「クローゼットとマットレス」スミルハン・ラディック+マルセラ・コレア展 プレスカンファレンスインタビュー
「クローゼットとマットレス」 スミルハン・ラディック+マルセラ・コレア展
プレスカンファレンスインタビュー
2013年9月3日(火)メゾンエルメス8Fフォーラム
メゾンエルメスフォーラム「クローゼットとマットレス」
スミルハン・ラディック+マルセラ・コレア展 記者会見
(本文は、記者会見をもとにエルメスにて編集したものです。)
H:スミルハン・ラディックさんはチリのご出身、サンティアゴをベースに活動する建築家でいらっしゃいます。マルセラ・コレアさんは同じくチリのご出身、サンティアゴにて彫刻家として活動していらっしゃいます。今回の「クローゼットとマットレス」は、お二人の協働による展覧会となっております。お二人の作品として有名なのは、2010年第12回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展での『魚に隠れた少年』のインスタレーションです。この他に日本では、2010年TOTOギャラリー・間で開催された「GLOBAL ENDS」展、および2011年に東京都現代美術館で開催された「建築、アートがつくりだす新しい環境―これからの“感じ”」展でも紹介されました。今回は日本で初めての個展となります。お二人に展覧会についてのお話をいただければと思います。
ラディック:今日は私たちの今回の展覧会とこれまでの創作活動について、皆さんにご理解いただきたいポイントをノートにまとめてきました。少し説明が長くなるかもしれませんが、どうかお聞きください。まず私たちは、過去というテーマを非常に大事にしてきました。なぜ過去が私たちにとって大事なのかと申しますと、この過去というものを掘り下げ、そして展開していくことにより、自分たちのアイデンティティが確立できると考えているからです。そのため今回は、私たちのこれまでの作品や、アーティストとしての歩みを見ていただけるような展示も設けていただいております。さらに、私の中で一番重要なテーマであり、これからも提案していこうと思っているのが「Fragile/はかない」ということです。今回の展覧会でも「はかない建築」というシリーズの写真を展示しています。この「Fragile/はかない」というのは、その建築のマテリアルがはかないということではありません。また、そこで私が展開している写真も、マクロの視点から見た歴史ではなくて、その素材自体がはらんでいるミクロの歴史、そこに人間がどう関わってきたかということを感じていただきたいと思います。今回は、私たちがこの一連の「はかない建築」のリファレンスとして取り扱ってきているもののなかから、展示をいたしました。イタリアのヴェネツィア・ビエンナーレでのインスタレーションは、非常に大きな窯のようなものを制作して展示したのですが、私たちはそれらがその場所に置かれることによって何かが生まれる、また、そこから何かを発掘していくということを考えました。またこのヴェネツィア・ビエンナーレでは妹島和世さん、また西沢立衛さんとも一緒に仕事をする機会があり、私の代表作である『魚に隠れた少年』というインスタレーションを制作できました。
また、私のもう1つの重要なテーマは「隠れ家」。「秘密の場所」というのでしょうか、そういうものを見つけ、作品のテーマとして制作していくことなのです。いろいろな素材を使い、いろいろな場所を借りて、これまでにさまざまな隠れ家をつくってきました。この隠れ家、逃げ場というところは、その中に入って現実から一定の距離を保てる場所だと考えています。そして、私がこうした逃げ場や隠れ家を大事にしているのは、すぐに直接のコミュニケーションを取ることができないような場所をつくりたいから。そういう場所こそが隠れ家なのです。それが存在する場所、そしてそれが持っている、その物体が持っている固有の性格というものを、見る人に対しておおいに、にぎにぎしくというのでしょうか、派手に知らしめるのではなく、何かに向かって何かを構築し、抱きかかえていくようなものということ。つまり、ギリシャですとコンベントですか、尼さんがいらっしゃるようなところも私にとっては似たようなものだと思いますし、アンデス山脈の中に先住民の方々がつくられた村とか町、そういうものも私にとっては逃げ場、隠れ家だと思っております。
フォーラムが持っている2つのスペースをどのように使っていくのか、私たちの隠れ家をどういう場所に、どのような形でつくるのかというのがこの展覧会のテーマです。そして、その場所をつくるために選んだ素材がマットレスとクローゼットです。今回、なぜ私がこの2つの素材=ものを選んだかということですが、マットレスに関しましては、かつては家の中に1つのスペースをつくる物体として、人間にもっとも近しいものでありました。かつて、と申しますのは、もう今のチリには、今回展示しているようなマットレスを使う文化はないということです。そしてクローゼットも、あのような大きなものはありません。家の中のクローゼットというのは、それを使う人間にとって自分の内部というものに非常に深く関係する、親密な場所であったということです。私たちがマットレスと呼ぶものは、私の父の世代までは1個を一生かけて使っていくものでした。打ち直しをしたりして、何年も大事に使っていくのですけれども、今でもよく覚えているのが、父が20年前に「このマットレスは、もういい」というように捨てたものが、緑色の非常に重たい、そして真っ平らなマットレスだったということです。昔はマットレスを持って旅行した時代もありました。しかしながら、今のマットレスというのは家の中に常に置いてあり、その独自の位置を昔とは違うようにしか占められなくなってきています。昔、私たちは「マットレスと会話をする」と言ったものです。どういうことかと申しますと、何か困ったとき、現実の中で迷ってしまったとき、そして自分がどうしたらいいかわからなくなったときは、そこに身を埋めて夢の中へ答えを探しに行く……マットレスとはそういう場所だから。つまり、「自分が一番落ち着けるところで考える」という意味で、チリでは「マットレスと会話をするよ」という言い方をすることがあります。それに引き換えこのクローゼットですが、マットレスとは対照的にハードウェアみたいなものだと思います。中に入っている服を出して着替えることにより、私たちは自分のアイデンティティを変えて、自分の身を守るために、自分を外向きの人間にすることもできます。しかしながら、そのクローゼットの中に入っているのは日記や写真など、個人の歴史に非常に深く関わってくるもの。それらが同時に存在している――そうしたことを象徴するのがクローゼットです。
今回、なぜマットレスとクローゼットという2つの家具を使ったかということですが、これらは非常に特異なものなのです。というのは、家の中においてクローゼットは建築物でもないし、建築と位置付けられるものでもないし、マットレスは飾りと位置付けられるものでもない。つまり、家の中で独自のスペースを占めていて、さらにそこに住んでいる人間の内面と非常に関係の深いもの、つまり、個人の人間的な側面というものを一番反映しているのがこの2つの家具だと考えたのです。そして、妻が彫刻家でありますし、私自身は建築家だということ。建築家というのは建物をつくる人間ですが、どういうものをつくっているかというと、皆さんにご覧いただいたような「はかない建築」という一連のテーマを持った建物をつくっております。そして、その建築家の私が、なぜあえてクローゼットというものを選んで今回の展覧会をしたかと申しますと、クローゼットというのは薄い壁1枚で外界を遮断するものであり、密閉性がありながらもその中にはかなさが見える――私が建築家として追求してきたテーマと同じものが見えると思ったからです。そしてマットレスですが、かつてマットレスというものは中に物がいっぱい詰まっているものでした。それはわらであったり、羊毛、馬の毛であったりしますが、それ自体は無機質で不活性な、形を持たないものです。それがマットレスというものになることによって、形を与えられるのです。最後に、マットレスはその上に寝る人の重み、または人間の脂というものを吸い取って、その形が染み込んでいくことによって形が変わっていきます。そういうことからもマットレスは非常に人間的なもの、人間の内部に近いものだと考えました。
今回の展覧会は、2つの部屋から構成されております。1つにはクローゼットが、そして、1つにはマットレスが展示してあります。このクローゼットの足下にはいろいろな色のカバーのようなものがあります。これはピアノなどの脚を支える台なのですが、それはもしかしたらチロエというチリの島にあります教会の主祭壇を支えている台かもしれませんし、また日本の寺社仏閣の重要なものを支える台かもしれません。そういうものの上にクローゼットが立っているのです。クローゼットは非常に細い脚で支えられています。そして、その細い脚の上に何があるかと申しますと、非常に薄い杉の一枚板です。この板は外界からの光を通します。そして、光が入ってきたときには中が非常にきれいな明るい色になるのです。この明るい色の中に入っていただくと、座る椅子もありますし、手を洗えるところもあります。外界から遮断されながらも非常にはかなくつながっているのです。また、中には日々の記録としての新聞が置いてあり、これは現実とつながるものです。ビデオ作品も見ることができます。このビデオ作品では、私が先ほど申し上げました「逃げ場」とか「隠れ家」ということをテーマにした過去の作品をご覧いただけます。そして、もう1つのお部屋には4つの大きな物体、つまりマットレスが吊り下がっています。マットレスには、それを使っていた人たちの重さや形というものがあるわけですが、紐で結んでテンションを加えることにより、マットレスに新たな形を与えています。
◆「クローゼットとマットレス」スミルハン・ラディック+マルセラ・コレア展
2013年10月3日
「ウルの牡山羊」シガリット・ランダウ展 プレスカンファレンスインタビュー
「ウルの牡山羊」 シガリット・ランダウ展
プレスカンファレンスインタビュー
2013年5月16日(木)メゾンエルメス8Fフォーラム
メゾンエルメスフォーラム「ウルの牡山羊」シガリット・ランダウ展 記者会見
(本文記者会見をもとにエルメスにて編集したものです。)
H:ランダウさんは1969年にエルサレムでお生まれになり、現在もイスラエルのテルアビブを拠点に活動していらっしゃるアーティストでいらっしゃいます。
2011年ヴェネツィア・ビエンナーレのイスラエル館の代表も務められ、同じく2011年横浜トリエンナーレでも作品を発表されました。横浜での作品はご記憶におありの方も多いかと思われます。ランダウさんのほうからいろいろと作品について、そして展覧会の開催についてもお話をいただきたいと思います。
ランダウ:今回の展覧会は、基本的に二つのインスタレーションを関連させています。一つは私が最近ずっと発展させてきているインスタレーションの発展型であり、今回のエルメスの展示では新しい要素も含んでおり、もう一方は今回全くの新作の作品ということになります。
まず、この作品の主題について、それからそこで使われている言葉について、簡単に説明します。私の作品だけでなく、イスラエルの文化というものを理解する場合には、常に「場所」ということが問題になりますけれども、少なくとも二つの場所があるということです。
一方の場所というのは、つまりそれは家の空間です。これは私が自分の記憶をもとに、1950年代の私のおじいさんの家の空間を私の想像で再現したものです。この家の空間にはまた複数の場所が、その場所に絡んできます。一つには、そこに置かれているもの、例えば、私の義理の祖母にあたる人は、ヨーロッパのゴブラン織りの作品を作ることが趣味でした。そういった刺しゅうや家具がそこに置かれている。でも、この家具に構成された空間の中で、何か、あるいは誰かが、そこが空虚になっている。その人の存在がないということが、喪失が一つの問題になっています。
その居間に入るためのプロローグとして、まず台所の空間を皆さんは通ることになると思いますが、この台所の空間ではヘブライ語の女性の声が聞こえてくるわけです。ここでは四人のヘブライ語でしゃべっている女性、それぞれに世界中の異なった場所からきたイスラエル人の四人の女性の言葉です。一人は自分の子ども時代のことを、もう一人は自分の少女だった思春期の時代のことを、一人は自分が家庭の主婦だった、妻であったときのことを語り、そしてもう一人は自分の老年のことをそれぞれ語っています。そして、ここで語られている言葉の日本語訳をヘッドホンで聞くことができます。
そこから居間の空間をぬけて、その家庭の空間に私はもう一つ別の空間を付け加えることにしました。それは一つの回廊であり、この回廊に表現されていることを通じて、この私的な空間の中で行われていることの公的な意味というものを考えていただくことができるのではないかと思います。
これは今回初めて試みたことですが、扉を開けることによって、その歴史的な回廊から、また元の台所の空間に戻ること、そして巡ることができ、別の方向、逆方向からこの作品を見たり、体験したりできることを目指しました。そうすることによって、私的なものと集団的なもの、つまり個人の体験と国家あるいは社会としての体験というものの相互関係を皆さんに体験していただけることができるのではないかと考えたのです。
細かなディテールを積み重ることによって作り上げられたこの空間の一方で、もうひとつのスペースには全くそれと対照的な異なった空間を作りました。皆さんはたぶん私の今までの作品から、主にビデオアーティストとして私のことをご存じなのではないでしょうか。例えば死海で西瓜とともに浮いている作品であるとか、ビデオアートの作品をご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、そのビデオアートの一つの作品として、こちら側の空間は全く言葉を用いない、むしろそこで素材になっているものは現在のイスラエルの日常生活の一部である、イスラエル南部でのキブツにおける農作業の風景をもとに作り出した作品を展示しています。
この作品は、もちろんビデオ作品ですが、もう一方で空間的なインスタレーションとして構成している作品です。4チャンネルのビデオを用いて、音楽家たちと共同作業で制作した音楽がかなりの大音響で流れており、皆さんに体でその空間にいることを感じていただきたいと思って作った作品です。
ここで、皆さんの中にも勇気を持って試した方もいらっしゃるでしょうが、映像の中で出てくる木を揺さぶる機械を皆さん自身にも感じてほしいと思い、体を揺さぶる、いわゆる人間のためのシェーキングマシンを置きました。そこで自分の体で、ここで、キブツで行われていることの背景にあるなにか、強い意志、つまり生き延びていこうという強い意志であるとか、一方で、そこで生き延びていくことの結果としての暴力性であるとか、そういうことを感じていただけるといいなと思って、そういうものを置いています。
Q1:イスラエルにおいて、オリーブの木や収穫が喚起するものはありますか?
