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14



「アマーリエさま!」
 薄暗い廊下に、王子と女官長が立ちつくしていた。

 王子が弾かれたように駆け寄ってくる。その白桃のような頬が涙でぬれていた。
「ごめんなさい。アマーリエさま、ごめんなさい……」
 王子は俯いて頬を拭う。

 アマーリエはその金茶色の頭を見下ろした。
 女官長が、どこから持ってきたのか、濡らした手巾をそっと左頬に当ててくれる。

 ありがとう、と言って手巾を受け取ると、王子がはっとして顔を上げた。
「痛かったでしょう? ほんとうは僕が叩かれないといけなかったんだ……」
 王子がアマーリエの顔に手を伸ばしてくる。初めて会った八つのときと比べて、王子の目線は高くなり、手も大きくなっている。
「ほんとうにごめんなさい。僕のせいで……」
 アマーリエは少し身を屈めて、王子と視線を合わせた。
 自分の背など、王子はきっとすぐに抜いてしまうだろう。

 アマーリエは言った。
「だいじょうぶです。少し痛かったですが、冷やせば治るでしょう」
 王子の手が、アマーリエの頬に触れるか触れぬかのところで止まる。

「陛下がわたしをお咎めになったのは、慰問はわたしの独断で、わたしの責任でやっていることだからです。殿下にきちんとお話ししていなかったわたしがいけませんでした。わたしこそ、申し訳ありませんでした」
 アマーリエは背筋を伸ばすと、王子の手をそっと握った。
 乾いて温かな手は震えていた。アマーリエよりも小さいのに、てのひらが硬く、剣だこもできている。

「殿下のお部屋に帰りましょうか。歩きながら、お話ししましょう」
 そう誘うと、王子は無言で頷く。女官長も後ろに従う。

 アマーリエはゆっくりと話し始めた。
「殿下のお勤めは、勉学や、剣や乗馬の稽古に励まれ、大人におなりになることだと思います。そして何より、お健やかで、ご無事でいてくださること」
「はい」
「ほんの僅かでも危険があるところに行っていただきたくないのは、わたしも同じです。護衛や近従の者たちは殿下を守るためなら命を捨てるお覚悟のはず。その者たちに嘘をつくのは、寄せてくれている信頼を裏切り、殿下ご自身の身を危険にさらしかねないことだと思います」
「はい。……ごめんなさい」

「わたしも最近まで、自分の身を守ることや、立場の違いなどというものを、わかったつもりでわかっていませんでした。でも、女官長がわたしを守ってくれると聞いたとき、少なくとも女官長のためには自分を大事にしなくてはと思いました」

 王子が歩みを止め、アマーリエを見上げてくる。
 真っ直ぐで美しい目だ。

「僕だって、アマーリエさまをお守りしたい」

 その言葉に、アマーリエは目を瞠る。
 王子が嘘をついてでも孤児院への慰問についてきたわけがわかったのだ。
 嬉しいのと同時に、なぜだか頬がかっと熱くなり、泣きたくなってまった。
 アマーリエは顔をそむけて前を向いた。

「わたしはもう、殿下に守っていただいています」
「えっ?」
 横目で王子を見下ろす。

「それに、今日来ていただいたことで、良いことこそあれ、悪いことなどありませんでした。院長の態度は明らかに変わりましたし、何より」
「何より?」
「院長たちは連絡を取り合い、王妃の慰問には王子殿下がついてくる、あるいはついてくるかもしれないと噂するでしょう。そうすれば、表向き一時だけとはいえ、孤児院の状況はよくなります。問題は、どうやってそれを継続させてゆくかですし、そもそも根本的な解決ではありませんが……」

 話しているうちに、王子の部屋に行き着いた。
 近従が出迎えてくれる。彼らもこってり絞られたことだろう。

 アマーリエは扉の前で、王子と向かい合い、その手をそっと両手で握った。
「幸い、陛下はわたしが慰問を続けることを許してくださいました。でも、いろいろと宿題は山積みです。わたしは、外で見聞きしたことや、思ったことを、殿下にお伝えしようと思います。そのときは相談に乗ってくださいますか?」
 王子はぱっと目を輝かせる。
「はい!」

 アマーリエは目を細め、礼を言った。
「ありがとうございます」

 王子が何か言いたげな顔をする。
 アマーリエが待っていると、王子はおそるおそる口を開いた。
「いつか……」

 王子は、暗い廊下でもはっきりわかるほど頬を染めて、続けた。
「僕が大きくなって、僕の責任で外に出られるようになったら、今度は初めからアマーリエさまと一緒に出かけたい。そのときは、僕の馬に乗ってくれますか」

 その言葉に、アマーリエは口元をほころばせた。
「はい。楽しみにしています。……殿下、おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
 挨拶を交わして二人は別れた。

 頬はまだ痛んだが、もう心は晴れやかだった。


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