特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

裏切者

2013-11-21 08:47:39 | 特殊清掃
「掃除をお願いしたい」
そんな依頼が入った。
依頼者は、ハウスクリーニングの個人事業者(男性)。
おおきく括れば同業者である人からの依頼で、例によっての事情があることは、話を聞く前から察しがついた。

男性は、取引先からマンションのルームクリーニングを請け負った。
そこは孤独死の現場。浴室腐乱。
そこで人が亡くなっていたこと、かなりの時間がたって遺体は腐敗していたことは知らされたものの、遺体が腐るとどうなるか、その現場がどんな風に汚れるのかは全く想像できず。
男性は、漠然と“なんとかなる”“なんとかするしかない”と考え、その仕事を引き受けてしまった・・・というか立場的に断ることができなかった。
そして、とりあえず、実際に現場に行ってみた。
すると、目の前に現れたのは、想定外の事象。
それまでに嗅いだことがないニオイと見たことがない汚れ・・・
“とても自分の手には負えない”と即座に白旗をあげ、当方に電話してきたのだった。

話を聞いた私は、その心情と事情が痛いほどわかった。
なんてったって、この私だって最初から特掃隊長だったわけじゃなく、腐乱死体現場にビビりまくってオエオエやっていた初心者の頃があったわけだから(今思えば懐かしいかぎり)。
また、元請業者の命令にそむけないのが下請業者の悲しい宿命。
元請業者に喰わせてもらっている立場では、どんなに酷い現場でも引き受けざるを得ない。
したがって、男性には“断る”という選択肢はなかったものと思われた。

「こりゃ、フツーの人じゃ無理だわ」
現地の汚腐呂をみた私は、フツーにそう思った。
しかも、電気が壊れているうえ、その浴室には窓もなし。
扉を開けていても懐中電灯が必要なくらい暗く、すごく不気味だった。

私が提示した金額は、男性の予算をはるかに超えるものだった。
ただ、“元請業者からの請負金額は既に決まっており、その予算内でやらないと赤字を食ってしまう”とのこと。
結局、私は、苦境にある男性に同情するかたちで、作業料金を破格の安値に変更。
普通なら作業前に書面で契約を交わすのだが、電話の口約束だけでその仕事を請け負うことに。
そして、元請業者から「早くやれ!」と催促されている事情を考慮して、そのまま作業に取り掛かった。
更に、「せっかく頼ってきたんだから」と、私は普段にない男気をだして、請け負っていないトイレまで掃除。
約束以上の仕事をして、その現場を終えたのだった。

男性は現場の惨状を知っているわけだし、清掃業だから作業が過酷なものであることは容易に想像できるはず。
電話の向こうの物腰も礼儀正しく丁寧。
そんな男性を私は信用していた。
しかし、その後、問題は起こった。
請求書を発行しても、代金の支払いは一向になし。
はじめのうちは電話で連絡がとれていたものの、そのうち電話もつながらなくなった。
仕方なく、最初に教えられた住所に行ってみると、そこは男性の実家で出てきた家族に話は通じず。
最初から悪意があったものとは思いたくないけど、結局、バックレられたまま時間だけが過ぎ、今日に至っているのである。


「引越しをするので不用品を片付けてほしい」
そんな依頼が入った。
聞くところによると、依頼者女性は夫との離婚を機に引っ越すことに。
子供は自分が引き取るため、これから母子家庭になるとのこと。
元夫のモノ等、いらないモノがたくさんでるため、それを始末したいようだった。

出向いたのは、どこにでもあるタイプのマンション。
引越しの荷造りを進めている途中のようで、だいぶ散らかってはいたものの“ゴミ部屋”というほどの惨状ではなし。
私は、片付ける物とその量を確認し、要する費用と作業内容を提示。
私一人でできるくらいの量であり、費用も高くはならなかった。
作業内容と料金に納得した女性は、その場で作業を依頼。
私は、いつも通り書面で契約を交わし、作業の日時を調整。
代金は作業後に現金決済することを約束して、その日の現地調査を終えた。

作業の日、私は当初の予定通りに女性宅を訪問。
そして、作業の準備に取りかかろうとした。
すると、女性は、
「お金を入れていた財布を落としてしまって・・・」
「代金は後でもいいですか?」
と、イレギュラーなことを言いだした。
妙に思った私は、
「コンビニのATMとかでおろしてこれません?」
と返した。
しかし、
「引っ越しで出費がかさんだもので、今月は余裕がなくて・・・」
「次の給料がでたら必ず払いますから!」
とのこと。

当日にお金が払えないことを事前に連絡することはできたはずなのに、女性は土壇場になってそれを言ってきたわけで・・・
私は、女性がウソをついているんじゃないかと疑った。
が、せっかく、予定を組み作業の準備をして現場まで来たわけで・・・
また、費用もそんなく高額なものではなかったし・・・
子を育てる母親としての人格もあるだろうし・・・
また、母子家庭であることへの同情心も働き・・・
結局、私は、女性を信じることにして、会社に相談なく独断で代金の後払いを了承。
予定通りの作業を行ったのだった。

話の流れで察していただけると思うが、その後、その女性がお金を払ってくることはなかった。
携帯電話もつながらず、教えられた引越先の住所もまったくのデタラメ。
最初からあったと思われる悪意にまんまとやられ、結局、バックレられたまま時間だけが過ぎ、今日に至っているのである。

上記二件の請負金額は、それぞれ数万円。
公に訴えたところで、経費倒れするばかり。
結局のところ、泣き寝入るほかない。
人として、よくもまぁ、こんなことができるものだ。
こんなことするのは、ほんの一握りの人間のはずだけど、こんなことがまかり通る世の中って、残念で仕方がない。
同時に、思い出すとやはり頭にくる。
“裏切るより裏切られるほうがマシ”なんて上品なこと言ってられない。
しかし、怒ったところで、何も解決はしない。
前回の記事に書いたとおり、怒ってストレスを抱える分だけ自分が損。
忘れたほうが自分ためかもしれない。


これまで、人に裏切られたことは数知れず。
ただ、今まで生きていて、最も多く私を裏切ったのは誰か・・・
それは“自分”。
この世の中で一番信用できないのは自分だったりする。
自分で決めたことを守らない、自分と約束したことを守らない。
忍耐と努力が大の苦手で、諦めることと逃げることが大得意。
ちょっとしたことで私は私を裏切ってきた。
これは、今、私がこんなことになっている原因の一つでもある。
望むような人生が送れていないのは、誰のせいでもなく自分のせいなのだ。

私は、弱い人間。
だから、これからも自分を裏切ってしまうことがあるだろう。
そして、そんな“裏切者”を簡単に赦してしまう自分もいれば、どうしても赦せない自分もいるだろう。
もちろん、そんな裏切者がいないに越したことはないが。
ま、私(人間)なんて、そんなにできた生き物ではない。
そして、それがまた人間らしさなのかもしれない。

そう思うと、
「裏切者(弱い自分)のおかげで、俺も味のある人間になれるのかもな」
と、他人事みたいに笑えるのである。



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短気は損気

2013-11-18 08:48:22 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
「引越しをするのでゴミを片付けてほしい」
そんな依頼が入った。
「うちに頼んでくるわけだから、何か事情があるんだろうな・・・」
私はそう思いながら現地調査の日時を設定した。

訪問した現場は小さな一戸建。
家屋の周囲にはゴミやガラクタが散乱しており、家の中が“案の定”であることをうかがわせた。
私は、家の前の路上に車とめ、約束の時間がくるまで待機。
自分でいうのもおかしいが、変なところで几帳面な私は、約束の時刻ピッタリになったところで車を降り、玄関のチャイムを押した。

家の中からは、恥ずかしそうな物腰と気マズそうな表情をもって依頼者がでてきた。
そして、
「驚かないでくださいね」
「靴のままでかまいませんから」
と、外からの視線を避けるようにそそくさと私を家の中へと促した。

室内は、玄関土間からゴミ、ゴミ、そしてまたゴミ・・・
依頼者は、長年にわたって生活ゴミを蓄積。
本当の床なんてどこにも見えておらず、ゴミで埋め尽くされていた。
依頼者は、近々、引っ越す予定。
そのため、“このゴミを片付けたい”とのこと。
ただ、依頼者は“特殊清掃でなんとなる”と考えている様子。
私は、実現不可能な期待を持たせてはいけないので、ゴミの撤去と清掃だけでは原状回復はできないことを伝えた。
それを聞いた依頼者は動揺。
顔をこわばらせたまま黙り込んでしまった。
そうは言っても、このゴミを片付けないと何も始まらない。
私は、作業の内容とかかる費用を説明し、当方に作業を依頼するかどうか充分に検討するよう伝えた。