ランダウ:まず、当然ながら、オリーブの木、あるいはオリーブの実というのは地中海を象徴するものですし、そこも含めて多くのイスラエル人がなんとなく持っているイメージというのは、田園的な風景の一つの象徴というイメージがあると思います。これはある種の、昔ながらの古代的なイメージとしてのオリーブの姿ですし、実際のところパレスチナの大地においてオリーブの木は極めて重要なもので、例えばエルサレムには樹齢2000年あるといわれているようなオリーブの古い木もあります。ただし今回の作品で皆さんがご覧になっている木は、オリーブの古木ではなく新しい木です。
一方で、現在のイスラエル、あるいはパレスチナの政治的な状況の中では、さまざまな別の、むしろ恐怖の物語に近いことがオリーブの木には付きまとっています。例えば、パレスチナ人の農家が大事にしてきた古いオリーブの木がイスラエル政府によって切り倒される。それは防護壁を造るために、パレスチナ人の育ててきた古いオリーブの木が切り倒されることであるとか、あるいはオリーブの実を収穫に行くときにでも、入植地の人間は軍隊に護衛してもらわなければ安心して収穫に行けないといった、そのような恐怖にまつわる話もまたこのオリーブの木から連想されるのかもしれません。
しかし、一つだけ言えるのは、私が子どものころから育んできたオリーブの木のイメージ、例えば平和のイメージ、つまりハトがオリーブの葉をくわえているという平和のイメージというのとは、全く矛盾した意味をまたオリーブというものが現在では持ってしまっているということを考えなくてはならないということです。
とはいっても、私たちには現実の生活もあるわけです。私自身、今や6歳の娘の母親ですし、母親として現実の社会を見たときに、また別のことが見えてきます。つまり、例えば今回展示しているオリーブの果樹園ですけれど、ここはキブツに属しているとはいっても、実際に働いているのは、ほとんどがパレスチナ人の労働者です。ですから、これを揺すっているのはパレスチナ人なわけですけれど、こうやってイスラエルの現実の中ではパレスチナ人とユダヤ人が共同して働いている、共に生活をつくっているという現実がいくらでもあるわけです。パレスチナ人にしても、そこで働くことで給料をもらえることが極めて重要な生活の糧になりますし、人間はやはり日々生活を続けて生き延びることが、どうしても必要になるわけです。
一方で、あそこのキブツで育っている子どもたちにしても、大人になってどういう仕事に就くのかといえば、ハイテク産業のほうに行く人もいれば、仕事に就けずに失業者になってしまうような人たちもいるわけです。現実を見れば、たかだか一世代半、農民になろうとしてイスラエル人が努力しても、とても長い間ずっとこの仕事をしてきた、何世代にもわたってその伝統を築いてきたパレスチナ人にかなうわけもなく、実際、このキブツでパレスチナ人に農作業を実際に任せているというのも、それは現実的にパレスチナ人のほうがはるかにおいしいオリーブを育てることについて彼らが一番技術や知識を持っているからでもあります。
かなり政治的なことを言ってしまいましたが、私は自分の作品が決してそのような政治的、理論的、そして頭で考えたものであるとは考えていません。オリーブの木そのものも、むしろ私は自分の作品を、もっとエロチックなものとして捉えていただきたいというふうに思っています。オリーブの木は、そこから取れる油でせっけんをつくることもできるし料理にも使えます。野菜にかければおいしいし、体に油を塗ることもできる、そういったエロチックなイメージを含めた感情的な体験としても、私の作品を見ていただきたいと思っています。
Q2:きっとご自身のご経験から、かなり結果的に政治的な意味を持つ作品をたくさん作られていると思うんですが、アートが政治的である重要性ですとか、そういったことについて、お話しいただけますか。
ランダウ:例えば非常に個人的なことを主題にして作品を作る。そのことで観客の人が感動とか強い力を感じてくださるとしたら、そのことは、その行為自体が、それが多くの関係になればなるほど、既に政治的な行為になるんだろうと思います。あるいは、逆に言えば、その政治的なテーマを取り上げながら個人的な作品を作ることもできるわけで、実のことを言えば、その作品自体の政治性は、余り重要なことではないだろうと私は考えています。
ただ、一つ重要なことは、私自身は決して何かの政治的なメッセージを一つのスローガンにして、一言で表現できるような作品を作っているつもりはないし、いずれにしても、あらゆるアーティストというのは政治的な存在であって、何かを無視する、例えば政治的なことを無視して作品を作ろうとすること自体が極めて政治的な行為であるし、それはまた極めて危険な政治的な行為でもあり得るだろうと思います。
いずれにしても、私は、実際にイスラエルの現実の中で生活して作品を作っています。その中で、さまざまなものをつなげていくということが、私のアーティストとしての仕事だろうと考えています。
Q3:先ほどのご説明では、世界中の異なった場所出身の四人の女性のヘブライ語によるストーリーが語られているというご説明でした。イスラエルの歴史。世界中から移住してきたユダヤ人の方々によって構成されたイスラエル社会、その現実が社会を難しくするとか、その中で生きていくことに困難を感じさせるという、状況について教えてください。
ランダウ:まず語っている女性はみんな70歳を越えているおばあさんたちですが、みんな、およそ私たちが普通に予測できることを、全く裏切るような話をしています。インタビューの条件は「歌を歌うこと」でした。一人のサラという女性は現在イランの一部であるクルジスタンの出身で、14歳で非常に年上の男性と結婚させられ、その夫は彼女を常に暴力的に扱ってきたという経験を持っている人です。その後双子の子どもが生まれたときに、病院であなたの子どもは死産でしたというふうに言われたと。彼女の疑っているところでは、その子どもは金持ちの養子に売られるために奪われたのではないかと。
そんなひどい目に遭っていながら、一方で彼女は歌は歌い、笑い、料理の話をしています。彼女は今70歳過ぎても、大変貧しいながら毎日ちゃんと働いています。彼女の仕事というのは、裕福な、お金持ちの人のところに行って料理を作ったり、あるいは洗濯をするという仕事をあの年齢になってもずっと続けて、引退もしていません。一生ずっと働き続けている女性です。
彼女の名前はサラですけど、サラというのは歌うという意味です。そして、他の三人の女性はリリー、アイリス、ヘブライ語でショシャナ(バラ)、つまり花の名前が名前になっている女性です。
私自身は彼女たちの話をとにかく驚きながら聞いているわけです。どうやったらそうやって自分の人生に立ちはだかるさまざまな困難を、うまくお手玉でもやるように切り抜けながら生きていくことができたのかというのは、インタビューをしながら驚きでした。彼女たちは、こういった年齢になって、いろんな苦労を乗り越えながらも、それぞれ自分の家を持ち、生活しているわけですし、一方で自分の生活を維持するということのために、さまざまな矛盾も引き受けながら生きてきた人たちです。そういった意味で成功だといえるでしょう。私たちの世代が、今から20年後に、果たしてあんな風に自分の人生を語ることができるでしょうか。
「ウルの牡山羊」 シガリット・ランダウ展
2013年6月7日
「パラの模型 / ぼくらの空中楼閣」 パラモデル展 作品ガイド
展覧会解説
ユニットを組みながらも、作品へのアプローチは全く異なるパラモデルという二人組。それぞれが独立しつつも一つの世界を目指す藤子不二雄のような関係を目指しているという林と中野。彼らの特異な世界、あり方を、この場所の特徴を生かしながらの展示を構成した。
まず彼らの代名詞ともいえるプラレールはなしで、から出発し、それから方眼紙、ガラスブロックといったキーワードが提案された。それぞれの陣地における平行した展示、二つのタイトルをもつ個展など、ルールを出し合いながら構想が練り上げられていった。特に今回はチャレンジとして、二つの空間を持つメゾンエルメスの特性を利用したパラレルな個展形式をとっている。
本展覧会に際し、パラモデルの二人はガラスブロックで覆われたレンゾ・ピアノの現代版クリスタルパレスへの尽きることなき興味をもとに、中野はブルーノ・タウトの「都市の冠」につながる地縁的文脈から、林は建築ユニットとして構造基盤だけでなくデザインとしても可視化された方眼から手がかりをつかんだ。さかのぼること産業革命とともに生まれたガラスの建築がもたらした二つの側面、プレハブと呼ばれる建築ユニットの近代性、それともう一つの側面、ガラス、クリスタルという素材のもつ象徴性という両側面がそれぞれパラレルに追求されてゆく。(二人のアプローチについては会場内で配布しているハンドアウトに詳しい)
林は、1月8日より滞在しながら、アルミパイプや角材、針金などを持ち込み、6人~10人のアシスタントとともに作業を開始した。『パラの図式_#001 para-graphe_#001』はアルミパイプ2700本を現場で八等分に切断し、2万本以上のユニットに仕上げ、そこに針金を通して、キューブ状の作品となった。
林が注目したのは、このビルの中に存在する方眼であり、ガラスブロックや床面といった構造、あるいはタイルのようなデザイン的なグリッドを採寸。そのグリッドがいかにこの建築の基準単位となっているかを発想とした。
『パラの図式_#001~#003/para-graph_#001~#003』 『パラの模型_#001/para-modeling_#001』と題された作品はガラスブロックと同じ45センチの建築ユニットを作成し、展示空間にその延長として増殖、侵食してゆくという形態をとる。本来であれば建築ユニットは空間を支える外枠を作ってゆく性質のものであるが、ここでは主役となって空間を埋め尽くし、プライマリーなデザインともいえる均衡を形成するに至る。
林の実家は東大阪の工場で、発泡スチロール、アルミ、木材、プラスチックなどを扱っていた経緯から、幼い頃よりこれらの素材が単位とする定型サイズになじみがあり、常に発想の基盤、表現の文法としている。今までの作品もこれらの工業規格品を意識した寸法で作品を制作してきており、それが彼の黄金比率あるいは表現単位となってきた。「たとえば日本では3×6板といわれるようなベニヤ板のサイズ、そういう単位でしか発想できない。自由なサイズになると居心地が悪いというか、別のサイズにする根拠が見当たらない。」と林はいう。林の言語や身体性は実家の工場で遊んでいた時代、また内装デザイナーとして仕事をしていたときに育まれてきているためか、同様に規格品とされるキャンバス、いわばアカデミックな美術の既存単位にはしっくりとなじむ感覚がないという。一つの型として広く提示され、日常生活に紛れ込んでいる工業ユニットや子供の身体に馴染む玩具のようなミニチュアモデル、その組み換えによって作られる疑似(ここではパラ)世界こそが林の表現である。
今回レンゾの提示したクリスタルパレスの構造単位であるガラスブロックを作品の規格と設定し、そのユニットをカスタムメイドする。本来ユニットとは工場の生産ライン化、効率に基づいた既製品であるが、林は自らのモバイル工場にて手作業にて生産するという反転をおこす。
『パラの図式_#001/paragraphe_#001』の構造は、テントなどの作りに見られるような、簡易でポータブルな形態を目指していながらも、林率いる銀座のパラモデル工場では、切り取られたパイプ一本一本に針金を通して、ひとつずつ取り付け作業が行われる。グリッドの中に出現する方眼紙もこのために特注したものであり、接着も全て手作業にて行われた。ロンドン万博のクリスタルパレスが提示した近代性のプレファブリケーションには程遠く、設営現場での試行錯誤を経て、天地を埋め尽くした蜃気楼のようなグリッドは、軽やかにまたパラドクサルにガラスブロックにつながってゆく。
