罪に対しての罰は重ければ重い程良いのだろうか?
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罪に対しての罰は重ければ重い程良いのだろうか?

2013-11-22 18:53
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 人が犯した罪に対して軽い刑罰ですませるということは、もっとも愚かな行いである。罪に対して罰が軽ければ、人は罪を犯し続けるだろう。罰が重いから罪を犯さない者は罰が軽くなれば再び罪を犯すだろし、罰を重くしても罪をやめないものは罰が軽くなれば当然の如くもっと罪を犯し続けるだろう。 そして、罰が軽くても罪を犯さないものは重くなっても罪を犯すことはないだろう。 だからこそ罪に対して罰は重ければ重い程に良民には良いとされる

                                    韓非子
      
                            
 ちょっと私の曲解が入った韓非子の思想なのですが、なんというか、納得できるなーと思いながらも、なんかしんどいなーと思ったりします。

 人の罪とはなんでしょう?

 生まれてきてまず生きる権利を得るわけです。

 そこから、生まれている地域や場所で環境に準じ適した発達を促進されていくでしょう。

 成長する過程で自我が生まれ、様々な経験をしながら自然と自分の中で好きや嫌いといった好みが生まれ、その中でもっとも選び取れる現実の好きを選択して生きていくでしょう。

 当たり前のように生きて、好きなことしている中で罪に問われるようなことを人はしてしまうのでしょうか?

 当然ながら罪からは逃れることはできないでしょう。

 何故なら、自分がそれを罪に思わないでも、他人からみればそれは罪だということが世の中には溢れているからです。

 だからこそ、法律という者を作り、誰しもが公平に罪というもを認識できるようにしなければなりません。

 では罪とは何か?

 それは他人の利益を損なうことではないでしょうか?

 人が殺されればその死んだ人は全てを失うでしょう。

 傷つけられば、その痛みに悩まされるでしょう。

 物を盗まれれば、盗まれた人はその物がないことで苦労を強いられるでしょう。

 これらのことが基本的 ”罪” と呼ばれることにして、更に先に行ったほうが ”罰” を受けるとしたとしましょう。

 罰とは罪が重ければ重い程良いということで極刑とします。

 
 ある時、ある場所に貧しい家に生まれた子供が食べるものがなくて、自分と両親のために富豪の家に食べ物を分けてもらえるようにお願いしたとしましょう。しかし、分けてもらえなかった。だから黙って食べ物を富豪から盗んで、家族を食わせる選択をしたとしましょう。

 食べ物を盗まれたことに気づいた富豪は激怒し、この貧乏な家族に罰としょうして殺してしまったします。

 
 この、貧乏な家族を憐れむのが正しいのか? 

 食べ物を盗まれた富豪を憐れむのが正しいのか?

 盗むのが下手な子供が悪いのか?

 盗むことしか選択肢が思い浮かばない子供が悪いのか?

 その子供に盗みを働かせてしまった、親が悪いのか?

 食べ物を分けてあげなかった富豪が悪いのか? 

 盗みに気づいた富豪が悪いのか?

 盗みを行った子供が悪いのか? 

 罰として、その家族を殺した富豪は悪いのでしょうか?

 そもそも、この家族を貧困に追い込んだ原因はなんなのか?

 その原因を作った人間が悪いなら、その原因に関わる者も処罰を受けるべきではないのだろうか?

 
 個人的には、この貧しい家族の子供が盗みを行うまでになってしまった原因を私は裁きたいと思ったりしますが、それは現実的ではないようです。

 しかし、そうでなければ根本的な解決はしないでしょう。

 そんな、世の中でも罪に対して罰が重ければ重い程良いと唱える為政者がいたとしたら、私は悩みます。

 それで、世の中が良くなるのか? 

 それは為政者や安全圏にいる人間が得をするだけで、切り捨てられた人達の犠牲の上にあるものではないだろうか?

 大多数の人が救われ、少数の貧困層が虐げられる。確かに民主主義しているといっていいのかもしれません。

 そして、それを多く望む人達が集まっていて、それが気に入らないならよそへ行けというのが道理なのかもしれません。

 しかし、これは死体の上で笑顔の談笑をして、ご飯が食べれるような無神経な人間の集まりでしかないのではないだろうか?

