森崎東と十人の女たち 「森崎東の脚本術」

対談者................ 高橋洋  藤井仁子
出典................ 録音
テープ起こし................ 池田 博明
................ 
対談日時................ 2013年11月18日 20:10
場所................ オーディトリウム渋谷

「離婚・恐婚・連婚」上映後
---(藤井)森崎さんはテレビも非常にたくさん手がけておられる。この機会にそれも紹介したいということで二本をプログラムに組んだんですね。そのひとつがいま見ていただいた「離婚・恐婚・連婚」ですが、実は高橋洋さんがプロの脚本家デビューを果たした作品がこのドラマだったということで、高橋さんに話していただこうというわけです。まずは経緯を伺いたいんですが・・・
高橋「はい。それ以前にはちゃんとした脚本を書いたことはなかったですね。当時の8ミリを作る自主映画って、メモに毛の生えた程度の、その日に何を撮るかっておおよそのことが書いてあるくらいのものが大半で、そんなプロフェッショナルな方が書いているようなものを、ぼく自身は書いてなかったですね」
---- あらためて書き方を勉強したということはあるんですか。
高橋 「それがないんですね。ちょうど僕が自主映画を撮っていた早稲田大学のシネ研の1年上の先輩で根岸良一さんという方がいて、日活に入社してプロデューサーになったんですよね。
 この人が色川武大の原作で水曜グランドロマン枠をねらわないか、まずは読んでくれと言って、色川武大の原作を僕が読んで、それは非常に素晴らしかったですね。たいへん面白い、じゃあこれ、2時間ドラマにしようよ、プロット書いてくれ、バイト代出すからって言われて、プロットを書いたんです」
----ちなみにこれ不思議なタイトルなんですが、原作がひとつじゃないんですね。
高橋「短編集なんですね。エピソード集なんです。そういうところも藤原審爾さんの『わが国おんな三割安』や『夢見通りの人々』と似ていますが、まだ監督が森崎さんとは決まってはいないんですが、エピソードをてんこもりにする、こんな楽しい仕事はないということを感じました。プロットを書き上げて根岸さんに渡して、これで自分の作業は完了、バイト代をもらって終わりと思った。
 水曜グランドロマンというのは日本テレビのメジャーな枠で、そうそうたる脚本家たちが毎回書いている、だから僕は企画だけと思っていた、局プロが読んでOKが出れば脚本を誰にやらせるかという段取りになる。根岸さんが局プロの山口剛さん、火曜サスペンス劇場を始めたプロデューサーがGOを出し、根岸さんが脚本を誰にしましょうかと言ったら、山口さんがプロットは誰が書いたの? 高橋ってやつが書きました、じゃあそいつでいいという話になった。
 それまで脚本書いたことは無かったのに」
----その時点では森崎さんという名前はなかったわけですね。
高橋「根岸さんも僕も森崎さんの映画は見ていたし、ファンだったし、どっかの時点で、これ森崎さんっぽいよねという話を二人ではしていたと思うんです。山口剛さんも大変な映画ファンで、街で自主映画のスタッフに出会うと話しかけて、「ペキンパーのスローモーションが云々」とか言わないと気がすまないような人だったんですよ。
 そういう映画ファンが集まって話して、森崎さんだよねという話になり、じゃあ準備稿を持っていってみるということになり、森崎さんのところへ持ち込んだら、森崎さんが「やる」ということになり、「えーっ」とトントン拍子に進んだ。その後、どういうふうに森崎さんが直しの指示を出したか・・・それが僕にとってすごいライター修業になったということなんですけど。
 監督が森崎さんに決まってから、キャスティングが決まっていくんです。たぶん根岸さんか山口さんのどちらかが誠一役は唐十郎さんはどうだろうと、それは小説家を演じられるのは誰だろうねみたいな話で、唐さんは芥川賞候補に残っていたころで、ああなるほどと思いましたよね。
----色川武大や阿佐田哲也というと、容貌も知られているので、ある程度イメージがある