一方、中野はブルーノ・タウトの「都市の冠」に示されている純粋な建築の持つ象徴性を工事用養生メッシュシートという素材を用いてビルの中に出現させる。ここでいう「純粋」な建築とは、具体的な衣食住といった日常に結びつく用途を持たない、宗教建築のドーム部分のようなシンボリックな存在である。
『巨大な少年の建設計画』と題された一連の作品は、メゾンエルメスのビルの中から少年の身体が都市の冠として突き抜けていくようなイメージから制作された。ここで選ばれた少年の身体は、ゆるぎなき(同時にはかない)永遠性を内包する器官であり、純粋なかたちを求める中野の思いが託されている。
展示空間には巨大な少年の頭部が青焼きのメッシュシートの立方体となって天に向かい、またその少年の腕部や脚部、臍といった身体が分解され、白いメッシュシートに出力されて点在している。ここで目の前に立ちはだかる頭部は『冠』であり、正面、側面、背面に分かれて描かれている。その少年の頭上には更なる冠としてのクリスタル宮があり、各面に車輪や片脚のない犬が現われ、啓示を思わせる言葉の断片が痕跡を残す。曼荼羅ともいえるその宇宙には、片言のような言葉と共に、幾何学的な模様とも何ものかの現れともとれる事柄が描かれている。全貌を把握しかねる大きさ故、我々の身体は描かれているメッセージを部分的に受け取りながら、おそるおそる作品と向かい合う。
展示室内には、マスキングテープの点線、方眼のトレーシングペーパーにかかれた鉛筆絵、青焼き、壁面に記された言葉など巨大な少年の実行計画の時間が視覚化されている。
建築の外側にあるはずの仮囲いが、ビルの内部(展示室や廊下)に置かれることで、空間の内外の反転を示唆していることは林の空間の反転と奇妙につながってゆく面白さだけでなく、ここで半透過性のあるシートの中が、少年の計画で満ちていながらも、全くの空洞であることに注目したい。タウトの「究極の建築は、空であり純であり、すなわち「死」であって、いつの時代も静寂であり、日常の些事に全くかかわることがない。」という言葉をここで引用するまでもないだろう。現代においての純粋な建築を本展示に求めた中野がここで、仮囲いシートのみの構造物に建設計画(完成に向かい、決して完成しない)を出力したことは、彼が先達の思想の断片をどのようにパラモデル化していったかを良く物語っている。
中野は図書館でアルバイトをするほどに本が好きで、今回の制作にあたり、ブルーノ・タウト、稲垣足穂、アントナン・アルトー、パガヴァッド・ギーダーなど数えきれない書物や思考が引用されている。彼は、自身が書物と接する態度を次のように表現する。「僕らの作品は生成を繰り返して増殖してゆく。ものが増えると部屋が埋め尽くされたり狭くなって気づくけれど、頭の中もどんどんものが増えていっている。見えないだけで、イマジネーションは常に繁殖している。文字の中には無限の世界がある。」
クリスタル建築とのつながりから発想源としたブルーノ・タウトであるが、そもそもは桂離宮や生駒山山嶺小都市計画といったタウトの関わった土地と中野が拠点を構えた地との地縁的関係から出発している。冠をのせた永遠の少年もしかり、古代の美術家や少年愛好者を背景としながらも俊徳丸という八尾に残る伝説が下敷きとなっている。中野の身体を通じて古の物語や土地の記憶がこの銀座の地につながり、未完に終わった建築計画が幻影のように立ち上がっている。その姿は広がり続ける脳内のスクリーンに映る幻燈を思わせる。
両者の異なるアプローチが、一見正反対な着眼点からパラレルに始まっているにもかかわらず、最終的に二人とも空間の転位をおこし、両者の間では不思議な同期を起こしていることは、非常に興味深い。二人のメインの作品はそれぞれ天地を貫くサイズであり、両者とも展示スペースを超えたビル内外への直接的な指向性を持つ。偶然にも展示している作品数は同じ数であった。
林の造形が構造そのものに着眼し、穴に紐を通すという図式によって完成し、あるいはその上に透明パイプや玩具といった既存品によってドローイングがなされる時、その形は都市の細胞や素粒子の新たな単位や形態を思わせる。中野のキメラ型超人称である少年は、至上の宮殿を目指し、地縁の深みに沈み、私たちを地球や星たちの彼方、ダークマターを髣髴とさせる次元へといざなう。宇宙の構成要素であるミクロマクロの交差はここで不可分となり、パラモデル二人の(あるいは人称を超えた)世界となるのだ。
また、二人の制作における「範(モデル)」の求め方にも特筆すべきことはある。
あくまでグラフィカルなフォルム、既存の形態、単位に興味を持ち、工業規格品の面白さや素材、玩具や日常品などに見られる模型的あるいは擬似的な表現に「モデル」を求める林は、工場のように多くのチームを抱えながら、人と連結しながら日々生産を続ける。
一方、中野は先達たちの書物や思想などに範を求め、それぞれの表現物(書物や絵画など)を通じてつながり、しかし一人で製図台に向かって作業をし、時にテンプレートといった型を使い、工業的な方法(今回の場合は工事用養生シートにインクジェット出力)で作品として可視化させてゆくという方法論だ。
また、彼らが同時に求めている生成過程とともにある展示(展覧会とは、その運動を一時的に移動させてきているに過ぎない)に関しても、林はサイトに1ヶ月以上滞在しながら制作をし、また会場内に『モバイルファクトリー/mobile_factory』を設置し、公開制作を行うことでフィジカルな現場、また不在による存在を作り出す。一方、中野は、少年の計画を、段階で見せとることで、予感を閉じ込め、永遠に完成しないことを目指すのではなく、永遠に遊び続けることを夢見る少年のかたちを我々に提示する。それは憧憬という名のひとつの心の状態であり、パラに託された永遠の運動である。
最後に、並行に掲げられた二つのタイトルが、最終的に入れ替わっているかのような印象を与えるとき、(「パラの模型」は中野のメッシュシートの計画図を示唆し、「ぼくらの空中楼閣」は林のみんなの手によるガラスブロックに直結する立体を想像させるように)パラモデルが相互的に存在することを強く実感するに至るのだ。
ユニットという表現形式をとりながら、その単位をさらに重複、拡張し、時に亀裂すら恐れない運動体、パラモデリアでの模型遊びはこれからも続いてゆく。
「パラの模型 / ぼくらの空中楼閣」 パラモデル展
ユニットを組みながらも、作品へのアプローチは全く異なるパラモデルという二人組。それぞれが独立しつつも一つの世界を目指す藤子不二雄のような関係を目指しているという林と中野。彼らの特異な世界、あり方を、この場所の特徴を生かしながらの展示を構成した。
まず彼らの代名詞ともいえるプラレールはなしで、から出発し、それから方眼紙、ガラスブロックといったキーワードが提案された。それぞれの陣地における平行した展示、二つのタイトルをもつ個展など、ルールを出し合いながら構想が練り上げられていった。特に今回はチャレンジとして、二つの空間を持つメゾンエルメスの特性を利用したパラレルな個展形式をとっている。
本展覧会に際し、パラモデルの二人はガラスブロックで覆われたレンゾ・ピアノの現代版クリスタルパレスへの尽きることなき興味をもとに、中野はブルーノ・タウトの「都市の冠」につながる地縁的文脈から、林は建築ユニットとして構造基盤だけでなくデザインとしても可視化された方眼から手がかりをつかんだ。さかのぼること産業革命とともに生まれたガラスの建築がもたらした二つの側面、プレハブと呼ばれる建築ユニットの近代性、それともう一つの側面、ガラス、クリスタルという素材のもつ象徴性という両側面がそれぞれパラレルに追求されてゆく。(二人のアプローチについては会場内で配布しているハンドアウトに詳しい)
林は、1月8日より滞在しながら、アルミパイプや角材、針金などを持ち込み、6人~10人のアシスタントとともに作業を開始した。『パラの図式_#001 para-graphe_#001』はアルミパイプ2700本を現場で八等分に切断し、2万本以上のユニットに仕上げ、そこに針金を通して、キューブ状の作品となった。
林が注目したのは、このビルの中に存在する方眼であり、ガラスブロックや床面といった構造、あるいはタイルのようなデザイン的なグリッドを採寸。そのグリッドがいかにこの建築の基準単位となっているかを発想とした。
『パラの図式_#001~#003/para-graph_#001~#003』 『パラの模型_#001/para-modeling_#001』と題された作品はガラスブロックと同じ45センチの建築ユニットを作成し、展示空間にその延長として増殖、侵食してゆくという形態をとる。本来であれば建築ユニットは空間を支える外枠を作ってゆく性質のものであるが、ここでは主役となって空間を埋め尽くし、プライマリーなデザインともいえる均衡を形成するに至る。
林の実家は東大阪の工場で、発泡スチロール、アルミ、木材、プラスチックなどを扱っていた経緯から、幼い頃よりこれらの素材が単位とする定型サイズになじみがあり、常に発想の基盤、表現の文法としている。今までの作品もこれらの工業規格品を意識した寸法で作品を制作してきており、それが彼の黄金比率あるいは表現単位となってきた。「たとえば日本では3×6板といわれるようなベニヤ板のサイズ、そういう単位でしか発想できない。自由なサイズになると居心地が悪いというか、別のサイズにする根拠が見当たらない。」と林はいう。林の言語や身体性は実家の工場で遊んでいた時代、また内装デザイナーとして仕事をしていたときに育まれてきているためか、同様に規格品とされるキャンバス、いわばアカデミックな美術の既存単位にはしっくりとなじむ感覚がないという。一つの型として広く提示され、日常生活に紛れ込んでいる工業ユニットや子供の身体に馴染む玩具のようなミニチュアモデル、その組み換えによって作られる疑似(ここではパラ)世界こそが林の表現である。
今回レンゾの提示したクリスタルパレスの構造単位であるガラスブロックを作品の規格と設定し、そのユニットをカスタムメイドする。本来ユニットとは工場の生産ライン化、効率に基づいた既製品であるが、林は自らのモバイル工場にて手作業にて生産するという反転をおこす。
『パラの図式_#001/paragraphe_#001』の構造は、テントなどの作りに見られるような、簡易でポータブルな形態を目指していながらも、林率いる銀座のパラモデル工場では、切り取られたパイプ一本一本に針金を通して、ひとつずつ取り付け作業が行われる。グリッドの中に出現する方眼紙もこのために特注したものであり、接着も全て手作業にて行われた。ロンドン万博のクリスタルパレスが提示した近代性のプレファブリケーションには程遠く、設営現場での試行錯誤を経て、天地を埋め尽くした蜃気楼のようなグリッドは、軽やかにまたパラドクサルにガラスブロックにつながってゆく。
一方、中野はブルーノ・タウトの「都市の冠」に示されている純粋な建築の持つ象徴性を工事用養生メッシュシートという素材を用いてビルの中に出現させる。ここでいう「純粋」な建築とは、具体的な衣食住といった日常に結びつく用途を持たない、宗教建築のドーム部分のようなシンボリックな存在である。
『巨大な少年の建設計画』と題された一連の作品は、メゾンエルメスのビルの中から少年の身体が都市の冠として突き抜けていくようなイメージから制作された。ここで選ばれた少年の身体は、ゆるぎなき(同時にはかない)永遠性を内包する器官であり、純粋なかたちを求める中野の思いが託されている。
展示空間には巨大な少年の頭部が青焼きのメッシュシートの立方体となって天に向かい、またその少年の腕部や脚部、臍といった身体が分解され、白いメッシュシートに出力されて点在している。ここで目の前に立ちはだかる頭部は『冠』であり、正面、側面、背面に分かれて描かれている。その少年の頭上には更なる冠としてのクリスタル宮があり、各面に車輪や片脚のない犬が現われ、啓示を思わせる言葉の断片が痕跡を残す。曼荼羅ともいえるその宇宙には、片言のような言葉と共に、幾何学的な模様とも何ものかの現れともとれる事柄が描かれている。全貌を把握しかねる大きさ故、我々の身体は描かれているメッセージを部分的に受け取りながら、おそるおそる作品と向かい合う。
