7
王子は今日も、アマーリエの部屋に顔を出している。
昼中の王妃の間は、冬でも明るく陽が差して、ぽかぽかと暖かい。
王子の滞在する時間はまちまちで、ほんの四半時のときもあれば、一時ほどのときもある。
王子は自分の勉強や稽古のこと、臣下の同年代の子どもたちとのことを話す。
アマーリエはたいてい聞き手に回っているが、王子に請われて、自分の子どものときのことを話すこともあった。
故郷の森のことも、不思議な蜥蜴との交流のことも。
むろん、その蜥蜴が人の姿になって現れたなどということは、子どもだましと思われて信じてもらえないだろうから話せてはいないけれども。
「いつか、僕も、アマーリエさまの森に行ってみたいなあ」
王子は青い目をきらきらと輝かせて言う。
「もっと遠くまで出かけていいってお許しが出たら、行ってもいいですか」
王子はいずれ、この国の全てを統べる王になる。どこへ行くのも自由のはずなのに、アマーリエの故郷に行ってみたいと言ってくれるのが何より嬉しい。
そして、王子があの懐かしい森を訪れて、美しいと思ってくれたら、どれほど幸せなことだろう。
アマーリエは唇をほころばせ、頷いた。
「そのときはアマーリエさまも一緒に来てくださいね。僕一人では迷子になってしまいますから」
アマーリエは、はっとして王子に向き直る。
王は、アマーリエを妃にする条件として、故郷には戻らないことを求めている。アマーリエはそれに従わなければならない。
「残念ですが、それはできません」
「なぜ?」
王子をがっかりさせてしまうのは悲しい。
でも、アマーリエはもう二度と、聡い王子にその場しのぎの嘘はつきたくなかった。
「わたしは、陛下と結婚する時にお約束したのです。もう故郷の土地には足を踏み入れないと」
「えっ、どうして?」
本当のことを言うのはつらかった。
王子に話しても、悲しませるだけだけれど、嘘もつきたくない。
「わけは、まだ、言えません」
アマーリエは、きっぱりと言った。
アマーリエは、自分が王子を導き育てる立場ではありえないと思っている。
母としては足りなくても、彼を子ども扱いはしないでいよう。
気の利いた返事はできなくても、彼の話に耳を傾けて、彼がいっときでも王子としての務めから解放されて安らぐことのできる場をあげたい。
「……そうなのですか」
王子はあっさりと言った。
「アマーリエさまは貴婦人だから、男の僕には言えないことがありますよね」
うん、と王子は一人で頷いて、卓の上のお菓子をぽいぽいと口の中に入れる。
朝食といい、このお茶の時間といい、王子は驚くほどたくさん食べる。
育ち盛りの少年だし、たくさん動くせいだろうけれども、ちっとも太らない。
アマーリエの異母弟がぶくぶくしていたのとは大違いだ。
だが、あまりにたくさん口に詰め込みすぎている。
どうやら、気まずい間をもたせるために、お菓子を次々と口にいれているようだ。
アマーリエは、王子の栗鼠のように膨らんだ横顔に向かって詫びた。
「殿下、お話しできなくてごめんなさい」
「……いいえ、僕こそ。無礼を許してくださいますか」
王子は真っ直ぐにアマーリエを見つめてくる。アマーリエは深く頷く。
「じゃあ、今度、お詫びに、僕の馬に乗せて差し上げます」
「まあ、よいのですか?」
「乗馬の先生からお許しが出たらですけど。あっ、でも、アマーリエさまは父上の奥さんだから、父上と乗らなければなりませんか? 父上がいいって言って下さるかな?」
アマーリエは、どうだろう、と小首を傾げた。
王がアマーリエと過ごすのは一日のうちで朝食の時間だけ。
それも、いまだに私的な会話など交わしたことがない。
王はアマーリエの名前すら知らないのではないかと思うくらいだ。
自分の馬に乗せて遠駆けに行くなどとは狂気の沙汰だと思っていそうだ。
思案するアマーリエに向かって、王子はさらに言った。
「代わりに、アマーリエさまにお願いがあります」
お詫びに馬に乗せると言っておいて、その代わりにお願いするとは、何て可愛らしい我が儘だろう。
「わたしにできることなら、喜んで」
「はい。というより、この国で、アマーリエさまにしかできないことなんです」
「何でしょう?」
「僕の、弟か妹を産んでください」
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