調査を終え外に出ると、私の車の脇に初老の女性が一人立っていた。
そして、私を見つけると恐い顔で睨みつけ、
「オタクが片付けんの!?」
と一言。
初対面にもかかわらずタメ口をきくその高圧的な態度に気分を害した私は、
「まだわかりません・・・」
と、無愛想に返事。
「○○(依頼者名)はいるの!?」
女性は依頼者を呼び捨て。
「・・・・・」
“いる”というとトラブルに巻き込まれそうな予感がした私は何も応えず。
その態度に、女性は依頼者の在宅を感じたようで、勝手に玄関扉を開けてズカズカと中に踏み込んでいった。

そのまま帰ってもよかったのだが、そのまま帰ってはいけないような気がした私は、玄関前を行ったり来たり。
不審者のようにソワソワ、ウロウロした。
すると、ほどなくして、依頼者と女性が玄関からでてきた。
そして、私は、キナ臭いニオイがプンプンする二人の輪に入れられてしまった。

女性は、この家の大家。
しばらく前から、この家にゴミがたまっているのを知っていた。
もちろん、依頼者に「ゴミを片付けるように!」と再三注告。
しかし、依頼者は、毎回のようにこの注告を聞き流し、ゴミを片付けることはなかった。
結果、堪忍袋の尾が切れた大家は、「すぐに出ていけ!」となり、依頼者は引越しを余儀なくされたのだった。

ゴミを片付ければ元のままの床や壁が現れると思っている人が多い。
しかし、実際はそんなに甘くない。
床や壁には相応の汚損が発生し、再使用が不可能になっていることも多い。
ゴミを片付けたくらいでは、この家が元通りにならないことは大家の目からも明白だった。
その状況が、大家を更に激高させていた。

「どうしてくれんのよ!」
「あれほど“片付けろ!”って言ってきたのに、なんで片付けなかったのよ!」
「アンタがこの家建て替えてくれんの!?」
大家は完全にキレていた。
大家の言い分はいちいち正論で、反論の余地はなく・・・
完全に射程距離内に捉えられた依頼者は、撃たれっぱなしの蜂の巣状態に。
更に、その“蜂の巣”さえもボロボロに砕けるくらい撃ちまくられていた。

当初、私も依頼者の一味みたいに位置づけられ、依頼者を貫通した流れ弾は私にも命中。
しかし、それをいちいち避けていては、本題が一向に進まない。
私は、大家マシンガンの弾が切れるのを待つことにして、しばし地蔵になった。

弾が尽きた頃、私は、自分が専門業者で依頼者とはアカの他人であることを説明。
大家は、私が依頼者の関係者ではなく、このときが初対面であることを知ると、次第にその態度は軟化させた。
そして、それまでの態度を詫びるように、文句を愚痴に変えた。

大家と依頼者は親戚関係。
不動産会社を通さず、また正式な契約書も交わさず、血縁者というところに暗黙の信頼を置き、簡単な口約束だけで家を賃貸借。
家賃も地域の相場より低めに設定。
それでも、依頼者は度々それを滞納。
迷惑はそれだけにとどまらず、本件のようなことをしでかしてしまった。

相手がアカの他人ならもっと毅然と行動し、問題は早期に解決できたかも。
しかし、大家は、相手が身内ということもあって、できるかぎり寛容に接した。
我慢に我慢を重ね、耐えてきた。
しかし、とうとう、我慢の限界を超えたのだった。

「この人のお陰で、性格まで悪くなっちゃいましたよ!」
大家は、そうボヤいた。
ここ数年来、大家は依頼者にずっと腹を立て、苛立ちを抱えたまま過ごしてきたのだから、
自分でも気づかないうちに、関係のない他人に八つ当たりしたり、悪い態度をとってしまうことが多かったのかもしれなかった。
事実、私と最初に顔を合わせたときもそうだったわけだし。
大家が悪い態度をとれば、相手が無愛想になるのは自然なこと。
無愛想な相手に好感は持てず、また、相手も自分に好感を持つはずもない。
その人間関係は悪循環に入っていき、その性格はますます悪くみえてくる。
愚痴る大家を前に、私は、“性格まで悪くされた”という大家の言い分が、まったくの言いがかりとは言いきれないと思った。


後日、相当の時間と相当の手間を要してゴミは撤去された。
しかし、当初の予想通り、家には重汚損と重異臭が残り、とても人が住めるような状態でなくなっていた。
大家は、怒ることに疲れたのか、それとも、怒っても仕方がないことを悟ったのか、以前とはうって変わって穏やかに。
依頼者に対しても、
「あとのことはお金で解決しましょ」
と、淡々とした調子。
大家は、依頼者との血縁にもとづいた心的つながり捨てたのか・・・
家の復旧を諦めて開き直ったのか・・・
時折、浮かべる大家の笑みは、依頼者の目には不気味に映ったかもしれなかったが、私の目には何かを悟ったあとの平安の表情に映ったのだった。



仕事でもプライベートでも、身近なところでも世界的にも、世の中には腹の立つことが少なくない。
仕事上のことだけをとってみても・・・
近隣住民や大家等から私が言われる筋合いではない苦情をぶつけられることもある。
約束の仕事をしたのに金を払わない依頼者もいる。
現地調査に呼んでおいて、何の連絡もなくバックレる人もいる。
この仕事を勝手に“人手不足”“高賃金”と思って、「働いてやる」といわんばかりの態度で応募してくる者もいる。
いちいち思い返すと腹が立ってくる。

一人でイライラし、一人で腹を立てることってよくある。
しかし、腹を立てて損をするのは誰か。
不満を抱いて損をするのは誰か。
それは、結局、自分。
腹を立てたり、不平不満を抱いたりして物事が進捗したり解決したりできる場面にあるなら、それなりに腹を立てて言いたいことをぶちまけてもいいかもしれないが、そうでないときに腹を立てても仕方がない。

腹を立てても仕方がないこと、不満に思っても仕方がないことってたくさんある。
「自分の感情は自分でコントロールできない」というのが私の自論だが、コントロールできなくてもそれを把握することはできる。
把握できれば、そこに、冷静さを取り戻すための思考を加えればいい。
自分が冷静になれる言葉や経験を思い出すといい。
私の場合は、やはり“死”が終局的なキーワードで、そこから派生する人生観が自分を冷静にしてくれることが多い。
このブログで頻繁に書いているとおりである。

元来、気が短い私。
ただ、幸いなことに、歳を重ねるにしたがって少しずつだが気は長くなっていると思う。
もちろん、短気な自分が完全にいなくなることはないけど、できるかぎり、のん気に大らかに生きたいと思っている。
短い人生、気まで短くしたってあまりいいことないと思うから。



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悲愛

2013-11-12 08:05:15 | 特殊清掃
ある日の夕刻、特掃の依頼が入った。
「住人が亡くなって時間が経ってしまった」
「作業を依頼するかどうかわからないけど、とりあえずみてほしい」
とのこと。
現場を見ないと何も始まらないので、事務所にいた私は、デスクワークを中断してデスワークに向かった。

訪問したのは、商業地に建つマンション。
依頼者の男性とは、入口エントランスで待ち合わせた。
男性は、仕事の帰りか、スーツ姿。
片手にはビジネスバッグ、もう片方の手には大きな紙袋を下げていた。

通常なら、依頼者のほうから故人との間柄を教えてくれることが多い。
例えば、「父が亡くなりまして・・・」とか「弟が孤独死しまして・・・」とかいうふうに。
また、それがない場合は、私の方から「お身内の方ですか?」と訊ねる。
そうすると、「息子です」とか「亡くなった者の兄です」等といった返事が返ってくる。
しかし、この男性は、「お身内ですか?」と訊ねても「いえ・・・昔の知り合いで・・・」としか応えず、故人との間柄を具体的に話さなかった。
その様子から、男性は、故人と自分との関係を話したくない・知られたくないのだと察した私は、それ以上余計なことを訊くのをやめた。

玄関ドアの前は、既に異臭がプンプン。
室内が相当のことになっていることは、容易に想像できた。
また、近隣から苦情がくるのは時間の問題と思われた。
管理会社もそれを心配し、一刻も早くなんとかするよう男性にプレッシャーをかけていた。
私は、ポケットに入れていたグローブと脇に挟んでいた愛用のマスクを装着。
ドアを開け、素早く中に入った。
そして、へヴィー級の惨状を前に、特掃魂の階級を上げた。

男性は、片手に下げた紙袋に、レインコート・ゴム手袋・マスク・市販の消臭剤等を用意。
どうも、自分でなんとかしてみようと考えてきたよう。
しかし、故人が倒れていたベッドマットは、腐敗体液をタップリ吸い込んだ状態。
周辺の床にも腐敗体液は滴り、その辺にあるものをかまわず汚染。
男性がそんなものを処理する術を持っているはずはなく、また、そんなところの掃除ができるわけがない。
ライト級の現場ならいざ知らず、へヴィー級の現場は素人の男性の手に負えるはずはなく、私は、
「お金のかかることなんで押し売りするつもりはありませんけど、ご自分でやるのは無理だと思いますよ」
と、正直な考えを伝えた。
と同時に、“俺ならやれる!”と、作業に備えて特掃魂に火をつけた。