展示室内には、マスキングテープの点線、方眼のトレーシングペーパーにかかれた鉛筆絵、青焼き、壁面に記された言葉など巨大な少年の実行計画の時間が視覚化されている。
建築の外側にあるはずの仮囲いが、ビルの内部(展示室や廊下)に置かれることで、空間の内外の反転を示唆していることは林の空間の反転と奇妙につながってゆく面白さだけでなく、ここで半透過性のあるシートの中が、少年の計画で満ちていながらも、全くの空洞であることに注目したい。タウトの「究極の建築は、空であり純であり、すなわち「死」であって、いつの時代も静寂であり、日常の些事に全くかかわることがない。」という言葉をここで引用するまでもないだろう。現代においての純粋な建築を本展示に求めた中野がここで、仮囲いシートのみの構造物に建設計画(完成に向かい、決して完成しない)を出力したことは、彼が先達の思想の断片をどのようにパラモデル化していったかを良く物語っている。
中野は図書館でアルバイトをするほどに本が好きで、今回の制作にあたり、ブルーノ・タウト、稲垣足穂、アントナン・アルトー、パガヴァッド・ギーダーなど数えきれない書物や思考が引用されている。彼は、自身が書物と接する態度を次のように表現する。「僕らの作品は生成を繰り返して増殖してゆく。ものが増えると部屋が埋め尽くされたり狭くなって気づくけれど、頭の中もどんどんものが増えていっている。見えないだけで、イマジネーションは常に繁殖している。文字の中には無限の世界がある。」
クリスタル建築とのつながりから発想源としたブルーノ・タウトであるが、そもそもは桂離宮や生駒山山嶺小都市計画といったタウトの関わった土地と中野が拠点を構えた地との地縁的関係から出発している。冠をのせた永遠の少年もしかり、古代の美術家や少年愛好者を背景としながらも俊徳丸という八尾に残る伝説が下敷きとなっている。中野の身体を通じて古の物語や土地の記憶がこの銀座の地につながり、未完に終わった建築計画が幻影のように立ち上がっている。その姿は広がり続ける脳内のスクリーンに映る幻燈を思わせる。
両者の異なるアプローチが、一見正反対な着眼点からパラレルに始まっているにもかかわらず、最終的に二人とも空間の転位をおこし、両者の間では不思議な同期を起こしていることは、非常に興味深い。二人のメインの作品はそれぞれ天地を貫くサイズであり、両者とも展示スペースを超えたビル内外への直接的な指向性を持つ。偶然にも展示している作品数は同じ数であった。
林の造形が構造そのものに着眼し、穴に紐を通すという図式によって完成し、あるいはその上に透明パイプや玩具といった既存品によってドローイングがなされる時、その形は都市の細胞や素粒子の新たな単位や形態を思わせる。中野のキメラ型超人称である少年は、至上の宮殿を目指し、地縁の深みに沈み、私たちを地球や星たちの彼方、ダークマターを髣髴とさせる次元へといざなう。宇宙の構成要素であるミクロマクロの交差はここで不可分となり、パラモデル二人の(あるいは人称を超えた)世界となるのだ。
また、二人の制作における「範(モデル)」の求め方にも特筆すべきことはある。
あくまでグラフィカルなフォルム、既存の形態、単位に興味を持ち、工業規格品の面白さや素材、玩具や日常品などに見られる模型的あるいは擬似的な表現に「モデル」を求める林は、工場のように多くのチームを抱えながら、人と連結しながら日々生産を続ける。
一方、中野は先達たちの書物や思想などに範を求め、それぞれの表現物(書物や絵画など)を通じてつながり、しかし一人で製図台に向かって作業をし、時にテンプレートといった型を使い、工業的な方法(今回の場合は工事用養生シートにインクジェット出力)で作品として可視化させてゆくという方法論だ。
また、彼らが同時に求めている生成過程とともにある展示(展覧会とは、その運動を一時的に移動させてきているに過ぎない)に関しても、林はサイトに1ヶ月以上滞在しながら制作をし、また会場内に『モバイルファクトリー/mobile_factory』を設置し、公開制作を行うことでフィジカルな現場、また不在による存在を作り出す。一方、中野は、少年の計画を、段階で見せとることで、予感を閉じ込め、永遠に完成しないことを目指すのではなく、永遠に遊び続けることを夢見る少年のかたちを我々に提示する。それは憧憬という名のひとつの心の状態であり、パラに託された永遠の運動である。
最後に、並行に掲げられた二つのタイトルが、最終的に入れ替わっているかのような印象を与えるとき、(「パラの模型」は中野のメッシュシートの計画図を示唆し、「ぼくらの空中楼閣」は林のみんなの手によるガラスブロックに直結する立体を想像させるように)パラモデルが相互的に存在することを強く実感するに至るのだ。
ユニットという表現形式をとりながら、その単位をさらに重複、拡張し、時に亀裂すら恐れない運動体、パラモデリアでの模型遊びはこれからも続いてゆく。
「パラの模型 / ぼくらの空中楼閣」 パラモデル展
2013年4月9日
「クラウド・シティ」 トマス・サラセーノ展 プレスカンファレンスインタビュー
「クラウド・シティ」 トマス・サラセーノ展
プレスカンファレンスインタビュー
2012年5月25日(金) メゾンエルメス8Fフォーラム
メゾンエルメスフォーラム 「クラウド・シティ」トマス・サラセーノ展 記者会見
(本文記者会見をもとにエルメスにて編集したものです。)
H:1963年に「宇宙船地球号」を著したバックミンスター・フラーの思想にも共感していらっしゃるというサラセーノさん、フラーから続く系譜で語られることも多いですが、まさに日本では震災の結果、原発事故も起こり、未来に向けて人間が地球と共生を続けていくためのユートピアはあるのか、模索している現代です。そんな日本での今回のサラセーノさんの展示、私たちにとっても学ぶことは多いと思います。
それでは、サラセーノさんがシリーズで展開されている「クラウド・シティ」に関してのお話から始めていただけますか?
サラセーノ: こんにちは。今回は「クラウド・シティ」と、それからもう1つの作品、「太陽エネルギーを利用した空に浮かぶための59のステップ」、黒いバルーンの作品ですが、この2つの作品を、皆様にお見せしています。それではこの後は皆さん、空でお目にかかりましょう (笑)。
まずクラウド・シティとは、それを通じて、人々が意思の疎通を図れる能力を拡大、拡張してゆく場であると私は考えています。それが私にとっての理想的なクラウド・シティの形だといえます。
現在、クラウドというと、まずはインターネットのクラウドコンピューティングのことを思い浮かべる方々が多いかと思います。また、デジタルコミュニケーションのことを考える方がいらっしゃるでしょう。私の提唱するクラウド・シティの考え方は、この2つをマッシュアップしたものだといえるでしょう。
私たちはそれぞれの経験の中で、移動について、ナビゲーションをについて、を常に問い、問われていると思います。例えばある国からほかの国に行く。あるいはある町からほかの町に行くということ移動があります。それと同様に、ウェブ上でも、1つのサイトから別のサイト、また1つのウェブから別のウェブへの移動もあります。
物理的な移動と次元の違うウェブ上での移動の場合には、どこに行ってきたのか、これからどこに行くのかということは、全く問われないはずです。ウェブ上での移動にも、若干の言葉の壁はあるとしても、そのようなことに左右されずに、インターネット上で私たちは自由にサーフィンをしているわけです。
これと同様に、クラウド・シティいうのは、移動、および私たちの意思の疎通を自由に図る上で大事なプラットフォームになり得ると、私は考えております。
さて、この非常に実験的なプラットフォームですが、ここでは3つぐらいの分野で、代替的な手段を提案してくれるのでは、と考えています。
まずは、私たちの移動ですね。例えば飛行船、皆さんご存じかと思いますが、これはかなりの頻度で飛んでおり、私の知っている限りでは、大陸間移動だけでも、5,000回の飛行を、これまでされているようです。本当にツェッペリン(Zeppelin)、飛行船が大陸間移動を5,000回やったかどうかは、後でご確認いただくとして、このような形でも、代替的な移動手段になるというようなことがあります。
次にライフスタイルを変えることができる、そして3つ目にお互いの意思の疎通の仕方というものを、変えることができる。この3つの変革をもたらしてくれることができるというふうに、私は思っています。
先ほど冒頭に「皆さん、空でお目にかかりましょう」と申しましたが、クラウド・シティの大前提である「飛ぶ」ことについて話したいと思います。
まず、空中に浮かぶ、飛ぶものをどういう素材で作るのかによって、その材料の重さと、それがどのぐらいのエネルギーを消費するかの間には、直線的な関係があると思います。一つお断りしますと、アルミニウム素材は例外となります。
アルミ以外のものに関しましては、素材、それからその消費エネルギーの間には、直接的な関係があります。つまり素材が重ければ重いほど、消費エネルギーもたくさん使わなければならないということになります。ですから、本当に飛ぶ都市(flying city)を作るということになりますと、まず私たちがダイエットして減量しなければならない(笑)。
そのエネルギーの関係を考えるだけでも、クラウド・シティはライフスタイルを変えるきっかけになるもなり得るし、またどのように私たちが物を生産し、消費するのかといったやり方も変わってゆくのではと思っています。
それからコミュニケーションの仕方ですが、このクラウド・シティにおいては、言葉だけに頼ったコミュニケーションではなく、どのように生活するかといったことでの意思の疎通ができるというように思います。”Enpower Me”という映画があります。日本で公開されたかどうかわかりませんが、この映画の中では60年代、70年代に考えられたさまざまなコミュニケーションの方法が登場します。クラウド・シティとは、このように代替え可能なコミュニケーションを提唱してくれるものでありたいと思っています。
技術的な話になりますが、クラウドは、高度によって分類することができます。高度の低いところにいるクラウド、中程度の空に浮かんでいるクラウド。それから高高度にいるクラウドと、そのような層別をした形で、クラウドを置くことができます。
また、高高度プラットフォームというHAP (High Altitude Platforms)と呼ばれているものがありますね。これは衛星とは違いますが、衛星の代替となり得るというふうに思っております。なぜならHAPは、本当の衛星ではありませんので、低コストでできる。そして、配備も簡単であるといった利点があります。大きなテレコムの通信会社の方々が、あまり関心を持っていないようなところを、このHAPの代替衛星というものが、カバーをすることができる。それもかなり広範なところをカバーできることが、大変面白い可能性を提示してくれるというふうに思います。
気がついたら、思いつくまま技術的なことばっかり、べらべらとしゃべってしまって、何をいっているんだろうと皆さんに思われているかもしれません。でも皆さん、ミュージアムに行った時のことを思い出してみてください。何かを見たときに、いったいこれは何だろう、どんなになるんだろう、何のためなんだろうというように、疑問がとりとめもなく湧いてくることがあるのではないかと思います。私もアーティストとして、そういった疑問はとても大事だとおもっています。見る方と作る方というふうに、分け隔てて考えたくはないのですが、見る方には本当にナイーブな心とオープンな心を持って、さまざまな解釈を、作品に与えてもらいたいというふうに思っております。ですから答えは1つではなく、オープンエンドのストーリーといいますか、いろいろなことを考えていただければというふうに思っています。
H:ユートピアは、実現できないものだけども、サラセーノさんの作品は、常にそれを目指しているように、その理想を追いかけているように感じています。サラセーノさんにとって、ユートピアとは手が届くところにあるのか、それとも追いかけ続けるものなのか、聞かせていただけますか?