 高橋「そうですよね。それで、唐さんいいよねと。森崎さんに聞くと面白いと乗ってくれて、それで唐さんところへ持っていったら、いいですよと返事。あれっ?こっちの思惑どおり、なんの障害もなくことがすすんでいくという幸運な作品でした。」
----セット組んでますよね。
高橋「誠一の家は外観はありものですけれど、中はにっかつ撮影所に建てられたセットです。1990年頃になると、2時間ドラマでセットを組むというのは、そんなにはなかったと思うんですが、これはホント、森崎さんシフトで、森崎さんが監督に決まって、森崎さんがセットと言ったらその通りになるという・・・・あの・・・・外でやると面倒臭いとか。
 5年くらい経ってから作品を見直すと唖然としますね。毎週、映画を撮っていたんですからね」
----これ毎週ですからね。
高橋「よくやっていたなと」
----いまでも2時間ドラマも最後までクレジットを見ていただくと、すごい方たちがやっているなというのがよくあるわけですが、本を見ていただくと、森崎さんはテレビもたくさん撮っていたわけで、話を森崎さんに持っていくというそういう土壌があったんですね」
高橋「ええ、滅多にテレビを撮らないひとのところに話を持っていくという考えはありませんでした。僕らもテレビで森崎さんのドラマを見ていましたから、森崎さんはフットワーク軽いよねという感覚はありました。」
----それで初めてお会いになったときはどうだったんですか。憧れの監督だったわけですよね
高橋「ええ、ほんとに憧れなんですけど、不思議なことに、憧れの監督が眼の前にいるという緊張感とか、大ファンですと言っちゃうとか、そういうノリにならないんですよね、向き合うと。
 それはその後もずっとそうでしたね。
 茅ヶ崎旅館とかに呼ばれていって、森崎さんはすごく、気をつかってくれて、ここは原節子さんが衣装合わせをした部屋だとか、ここは小津さんと野田さんがいつも使った部屋だとか、話してくれるんですが、僕は旅館にカンヅメにさせられるということがいやで、面倒くさいんだけどなという感覚で、お仕事ということになると、あまり映画ファン的にならずにすんだというところがあって、このときも準備稿を持っていって、さあどう決定稿に向かっていこうかという最初の打合せだったんですが、もう森崎さんは「じゃあ、シーン1から」といきなり考えてきたんですよね。その考えてきたことをババババっとシャべり出して、もう僕はあわててメモをとっていくという、準備稿に赤で書き込んでいったという経験をしました」
----高橋さん、偉かったですよね。最初からきちんと書いたんですね。
高橋「浜田さんもね、森崎さんの話すことを感心して聞いていたら、そのうちそれで?と言われて、全部忘れてた、書いていないのかと言われて、あわてたと書いていましたね。
 僕はものすごい緊張感でずっと書いていくときに、ものの1時間くらいですよ、だらだらやらないひとなんで、準備稿のたるいところが引き締まっていくわけですよ。
 あ、これだと気づいた。
 ひょっとしたら本格的なシナリオ修業したのは、この1時間だけなんじゃないかと思えるほど。それでエッセンスがわかり、いまだにあのとき分かったことでなんとかやっていけていますみたいな感じがありますね。
----森崎さんは京都撮影所が閉鎖になったときに大船の脚本部に配置転換になるわけですね。監督ですが、ねっこのところに脚本があるわけです。
高橋「当時、僕らの間でも伝説みたいに伝えられていたのは、松竹社長の城戸四郎が森崎さんが書いた脚本だけはノー・チェックだったと。それくらい特別扱いしていたという。
 そんなひとが僕が書いたホンに対してビジネスライクに言ってくるというので、憧れているとかそんな場合じゃなかった」
---言われてなるほどというのはあったでしょうが、逆にそうくるんですかというのはなかったんですか・
高橋「意見がぶつかったところはあったんですが、それはおいおい言うことにして。
 直しでいちばん印象的だったのはアバン・タイトルの前のところですね。端的に森崎さんの特徴を表していると思います。全編にわたって赤が入ったわけではなく、要所要所なんですよ。