結局、男性は私に作業を依頼。
ただ、代金は分割払いにしてほしいとのこと。
目が飛び出るような金額でもないうえ、男性が、人並みに貯えを持っていそうな身なりと物腰だったものだから、私はそれを怪訝に思った。
更に、代金を踏み倒された経験が幾度となくある私は、それを心配。
男性の運転免許証を見せてもらい、契約書の住所・氏名にウソがないか確認。
また、用心のため、自宅の電話番号と勤務先も確認させてもらおうとした。
ところが、男性は、
「携帯番号と住所だけで充分じゃないですか?」
と抵抗。
そして、
「代金をキチンと払うことは約束しますから」
と、私に頭を下げた。
そして、更に、
「自宅に郵便物を送らないでほしい」
「自分への連絡はメールのみとし、平日の夜と土日は連絡しないでほしい」
「現場には、平日の夜しか来れない」
と、ちょっと変わったことも注文。
男性は、家族に知られることを怖れているようで、それを察した私は、気分を害したような顔をしないよう気をつけ、それらを了承した。


故人は、女性。
部屋を見ればすぐわかった。
年齢は、男性と同年代。
遺品を見ればすぐわかった。

男性は、賃貸借契約の保証人。
どういう経緯でそうなったのか知る由もなかったが、契約はもう何年も前のことのようだった。
法定相続人には遠い親戚がいたものの、その親戚は早々と相続放棄。
結局のところ、男性が本件の後始末をする責任を負ったのだった。

身内ではない男性には、警察から正確な死因を知らされておらず。
ただ、男性は口にこそしなかったものの、病死ではなく自殺を疑っているような感じがした。
しかし、私は、内心で自殺ではないと判断。
現場に行けば、自殺かそうでないかが何となくわかるもの。
何の根拠もないけど、私は、故人の死因が自殺ではないと思っている旨と、多くの現場でそれが的中してきた旨を、男性が勘づくようにそれとなく会話の中に織り混ぜた。
更に、それを補強するため、自分がこの仕事をながくやっていることを付け加えると、はじめは嫌悪感が滲んでいた男性の顔にわずかに安堵感が漂った。

私は、男性の注文に従って作業を行った。
私からの連絡は少ないほうがいいと判断し、こちらからの連絡は必要最小限にとどめた。
ただ、逆に、男性は色んなことが気になるようで、頻繁にメールを入れてきた。
結果、メールのやりとりは十数回にも及び、そのうち、男性の気心も知れてきたのだった。

男性は、
「後で捨てることになると思うけど、書類、写真、故人が日常で愛用していた小物類は処分しないでとっておいてほしい」
と要望。
男性が、故人の近年の暮らしぶりを知りたがっていることを感じた私は、できるかぎり細かく家財をチェックした。

残されたのは・・・
貴重品類、アクセサリー、バッグ、メガネ、化粧品、
源氏名の入った名刺、
記入済みの履歴書、
破産に関する法的書類、
生活保護の手続書類、
何種類もの薬、
等々・・・
それらは、ここ数年、故人が楽な人生を歩いてきたわけじゃないことを想像させた。

遺品の中には、何枚もの写真やアルバムもあった。
私は、何枚かの写真の中に男性を発見。
他人のプライベートを覗くつもりはなかったのだが、見知った顔に焦点が合ってしまった。
何年か前の二人は、どうみても“いい仲”にしかみえず・・・
不倫関係にあったのかどうかまではわからないけど、そこからは、その昔、二人が深い関係にあったことがうかがい知れた。
そして、それは、私の心持ちを複雑に絡ませた。


特殊清掃、汚物処理、遺品の選別、家財生活用品の処分、消臭消毒・・・
一連の作業が終わるのに一ヵ月余の時間を要した。
最後の作業は、遺品の確認と部屋の引渡し。
男性の意向を優先して、やはり、その日時は平日の夜に設定された。

男性と顔を合わせるのは、最初と最後の二回だけとなった。
その日も仕事帰りだったのだろう、男性はスーツ姿で現れた。
そして、私を見つけるなりそばに寄ってきて、
「お世話になりました」
と、深々と頭を下げてくれた。
恐縮した私は、
「これから部屋と遺品を確認していただかないといけませんから」
と、礼を言うのはまだ早いことを伝えた。

部屋に入り、私は、とっておいた遺品をクローゼットから出し、男性に差し出した。
そして、必要なものは持って帰ってもらい、いらないものは処分するのでゴミ袋に入れるよう話した。
すると、男性は、遺品を一つ一つ手に取って、しみじみと眺めはじめた。
私には、見ないほうがいいようなものが大半のように思われたが、当然、そこに口を挟む権利はなく、選別する男性の横でゴミ袋の口を広げて黙っているほかなかった。
私が案じたとおり、遺品をみるにつれ、男性の肩が落ちていくように感じられた。
それでも、男性は、一つ一つをキチンと確認し、労わるようにゆっくりとゴミ袋に入れていった。

結局、ほとんどの遺品がゴミとなった。
ただ、
「これだけもらって行こうかな・・・」
と、男性は、何枚かの写真を手に取った。
そして、それをバッグにしまい真剣な表情で一点を見つめた・・・・・
・・・・・しかし、少しして、
「やっぱり、やめよ・・・」
と、男性は、おもむろにバッグに入れた写真を取り出した。
そして、目に焼き付けようとするかのように見つめてのち、何かと決別するように、それをゴミ袋に落とした。

男性は、ひとつの過去を断ち捨て、ひとつの思い出を胸に刻んだのか・・・
悲哀に満ちたその横顔に、私は、人が人であるがゆえに抱いてしまう、いかんともしがたい悲愛をみたのであった。



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2013-11-07 07:57:11 | 特殊清掃
秋も深まり、もう紅の季節。
私は、秋が好きである。
過酷な夏が過ぎ、一息つける季節だから。
ホント、身体に優しい季節だから。

また、ネクラな性格を反映してか、一日のうちでは夕方が好きである。
紅の夕陽をみると、ホッとするものがある。
だから、秋の夕暮れは格別の趣を感じる。
春夏秋冬、自分の死季も秋がいいと思っている。
秋涼の夕刻にでも、色んな思い出に微笑みながら、穏やかな気分で眠って逝きたいと思っている。

ただ、難点がひとつ。
毎年のことで、もう何度も書いていることだが、冬に向かって気分はどんどん欝っぽくなっているのだ。
一日のうちでは、朝が一番ヒドい。
寒い朝でも脂汗がでるような始末で、時には、軽い“ひきつけ”っぽいものを症してパニックに陥ることもある。
性格の問題か、脳の問題か、はたまた心の問題か、まったく厄介なものを抱えてしまっている私の気分は、サンライズに落ち込み、サンセットに落ち着くのだ。



「血の海になってまして・・・」
そこは自殺現場となったアパート。
玄関前に来て依頼者の男性は、嫌悪感を露にそう言った。

「とりあえず見てきますね」
礼儀に合う感情がわからなかった私は、事務的にそう返答。
鍵を開けるところまでは男性にやってもらい、ドアの隙間から身体を滑りこませた。

「うあ・・・」
間取りは2DK。
玄関を入ると奥に向かって廊下があり、おびただしい量の血がそこから奥に向かって伸びていた。

「この部屋か・・・」
故人が倒れていたのは、奥の寝室。
“血の海”と表するにはいささか大袈裟な感もあったが、その半分は布団、残りの半分は床に広がっていた。

「このニオイか・・・」
部屋に充満しているのは、血生臭いニオイ。
死亡後、短い時間で発見されたことがうかがえた。

「ヒドイな・・・」
自傷した故人は、血を滴らせながら部屋中を歩き回ったよう。
天井にこそ付着してはいなかったが、倒れていた付近を主に、血痕はそこいらじゅうの壁や床に残っていた。

「はぁ・・・」
作業を依頼されれば意欲的に取り組まなければならない。
しかし、目の前の光景はあまり遭遇したことがないくらい凄惨なもので、私の士気は早々と萎えていった。


故人を発見したのは、父親である男性。
ある日のこと、故人の勤務先から“出社してこない”“携帯電話にもでない”ということで、身元保証人である男性に連絡が入った。
男性は、故人宅から離れたところに暮し、仕事も持っていた。
“風邪でもひいて寝込んでいる”くらいにしか考えず、すぐに駆けつけることはせず。
その日の翌日、再び勤務先から連絡が入り、そこでやっと故人の部屋を訪問したのだった。

男性がそこで目にしたのは、血の海となった部屋と血まみれで倒れている息子・・・
あまりのショックに気が動転。
どうして救急車が息子を運んでいかないのか、どうして呼んでもいない警察を来たのか、頭がグルグル回って気をおかしくなりそうになった。