サラセーノ:私はともかく、気分がころころ変わりますので、いろんなことをやって驚くのが、とても好きです。それとまあ、バルーンなどでも、破裂してしまうと、本当に全く世界がひっくり返ってしまうぐらい面白いことが起こる。そのときの驚きが、そのそもとても素晴らしいことだと思ってます。
ユートピアに関する質問に関しましては、やはり皆さんがそれぞれの理想というものを持っていらっしゃるというふうに思います。
それから私は夢見るのが好きですし、私の夢を、皆さんと分かち合っていきたい。また、一緒に夢を見たいというふうに思ってます。ですので、やはりこういった、何かやるということを、やり続けていきたいというふうに思っています。考えることの補完が、何かを具体的にやり続けることだというように思います。本当にバルーンをプッシュして、ある程度のところで、ちょっと一歩引いて様子を見る。それからもう1回バルーンをプッシュしてみる。そういうことをやっていく。その続けていくということが、とても素敵だと思います。
で、皆さん、私たち全員が3分の1はユートピアにいる。あるいは3分の1は別の世界にいるのです。だって誰もが3分の1は眠っているのですから、必ず夢の中の世界に生きているわけです。朝、夢から覚めて、ああ、本当にいい夢だった。本当にこういうふうにしたい。じゃあ、それに向けて努力をしようということになるわけです。私の夢を、みんなと分かち合いたい。じゃあ、一緒になって何かやろう。そういうふうになっていくわけです。
ただ、逆に悪夢を見てしまった場合、これは忘れようということになるわけです。まあ、夢の解釈っていうのもいろいろありますけれども、その、いろんなことを考えながら、夢を考えなおしたときに、これもうだめだ。もうやったことがある。そういうふうなものを忘れてしまう、と思うこと。そんな勇気も、同時に必要なのではないでしょうか。
「クラウド・シティ」 トマス・サラセーノ展
2012年6月29日
4月6日 山口晃トークショー「山口さんに何でも聞いてみよう!」一部紹介
4月6日に行われた山口晃トークショーのコーナー「山口さんに何でも聞いてみよう!」で回答しきれなかった質問、山口さんから少しずつお返事が届いております。会場内でご質問くださった皆さん、ヴァラエティに富んだ内容に改めまして御礼申し上げます。
クスッと笑える山口さんならではの回答、以下、どうぞお楽しみ下さい!!
Q:ネットの評判は気になりますか? 2ちゃんねる等 見てますか?
A:ネットに限らず評判は気になります。2ちゃんねるは見方がよくわかりません。何であんなつっけんどんな言葉使いになるのかさっぱりわかりません。
Q:よくりょうもう号に乗ります。山口さん、りょうもう号のトイレには慣れましたか
A:いいえ
Q:群馬時代の思い出も聞かせてください
A:いろいろ悲しかったです。あっでもいろいろ楽しくもありました。
Q:描いていて1番楽しいときは何ですか?
A:見えちゃった時です。
Q:これからどんな絵を描きたいですか?
A:ズカッとした絵です(訳わからないですね)
Q:気分転換に何をしていますか?
A:ゆらゆら金魚運動です。
Q:小さい頃影響を受けたのは誰ですか?
A:父母・・・とかではだめですか・・・・
Q:今年はロンドンでオリンピックがありますね。オリンピックの絵を描いていただけますか
A:御注文があればいつでも。
Q:Tokio山水で、浜松町駅のそばにある“浜マッチョ”の看板。これは何ですか?
A:「浜松町」ときくといつも「浜マッチョ」が思い浮かんでしまうのでつい描いてまいました。ちなみに新横浜は「屎尿小浜」です。
Q:電柱のところの便器に入っている黄色いコロコロ。これはまだ売っているのですか?そして、今も使われているのですか?
A:近くのマツキヨで係の人が買ってきてくれています。今も現役のようです。ほっておいても気化してなくなってゆきます。水のない所で重宝するのです。
Q:正しい、しかし間違えている のお部屋は、なぜビジネス風なのですか?
A:銀座のビルの一隅としてありふれた感じにしようとした為です。
Q:電柱の一番奥にあるのは何ですか?
A:高射砲をイメージしています。
Q:豊島園のお話を聞かせてください。アフリカ?
A:「アフリカ」は初めて行った時の衝撃がすごくて、私の中では脳内補完されて大草原や密林が在る事になっていました。その後訪れた時のしょぼくれ具合に再び衝撃を受けて、更に好きなアトラクションになりました。
Q:途中で描くのを止めてしまった作品はありますか?もしあったら、どのタイミングで止めたのかおしえてください。
A:あります。時間切れで…
Q:伝言板に書いてある文章は、何か一貫した意図に基づいて書かれているのでしょうか?それとも、日々異なる心境でかかれているのでしょうか。
A:後者です。
Q:伝言ボードは時々書きかえられているようですが、記録はありますか?
A:そう云えばありません
Q:また、書いた中で(現時点で)一番気に入っているのは、どんなものですか?
A:4/15日の「良い子の日」でしょうか・・・・
Q:Tokio山水は書く順番が決まっていますか(どうやって決めていますか?)
A:決まってはいませんが、途中でもバランスがとれるように描きすすめているつもです。
Q:また、できあがりの完成図のイメージは、描きはじめからありますか?
A:おぼろげにあります。
Q:どうして馬バイクを描かれたのですか?
A:学生の頃、十字軍の絵を描いた時に登場させました。ただ馬を描くのもなんだなと思った位の軽いノリでした。
Q:Tokio山水かっこいいです!上野回りが緻密で、表参道あたりがぼけているのは、思い入れの違いですか?
A:ありがとうございます。ノリの違いです表参道は割と好きです。
Q:山口さんは本の装丁も手がけていらっしゃいますが、そのときは、たとえば小説でしたら、全文を読まれてから描きはじめるのでしょうか?そのほか、装丁について、他の創作活動との違い、楽しさ、難しさなどうかがえたらうれしいです。
A:読むようにしていますし、そうした方がアイデアも浮かぶのですが、過去2回ほど要点をまとめてもらったものを参考にした事があります。一つは結局荒読みし直し、一つはあまりうまくゆきませんでした。
装丁はお題をもらって応へる即妙の醍醐味と、挿画の様に「おはなしの絵」を描く楽しさがあります。
Q:作品に書かれている文字は作品用に編み出された文字なのでしょうか?それとも、素の手書き文字に近いものなのでしょうか?
A:Tokio山水についての事でしょうか・・・えんぴつ描きの所は素で、ペンの所はカッコつけて描きました。字が下手で困っています。
Q:Twitter、ぜひ見るだけでなくつぶやいてください。
A:一人言はよくつぶやいておりますが・・・
Q:なみ板の魅力とは?私は波のカーブにちょっと色気を感じます。
A:スケ具合とてかり具合です。
Q:エルメスでお買物はされましたか?
A:思い切って財布を買いました。僕がもつとどんなブランドでもパチもんに見えます・・・
Q:どんな子供でしたか?
A:かわい気のない子供だった気がします。
Q:今、どんな気分ですか?
A:焦りと諦めのまん中くらいです。
Q:電柱に登ったことはありますか?
A:ぶつかった事はあります。
Q:女性ファンが多いですね!
A:ふっふっふ。
Q:AKBで推しメンは誰ですか?
A:すみません。興味も知識もなくて・・・思い出してみます~~~。
Q:先日拝見した際に“正しい、しかし間違えている”部屋内のカレンダーに「中央公論 色校」というスケジュールがあった(ような気がする)のですが、何か企画が進行中なのでしょうか。
A:水村美苗さんの新聞掲載(挿画を担当しました)が本になって、そのトビラに一枚だけ挿画を使って頂けたので、その色校です。
Q:どんな風に(どうやって)描いているのでしょうか。写真などを参考にしているのでしょうか?
A:地図を参考にタテ軸を方位にして描いています。(山手線を横長の画面に収める為です)グーグルマップを見ています。それと、高層ビル検索サイトと空撮サイトも見ています。他に市販の地図や古地図などです。
以上、まだいくつかお答えしきれていないものもございますが、本日はひとまずここまで。
さて、山口晃展もあと少し... 5月13日まで是非もう一度「望郷」を体験してくださいね!
■「望郷―TOKIORE(I)MIX」
皆さんのご来場、心よりお待ちしております。
クスッと笑える山口さんならではの回答、以下、どうぞお楽しみ下さい!!
Q:ネットの評判は気になりますか? 2ちゃんねる等 見てますか?
A:ネットに限らず評判は気になります。2ちゃんねるは見方がよくわかりません。何であんなつっけんどんな言葉使いになるのかさっぱりわかりません。
Q:よくりょうもう号に乗ります。山口さん、りょうもう号のトイレには慣れましたか
A:いいえ
Q:群馬時代の思い出も聞かせてください
A:いろいろ悲しかったです。あっでもいろいろ楽しくもありました。
Q:描いていて1番楽しいときは何ですか?
A:見えちゃった時です。
Q:これからどんな絵を描きたいですか?
A:ズカッとした絵です(訳わからないですね)
Q:気分転換に何をしていますか?
A:ゆらゆら金魚運動です。
Q:小さい頃影響を受けたのは誰ですか?
A:父母・・・とかではだめですか・・・・
Q:今年はロンドンでオリンピックがありますね。オリンピックの絵を描いていただけますか
A:御注文があればいつでも。
Q:Tokio山水で、浜松町駅のそばにある“浜マッチョ”の看板。これは何ですか?
A:「浜松町」ときくといつも「浜マッチョ」が思い浮かんでしまうのでつい描いてまいました。ちなみに新横浜は「屎尿小浜」です。
Q:電柱のところの便器に入っている黄色いコロコロ。これはまだ売っているのですか?そして、今も使われているのですか?
A:近くのマツキヨで係の人が買ってきてくれています。今も現役のようです。ほっておいても気化してなくなってゆきます。水のない所で重宝するのです。
Q:正しい、しかし間違えている のお部屋は、なぜビジネス風なのですか?
A:銀座のビルの一隅としてありふれた感じにしようとした為です。
Q:電柱の一番奥にあるのは何ですか?
A:高射砲をイメージしています。
Q:豊島園のお話を聞かせてください。アフリカ?
A:「アフリカ」は初めて行った時の衝撃がすごくて、私の中では脳内補完されて大草原や密林が在る事になっていました。その後訪れた時のしょぼくれ具合に再び衝撃を受けて、更に好きなアトラクションになりました。
Q:途中で描くのを止めてしまった作品はありますか?もしあったら、どのタイミングで止めたのかおしえてください。
A:あります。時間切れで…
Q:伝言板に書いてある文章は、何か一貫した意図に基づいて書かれているのでしょうか?それとも、日々異なる心境でかかれているのでしょうか。
A:後者です。
Q:伝言ボードは時々書きかえられているようですが、記録はありますか?