 準備稿で僕が書いたのはたぶん原作にかなりそっていると思うんですが、離婚届に署名して判を押す、誠一がすみ子に届を持っていくところで、すみ子は近眼なので、なにがドタバタするかというと、メガネが無い、どこにメガネがあるんだろうというんで探す、それでドタバタして、誠一の仕事場の原稿用紙の埋もれているなかにメガネケースがある、なぜこんなところにあるんだ、誠ちゃんの書いている原稿読んじゃった、なにあんなエッチな原稿を、そういうやりとりがあり、二人で役所に出かけるとお昼でしまっている、それで飲み屋で飲んでいるうちに届けるのを忘れちゃったというような展開だったんです。そこから始める。
 それが大きく間違っているとは思わないですが、まず森崎さんが言ってきたのは、誠一が締め切り間際で原稿を書いている、催促の電話がかかってくるなかで原稿を書いている、せっぱつまった現在進行形の緊張した状態から始めたい、これからすぐに原稿を出しに行かなければならない、そのあわただしい状況のなかで、サインしてすみ子に渡して、本人はトイレに入ってウンコするんだよね、それで中に入って原稿をチェックしている。すみ子が階段から転げ落ちてくると・・・えーっそんなに最初からガンガン行くんですか。ご覧いただいた通り。
 ガスストーブも原作で途中で重要な小道具で出てくるんですが、森崎さんはこのガスストーブ面白いから最初から出そうって。え?どうするんですか? ガスストーブでメザシ焼いていることにしようって。それで出てってたらストーブ消し忘れであわてて戻るという話になる」
---それですと最初からストーブが印象に残りますね。
高橋「アバン・タイトルまでに、てんこもりにアクションがある。アクションがぶちこまれている。
 その直しをしているときに、火中から入るというのはこのときに叩き込まれたという気がしますね。自分がいかにゆるく、当たり前なことでセットアップ的なことをやっていたかということを思い知らされたということですね。
 あとね、脚本やっているひとじゃないとピンとこないところかもしれないですが、出版社が出てくるじゃないですか、借金が増えちゃったんで仕事を増やしてるんですね。準備稿では編集者の山根さん(河原崎長一郎)からあっちの仕事はどうなってると言われたり、いろんな仕事をさせられているとそういうふうにしたんですよ。
 森崎さんの指摘は端的で、一社で仕事を増やすのはダメ、複数社でカケモチ。そこで、山根の会社で他の会社の仕事をしているということにしたんですよ。
 これは、脚本をつくるうえで、目からウロコが落ちた感がしましたね。そのふたつが大きな体験でした」
----それ全部、口頭でいうわけですね
高橋「そうです。口だけ。もう時間だというときも、山根の時計で時間を見るわけですよ。常識的に考えると自分の時計をみちゃうんだけど、他人の時計で」
---しかも他社の仕事に行くわけですね。
高橋「意見がぶつかったところは、僕と森崎さんの資質のちがいですね、誠一が入院するでしょ、あれは原作にあって、生きるか死ぬかの重篤な病気で、すみ子も固唾をのんで結果を待っているみたいな、それでも手術が成功したら態度が豹変してもとのように遊びほうけるという話なんですが、手術シーンを描くか描かないか。僕は手術シーンが好きなんですね。いま手術中、誠一が生きるか死ぬかをみんなが固唾を飲んで見守る、そういう場面はだいじだよね、という僕の入り方があったんですけれども。
 森崎さん、手術に興味なかったですね。どの角度でものを見るかということで。静かな緊張感でもりあげる監督さんもいますね。森崎さん自身も『特出しヒモ天国』では出産シーンを扱っているんで、ないわけではないんですが、そこはこのドラマではサクッと飛ばす。たぶんこの2時間ドラマで大事なのはそこじゃないという見切りが早い段階であったんじゃないですかね。」
----深刻にならない感じでしょうか、コメディというか、そこへ手術場面がはいると雰囲気がかなり変わりますね。