故人は高校を卒業して、ある企業に就職。
それは大手企業のグループ会社。
現場部門の一作業員で管理職になれるコースにはいなかったが、仕事は安定していた。
また、高い学歴をもつ後輩に追い越されることもあったが、自分と同じ境遇の同僚はたくさんおり、それが大きなストレスになることはなかった。

そんな故人が、あるときから「仕事を辞めたい」と言うように。
男性は、長く勤めた仕事を辞めること、この不景気で同レベルの仕事に就くことは簡単ではないこと等、ともなうリスクを故人に説明。
“どんな仕事でも、いいときもあれば悪いときもある”と、我慢して続けるよう話してきかせた。

従事する仕事がキツかったのか、給料に不満あったのか、その他の待遇に問題があったのか、理不尽な降格にあったのか、それとも職場の人間関係に問題があったのか・・・
故人は、具体的に辞めたい理由を話さなかった。
そのことを“自分が聞く耳を持たなかったせい”と、男性は自分を責めた。

「本人の希望通り、仕事を辞めさせてやればよかったのかもしれません」
男性は、悔やむように嘆いた。
が、私は、“辞めないほうがいい”“頑張って続けろ”と説得した男性の判断は間違っていたとは思わなかった。
私が男性の立場でも同じことを言ったはずだし、職を失うこと・職を得られない現実は、人を苦しめ、ときには人を死に追いやることがあることを知っているから。

死因の主たる原因が仕事だったとはかぎらない。
他のことが原因で仕事への意欲が著しく低下したことも考えられる。
また、仕事を辞めたからといって故人が死なずに済んだとも限らない。
他のことが原因で、結局、同じ結末を迎えることになったかもしれない。
真相は誰にもわからない。
本人でさえ、わけがわかっていなかったかもしれない。
どちらにしろ、本人はいなくなり、男性の心と部屋に深い爪痕だけが残ったのだった。


作業終了までどれくらいの時間がかかるかわからないため、あとのことは電話でやりとりすることに。
「よろしくお願いします」
と男性は私に頭を下げ、私に鍵を預けて帰っていった。

血痕清掃は何度となくやっている。
目も鼻も手も慣れている。
悪い意味で精神も慣れている。
薄い血痕は洗剤で容易に落とせる。
しかし、厚みのある血痕は固く凝固しており、根気強くやっていかないと落とすことができない。
しかも、汚染は広範囲で各所に点在。
手っとり早くやる方法はなく、ひとつひとつ、コツコツと粘り強くやるしかない。
そうすると、おのずと孤独かつ寡黙な時間が長くなる。
そんな時間が長くなれば、それだけ、頭に浮かぶこと・頭を過ぎることが多くなる。
そして、余計な雑念を篩(ふるい)にかけられる。
雑念が消えれば、自分の中の波風がおさまる。
冷静になった自分は、自分が置かれた状況を自分にプラスに適用させようとする。
結果、それが生きる力に働き、具現化し、生きるための努力と忍耐力となる。

作業が終わったのは夕刻。
自然とモノ思いにふけらせ、感傷にひたらせる時間帯。
紅に染まった部屋は、何かを訴えていたのか・・・
紅に染まった手は、何を受け止めるべきだったのか・・・
紅に染まった夕焼けはどんどん闇に消えていき、私に人生の終わりを連想させながら溜息とも安堵ともとれる一息をつかせたのだった。


これまで、何人もの死人の血で手を汚してきた私。
これから先、私はどれだけの死人の血で手を汚すかわからない。
その昔、この仕事に就く前、自分の血で手を汚したことがある私。
これから先、自分の血で手を汚すようなことはしたくない私は、心に闇を抱えながらも、自分と誰かに「生きろ!」と叫び続けているのである。



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奇なり

2013-11-01 08:33:58 | 特殊清掃
今日から11月。
秋涼というより秋寒の季節。
台風の連打に国土は疲れ気味。
忘れられつつある大地震だって、いつまた起こるかわからない。
奇妙な自然現象は、人間の無力さを露にする。

世の中に奇なることが起こるのは常。
珍事や奇跡めいた出来事は、いつの世にも絶えない。
奇なる仕事をしている私の目の前は、奇なることばかり。
一般の目には、衝撃的なものだろう。

「大変な仕事ですね」
と、他人によく言われる。
「どんなに金をもらっても、それだけは絶対にできない!」
と、友人に言われたこともある。
それでも、私としては、
「いい仕事ですね」
と言われるよりはマシかも。
何をもって“いい仕事”と言えるのか・・・・・
お金をもらって誰かの役に立つことをしたり、誰かを助けたり、誰かに喜びや満足感を与えたりするのなんて当り前のこと。
仕事とは、本来そういうもの。そんな仕事、他にもたくさんある。
私がやっていることは、ボランティアでやるにはいいかもしれないけど、仕事としてやるには決して“いいもの”ではない。
事実、私自身も、“いい仕事”だなんて全然思っていない。
“特別視≒特蔑視”と思ってしまうことがあり、ヘソ曲がりな私は「いい仕事」と言われると、バカにされているような気がしてしまうのだ。

ま、そんな仕事でも、大事な生活の糧。
決して、やりたくてやっているわけじゃないけど、その時の状況や諸事情があって私はこの仕事に会い(遭い?)、時々の状況や色々な事情があって、未だに続けているわけである。
“生活の糧”という部分では、感謝と喜びをもって取り組まなければならない。


奇なる経験といえば・・・・・
遺体処置の業務で、老夫婦が立て続けに亡くなり、数日の間をあけて同じ家に行ったこともある。
中年の夫婦が心中し、一軒の家で二人の遺体を同時に処置したこともある。
自殺腐乱現場に行ってみたら、故人が知人だったこともある。
床下に二匹の無毛の猫が折り重なって死んでおり、何日も経っていたのに腐っていなかったこともある。
また、同じ東京都内であったが、某市の腐乱死体現場で関わった依頼者女性と、数ヵ月後、まったく離れた某区の路上でバッタリ会ったこともある。
女性も私と会って驚いた様子。
そして、“コイツが現れるところに死人あり”と思ってかどうか、
「貴方がここにいるっていうことは、この近くでまた?」
と、悪戯をする子供のような笑顔でそう訊いてきた。
「えぇ・・・まぁ・・・」
事実そうだから、私はそう応えるしかなく・・・
別に悪いことをしているわけでもないのに、何となく気マズい思いをしたのと同時に
「俺って、死神みたいだな・・・」
と、内心で苦笑いしたのだった。



特掃の依頼が入った。
依頼者は、マンションの大家。
大家によると、以前にも当社に特掃を依頼したことがあるとのこと。
会社が過去の業務歴を調べたところ、前回の作業担当は私。
特に指名があったわけではなかったが、“関わったことがある人間のほうがいいだろう”という判断から、本件も私が担当することに。
私は、会社から指示された日時に指示された場所へ出向いた。

現場マンションの近くに行くと、過去の記憶がすぐに甦ってきた。
そして、マンションの前に着くと、以前の現場がハッキリと思い出された。
大家とは、建物の前で待ち合わせ。
会いたくない相手(私)と再び会うことになってしまった奇なる境遇が、大家の顔に苦笑いを浮かべさせていた。

「どうも、お久しぶりです」
「いや〜・・・まいりましたよ・・・またこんなことが起こるなんて・・・」
「災難ですね・・・」
「それがね!前と同じ部屋なんです・・・」
「え!?同じ部屋なんですか!?」
「えぇ・・・そうなんですよぉ・・・」
「えー!同じ部屋とは・・・」
「よりによって・・・困ったもんです・・・」

現場の部屋が前回と同じ部屋ときいて、さすがの私も驚いた。
そして、大家が、二度と会うことがないほうがいい私と会うことになってしまったことと、また、その原因が同じ部屋で起こった災難を気に毒に思いつつ、現場の部屋の鍵を受け取った。

部屋には、そこそこの腐乱臭が充満。
汚染はミドル級。
それよりも、私は、本当にそこが以前に私が携わった部屋かどうかが気になった。
ただ、1Kの間取りはどこにでもあるようなタイプ。
この部屋に限った特徴はなし。
本当にそこが前回と同じ部屋であるかどうか、部屋を見たたけでは判断できず。
私には、そこが同じ部屋であってもなくても関係のないことだったのだが、野次馬的好奇心が抑えられず、部屋の中から会社に電話。
そして、同じ部屋であることを確認したのだった。

その後、この部屋の特殊清掃と消臭消毒は私が担当して施工することに。
ベッドの上の汚腐団をウジごと梱包搬出、床に垂れた腐敗液を拭き掃除。
その上で、本格的な消臭消毒作業に入っていった。
通常、消臭は日数をかけて複数回の作業を重ねながら行うもの。
したがって、私は、このマンションに何度も足を運んだ。
そして、その都度、「二度とこんな経験することないだろうなぁ・・・」としみじみ思ったのだった。