A:そう云えばありません
Q:また、書いた中で(現時点で)一番気に入っているのは、どんなものですか?
A:4/15日の「良い子の日」でしょうか・・・・
Q:Tokio山水は書く順番が決まっていますか(どうやって決めていますか?)
A:決まってはいませんが、途中でもバランスがとれるように描きすすめているつもです。
Q:また、できあがりの完成図のイメージは、描きはじめからありますか?
A:おぼろげにあります。
Q:どうして馬バイクを描かれたのですか?
A:学生の頃、十字軍の絵を描いた時に登場させました。ただ馬を描くのもなんだなと思った位の軽いノリでした。
Q:Tokio山水かっこいいです!上野回りが緻密で、表参道あたりがぼけているのは、思い入れの違いですか?
A:ありがとうございます。ノリの違いです表参道は割と好きです。
Q:山口さんは本の装丁も手がけていらっしゃいますが、そのときは、たとえば小説でしたら、全文を読まれてから描きはじめるのでしょうか?そのほか、装丁について、他の創作活動との違い、楽しさ、難しさなどうかがえたらうれしいです。
A:読むようにしていますし、そうした方がアイデアも浮かぶのですが、過去2回ほど要点をまとめてもらったものを参考にした事があります。一つは結局荒読みし直し、一つはあまりうまくゆきませんでした。
装丁はお題をもらって応へる即妙の醍醐味と、挿画の様に「おはなしの絵」を描く楽しさがあります。
Q:作品に書かれている文字は作品用に編み出された文字なのでしょうか?それとも、素の手書き文字に近いものなのでしょうか?
A:Tokio山水についての事でしょうか・・・えんぴつ描きの所は素で、ペンの所はカッコつけて描きました。字が下手で困っています。
Q:Twitter、ぜひ見るだけでなくつぶやいてください。
A:一人言はよくつぶやいておりますが・・・
Q:なみ板の魅力とは?私は波のカーブにちょっと色気を感じます。
A:スケ具合とてかり具合です。
Q:エルメスでお買物はされましたか?
A:思い切って財布を買いました。僕がもつとどんなブランドでもパチもんに見えます・・・
Q:どんな子供でしたか?
A:かわい気のない子供だった気がします。
Q:今、どんな気分ですか?
A:焦りと諦めのまん中くらいです。
Q:電柱に登ったことはありますか?
A:ぶつかった事はあります。
Q:女性ファンが多いですね!
A:ふっふっふ。
Q:AKBで推しメンは誰ですか?
A:すみません。興味も知識もなくて・・・思い出してみます~~~。
Q:先日拝見した際に“正しい、しかし間違えている”部屋内のカレンダーに「中央公論 色校」というスケジュールがあった(ような気がする)のですが、何か企画が進行中なのでしょうか。
A:水村美苗さんの新聞掲載(挿画を担当しました)が本になって、そのトビラに一枚だけ挿画を使って頂けたので、その色校です。
Q:どんな風に(どうやって)描いているのでしょうか。写真などを参考にしているのでしょうか?
A:地図を参考にタテ軸を方位にして描いています。(山手線を横長の画面に収める為です)グーグルマップを見ています。それと、高層ビル検索サイトと空撮サイトも見ています。他に市販の地図や古地図などです。
以上、まだいくつかお答えしきれていないものもございますが、本日はひとまずここまで。
さて、山口晃展もあと少し... 5月13日まで是非もう一度「望郷」を体験してくださいね!
■「望郷―TOKIORE(I)MIX」
皆さんのご来場、心よりお待ちしております。
2012年5月10日
「望郷―TOKIORE(I)MIX」 山口 晃展 プレスカンファレンスインタビュー
「望郷―TOKIORE(I)MIX」 山口 晃展
プレスカンファレンスインタビュー
2012年2月10日(金) メゾンエルメス8Fフォーラム
エルメス(以下H): 山口晃さんによる今回の展覧会、本物のような電信柱もあり、仕掛け小屋のような部屋もありという、非常にウィットに富む、山口さんらしい展覧会となっております。
タイトルは「望郷-TOKIORE(I)MIX」です。このTOKIORE(I)MIXという言葉のなかには、「東京リミックス」、「時折ミックス」、「時をリミックス」というような言葉遊びも入ったタイトルとなっています。まずは山口さんに、今回の作品のこと、タイトルのことなど、自由にお話しいただきたいと思います。
山口晃: 本日はお忙しい中、足をお運びいただきましてありがとうございます。絵描きをしております山口晃と申します。
ご覧いただいたようなものができあがりました。電柱は、私が図面を書いて、工房に丸投げをいたしますと、頭上にあんなものができあがっていました。ああ、人に投げるというのはこんなに楽なのか、というのを改めて確認した次第です。それに引き換え自分で描くほうは、どうして描いても描いてもこんなにキャンバスが白いんだろう、と。キャンバスの白さをあらためて認識した次第です。・・・こういうことではなく、作品のことを話すんですよね。
昨今は展覧会にタイトルをつけるのが流行っておりまして、なんぞつけろということでつけております。1年前に銀座の三越で展覧会をやったときも「東京旅ノ介」という題でしたので、また東京もどうかと思ったんですが、また東京にしてしまいました。ちょっと格好よく横文字で、「TOKIORE(I)MIX」なんてどうだろうと。さきほど、言葉遊びというご説明をいただきましたが、まさに遊びで、実はそんなに意味がないのですね。
今回、三つの作品を作りました。電柱と仕掛け小屋と絵です。実は今回一番作りたかったのがこの小屋です。私、子どもの頃、豊島園という、練馬のほうにある遊園地にまいりまして、西洋のお化け館という2階建ての屋敷に行くとそこの一隅にある斜めの部屋がございました。皆さんご存じかどうか、あそこに入ると、めくるめく感覚を得られまして。床が斜めになっているだけなんですが、そこに入ると、あたかも床が動いているかのような、異常なぐらつきを感じまして・・・。あれ、ここはどういう仕掛けなのかしらって、外に出てみますと、床はちっとも動いてないのですね。あの感覚が懐かしくて作ってみたという、本当にそれだけです。ああいうものを作るためにはいろんな理屈を言って、エルメスの方を説得しないといけないのですが、結局は「作りたかったんだもん」、という速さのある言葉になってしまう。
今、行きますと、もう豊島園にはないんですね。ないどころか隣にあったアフリカという豊島園屈指のアトラクションも壊されてしまっています。なぜあれを壊すんでしょう・・・。私がもう一度味わいたかった非常に懐旧的な思いについてですが、それをもう一度味わおうと、新たに作りだしますと、非常に建設的と言いますか手間も智恵も必要なわけです。「望郷」っていう言葉自体は後ろ向きな匂いがするのですが、「望郷」の「望」だけ取りだしますと、あれは希望の「望」であり、望むということなんですね。昔あったものを望んで、もう一度作り直すときに、同じに作ったらしょうがないので、あの時の感動曲線の再現になるのが一番大事かなと思っていました。私がいつも制作しますのも、懐かしいような、古めかしいような、体裁をとってはいるんですが、必ずそれそのものを目指したりしない。先達の目指したところを目指すという。古今見てみますと、意外と二番煎じというのは多いのです。芭蕉で言えば、奥の細道に行ったのは、あれは本当にミーハーな、歌枕を訪ね歩く旅なんですね。それが芭蕉のオリジナルとして後世に残っている。絵で言うと、セザンヌがあります。セザンヌはプッサンが好きで、アトリエに行くとプッサンの複製画が飾ってあるんです。セザンヌは自然を使ってプッサンをやり直すっていうようなことをやっていて、それが二番煎じにならないでオリジナルになっているというのが、含むところの大きい出来事だなと思いますね。若干古めかしいことをやっているけど、古いものとしてさらされて、意味がもうつけ足し尽くされてしまったもの。むしろ飽和していることによって、返って、変な主役が入り込む余地のないもの。手あかがつきまくっているがゆえに、さらに新しい菌がつかないもの。発酵させてさらに雑菌がつくのを防ぐということ・・・。すみません、これぐらいにいたします。
そんなこんなで古い体裁とってはいますが、それが現代において、少しでも意義のあるものになったら、と思って制作いたしました。
電柱はご覧いただければわかる通り、ちょっとSFチックになっています。電柱自体がもはや、片足をノスタルジーに突っ込んでいるように、街中ではどんどんあれを引っこ抜いて、地面に埋めてっていうのが進んでいるときに、それを作ってどうするんだという。完全に、変なベクトルが交差している、というようなものを作ってみました。
絵の方はですね、私、雪舟がとても好きでして、何とか雪舟ができないかなと思ったんですけれども、殺生なことになってしまいました。なかなか、まだ道が遠いという状態でございますが、そういった中途の人間に、お叱りなり、お教えいただけたらと思います。そんな本日の展覧会でございます。
H:山口さん、ありがとうございました。
◆「望郷―TOKIORE(I)MIX」 山口 晃展
2012年4月13日
山口晃展関連イベント≪トークショー≫
本展覧会にて東京という場所のもつ記憶と痕跡、そして時間をリミックス(再構成)している山口晃。
絵画や立体作にて、風景だけに留まらず、我々の身体に染み付いている感覚の記憶までをもミックス(撹拌)し、町並みを再現しました。
本展覧会の魅力をできるだけ多くの方々にご紹介するため、会場内でトークショーを開催いたします。
日程:
① 2012年4月6日(金) 19:30~21:00
山口 晃 トークショー
② 2012年4月26日(木) 19:30~21:00
「望郷 街の記憶」
山口 晃(アーチスト)×槻橋 修(建築家、神戸大学工学部准教授) 敬称略
会場: メゾンエルメス8階フォーラム 「望郷 – TOKIORE(I)MIX」 山口晃展内
定員: 各60名(先着順)
応募方法:下記URLより予約サイトにアクセスし、会員登録後、ご予約下さい。
http://www.maisonhermes.jp/reservation/
主催: エルメス財団
①本展覧会の出品作を中心に、山口さんご本人のトークを開催します。
「山口さんに何でも聞いてみよう!」ということで最初の30分を山口さんのトークとし、後半1時間を参加者からの質問コーナーとします。
参加ご希望の方は是非質問をご用意の上、お申し込みください。
②「望郷 街の記憶」と題し、建築家、槻橋修氏とのクロストークを開催します。
山口は「望郷」というタイトルに、ともすると後ろ向きなノスタルジーに傾きがちなこの言葉に、希望や望みを託し、東京を再現します。「洛中洛外図」に想を得たTOKIO山水では、皇居を中心に据え、過去の地図やGoogleマップなどを資料として厳密に地理や歴史を追いながらも、古にあったものをそのままもう一度作り直すのではなく、作家の心の曲線に沿うように再現しました。
昨年度の震災後、精力的に活動をし続けるArchi+Aidの槻橋は、「記憶の街 ワークショップ」を開催し、被災地で、地域住民にヒアリングを行いながら、失われた街の白い復元模型に着彩、添景の追加を行っています。模型制作の過程そのものが街の記憶を再生させるこの活動は、私たちの記憶がものや環境に依存しているだけでなく、その個人記憶の集積が街の輪郭や歴史を作っていることに気づかされます。また過去を忘却することで脳の機能を安定させ、生存し続けてきた人間が、一方で記憶を目にみえる形に変換し追体験してゆくことで、個人の輪郭や時間を取り戻すことに気づかされます。
お二人による「街の記憶」をテーマに街を巡るクロストークを開催し、普段何気なく目にしている街の風景を読み解きます。
■「望郷 - TOKIORE(I)MIX」山口 晃展
2012年3月22日
「墜ちるイカロス-失われた展覧会」ライアン・ガンダー展 プレスカンファレンスインタビュー
「墜ちるイカロス-失われた展覧会」ライアン・ガンダー展
プレスカンファレンスインタビュー
2011年11月2日(水) メゾンエルメス8Fフォーラム
エルメス(以下H): 「墜ちるイカロス 失われた展覧会」と題されたこの展覧会、皆さまをどこか別の次元や時空にいざなうミステリーのような不思議な展覧会です。10周年を迎えるこのフォーラムの、過去30の展覧会になぞらえた作品もございます。
これからライアン自身が語ってくださる言葉を手がかりに、ぜひ皆さまの想像力をフルに働かせ、その世界を存分に探検していただきたいと思います。
それではライアン、よろしくお願いいたします。
ライアン・ガンダー(以下R):皆さん、こんにちは。すでに展覧会はご覧いただけましたか。 今回の展覧会に関しては、このメゾンエルメスフォーラムが10周年を迎えたということ、それから今までその10年間にわたって行われた展覧会とその作家の方々がいるということが非常に重要なポイントとなりました。
そこから、今度は近年に目を移しまして、もしこの空間に別の歴史があったとすれば、実際には存在しなかったけれども、もしかしたらあったかもしれない、ここで開催されたかもしれない展覧会とは何であったのか、いわゆるフィクション的な部分での、平行線というかたちでの展覧会を考えてみる。それが一つアイデアとして浮かびました。
