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 嫁いでから二年が経った。
 アマーリエは十八、王子は十になっていた。その間にも黒蜥蜴はやってこなかった。
 そして、先の王妃がなくなってからちょうど十年になっていた。

 王が、先の王妃の追悼の礼拝を寺院で執り行うことにした。
 王は宮廷を挙げて大々的なものにしたかったようだが、女官長をはじめとした臣下からやんわりと思いとどまるようなだめられ、あきらめたらしい。
 寺院での式典は、王子もアマーリエも出席して、滞りなく終わった。

 式典から部屋に戻ったアマーリエは、女官長に礼装からの着替えを手伝ってもらう。
 女官長は、二年前から、余程の用事がない限りはアマーリエに付き従って離れることがない。

 アマーリエが嫁いだ時に王妃の間にいた女官は、いつの間にか、ひとりふたりと嫁ぎ先を見つけて、全員がめでたく退職していった。
 いずれも先の王妃が亡くなっても務め続け、年頃を過ぎた令嬢たちだった。宮廷務めは行儀見習いか箔付けのようなものだったのだろうか。
 たったひとり残ったのが女官長なのだ。

 二年間の間で、彼女はアマーリエのたったひとりの相談役になっていた。
 彼女のおかげで、宮廷の作法など何一つ知らずにいたアマーリエが、何度かお茶会やこじんまりとした夜会のような集まりも開くことができるようになった。
 また、王妃に出されるいくばくかの年金の管理をしてくれているのも彼女だ。侍女も雇っていないアマーリエは、ほとんど使い道のない年金を持て余しているのだが。

 ふと、アマーリエは彼女に尋ねた。
「先の王妃さまは、どんな方だったのですか? お仕えされていたのですよね」
 女官長はドレスの釦にかかった手を止めた。
「どうなさったのですか。突然に」
「今日の式典で、とても気になって。お伽話では、何度も聞いていたのですけど」

 女官長は唇を引き結ぶ。
 尊敬する人のことをアマーリエなどが尋ねたから、気分を悪くしたのだろうか。

「お美しくて、とてもお優しい方でした」

 即位してすぐの王は、国内外の各地を視察のためにまわっていた。
 その帰路で王は小さな部族の族長の娘に一目ぼれした。
 王は彼女に求愛するが、身分の違いを理由に拒まれて、百日も彼女のもとに通った。
 その結果、とうとう真心が通じて、ふたりは結ばれたのだ。
 異国の小部族の娘を妃に迎えることに家臣たちは強く反発したけれど、王は一途に愛を貫いた。
 やがて次第に彼女の美しさ朗らかさに感化されて、宮廷の人々はみな彼女に心酔していった。
 しかし、誰もに愛される王妃は神にも深く愛されたのか、まだ物ごころつく前の息子を残して、儚くも天に召されてしまった。

「貧しい人や親のない子ども、病の人に深く心を寄せられ、教会や孤児院を訪ねたいと何度もおっしゃっていました」
 アマーリエは深く頷いた。
 幼いころから聞かされていた美しいお妃の話とぴったり符合していたのだ。

「そう何度もおっしゃっていたのですが……、一度も叶いませんでした」
「どうして?」
 アマーリエが問うと、彼女は言い淀み、顔を伏した。

「陛下が、妃殿下を片時も離されなかったのです。まるで、早いお別れを予期なさっていたかのように」
「そうだったの……」
 今の王の態度から言って、さもありなんという話だ。
「王子殿下の行く末と同じほど、そのことがお心残りだったように思います」
 女官長は痛ましげな顔のままアマーリエの着替えを済ませ、背を向けた。

 アマーリエは女官長の背中を見ながら、ふと、呟いた。
「わたしが行ってはいけませんか」
 女官長がぎょっとした顔で振り返る。
 アマーリエは女官長の顔を真っ直ぐ見上げる。
「わたしなら、陛下は放っておいてくださるでしょう」

「そういうことではなく……」
 女官長は困惑している。
 アマーリエは言い募った。
「一度だけでいいの。ほら、陛下からいただいている年金が余っているでしょう。あれで、旅費と寄付をまかなうのはどうですか」

「お考えはご立派ですし、亡き妃殿下のご遺志を継ごうとお思いくださるのも素晴らしいことでございます。しかし、行き先がどういうところかおわかりですか? 暗い、臭い、不潔、害を為してくる者がいないとも限りません。だからこそ陛下は先の妃殿下を行かせようとはなさらなかったのです」
 アマーリエはむっとして唇を尖らせた。
「ならばなおのこと、陛下はわたしをお止めにはならないでしょう」
 女官長はあっけにとられた顔をした。

「それに」
 アマーリエは深く息を吸い、いったん止める。
 ありったけの勇気を振り絞って、口を開く。

「この国には、菓子どころか、虫や獣の臓物さえ口にできずに飢え渇いている人がいるのではありませんか? 先のお妃さまはその人たちのもとへ行こうと思われたのではないのですか」
 アマーリエは真っ直ぐ彼女を見据える。
 彼女の目が大きく揺らいだ。珍しく動揺しているのがはっきりと見てとれる。
 自分の胸がどきどきするのを感じる。
 浅い呼吸に肩を上下させながら、女官長の返答を待った。


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