消臭の依頼が入った。
依頼者は、アパートの大家。
二階の一室で住人が亡くなり腐乱。
家財生活用品は遺族が片付け、部屋は空になっている。
ただ、遺体汚染と異臭がそのままになっているから何とかしてほしいという依頼だった。

私は、前もって大家に伝えておいた日時に現場に出向いた。
現場のアパートは古い木造、建て替えてもいいくらいの様相を呈していた。
「鍵は開けてあるから勝手に入っていい」とのことだったので、私は躊躇いなく玄関ドアを引いた。
間取りは1DK。
玄関を入ってすぐの台所の床には隙間なく新聞紙が敷き詰められており、遺体汚染がその下にあることは一目瞭然。
私は、糊で貼り付けたようになった新聞紙の片隅をペリペリとめくりとった。
すると、下からは半乾き状態の腐敗液が顔をのぞかせた。

観察を終えた私は玄関をでて、共用通路へ。
外の新鮮な空気で鼻と肺を洗ってから、ポケットの携帯電話を取り出した。
そして、依頼者の大家へ電話をかけ、部屋の現況と必要な作業内容を説明し、一通りの話を終えた。

「もう一つみてもらいたい部屋があるんですけど・・・」
「え?もうひとつですか?」
「そうなんです・・・」
「大家さんも大変ですね・・・じゃ、そこの住所を教えて下さい」
「それが・・・今いらっしゃるそのアパートなんです」
「え!?ここですか!?」
「えぇ・・・」
「え!?ここのどこですか!?」
「今みていただいた部屋の左隣の部屋です・・・」
「隣!?ですか!?」
「そこでも一人亡くなってまして・・・鍵はかけてないので、ちょっとそこも見てもらえませんか?」
「はぁ・・・じゃ、とりあえず、みてきます・・・」

「ってことは・・・隣同士でほぼ同時に亡くなって、同時に腐乱していたってことか?」
百戦錬磨(?)の私は怖れる必要は何もなかったのだが、恐る恐る玄関ドアを開けた。
すると、少し前に嗅いだばかりの臭いと同種の異臭が鼻を突いてきた。
が、それでも、私は目の前の現実がいまいち飲み込めず。
普段ならさっさと室内に入り現場観察するのだが、このときは狐につままれたような感じがして、とりあえず、会社に報告の電話を入れた。
そして、会社の人間と話すことで落ち着きを取り戻した私は、部屋に入り、人型の一部を残した畳を目にしたのだった。

その後、この二部屋の特殊清掃と消臭消毒は私が担当して施工することに。
前の一部屋は台所床のCF(クッションフロア)を剥離撤去、後の一部屋は汚染畳を撤去処分。
その上で、本格的な消臭消毒作業に入っていった。
前記の通り、消臭は日数をかけて複数回の作業を重ねながら行うもの。
したがって、私は、このアパートにも何度も足を運んだ。
そして、その都度、「二度とこんな経験することないだろうなぁ・・・」としみじみ思ったのだった。



世の中に奇なることが起こるのは常。
一人の人間が生まれて、それが私になったこと。
私になる前から私が私であったこと。
それが今、こうして2013年の世に生きていること。
これもまた奇なることのように思える。

往々にして、一般の理解はこう。
「生は奇ならず、死は奇なり」
しかし、実は違う。
「生は奇なり、死は奇ならず」
人はいつ死んでもおかしくなく、実際、老若男女を問わず、多くの人が多くの事情で亡くなっている。
それだけ、生は脆く儚いものなのである。
それだけ、死は固く明確なものなのである。

自分が自分として生まれてきたこと、生きること、生きていることは奇なり。
二度とない人生に立ち、この奇なる出来事をどう楽しもうか、どう楽しんだらいいか、暗中模索と試行錯誤は続いているのである。



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夏の思い出

2013-10-28 13:09:13 | 自殺 事故 片づけ
今年の夏も暑かった!
今年の夏は暑かった!
毎年のこととはいえ、この暑さには多くの人が苦しめられたことだろう。
この私もその一人で、これまでは、基本的に車のエアコンは使わない主義できたのだが、さすがに今年の暑さは身体に堪え、時々、エアコンをつけてしのいだ。
また、間接的だけど、「ブログを半年放置する一因にもなった」と言えるかもしれない。

前にも書いたとおり、私は、単独行動が多い。
精神的に一人では難しいことを理由に肉体的に一人でできる作業を二人以上の人間でやるなんてことはしたくないし、“一人のほうが気楽でいい”といった理由もある。
ただ、一人で動いていて気をつけなければならないこともある。
そう、夏場の熱中症だ。

“風通しのいい特掃現場”ってまずない。
“風通しがいい”どころか、私が行く先は“風通しが悪いところ”・・・・・いや、“風を通してはいけない”ところばかり。
外部に悪臭や害虫をだしてはマズイため、部屋を閉め切らなければならないことがほとんどである。
そうなると、おのずと室温は下がらない。
下がらないどころか、外気より高いこともしばしば。
そんなサウナ状態で汚物と格闘しなくてはならないわけだから、その作業が過酷を極めるのは言うまでもない。

そんな状態では、こまめな休憩と水分補給が重要。
しかし、それがわかっていても、作業を始めるとそれを中断するのが面倒臭い。
その都度、汚れた手袋や靴を脱着するのも面倒だし、休憩を入れることによって気持ちが萎えてしまうことも厄介。
結果、かなりしんどくなるまでは、休憩をとらなかったりするわけ。
実は、これが危険。
熱中症は早め早めの対処が大事で、症状がではじめたときは手遅れだったりするから。

幸い、これまで、病院に担ぎ込まれたり現場で倒れたりしたことはないが、具合が悪くなったことは何度もある。
もう若くはないのだから、気をつけなければいけない。
「孤独死現場で孤独死」なんて、いかにも私らしくて笑えるかもしれないが、現場で倒れでもしたら、依頼者やその関係者だけではなく、会社や同僚にも多大な迷惑をかけてしまうから。


そんな今年の夏、2020年のオリンピックが東京に決まった。
普段はネガティブな思考しかできない私なのに、しばらく前から、なんとなく、今回は東京に決まるんじゃないかと思っていた。
賛否両輪あるみたいだけど、私は賛成派。
物事に長所と短所、メリットとデメリットがあるのは自然なことだし、これによって、色んなことが活気づくだろうから。

7年後の自分を想像した人も多いと思う。
とりあえず、7年後も生きていると仮定したうえで、私が自分について考えたのは年齢のみ。
何をやっているかまでは、考えなかったし、あえて考えないようにしている。
もう20年以上もこんなことをやっているわけで、7年後も老体に鞭打ちながら今と同じことをやっている可能性も少なくなく・・・・・
それを思うと恐ろしくて恐ろしくて、具体的に考えたくなくなってくるのである。
前回記事に矛盾するようだが、その頃には、もう少し楽な仕事をしていたいと思っている。

何はともあれ、これから、東京の街も様変わりしていくはず。
これまでに見たこともないような建物とかできるんだろう。
何かの試合や競技を直に観ることができるかどうかわからないけど、とにかく成功してほしいものだ。
7年後の夏・・・きっと、忘れられない夏になるだろう。



ある年の初夏。
猛暑の中、私は、自殺腐乱現場となったマンションのエントランスで、依頼者の女性と待ち合わせた。
女性は故人の母親。
見たところ80歳前後の老年。
故人は中年の女性。
室内での縊死し、発見まで数日が経ってしまっていた。

数年の間、故人は精神を患っていた。
以前は女性と一緒に暮らしていたのだが、故人の精神状態は一緒に暮すことができないまでに悪化。
独り暮らしをさせることに不安はあったものの、本人の強い希望と回復への期待から、女性は故人が独り暮しをすることを認め、近所に部屋を借りた。
そして、その生活を支援するようになった。
しかし、故人の病状は回復の兆しをみせることなく一進一退。
調子のいいときは一緒に外に出かけたり食事をしたりできたのだが、悪いときは会話も間々ならず。
電話にでなかったり、訪問しても玄関を開けてくれなかったりすることもあった。
それでも、病院には通っていたし、薬もキチンと飲んでいたため、自ら死んでしまうなんてことは少しも考えていなかった。

故人は一人娘で、夫(故人の父親)は既に他界。
助けてくれる親類縁者はおらず。
年金生活で、自分の生活に余裕があるわけではない中、爪に火を灯すような生活で故人の生活を支えてきた。
故人宅は賃貸マンションで、部屋の原状回復と補償など、どれだけの負債を背負わされるか読みきれず。
いくらかは貯えがあるものの、場合によっては自宅を売らなければならない状況になるかも。
・・・・・等々、厳しい現実が容赦なく女性を襲っていた。