そこから、どんどんと考えが広がっていきまして、アートの歴史、美術史、またフィクション的なアートの歴史、これはフォーラムのスペース、空間外の部分での歴史、それからまだ存在していない、これから先のその未来の歴史というところまで考えが及んでいきました。ですので、今回の展覧会に関しては、事実とフィクションが交差しています。
ということで、今回の展覧会では、実在しないフィクションから生まれている作家、私がつくり出した、想像上の作家たちによる作品、それから実在する作家だけれども、将来どういった活動をするのか、それを想像力を働かせて考えていきました。私だけではなくて、ほかの人たちが考えてきたフィクションから生まれている作家というものも、この展覧会の中には含まれています。
それから、例えば漫画『タンタンの冒険』からも引用していますが、作家のエルジェがどういったことをしたのかなと、私のほうで勝手に想像してつくった作品もあります。
今回の展示空間、フォーラムの歴史に直結している作品としては、床に散らばっている作家たちの肖像画があります。これらの肖像画は、私自身が描いたのではなく、法廷画家が描いています。ご存じのように、裁判中法的な理由から写真を撮ることができない中、記録をとどめるための法廷画家の人に描いてもらっています。
肖像画を見ていただければ分かるのですが、これは現在ではなくて、これから先何年後かに皆さんがどのような顔になっているのかを想定しながら描いていただいています。ですので、今の年齢よりも少し上の年齢で描かれています。作家の方々がここに来てないといいんですけれども(笑) あともう一つ、過去と直結している作品としては、これは壁の近くに置かれているサイコロです。非常に小さなものですので、見逃した方もいるかもしれません。30の展覧会一つ一つを表している記号が面のところに彫り込んでありますけれど、これは作家のイニシャルを取って、組み合わせたグラフィックです。
それからもう一つの作品としては、これは『錬金術の箱』とも呼ばれているシリーズのひとつですけれども、これはパリのセーヌ川沿いによく並んでいる本屋のスタンドで、フタを閉めた状態になっているものです。
この「錬金術の箱」ですけれども、中には過去のフォーラムの出展作家たちが選んだ本が入っています。ですので、タイムカプセルのような役割を果たしています。ただ、中を開けることはできません。これは完成された作品ですので、本当に選ばれた本が中に入っているかどうかというのは、見る側とそれから作家側との信頼関係というものが焦点になります。
それから私にとってもっとも意義深い作品と言えるものですが、この作品は『And you will be changed』というタイトルが付いています。『そしてあなたは変わるだろう』という作品です。
これはビデオ作品です。通常作品を制作していると、中には最終的にどういったものになるのかなんとなく分かるものと、まったく分からないものに分かれるのですが、今回のものに関しては、出来上がりは一つのサプライズでありました。でも私にとっては非常に満足のいく、ハッピーな状況にしてくれる仕上がりになったと思っています。
仕上がりが満足にいったというのは、この作品の中に登場してくれているキュレーターさんの演技力に大きく依存していると思います。
H:今回皆さまにご紹介している展覧会がまず10周年を記念するものでありたいということが、私どもからのライアンへの依頼でした。
そもそもライアンにこのようなお願いをした背景には、やはりライアンの今までの作品を見ていると、その中に編集者としての視点、例えば自己自身の美術史、ご自身の作品歴を編集したり、ご自身と同世代の作家さんをキュレートされたりといった、キュレーターとしての視点を非常にお持ちだなといったことから、フォーラムの過去の作品について何かやってもらったら面白いんじゃないかなということで、今回10周年の展覧会を依頼したという背景がございます。
今、ライアンがご説明くださったように、過去のフォーラム作家と関与していたり、あとはタンタンのアルファアートの中に出てくるラモ・ナッシュさんの作品があったり、あるいはリアム・ギリックさんの将来の作品、あるいはマルセル・ブロータスさん、亡くなられてらっしゃいますけれども、彼が将来こんな作品をつくったのではないかとか、あとアストン・アーネスト、ライアンの別人格のようなものですけれど、いろんな作家のグループ展をキュレートされたのではないかというふうに感じました。その中でそれらのたくさんの複数の作家と、どういうふうにコラボレーションされたのか、どの作家の主張が一番強く、自分はこの作品をここに置くんだというようなかたちで最初にキュレーターに訴えかけてきたのかを、伺いたいと思います。
R:非常に難しい質問です。非常に奇妙なのは、今までのお話にあがったものもありますが、10人ぐらいの架空の人物というものが、私の中では出来上がっています。
一つメリットとしては、こういった架空の人物、別名を使うことによって、いつも同じスタイルの作品ができるわけではない。だから何か一つ見て、あ、これは同じスタイルだから、これは誰々の作家のものだという、一つのシグネチャー的な部分は避けられるというメリットもあります。
あともう一つは、毎日起きたとき、これから何かを制作しようかというときに、昨日とはまったく違ったものをつくることができるという事です。
質問に答えることになりますが、誰が一番声を大にしてアピールしてきたかというのは、ちょっと難しいですが、私自身がこの人に嫉妬しているなと、うらやんでいるというのはこの人だというかたちでお答えします。
そして誰かに対して嫉妬心を感じる、誰かがうらやましいなと思うのは、作家にとっては悪いことではないと思います。逆にいいことであって、アーティストである自分を前にもっと押し出してくれるような存在である、自分が何か変えたい、変化が欲しい、もっと前に動いていきたい、そして営みとしてのアーティストとしての職業を続けていきたいということに関しては、そういった嫉妬を感じるような存在があるというのはいいことです。
というわけで、2人の人物を4年前に私は生み出しました。1人はアストン・アーネスト、もう1人がサントス・スタンです。この2人はまったく性格も正反対であり、いわば天敵のような存在でもある。それから名前のスペルをばらばらにし、つづりを変えるによってこの2人の名前になるんですね。アストンのほうはいい人、サントスは悪い人です。
この2人のというのは、私の視点、観点からすれば、非常に理想的な人と、それからその反対であるそれぞれの特徴を持っているわけです。1人はこの人が作家だったら自分は恥ずかしいな、こんな作品は私だったら嫌だなと思うような活動をしている作家。もう1人は、私よりもはるかにいい作家活動をしている人物。ただこれは実際不可能ですね。なぜなら私自身が架空の作家の作品をつくっているわけですから、現実には超えるなんて不可能なんです。
私がもっともうらやましいなとジェラシーを感じる作家は、このうちの1人、アストン・アーネストです。ただ今回の展覧会にある、アストン・アーネストが登場する作品、それに関連する作品というのは『Remember this. You will need to know it later.覚えておいて、あとで必要になるから』というタイトルが付いているものです。
ただこれは、私がアストン・アーネストに関する作品として制作したものであって、これはアストン・アーネストが死亡して、その2日後に撮影をした、彼の使っているデスク、机が被写体になったモノクロ写真です。
H:今回の展覧会が、展覧会に関する考察というのがメインとなっていまして、美術史の中でいかに展覧会というものが記憶され、再生され、また美化されてきたかということをテーマにしている展覧会といえます。
それで先ほどライアンがお話してくださったビデオ作品は、2008年にこちらのフォーラムで行われたサラ・ジーの展覧会を、私が思い出しながら語るのですが、その中には当然美化もありますし、忘却もあります。
ただ見ていない人に伝える唯一の手段として、言葉、そこでの映像がない状態で、抽象的に伝わっていく経験を体でしました。そのときに、過去の展覧会で一度も自分たちが見たことのないもので、非常に美術史的に有名なもの、例えばモネの印象派が生まれたときの日の出の絵とか、クロード・モネのサン・ラザールだとか、あるいはマルセル・デュシャンの『泉』といわれるのがアーモリー・ショーで発表されたとかというのは、私たちは自分のことのように覚えていて、あたかも経験したかのように熱っぽく皆さんに伝えていたり、見たこともない架空の展覧会をベースとして、いろいろなことを考えているんですけれど、ライアンさんにとって、自分にとって一番大きかった、見たこともない展覧会、自分の人生を変えるぐらい大きかった、見たことのない展覧会は、過去、あるいは未来で、何でした?
R:今の質問、非常に興味深いのは、今日午前中受けた取材、インタビューでもお話ししたことと同じだからです。
私が大学に行ったのは、マンチェスターという町。これはイギリスの北部にあるのですが、そこは良い美術学校はなかったんですね。本当はロンドンのアートスクールに入りたかったんですけれども、どこも入れてくれなかった。私が才能がなかったんでしょうね。十分ではなかったということで入れてくれなかったんです。
結局マンチェスターで勉強したんですけれども、マンチェスターでの美術館等々で見られるものというのは全部古い美術ばっかり。しかも、一つしかいい美術館がない。全部古いものばっかり。ですから、私が大学生のときに実際に経験した、見たものというのは、実物ではなく、本や、それから雑誌を通して見たものが非常に多かったわけです。これらは本当に二次的な証拠にすぎない。
ですから、実際にその空間の中にどういうふうに作品が収まっているのかというのも、もちろん写真を見るだけでは分からない。立体ではなくて、完全に平面な状態で、非常に素晴らしくよく撮れたその写真を通して、その写真を見て、そこに付いている作品のタイトルを、それからコメント、こういったものを見て、そしてこういう作品があるんだなということを学んでいったわけです。
で、一つ皮肉で、面白いのは、今私のやっている活動、作家活動というのがまさしくそのものであることです。実際にそのイメージ、映像や画像で撮ったもの、そしてそこにタイトルを付けるというかたちで見せるという、同じようなやり方になっています。
ただこれは私だけではなくて、大半の人がこういった経験をしているのではないでしょうか?実際に自分の目で見ているのではなくて、そういった媒体を通して見ている。それから何か記憶に残っているアート作品があっても、それは実際に見たものや経験、体験したものではなくて、美術史、雑誌等々で見たものが大半だというのは、ほとんどの人も同じだと思います。
私の意見では、どれだけ作品等々に関しての経験をしたあとに、どれだけその作品について考えさせられるのか、ということによって、その作品が成功したかどうかというのが一つ判断できると思います。
ですから、実際にその作品をじかに経験、体験しなくても、その背景にあるストーリー、物語とか、そういったものがあれば、そういうことについて非常に考えさせられるものであれば、実際にそれを見たとか、それに触れたということは関係ないということも一つ言えると思います。
ですから、雑誌等々で見た、実際に何か見たとか聞いたということではないけれども、それについて非常に考えさせられたということによって、作品が成功したか否かという判断がひとつできると、私は思っています。
これの一つの例として、コーネリア・パーカーの『メテオライト-隕石』をあげたいと思います。
ロンドンにある彼女の家の庭に隕石が落ちてきたので、アメリカのNASAに連絡をして、その隕石を宇宙に戻してもらうよう依頼する、という作品で、実際にそれが記録されているわけではありません。
ただそのストーリーが、例えばスペインのバーに座っている人たちの間で語られていたり、また今日ここで私が皆様にお話ししているように、人々に語り継がれる事で、その作品が成功しているかどうかというのが、判断できると思います。
ですから、私のアイデア、私の考えでは、例えばその次、翌週、来週、例えば3回でもいいから、その作品について何か思い起こされることがあったり、どこかのバーで仲間と話すような題材になるのであれば、それは十分成功した作品ではないかと思います。
コーネリア・パーカー。非常に優秀な、とてもいい作家です。
H:ライアン、ありがとうございました。
◆「墜ちるイカロス-失われた展覧会」 ライアン・ガンダー展
2011年11月18日
ライアン・ガンダー展関連イベント≪ナイトスクール≫
「墜ちるイカロス-失われた展覧会」 ライアン・ガンダー展 関連イベント≪ナイトスクール≫
ご好評につき定員に達しましたので、応募を締め切らせていただきました。
ガンダーが、彼の想像力を刺激するクリエータを招いて行うリレー・レクチャー形式のトークイベントです。日本では初の開催となりますので、この機会にぜひご参加ください!