 その現実すら知らずに生きる人達もいるでしょう。

 知ってても他人のことだと、吐き捨てる人もいるでしょう。

 知ってて心は痛めるが、自分の利益のために知らぬふりをする人もいるでしょう。

 現実を知り、貧しい者達に施しを与える人もいるだろう。

 現実を知り、世の中を変えようと動く人達もいるだろう。

 だけど、このどれも私には正解に思えない。

 
 この状況を打破しようと思ったら、人類は不老不死になるしかないだろう。

 食べ物を食べずとも腹は減るが死なず、傷ついても死なず、年もとらず、繁殖だけは出来るようになれば素晴らしいと思ったりする。

 そうすれば、人類は新たなステージに立つこと出来、さらに発展と繁栄することだろう。

 もしくは、衰退と消滅が待ってるかもしれないが・・・・・・。

 あああー、アニメや漫画の不老不死が羨ましい・・・・・・。

 しかし、人類が不老不死になる? それこそがもっとも現実的ではないでしょうね。

 罪だ罰だ、裕福だ貧困だとか不老不死になれれればとかの前に、一日一日を本気で生きるという覚悟を毎日するほうが遥かに現実的で素晴らしいことなのかもしれません。

 自分の心に従った行動が罪と呼ばれ、罰を賜ることになったとしても、悔い改める時間と機会があれば再び立ち上がれば良いし、そうでなければそれが、あなたの生き様であったと誇れば少しはマシな人生になるのかもしれません。


 充実した人生を送りたいものです。



 



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他3件のコメントを表示
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>>3
  オフウさん コメントありがとうございます。

 正直なところ、私の中ではこの記事でだれが悪いとかの決着は、人間が不老不死でないことが問題なんだけど、そんなこと現実では有り得ないから、さあどうしよう。

 でも、いい案が浮かばないから、毎日一生懸命生きるしかないなー という感じです。

 ある意味、私の小説が行き詰まっている証拠です。

 二つとも、まったくみたことない映画です。 機会があったなら見てみたいなーと思います。

 まあ、強いていうなら、人間が完璧じゃないから悪いですかね。生物の頂点という種ならば、もっと凄く完全であるべきだと思うですかね。
 だから、人間は生物の頂点ではないと思ったりします。



 
3日前
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法について考えてみると面白いです。
2日前
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>>5
 ジェノームさん コメントありがとうございます。

 そうですね。面白いと思います。
2日前
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人は良くも悪くも千差満別。ともなると右にも左にも触れる以上、リスクを減らしたいともなれば物事に対する姿勢は厳しくなるもの。
罪に対する罰を強めよというのは、そういう背景があるのではと。
1時間前
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人類全員の不老不死なんてありえませんよ 地球が人間でいっぱいになるだけです 他の星に移植したところで同じ
1時間前
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この思想を地で行った結果「どうせ死刑になるなら派手に暴れてやろうぜ!!」で起こったのが陳勝呉広の反乱。
48分前
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罪と罰は1:1でなければならないと思う 上にもあるけどどうせ重くなるならそれに釣り合う罪を犯そうとする奴が絶対出てくる 善悪関係なく
44分前
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>>9
 ヤマダタサブロウさん コメントありがとうございます。

 遅刻したから斬首って言われたら、ヤケクソになるしかないよなーとか思ったりします。
36分前
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こういった題材に興味おありなら法哲学を学ばれるのは如何でしょう。
24分前
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たとえば、人ひとり殺したら死刑確定にするとすれば、
人殺しは捕まるまで見境なく人を殺し続けるでしょう
1人なら、死刑にはならないけど3,4人なら死刑という法であれば、1人殺して終わりかもしれません。

法にはこのような抑止力が必要です。
罪を犯す犯さないの二択ではなく罪を犯したときの度合いも含めての抑止力です。

極端な刑罰は法の抑止力を減らし、仮に犯罪数は減っても犯罪の重大さが上がると思います。
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