「部屋には入らないほうがいい」
と警察から注告されていた女性は、死後の部屋を確認しておらず。
「娘(故人)が最期に何を考えていたのか少しでも知りたい」
と部屋に入りたがった。
しかし、悪臭は著しく、光景も凄惨。
「私には“入ったほうがいい”とか“入らないほうがいい”とかいう権利はありませんから、判断はお任せします・・・・・」
と、私は冷たい対応しかできなかった。
結局、女性は悩みながらも入室を断念。
「部屋の様子はできるかぎりそのままにしておいて」
と要望するにとどまった。
その心中を察した私は、それを尊重する約束をして作業の準備にとりかかった。


部屋は1K。
キッチン部分の床は全滅、腐敗体液が覆い尽くしていた。
それでも、私にとってはよく見る光景。
定石を踏んだ作業でこと足りる。
ただ、室内はサウナ状態。
慣れた作業環境とはいえ、辛いものは辛い。
気温のせいか気持ちの温度のせいか、妙に息苦しく、私の呼吸は次第に“ハッハッ”と短くなっていった
そしてまた、この先、女性が負わなければならない責任と刻まなければならない時を思うと、余計に、気分は重くなっていった。


「暑いのに、大変なことをお願いしてしまって・・・」
「喫茶店にでも行って冷たいものを飲みましょう」
一次清掃を終えた私がエントランスへ戻ると、女性は、私の労苦をねぎらってくれた。
しかし、私は完全なウ○コ男に変身。
喫茶店どころか、マンションの1Fエントランスに留まっていることも躊躇われる状態だった。

「このニオイですから・・・」
「とりあえず、外へ出ましょう」
臭すぎる自分の身の置場は、そこにはなかった。
私は、女性をうながし、そそくさと外へ。
人に近づいてこなさそうな所を探して、一息ついた。

私の身がとても飲食店に入れる状態ではないことを理解した女性は、近くのコンビニでアイスクリームと飲み物を買ってきてくれた。
街を歩く人達には、ヨレヨレの中年男と老婆が、外の縁石に腰掛けてアイスクリームを食べる姿が奇妙に映ったかもしれない。
ただ、その場の空気はクサイだけではなく、そんな視線も気にならないほど重苦しいもの
だった。


「“死んでしまおうか・・・”と何度も思いました」
「でも、どちらにしろ、この先の人生は短いでしょうから、生きられるだけ生きるつもりです」
「それが私の責任だと思いますから・・・」
女性は、生きているのが本当に辛そうだった。
そして、いつもの安っぽい同情心ながら、私はそんな故人を気の毒に思った。
が、私には、その原因をつくった故人を批難する気持ちは湧いてこなかった。
多分、母と娘(女性と故人)の間には、第三者が入り込む余地がないほど、生きることと必死に戦った跡が残っていたからだろうと思う。


人生には、楽観できない現実と遭遇することがある。
人生には、降ろせない重荷を背負わされることがある。
今、苦しいかもしれない。
今、悲しいかもしれない。
今、辛いかもしれない。
しかし、この苦しみ悲しみも辛さも、永久のものではない。
すべてに終わりがあり、すべては過ぎ去っていく。
すべて思い出に変わり、そして、その思い出も過ぎて消えていく。
今、ここにいる自分も、ここに自分という人間がいたことさえも。


「生きられるだけ生きるつもりです・・・」
そう言った女性は、何かを決意し、また何かを覚悟したのだろう。
同時に、悲惨な現実の中に、娘への愛情と生きることへかすかな希望を抱いたのかもしれなかった。
そして、死ぬにも勇気がいるかもしれないけど、生きることにも大きな勇気がいること、また人はどんな状況でも生きる勇気を持てることを教えられたのだった。

・・・・・いずれは消え行く、夏の思い出である。




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楽じゃない

2013-10-23 16:30:39 | 特殊清掃
秋も深まり、少しずつ時間に余裕ができてきている今日この頃。
夏季に比べ、身体は随分と楽になっている。
ただ、冬に向かって精神は降下姿勢に入ってきているような気がする。
身体的にキツい季節は過ぎたけど、精神的に楽じゃない季節が近づきつつあるのだ。

半年ぶりのブログ更新。
「もう、このままやめてしまおうか」と思ったりもしたが、この仕事自体が辞められるわけじゃなし。
ま、気の向くまま、面倒臭ければ書かなければいいし、気分と時間合えば書けばいい。
毎回が最終回になる可能性を秘めながら、再び、文字を打ち込んでいる。

この半年、幸か不幸か、日常に変化なし。
相変わらずハードな現場を駆けずり回り、時に恐ろしく汚れ、時に恐ろしく臭くなっている。
楽じゃない性格も相変わらずで、時に恐ろしく悩み、時に恐ろしく落ち込んでいる。
心身ともに疲労は蓄積されているけど、そこそこ元気にやっている。
健康のために3月からはじめた週休刊二日も、四苦八苦しながらも継続中。
ただ、意外なことに、酒を我慢するのは夏より秋(今)のほうが大変。
“食欲の秋”ならぬ“飲欲の秋”なのか、この頃は特にキツく、いよいよのときのため冷蔵庫にはノンアルコールビールを入れてある。


以前に登場した“チビ犬”は、今も元気にしている。
あの現場には本名や年齢がわかるようなものは一切なかったため正確な年齢はわからないが、外見はとっくに老犬の域に入っている。
普通に歩くことはできるけど、今はもう、走ったり、飛び跳ねたりすることもない。
体毛も薄くなり、体力も視力も聴力も衰えている。
獣医師によると、片眼は完全に見えていないとのこと。
いずれ、もう片方の眼も見えなくなることを覚悟しなくてはならない。

一時的ではありながら血尿をだしたことも何度かある。
もともとの持病か、当初、ヒドイ皮膚炎も発症。
皮膚が象のようになり、フケのような粉がボロボロとでてきた。
薬を飲ませたり、食べ物を変えたり、こまめに風呂に入れるようにしたりと、手を尽くした。
その甲斐あってか、今でもごく一部に炎症があるものの、全体的にはかなり治癒している。

前の飼主にいいものばかりもらっていたのか、食べ物の好き嫌いは激しい。
並のドッグフードは食べない。
自分用の皿に入れても、自分用の御飯だとは思ってないかのよう。
とにかく、人間と同じものが好き。
塩分・糖分・脂分等に気をつけながら人間の食べ物をわけてやったり、量に気をつけながらオヤツ系のドッグフードをやったりしている。

子犬のときから飼っているわけではないので、「なついてる」とは言いがたい。
普通の飼犬に比べたら、間違いなく、なついていない方だと思う。
その上、飼う前には想像もできなかったほどの多くのお金と手間がかかっている。
楽じゃないことはたくさんあるけど、それでも、引き取ったことに後悔はない。
それどころか、引き取ってよかったと思っている。
とにかく、可愛いし、癒されるし、和まされるし、この仏頂面を笑顔に変えてくれるから。
もちろん、私が生きているかぎりは最期まで一緒にいるつもりである。

ただ、生老病死は人も犬も同じこと。
犬が失明するのも時間の問題だろうし、老病で死んでしまうのもそんなに遠い先のことではないだろう。
(もちろん、私の方が先に死ぬ可能性だってあるのだが。)
それを思うと、悲しくて寂しくて目が潤んでくる。
しかし、だからこそ、この時間を大切にすることができるわけで、この時間をより大切にすることに想いを注ぐほかない。



「管理物件で死人がでた!すぐに来てほしい!」
ある日の夜、一本の電話が入った。
電話の主は不動産管理会社の担当者。
現場にはまだ警察がいる様子。
「警察から立ち入り許可はでていますか?」
部屋に入れなければ意味がないので、私はそう尋ねた。
そんな私に担当者は苛立ちをおぼえた様子。
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃない!とにかく、すぐ来て!」
と怒鳴らんばかりの勢い。
私は、その勢いに押され、直ちに現場に行くことを約束。
そそくさと仕度を整えて、車を出した。

着いた現場は、一般的な大規模マンション。
現場までは結構な距離があり、それなりの時間が経っていた。
私は、まず、1Fエントランスの管理人室を訪問。
既に警察は引き上げ、電話の担当者とマンションの管理人が私の到着を待っていた。

「一人ですか?」
担当者は怪訝そうな顔をした。
「はい・・・」
一人きりの私は、そう答えるしかなかった。
「こんな時間ですからね・・・」
担当者は夜遅いから私が一人で来たと思ったようだった。
「いや、時間は関係なく、ほとんど一人です」
事実、そうだからそう答えるしかなかった。
「え!?作業も一人でやるんですか?」
担当者は驚きの表情をみせた。
若い頃はそんな依頼者の反応に得意になったりもしたものだが、この歳になるとそんな鮮度もなくなっている。

