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12



 院長はわなわなと握った両手を震わせている。
 アマーリエと女官長は返事を待った。

 そのとき、突然に、院長室の外からざわめきが聞こえ、あわただしい足音が近づいてきた。
 部屋の中の者たちは、そのただならぬ様子にはっと顔を上げた。
 扉が外から開かれた。

 飛び込んできたのは院長の側近と思われる中年の女だ。顔を蒼白にして口をぱくぱくさせている。
「どうした」
 院長がその女に訪ねても、女ははあはあと肩で息をするばかりだ。
「何があったのだ!」
 埒が明かぬと院長が立ち上がる。
「もういい! 役立たずめ」
 失礼、と一声を残して彼が外に出ようと廊下を覗いたその瞬間。

 軽やかな足音とともに、青い外套をまとった人物が部屋に入ってきた。その人物の後ろには、数人の護衛と近従がつきしたがっている。近従がぼそりと言った。
「……王子殿下でいらっしゃいます」
 アマーリエと女官長も思わず腰を浮かして立ち上がった。

 王子はうん、と頷いて進み出る。
「あなたが院長ですか? よろしく」
 王子は遠乗りのときの軽装に、短い外套を着けている。明らかに公務のための格好ではない。

 あっけにとられているのはアマーリエと女官長たちも同じだ。じっと顔を見つめるアマーリエに気づき、王子は照れたように笑う。
「アマーリエさま、遅れてしまってごめんなさい」
 言いながら、王子はしーっと唇の前に指を立てる。
 黙ってこっそりとついてきたことを、今は咎めてくれるなということだろう。

「でも、どうやら間に合ったみたいでよかったです。まだ、子どもたちに贈り物を渡す前なのですよね? 外の馬車から荷物を運び出しているのが見えましたから」
 ね、と王子が大人たちの顔を順番に見る。
 そう言えば、四日前のお茶の時間、アマーリエが女官長と作戦会議をしているのを王子はじっと聞いていたのだった。

 院長は大変気まずそうに俯いた。
「僕もご一緒していいですよね、アマーリエさま」
 アマーリエはしれっと言った。
「院長のご許可をいただかないと……」

 隣で女官長が、何てことを、と言いたげな顔をする。
 どういうわけで王子がやって来たかはわからないが、ついてきたものは仕方がないし、この場で追及したり王子を外に追い出したりすれば院長に訝しがられるだけだ。
 アマーリエは一先ずそのことは横に置くことにした。

「あっ、そうか。院長、いいですか?」
 王子が院長に向き直って尋ねる。
 院長は、アマーリエの初めの依頼――子どもたちに会い、手ずから物資を渡したい――を、承諾せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

「王子殿下の御頼みとあらば……」
「ありがとう」
 王子は満面の笑みで頷いた。

 そして、ふとアマーリエたちのそばの卓の方を見やる。
「おいしそうなお茶とお菓子ですね」
 その言葉で、院長が中年の女に、王子の分を、と言いつける。

「お毒見がまだです」 
 同時に女官長がすかさず王子に耳打ちする。
 王子が人のおやつに目をつけるという行動に、彼女は異常に敏感なのだ。

 王子が呆れたように唇を尖らせる。
「いや、僕が食べたいんじゃないよ。孤児院の子たちもこんなおやつを食べているのかなって思って」
「殿下、これは来客用にと特別にお出しいただいたものかと……。王立孤児院に配分されている予算は、贅沢の許されるものではありませんから」
 おずおずと言うアマーリエに、合点がいったように王子が顎を引く。
「そうですよね」

 王子は改めて院長を真っ直ぐ見つめて言った。
「贅沢はできなくても、ひもじい思いや寒い思いはしないくらいには足りていますか。僕たちはそれを知りたいのです。だから、どんな食事が出されているかも見せてもらえませんか? 忙しいのにいきなりで悪いけれど」

 特段部屋は暑くもないのに、院長は先程の汗をかき、絶えずその汗を拭っている。アマーリエひとりと対峙していた時の何倍も動揺しているのは明らかだ。
 アマーリエひとりは何とか言いくるめられても、世継ぎであり王の一人っ子でもある王子の言葉は、決して軽んずることはできない。たとえその訪問が予定外であってもだ。

 はからずして、院長はアマーリエのお願いの両方を叶えてくれることになった。



 王子の突然の登場のおかげで、アマーリエたちは孤児院の子どもたちと会い、間近にその暮らしぶりを見ることができた。

 女官長が事前に仕入れてきていた情報によると、担当官庁からそれぞれの孤児院に配当されている補助金は、収容されている子どもの数と物価に応じて増やされる。
 額は、子どもたちが贅沢はできないまでも不足はないぎりぎりのものだということだった。食料は一日に二度、パンにチーズとスープが食べられるくらい。衣服は成長に合わせて年に二度は新調できるように。また、建物の維持補修にかかる費用は、都度、申請により別途補助されている。

 そのはずだったのに、アマーリエたちの目の当たりにした状況は違った。
 食事はいつも足りないし、衣服は全て年長者や寄付者からもらうお下がりばかり。施設の外観や院長室は立派に整えられているが、子どもたちの部屋は隙間風がぴゅうぴゅう吹いている。

 それを指摘するも、予算が足りない、とてもではないがお上の言う生活水準は保てない、とかえって院長たちに泣きつかれてしまった。

 怪しんだ女官長が、院長に無理を言って補助金や寄付金の収支が記載されている帳面を引っ張り出してきたが、金の流れは全く瑕疵のないものだった。同じものが担当官庁にも提出されているという。

 その時点ではこれ以上は追及できず、王子とアマーリエ、女官長は名残惜しくも孤児院を引き上げた。




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