高橋「ええ、シリアスにはしないという。手術は二回あるんですよ、原作の通りなんです。一回目がうまくいかなくて、もう一回あると。決定稿でも手術自体は残っていたんですよ。手術2回目に対して誠一はえーっ、2回もするんですか、すみ子も得しちゃったみたいねと言って可笑しいといった、そっちのノリでつかまえてたんですけれど、単に尺の問題ですかね、2回やることもやめてしまって、もう入院したら速攻、人間起重機の吉行さんが出てきたでしょ。あの辺は本にあった要素をかなり飛ばしているんですよ。吉行さんのエピソードで分厚く見せていくという方向になっています。そこは意見のぶつかりがあった」
----ごちゃごちゃいろんな人が出てくるんですが、破綻まではいかないという作品のつくり方ですね。
高橋「つじつまがあっていないことはないという、そこはすごい構築力です。なにを残してなにをカットするかという。
 エピソード集だから、ブレヒトなんかもそうですが、シーンを落としていってもそれは省略しただけで、話はつながるんですよね。ああいう感覚なんじゃないかなと思います」 
----今回、本のために全作品のあらすじを書いたんですが、主人公らしき人に沿って書くと一応書けるんですが、この人もあの人も大事だと思い始めると途端に字数もたりないし。
高橋「主人公がひとりということに森崎さんは逆らっているんですね。いつから映画って主人公ひとりっていうことになったのかって思いますよね。昔の映画ってそうじゃなかったじゃないか。『戦艦ポチョムキン』や『M』とかね。
 主人公が途中で変わると見ているお客さんも妙な快感が走りますよね。『特出しヒモ天国』の芹明香が最後にみんな持ってっちゃうみたいなね。なにか主人公が一人じゃなくなる瞬間にみんなが感じる快感。映画のお約束が破れた瞬間に快感を覚えるみたいな。そのへんを森崎さんはかなり意識的に騒乱状態を演出していると思いますね。主人公のウェイトが軽いんですよ。どっちかというと狂言回しみたいな。大事なひとなんだけど、「女」シリーズの森繁久彌さんとか狂言回しですよね。」
---錦之助のTVドラマをやったときに、子役のアップで終わったら、後でやんわりとこういうときは主役のアップで終わるもんですと叱られたという話があるんです。森崎さんて昔からそれってやってるんですね。主役でない、端役のアップで終わるっていうのね。
高橋「そうなんですよ。それで博愛のひとみたいに誤解されると思うんですけど、たぶん違うんです。まんべんなくいろんな人を立てようと思ってるんじゃなくて、壊すと面白いからやってるだけなんです。」
---今日はこのあと「女は男のふるさとヨ」があって、今日から四日間連続、レイトショーの時間帯は新宿芸能社の女シリーズが見られるように組んであるんですが、「ふるさとヨ」は森崎さんにしては結構が整っている感じがするんですね。あとに行くほどシリアスになりますね。
高橋「そうですね。『女は男のふるさとヨ』が僕らも当時、といっても僕らが森崎さんを見始めたのは80年代ですけれど、名画座で森崎さん特集をやってて、やっぱり『ふるさとヨ』がいちばん人気があったんじゃないですかね。いちばんポピュラーに誰にでも受ける映画でした。いま見てもやっぱり秀作だよね、これ最初にやったの、なんだかんだ言って、したたかだよなと、ちゃんとわかってもらえるものを作ってたって思う。で、これがうまくいったんだなって、だんだんおかしなことになっていっちゃう。」
---あとへいくほどえらいことになりますね。
高橋「僕らも最初面白いなって「ふるさとヨ」でまずファンになって、「女生きてます」や「女売り出します」に魅了されていって、最後に見たのが「盛り場渡り鳥」で、ああもう完全に破壊されたなと。いまやもうあれがいちばんいけてる」
---いや、わたしも大好きですね、「盛り場渡り鳥」。 
高橋「このあとやる「ふるさとヨ」はね、入門編としてはまことに素晴らしい、森崎さんのしたたかな戦い方がかいまみえる作品ですね」
---誰にでも安心してお薦めできる、わりと珍しい森崎映画ですね。
高橋「そうですね」
---このあと未見のかたはぜひ。
高橋「僕が考えるに緑魔子という・・・。倍賞さんがもちろん森崎映画のヒロインなんです、森崎映画を代表する顔なんですが、森崎さんのあのすごい情動というか、エモーションがわっとくる瞬間をうみ出すのは緑魔子みたいなひとなんですね」