どんな凄惨な現場でも、どんな時間でも、原則として私は単独で行く。
二人以上の頭数は必要なのは、一人では持てないような家具・家電を動かさなければならないときや、大量のゴミや生活用品を処分しなければならないときくらい。
現地調査や特掃作業は一人で充分。
心細くもなんとのない。
ただ、「生きるためとはいえ、俺もよくやるよな・・・」と、思うことがある。
自分を卑下する気持ち、褒めたい気持ち、呆れる気持ち、それらが混ざったような複雑な気分になる。
このときもまた、そんな心持でエレベーターに乗り込んだ。

エレベーターホールと目的の部屋は結構離れているのに、悪臭はエレベーターを降りた瞬間に私の鼻を直撃。
「これじゃ他の住人が黙ってるわけないな・・・」
私はそう思いながら、目的の部屋に向かって前進。
すると、ある部屋の前に横たわる嗅ぎなれた異臭を放つ見慣れた色の粘液が目に飛び込んできた。
「これかぁ・・・こりゃイカンな・・・」
腐敗粘液の傍らにしゃがみこみ、誰にも聞こえないような小声でそうつぶやいた。


亡くなる直前、身体に異変が表れたであろう故人。
求めに外へ出ようとしたのか、玄関で倒れて死亡。
そして、そのまま時間が経過し、その肉体は溶解。
それがかなり進んだところで周辺に異臭が漂いだし、隣の住人が管理会社へ通報。
嫌な予感がした管理会社は、警察を呼んだうえで玄関を開けたのだった。

当初、腐敗汚染は室内にとどまり、悪臭だけが室外へ漏洩していた。
腐敗液は、警察が玄関ドアを開けたせいで外へ流れ出てしまったよう。
しかし、それを警察が掃除していくわけもなく、放置されたままに。
それは、見た目の不気味さだけではなく、それまでの何倍もの悪臭を放つこととなり、その結果、憤った住人達が管理会社に詰め寄ったのだった。


死因が明らかになるまでは室内は立入禁止。
結局、玄関ドアから外(共用通路)の特掃だけやることに。
夜も更け、周囲に物音や人影はなし。
私は、一人、薄暗い通路にしゃがみこんで黙々かつ淡々と作業。
一時間くらい過ぎたところで作業はひと段落。
最後に玄関ドアの隙間をテープで目張りし、周囲に消毒剤と消臭剤を噴霧して作業を終えた。

時刻は、泣く子も黙る丑三つ時。
一般的にはあまり気持ちのいい時間帯ではない。
しかも、車の荷室には原型をとどめない故人の一部を積載。
しかし、そんなこと私は意に介さず。
ここまでの年月やってくると、死人や幽霊の類を不気味がれるほどの鮮度も失われている。

人生は、楽じゃないことだらけ。
労苦や苦悩は、人生において何かと目立つ。
「楽に生きられないのが人生」と、頭にはなんとか理解させても、心が素直に受け入れない。
しかし、私の心は、楽に生きられないことは不幸なことではないこと、楽に生きようとしないことで得られる幸せがあることを知っている。
そして、どこかでそれを求めている。
だから、色んなことが頑張れる。こんな仕事でも頑張れる。

私は、独特の疲労感を抱え、「生きていくのも楽じゃないよな・・・」と、楽に生きられないことに開き直れない自分を重荷に感じながら、同時に、同僚でもなかなかやりたがらない仕事をこなせたことに小さな満足感をおぼえながら、夜闇の中、帰途についたのだった。



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心花

2013-04-24 15:02:01 | 特殊清掃
春真っ盛り。
日によっては汗ばむような陽気に恵まれている。
肉体労働者の私は、あちこちの現場で充分に汗をかいている。
おかげで、普段のオヤジ臭に汗臭が加わり、更に、例の悪臭が重なったりすることもあって何ともいえないニオイを醸している。

先月からはじめた週休肝二日も、なんとか継続中。
なんと、週休肝四日を実現できた週もあった。
しかし、本番はこれから。
労苦の汗をただの水で埋めることができるかどうか・・・
弱さには定評のある?私の意志は、早々と散りそうになっている。

それにしても、今年の桜は早かった。
3月中旬には咲きはじめ、下旬には満開。
4月に入ると早々と散りはじめた。
葉桜の下で入学式や入社式を迎えた人達も多かったのではないだろうか。
それでも、出向いたあちこちの街で、車窓から桜を楽しんだ。


一年前、昨年の4月、私は一冊の本をだした。
タイトルは「特殊清掃」、サブタイトルは「死体と向き合った男の20年の記録」、筆者は「特掃隊長」となっている。
きっかけは、とある出版社からの企画提案。
それ以前は、ブログ書籍化の話が舞い込んできても、ほとんど興味を覚えなかったのだが、そのときはなんとなく「おもしろいかもな」「いい思い出になるかもな」と思ったのである。
結果、出版社におんぶされるかたちで、出版するに至ったのだった。

主導は出版社。
“まえがき”と“あとがき”だけは、私が本書用に書いたものの、掲載記事は出版社が選別。
過去のブログ記事のいくつかをまとめただけのもの。
本書用に未公開記事を書けばよかったのかもしれないけど、当時の私にそんな余力はなし。
日々の業務に追われる私は、消極的に参画するのが精一杯だった。
だから、正直いうとあまり新鮮味がない。
価格は1600円。
これもまた出版社が決めたものだけど、ちと高いような気がしている。
同じものがお金を払わなくてもHPで読めるわけだし。

当初、出版社には「本ブログや当社ホームページ等では告知宣伝しない」と伝えていた。
黙っててどれくらい売れるものか興味があったのと、積極的に宣伝するほどの価値を見出せなかったためである。
また、舞い上がって宣伝するよりも大人しくしていた方が品があるような気もした。
(結局、品のないことになってしまっているのだが・・・)
たくさん売れてほしいような、あまり売れてほしくないような複雑な心境もあった。
そのせいでもないのだろうが、実際に発売されてみると・・・見事に売れず。
一年たった今でも、芽さえでていない状況である。

では、今、なぜ宣伝しているかというと・・・
少しはカッコつけたいからである。寂しい思い出にしたくないからである。
(ちなみに、印税は私の懐には入らないことになっている。)
あと、受け身での出版とはいえ、出版社に対して申し訳ないような気がするからである。もともと多く売れることを予想していたわけではないのだが、さすがにもう少しは売れてほしいと思っている。



訪れたのは、とある街のマンション。
遺品処理の依頼だった。
出迎えてくれたのは、70代くらいの男性。
部屋は小さめの2LDK。
住人の死後、ある程度男性が片付けたようで、全体的にガランとしていて家財も少なく見えた。

亡くなったのは男性の息子、働き盛りの40代前半。
IT企業の中間管理職として、精力的に仕事をこなしていた。
そんな故人は、会社やその業界でもっと活躍できるように、資格取得の勉強をしていた。
男性の話の他に、紐で束ねられ部屋の隅に積まれた書籍もそれを語っていた。
「仕事も勉強も頑張ってたのに・・・」
「こんなに早く死んじゃって・・・報われなかったな・・・」
男性は、愚痴るように、また、不条理を嘆くかのようにつぶやいた。

ある朝、故人は意識を失ってトイレの前で倒れた。
一人暮らしだったものだから、そのとき異変に気づく者はおらず。
最初に不審に思ったのは職場の同僚達。
無断欠勤はもちろん、自己都合の遅刻さえしたことがなかった故人。
また前日に変わったことがあったわけでもなく、そんな故人が何の連絡もなく出社してこないのだから、不審の念は自ずと沸いてきた。
しかも、携帯電話を何度鳴らしても応答なし。
結果、実家の両親へ連絡が入れられたのだった。

両親が住む故人の実家は、当マンションから目と鼻の先のところ。
故人(息子)の会社から連絡を受けた男性(父親)は、合鍵をもって息子宅へ。
玄関を開けて目に飛び込んできたのは、トイレから這い出すような格好で廊下に倒れている息子の姿。
仰天した男性はすぐさま駆け寄り、大声で叫びながら息子を揺り動かした。
しかし、反応はまったくなし。
動揺した男性は、慌てて119番。
そうして、故人は、救急車で運ばれていったのだった。

病院に搬送されたとき、故人にはまだ呼吸があった。
ただ、相変わらず意識はなし。
多くの人の手によって懸命の治療が施されたが、結局、意識が戻ることはなかった。
「延命処置を続けるか?」、男性は医師から訊ねられた。
「それで意識が戻る可能性があるのか?」、男性は医師に訊ねた。
「多分、植物状態のまま」、医師の回答は残酷なものだった。
男性は悩んだ。悩みながら考えた。
「本人も、そんな状態で生き続けたいとは思わないだろう・・・」
男性はそう考え、息子に余計な延命処置をしないことを決意した。