【ゲスト】
・片山正通氏(インテリアデザイナー・株式会社ワンダーウォール代表)
・泉孝昭氏(アーティスト)
日時: 2011年11月4日(金) 19:00~20:30(予定) (開場 18:40)
場所: メゾンエルメス10階ル・ステュディオ (ソニー通り側入り口からお入りください)
定員: 40名 先着順。
応募方法: 下記情報をご記入の上、forum@hermes.co.jp宛にメールをお送りください。折り返し、予約確認メールでご案内申しあげます。
メールタイトル: 「ナイトスクール参加希望」
お名前(よみかな):
人数:
ご連絡先:
メールアドレス:
※尚、ご同伴は1名までとさせていただきます。
ご好評につき定員に達しましたので、応募を締め切らせていただきました。
ガンダーが、彼の想像力を刺激するクリエータを招いて行うリレー・レクチャー形式のトークイベントです。日本では初の開催となりますので、この機会にぜひご参加ください!
【ゲスト】
・片山正通氏(インテリアデザイナー・株式会社ワンダーウォール代表)
・泉孝昭氏(アーティスト)
日時: 2011年11月4日(金) 19:00~20:30(予定) (開場 18:40)
場所: メゾンエルメス10階ル・ステュディオ (ソニー通り側入り口からお入りください)
定員: 40名 先着順。
応募方法: 下記情報をご記入の上、forum@hermes.co.jp宛にメールをお送りください。折り返し、予約確認メールでご案内申しあげます。
メールタイトル: 「ナイトスクール参加希望」
お名前(よみかな):
人数:
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※尚、ご同伴は1名までとさせていただきます。
2011年10月14日
「雪」 曽根 裕展 プレスカンファレンスインタビュー
「雪」 曽根 裕展
プレスカンファレンスインタビュー
2010年12月13日 メゾンエルメス8Fフォーラム
曽根裕展、あと1ヶ月となりました。
冬の日差しの中、輝く雪景色にも、室内とはいえ光の変化が見られます。
立春に近づき、現在は午後2時から4時くらいが、なんともいえず美しいタイミング。
是非この時間帯にご来場くださいませ。
さて、曽根裕さんの『雪』にまつわるお話、記者発表の際にお伺いした内容を抜粋してこちらにご紹介いたします。
曽根裕:こんにちは。曽根裕です。今日はわざわさ集まっていただいて、ありがとうございます。私には、一つの夢、アーティストとして大きな夢がありまして。その大きな夢に向かって、毎日作品をつくっています。人生のなかでやってみたいと思っているプロジェクトの一つが、すべて違う形の雪の結晶を、水晶でできる限りたくさん作るということです。生きている限り、できるだけたくさん作って、いずれは100個、200個、300個となるまで。山では、一瞬のうちに数えられないぐらいの雪が降っているのが現実ですから、そこに追い付くという気持ちはないですけども、せっかくアーティストやっているなら、そういう大きな夢を持って活動してもいいかなと思って。その一つのゴールというのが、毎回違う形で雪の結晶をクリスタルでつくることです。
冬になると雪の結晶を見ます。水分が雲の中で自然にくっついて、結晶化していくプロセスのなかで、水滴がどのように6方向に伸びていくのかということについては、科学者の中谷宇吉郎さんが素晴らしい研究をされています。中谷さんは実際に低温の部屋の中で人工の雪の結晶をつくって、その環境をいろいろと変えることで、雪の形がどういう形に変化していくかというのを50年も前に検証しているのです。その発見が今の天気予報とかに役立ってきているわけなんです。それは科学的なものですが、私の場合、もうちょっとそういう形の正確さが気になる。例えば一つの水滴が6方向に動く場合、形がこう伸びるんなら、こっちが減るとか、薄くなるとか、厚くなるとか。そういうのをなんかだんだん想像できるようになっています。
つくり続けていくうちに、よりその水滴の動きが分かるようになっていくと思いますし、なりたいと思います。そして、いずれは小さいものや大きいもの含めて、たくさんの雪の結晶が一つのスペースに置かれて輝いている、そういうインスタレーションをやってみたいなと思っています。夢ですから。このプロジェクトをはじめたのは2003年ぐらいからで、実際につくりだしたのは2004年からですが、プロジェクトとしてだんだん固まってきたのは、実はごく最近なんです。今回が4回目ぐらいのインスタレーションなんですが、今までで一番数多く展示しています。夢がある以上、やっぱりちょっと数にはこだわってですね。古いものに加えて、今回新作で新たに9個つくりました。新しくつくったのと、古いのを見ると、やはりまだまだ雪の形に対する自分の感性みたいなものがちょっと緩かったり、その辺がまたかわいかったり、水晶の扱う技術が安定してなくて、磨き方が下手だったり。そういう古いものも含めて全部で16個をインスタレーションすることができました。
数を増やしていきたいという大きな夢と、実践的な制作のなかで、今回のインスタレーションというのは、私は始めて8階というとちょっと地上から離れている場所で展示をしました。さらにメインの壁がガラス素材なので、ドローイングも空から降っているような感じがして。私自身は、雪が地面にくっつく前の、浮いている雪の結晶をつくっているつもりですので、今回そういうものがいろいろマッチしてうまくやれたかなと思っています。
エルメス(以下H):スキーとは、曽根さんにとって何であるのかを教えていただけますか。曽根さんは、趣味としてギターをされていますが、ギターは、ただ純粋に上達することの喜びやわくわくを得るということ。そうした趣味というものとは違って、スキーは制作活動とすごく密接に結び付いているもののように感じるのですが。
曽根:スキーは趣味です。ギターは永遠に初心者でいたくて、特に毎日上達するのがすごい楽しいわけですね。スキーは、すでにもう40年ぐらいやっていると思うんですけれども、毎日同じ状況というのがないんですね。例えば、私がロサンゼルスに移ってから毎年滑っているマンモス山、今回の一つのテーマにもかかわる山なんですけれども、そこで10年滑っても、まだまだ毎日新しい場所や滑る場所が見つかったり。それだけ滑っても、もうみんな知っているだろうということはなくて。スキーで移動するというのは、線で移動するわけです。体力はこれからどんどん落ちていくかもしれませんが、40年やってて、今の滑りが一番いいんですよね。山の上のほうに新雪滑りに行った帰りには、どうしてもアイスバーンを滑らなきゃいけなかったり、急に、風がこっちから吹いているときは、あそこに雪がたまっているとか、今月のこの風のときはあそこが新雪があるとかね、そういう若いときは知らなかったけれども、何年も何年もそこらの山に行くとわかってくる知識が増えてくる。そういうのも総合して考えるとまだまだ毎日上達しているというか、毎日うまくなっているというか、新しいことが起きる。そういう意味では、特に雪が降った日なんていうのは、朝8時にリフトが動きますから、7時半ぐらいからリフトに並ぶんですね。
H:新雪で滑りたいということですか?
曽根:誰も滑っていない、雪が降った山って真っ白で、すべての形が白でアートストックされて。夢のような世界で。そこにスコッと自由に、どこにでも行けるというのは、やっぱり新雪スキーヤーの一つの欲望というか、目的というか、耐えられない瞬間がありまして。だから、地元の人間とつばぜり合いをしながら、リフトの一番を狙うわけですよ。最初の1本目は本当に誰も滑っていないところを滑ることができます。2本目になると、誰かの跡があるわけですよ。スキーを滑った人のね。3本目のスキーリフトになると、もう少し滑った人の跡があって。それでもやっている行為は新雪スキーなんだけども、視覚的にはちょっと弱いですね、線があるから。本当に何もないところに滑っていくときは、自分の前に線がないですから、本当に気持ちいいんですよ。
日本というのは、低気圧に挟まれた島ですから、日本の山というのは天気が読みにくくて、割と降るところはどかどか毎日新雪が降るんですね。でも、私の通っているところ、マンモス山は、シエラネバダ山脈といいまして、アメリカの西海岸のサンフランシスコとロサンゼルスの間にあるぐらいの場所にありまして、砂漠の真ん中にある山で、標高が大体3千300メートルぐらい。太平洋型何気候っていうのかな、ひとたび大きなストームがガツンと来ると、がーっと雪が降って、それが終わるとカランと一週間ぐらい天気。すると、だーっと降り始めて、降ってないと滑れますから、降り始める前にそこにインして。降っている間滑って。降ってるときは、風が強いから、上のほうは結構滑れないんですよ。本当に風速が100メートルとかそのぐらいになっちゃうんで。で、リフトも全部止まっちゃって、下のほうで木の間をちょろちょろちょろちょろ楽しむ。そのストームが終わって、天気が晴れると、まず最初にパトロール隊がアバランチシュートって、ドンドンドンドンドンって、バズーカ砲みたいなもので全部雪崩を落としちゃうんですね、落ちそうな雪崩を。そのあと、パトロール隊がチェックして、それでリフトが開く。
H:素材について伺いたいのですが、ご自身の表現を完成させるためにどのように素材や手法を選ばれていらっしゃるんでしょうか。
曽根:それはそれぞれのプロジェクトによって、選択のされ方が違うと思うんですね。今回に関しては、「雪」っていうサブジェクトが先にあって。で、もう一つどこからの心の中で、彫刻をやる以上、一つの、もう一つの違う夢があって。なんか、彫刻、立体から影を抜いてしまいたい、そうしたら、時限が変わったような出来事が起きるのではないかという。それで、ガラスじゃないかって、考えたんだけど、ガラスというのは分子構造でつながっているから、結晶体ではないんですよね。のりでくっつけたベニヤみたいなものなんですよ。そういう意味で、ちょっとピュア感が足りないんですね。あと、ガラスというのは、削りにくい。それに対して水晶は削れるんですよ。もちろんガラスも削れるんですけれども、割っていくという感じですね。水晶は、完全に削っていくという感じです。そういう違いがありますね。あと、透明のものというと、アクリルのプラスチックとかになるんですけれども、やっぱり時間がたつと黄色くなっちゃったり、やっぱりのりみたいなものですから、ちょっと違う。雪の感じも違うなと。そのようにして、素材を決めるのにも、かなり時間がかかりました。水晶だということを確信できるのに、プロジェクトを始めてから3年ぐらいかかっていました。
久しぶりの日本での展覧会ということで、少々緊張気味に見えた曽根さんも、まさにライフワークともいえる大好きなスキーの話になると、まるで雪を見るこどものように生き生きと目を輝かせていました。
トークを聞きながら、曽根さんの雪の結晶プロジェクトに微力ながらも加担できたことを改めて嬉しく思いました。同時開催のオペラシティーでの展覧会も相関性が高く、曽根裕ワールドを皆さんに堪能していただけるまたとない機会となりました。
■「雪」 曽根 裕展
2011年2月2日
LeStudio
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