---ほんとうに森崎さんの映画の緑魔子はすごいです。
高橋「その緑魔子が初めて森崎映画に出たのが「ふるさとヨ」で、やはりあの作品の緑魔子がいちばん忘れられないから、あの作品が好きになるっていう」
---あれみると緑魔子は忘れられないですね。あれでもメイクしてるんですよ、ごらんになればわかると思います。当時も緑魔子ってあんな顔してるの、いやメイク落とすとあんな顔なのよって言われていたっていう可哀想な話がある・・・
高橋「そうなんですか。
 TV作品に話を戻すと、手術の話はしたんですね。
 あとそんなに大きく変わったところはないんですけど。
 すみ子と結婚する菊井君の行くところが、シナリオには山形県の蔵王のそばって書いてあるんですが、ロケ地の都合で秋田に変わったのかな。オヤジからもらった土地、荒涼としたどうしようもない場所だった、すみ子が「狐がでそうな場所だわね」と言ったらコーンと狐の鳴き声がしたというのがシナリオだったんですよ」
---それですんでいないですよ。
高橋「現場に行ったら毒ガス・・・あれは、現場なんです。あれを受けてのね、その晩、菊井君は荒れましたって、現場で生まれて、おかしかったですね。
 ラストが温泉場で二人が寄り添っているっていうので終わるのは本の通りなんです。最後はナレーションですね、あれは本には無くて、つまり本には月が見下ろしているんだということで、この物語は終わるんだという計算のもとに入ったんですけど、編集が終って、ナレーション用のアフレコ取りに唐さんに来てもらって、にっかつ撮影所でアフレコしているときに、急に森崎さんがここなんか欲しい、しめのナレーションよろしくみたいな。そのとき僕もそこにいて、どうしましょう、何を求められているのかわからない、森崎さんもかくかくしかじかであると一切言わないから。本人もわからないけどなんかないのって。
 唐さんもそれが決まらないと帰れないんで、唐さんとこれどうしますか、しょうがないから数うちゃ当るってことで、僕と唐さんと二人で手分けして書くしかないだろうってことで、ブースのこっちとあっちで二人で見せあいっこして、悔しいけど唐さんの書いたやつが選ばれました。
 ブンとトンボの羽音がしましたという。芥川賞作家が書いた」
---あとよろしくといって芥川賞作家に書かすというわけですね。男湯と女湯でしきりごしに会話して、境界を越してくるという、新婚道中記じゃないですけど、スクリューボールコメディかって、いいですね、映画ですね。
高橋「ぜいたくなことやってますね。あれはセットじゃないから、場所を見つけてやったんですよね。
 今回改めて見て、『森崎東党宣言』では藤井さんは擬似家族のことを書いていますよね、テーマ性ってことで、僕も根岸さんも考えたわけじゃないんですが、いま振り返ると、誠一とすみ子は離婚しているけれども一緒にいる、家族じゃなくなったはずなんだけど家族という、よくわかんないひとたちで、結局最後にふたりは寄り添っているという・・・」
---とっても相性がいいんですけど夫婦としてだけはうまくいかないという間柄。森崎さん的ですよね。
高橋「そういう狙いすまして考えたわけじゃないけど、あとで気づくと森崎さんにのっとられているっていう。そういうひと多いですよね」
---先日も森崎組のかたが、森崎さんと仕事をしていると、自分の頭で思いついたように思うんだけれども、実はそうではなくって、森崎東が自分の頭を使って考えているんだっていう話をされていました。
高橋「誘導されている感じがするっていう」
----思わずすごいアイデアが出ちゃったりするんですが、自分ひとりでは出ないアイデアで、森崎さんとやりとりしているとそういうものが出ちゃうんだっていう言い方をしてましたね。
高橋「呼んでる、呼び寄せちゃっているってかんじがしますね」
---その後はどうだったんですか。
