくないと思います」
「何をおっしゃいますやら」
 女官長はあきれた様子でアマーリエを見つめてくる。

「はじめにその手管をわたくしにお使いになったのはあなたさまですよ」
 アマーリエは目を丸くする。

「それに」
 女官長は、今まで見たこともない、優しい顔で言った。
「亡き妃殿下のお志を知りながら、協力せぬと言う者はいない。あんな事態を招いたわたくしが言うのもおこがましいのですが、せめて、そう信じたいのです」



 はたして、女官長の召集のもと、かつての女官たちが王妃の間で一堂に会した。
 みな一様に美しく着飾っており、お腹の大きい者もいた。既に母になった者もいるという。

 突然の呼び出しに何をさせられるものやら戦々恐々としていた彼女達は、女官長の説明と指示を受けてしばらくは顔を見合わせていた。
 しかし、女官長が亡き先の妃のことに言及すると、全員がはっとした顔でアマーリエを見、恥入るように俯いた。
 そして、最後には協力することを約束してくれた。
 出産を控えている者も、子どものいる者も、出来る限りで力を尽くしてくれることになった。

 翌日から三日にわたって王妃の間で秘密の勉強会が行われ、分厚い書き付けをの束を抱えて、全員がそれぞれの領地に帰って行った。




+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。