高橋「あ、そうだ。僕あまり賞をもらったことないんですが、これ好評で、デビュー作でギャラクシー賞をもらったんです。それで続編もやろうということになった。原作にはまだ使っていない短編のエピソードがあったんでそっちを使って「続・恐婚」かな、完成稿までいって、キャステイングもして(主人公は唐十郎と岸本加世子)、今度は1作目の吉行さんみたいな、とんでもない人がひとりいて、ハーフだと自分では言い張っているかえれどもどう見ても日本人に見えるアメリカ帰りの女の子がやって来て、アメリカ帰りだから英語がペラペラ、その子が誠一の弟子になりたいとやってくる。それで対抗意識ですみ子が英会話教室に通って、でもすぐに飽きるという、そういう話だった。キャストも小野みゆきさんに決まっていた。
 クランク・イン直前に水曜グランドロマン枠がなくなりますっていうことになった。とんねるずの番組になりましたって。その日はがっくりきましたね。「続・恐婚」のほうは森崎さんの薫陶を受けたわけですからノリノリで書いて、森崎さんのところへ持っていったんです。森崎さんから、この物語の流れを頭から口頭で言ってと言われて、それも試練だったんですけど、ずっと言って一箇所だけ言いよどんだんですよね、なんとか誤魔化して最後まで言い終わったら、森崎さんからいま一箇所言いよどんだところあったよね、そこ問題だから直してと言われて、わかりました。そこを直したらもうオッケー。これ絶対いけるからと、完成したらかなりいけるぞと自信があったんですけど、まあそういうことになって。」
---いくらでも続けられる設定ですもんね。いろんな人が訪ねてくればいいんですもんね。
高橋「色川さんが亡くなってすぐぐらいで、これ色川さんの奥さんですみ子のモデルになった方の許可をもらってやってるんですよね。奥さんが「宿六」という色川武大が入院してから死ぬまでのことを書いてるんですよ。続編はもうできるつもりでいたんで、第3作の話まで根岸さんとしていたんですよ。第3作は「宿六」をもとにして、誠一が死ぬまで、すみ子がひとり残されるところまでやるということだったんですね。
---実現したら3部作できれいでしたね。森崎さんとはそのあとは?
高橋「仕事として成立していないからあまり言えないんですが、立て続けに続編の仕事があって、そのあと森崎さんがタイから来たジャパゆきさんの映画を作ろうということで、『党宣言』の脚本を書いた近藤昭二さんとみんなで森崎家で一晩中しゃべって、一晩といっても8時くらいから宴会になるんですが、近藤さんから近藤さんが体験したゴースト・ストーリーをずうっと聞いて、とても恐かったんですが、翌朝考えようってときにテレビをつけたらソビエトが崩壊したというニュース、1991年ですね。
 僕関係で森崎さんにふった企画は実写版『あしたのジョー』でした。あるプロデューサーが『釣りバカ日誌スペシャル』を見て、森崎さんといえば昔の撮影所のえらい監督と思われていたのが、ぜんぜん現代の監督だということで、このノリで実写化したいということで持ち込んで来た。森崎さんはマンガにまったく興味がないひとで、一応プロデューサーが「あしたのジョー」全巻を茅ヶ崎旅館に送ってきてくれたんですが、森崎さんは君、読んでんだろ?って、はい、読んでますというと、じゃいいや、って読まないのね、それがうらやましかったですね。
 僕はマンガの絵があるでしょ、アニメもあるし、声があおい輝彦に思えてしょうがないとか、そういうものから自由になって考えなきゃいけないのにそうなれない。それに対して森崎さんはまったく無垢な状態から取り組んでいるんでうらやましかった。
 『あしたのジョー』といったってどうせ梶原一騎でしょと言って最初ノッてくれなかったんです。そこで、尾藤イサオの歌を聴かせたんですよ。それで聴き終わったら、いいじゃないと。あれにはぐっとくるだろって、こっちのヨミがあった」
---それが実現していたら面白かったですね。
高橋「そのとき、ボクサーは鬼塚俊太郎で」
---歌というのは森崎さんには重要ですから。
高橋「茅ヶ崎旅館で宴会が始まると、お前の歌はなんだって、歌わされる。いや、歌いますけど、死ね死ねってだけ言っている歌で、結構そこまで意見が合わなかったんです。」
---「離婚・恐婚・連婚」にアステアのチ−ク・トウ・チークとか出てくるじゃないですか。あれは?
高橋「あれは最初の頃からあったんです。色川さんはそもそもアメリカのミュージカル通なんです。コレクターで。森崎さんはそういうの好きだから入れてきて、唐さんの身体能力がすごかったですね。あのとき50超えているはずなんですけど、テーブルの上に飛び乗ってタップをやった」(唐十郎のタップは「雨に唄えば」のジーン・ケリーの真似である)
---結局、実現しなかったわけですね。
高橋「梶原一騎関係は難しいんですね。これ以上言えませんけど。
 あと2本くらい、森崎さんに薦めていたのがあったんですけど、うまくいかなかったですね」
---そうでなくても、森崎さんの場合には実現しない企画が多いですよね
高橋「噂では七三一部隊。秋葉原の通り魔事件のあとに低所得層は希望は戦争だといった人と一緒になってそこから生まれた企画があった」
---高橋さんご自身も監督としても脚本家として仕事をしていかれるわけですが、さきほど森崎さんから教わったものが糧になっていると言われましたが、どういうことなんでしょうか
高橋「この建物の映画美学校の脚本コースでも言っていることって、それこそ僕が言われたことで、痛いなあと思ったことなんですよね。
 ゆっくりセットアップしてこないで、いきなり核心に入ってということですね。そしてアイデアはどんどん前へ持っていって、前半が面白くなれば後半は面白くせざるをえなくなるから。
 後半でとっておこうという考えかたはよそうっていうことですよね。
 ものをひっくり返すという森崎さんの感覚。ちょっとフラットだなと思ったらなにか波を立てる。あれがいちばんわかったわけですよ、『離婚・恐婚・連婚』で、編集部で仕事を増やしているんじゃなくてよその会社で仕事を増やしているというカドのたてかた。
 『リング』のようなジャンルのちがうホラー映画でも、貞子のおかあさんが原作だと千里眼の実験では疑いのまなざしで見られているなかで精神が集中できなくて失敗というまっとうな展開なんですが、逆にするという森崎さんの教えが頭をよぎったんでしょうね、映画の脚本では、貞子のおかあさんがばりばり的中させるからみんなが怖くなってインチキだと迫害するんだという展開に変えたんですね。そのほうが恨みは深まるぞという。考え方はジャンルに関係なくつかえると思います」
---それは学んだ高橋さんの力ですね。森崎さんと仕事をすれば盗めるという技術というものでもない。
高橋「ありがとうございます」
---近藤さんの名前が出ましたが、森崎さんのゴチャゴチャしたと言われるところに影響が大きかったと思いますが、近藤さんとのお仕事をどう思われますか
高橋「幸いにも近藤さんと一緒に話すという貴重な現場にも居合わせたわけですが、とにかく生ネタしか求めないという、リクツ言うのイヤという、森崎さんの感覚がスゴイですね。森崎さん自身はたいへんなインテリだってことはわかるんですけど、それを表に出さない、とにかく平場にするという、無前提でなにかないっていう。よくタクシーの運転手に話しかけて聞いてましたよね。そういうのをぶち込んでくる。
 ノンフィクション作家で裏社会のドロドロとした部分を知っているひとと出会うのは必然だったという気がします。近藤さんには魅了されますね。
 なんでそんなエピソードあるのっていう驚き。」
---『党宣言』の「アイちゃんですよ、ご飯食べた」っていうひと、ほんとにいたんですよ。そのセリフも実際のもの。頭で考えて出てくるものじゃないですね。
高橋「あのひとを追いかけるだけで面白いんですよ。アイちゃんというひとは売春婦で、もと同僚だった売春婦に殺されちゃうんですよ。その事件そのものは知る人ぞ知る事件で、大島渚監督も追っかけていたという事件だった。当時の映画人が反応していた事件ではあったんですね。近藤さんがからんでネタを引っ張ってくるんだけど、使うところはこのセリフだけという」
---あと原発ジプシーと沖縄と。
今回、この本『森崎東党宣言』のなかでは高橋さんにはもうちょっと冷静なところから書いていただいたんですが、松竹の枷のなかで仕事を悪戦苦闘されていたときの森崎さんとその後では違うと? 
高橋「そうですね。ほんとにインデペンデントの体勢で撮ったのが『黒木太郎の愛と冒険』に始まって、『党宣言』と『ニワトリはハダシだ』ですよね。『ロケーション』は近藤さん脚本だけど、松竹の映画ですよね」
---ま、松竹であれ撮るのかというものですが。
高橋「本づくりにおいてもいちばん突出して壊しに入っているのは『党宣言』と『ニワトリはハダシだ』ですよね。この二本に関してはさっきはわりとプロットが入り組んでいないからどのシーンを削っても、一個一個の独立した力でいけるって言いましたけど、『党宣言』と『ニワトリはハダシだ』はちょっとプロットが入り組んでいるんです。説明しないとわからないところがあるんです。いちばんそこで苦しんでるなあと思います。ライター側から言わせればもうちょっと要素を減らせばすっきりしますよって、いくらでも提案できると思うんだけれども、森崎さんはそれをやらないんだよね。
 むしろ増やしちゃうんだよね」
---現場に座付作者のようにいるわけですね、近藤さんが。そして書き直すわけですね。『ロケーション』に出てくる撮影隊が森崎組なわけですがあそこで柄本さんが演じている脚本家が近藤さんがモデルなわけですけど。
高橋「そこの本作りに関しては、プロットを整理するという無言の圧力が働く企業の映画のときに、森崎さん、むしろ自由になっているという感じは正直しますね。ただ作劇上の問題だけじゃなくて、松竹の撮影所で育ったひとの演出技術がいちばん発揮されるのは、一定のバジェットのなかで、落ち着いた場所の中で、『党宣言』や『ニワトリはハダシだ』よりももっと苛酷な条件のなかで撮られていると思うんですよね。
 自分も映画を撮りだして見えてきた部分もあるんですけれども、『党宣言』の三人の若者たちとか、森崎さんはなんかうまくいっていないという危険信号を感じながら、でもどう乗り越えたらいいのかなかなか見いだせずに、イライラしながら撮り終えたシーンとかあるんじゃないかって、それは見てて感じるので、そこは見なかったことにできないという点で、苦しんだ森崎論でしたね。本人が読むっていう緊張感もあって。字が小さいから読まないかも」
---最後にキネマ旬報にも『ペコロス』の特集がありますが、『ペコロス』について一言。
高橋「企業の映画ではないんですが、ソニー生命とかガーンと出てくるんですね。いろいろ(制約が)あるとき、森崎さんはしたたかなことをやるんで、これは久しぶりに森崎さん、世の中を騙すぞって」
---わりとみなさん騙されているんですね。
高橋「試写見終わって、知り合いの女の子たちがみんな目を泣きはらしているんですね。騙したなあ、と。ぜったいいけるぞと、公開が楽しみだなと思いました」
---これは泣けるぞという、安心して騙されて下さいという映画です。