すると、その決意を固くする間もなく、別の話が持ち上がった。
それは、臓器提供。
「本人の同意がなくても親の同意があれば大丈夫」
男性のもとには、病院側から色々な専門家がやってきて、臓器提供をすすめてきた。
男性は悩んだ。悩みながら考えた。
「本人も、誰かの役に立ちたいと思うだろう・・・」
男性はそう考え、息子からの臓器提供を承諾した。

男性は、臓器提供をおこなうことによって息子が生き返るような気がした。
だから、決意のあとに迷いはでてこなかった。
早速、故人には、詳細な身体検査が行われた。
特に、目的の器官は慎重に検査された。
しかし、当初の目論見に反して、故人の臓器は健康ではなかった。
結果、臓器移植には不適当との判断が下されてしまった。

息子の死に気を落としていた男性は、更に気落ち。
無理もない・・・命はなくなっても身体の一部だけは生き残るかもしれないという希望を持ったのだから。
「息子が二度も死んだような気がしました・・・」
「何のために命を延ばされたんだか・・・」
男性は、愚痴るように、また、不条理を怒るかのようにつぶやいた。



人生は、好きなことばかりやって幸せがつかめるほど甘くない。
人生に、努力と忍耐は必要。
しかし、それが報われるとはかぎらない。
また、努力と忍耐は楽ではない。
それでも、多くの人は、幸せがその向こうにあることを知っている。
目先に小さな幸せがあることも知っているが、努力と忍耐に向こうにもっと大きな幸せがあることを知っている。
だから、人は頑張る。頑張れる。

では、死はすべてを無駄にするのか。
死を前にしては、努力も忍耐も虚しいものなのか・・・
どうせ死ぬんだから、辛い思いをしてまで努力したって仕方がない?
どうせ死ぬんだから、苦しい思いをしてまで耐えたって仕方がない?
どうせ死ぬんながら、頑張って生きたって仕方がない?
そうではない・・・私が言うまでもなく、これも、ほとんどの人が知っている。

苦しいことが多い人生。
悲しいことが少なくない人生。
「俺は変われる」と自分を騙すように生きている人生。
「いいこともある」と自分を諭すように生きている人生。
「人生とはそういうもの」と自分を納得させて生きている人生。
それでも、人生にはたくさんの花がある。
少しでも健全であろうとして、少しでも善良であろうとして、少しでも幸せになろうとして、何かと闘っているときに花は咲く。
楽しい汗や喜びの涙だけではなく、労苦の汗も苦悩の涙も花は吸い上げる。

「俺の人生には花がない」
私は、すぐにそう思ってしまう。
この仕事が社会の陰にあり、社会の底辺にあるのも事実。
花々しさとは縁がない。
だけど、自分の中に花が与えられることがある。
私は、自分自身を咲かせることはできないけど、自分の中に花を咲かせてもらえることがある。
そして、くたびれた中年男に似合わない、従事する汚仕事にも似合わない大きな花束を抱えている。

たまに、その花を文字に植えかえている私。
その花が枯れないように同じような内容を繰り返し、たくさんの花が咲くように書き続けている私。
そしてまた、「これも花になるかな?」と、売れない本を片手に苦笑いを浮かべている私である。




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終宴

2013-03-28 13:54:25 | 孤独死 遺品整理
楽しいことばかりじゃない、嬉しいことばかりじゃない、ありがたいことばかりじゃない毎日。
ひどく苦しむこともあれば、ひどく悩むこともある。
もちろん、たいした苦悩もなく平穏な日もある。
そんな日々の楽しみは、やはり晩酌。
質素な肴と安酒ながら、結構、楽しいものである。

ただ、問題もある。
それは量。
百薬の長といわれる酒も、飲みすぎれば毒になる。
それがわかっていてもやめられない。

毎晩、泥酔するほど飲んでいるわけではない。
そんなことしてたら、それこそ身体と金がもたない。
だけど、翌朝の不快感・倦怠感と腹の具合を考えると、やはり、飲みすぎの感は否めない。
更には、身体だけではなく、精神にも悪影響を及ぼしているような気もする。

酒で身体を壊して仕事ができなくなったら大変。
私にとっては労災みたいなものだけど、実際に労災が適用されるわけはない。
どちらにしろ、自分が苦しむことになるし、まわりにも多大な迷惑をかける。
そうなる前になんとかしなければ・・・そう思いながらこの歳になっている。

そこで、決めた。
週二日の休肝日をもうけることを。
禁酒は土台無理な話だし、日々の減酒も基準が曖昧でなし崩しになりやすい。
週休肝二日は基準もルールも明確で、逃げ道がないので意志の弱い私に向いている。

第一の目的は、健康管理。
それなりに傷んでいるであろう肝臓をはじめとする各器官。
それらを労わるため。
二次効は酒代の節約。
週に二日飲まない日をつくれば、単純計算でも酒代を三割近く減らすことができる。
浮いた酒代を他にまわせば、一石二・三鳥である。

ルールは単純。
日曜〜土曜の7日間のうちで、任意で二日だけ飲まない日をつくること。
とりあえず、今月に入ってからの四週間は何とかクリアした。
しかし、本番はこれから。
夏に向かって、冷えたビールを我慢するのはかなりツラいはず。
まわりから「長続きしない」という声が聞こえなくもないが、とりあえず、やれるだけやってみようと思っている。



遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、マンションの大家。
「借主の女性が亡くなったので、部屋に残っている家財を処分してほしい」とのこと。
例によって、私は現地調査に出向く日時を約して電話を終えた。

訪れた現場は、街中の商業住宅地。
目当ての建物は、「マンション」と呼ぶほどの新しさと重量感はなし。
そうは言っても、「アパート」と呼ぶほど低層でも軽量でもない鉄筋コンクリートの建物。
築年数はかなり経過しており、それなりの年代物であることは外観からハッキリ読み取れた。

大家女性の自宅はそのビルの二階で、私は、まず大家宅へ。
インターフォンを押すと、中から年配の女性がドアを開けてくれた。
女性は、私に玄関を上がるよう招いてくれた。
が、大家宅に上がり込むとながくなりそうな予感がしたため、私はそれを丁重に断った。

大家女性は、「一人で見に行ってもらえます?」と申し訳なさそうにしながら、故人の部屋の鍵を私に差し出した。
どうも、加齢のせいで足腰を弱めている様子。
腐乱死体現場でも自殺現場でもゴミ部屋でも一人で行くのが常の私。
ノーマルな部屋に一人で行けない理由はなく、私は二つ返事で鍵を受け取り、狭い階段を上がっていった。

故人宅は4階、間取りは一般的な1DK。
残された遺品は、ごくごく一般的な家具家電・家財生活用品一式。
狭い階段を上がった4階ということもあり、大型の家具家電はなし。
置いてあるものは古びたものが多かったが、室内の整理整頓・清掃はゆきとどいており、きれいな状態だった。

故人宅の見分が終わると、私は再び二階の大家宅へ。
大家女性は、再び私を部屋へ促した。
仕事に関係ない話がながくなりそうな予感はしたけど、当日、次の予定はなかった私。
“商談”の必要もあるし、私は、促されるまま大家宅に上がりこみ台所の椅子に腰を掛けた。

大家女性は、お茶とお茶菓子を用意し、私の斜め向かいに着席。
「まさか、亡くなるなんて・・・」と軽い溜息をついてから話を始めた。
仕事の話をしたかった私だったが、女性の話を少しも聞かずに遮るのは無礼なこと。
あと、人生の先輩の話は自分のタメになることが多く、私は、とりあえず女性の話を聞いてみることにした。


故人は70代、生涯独身。
ここへ越してきて以来、ずっと一人暮らし。
大家もまた70代。
夫は何年も前に他界し、また、子供達も何年も前に独立。
それからは、ずっと一人暮らしだった。

故人がここに入居したのは、40代の頃。
家族との間で何かあったらしく、故郷を捨てるようにして上京。
いくつかの職を転々としながら生活し、近年は、マンション管理の仕事に従事。
家賃や公共料金を滞納するようなこともなく、また、借金をするようなこともなく、一人の生活をキチンと成り立たせていた。

そんな二人の距離が縮まったのは、大家女性の夫が亡くなって後。
二人は、同年代の同姓で独り身。
お互い、身近に話し相手がほしい境遇だった。
そんな二人が親しくなるのに時間はかからず、ほとんど毎週末、大家宅の台所で、とりとめのない話に花を咲かせるようになった。

一役かったのはビール。
大家女性は、もともと酒を飲む人ではなかったが、亡夫の晩酌につきあってビールを少し飲むようになり、以降、それが習慣みたいになっていた。
故人もまた酒を飲む人ではなかったが、大家女性がお茶代わりに勧めたのがきっかけで飲むように。
大家宅でのおしゃべりの際はきまって飲むようになっていた。

二人は、少量のビールでもホロ酔いになれたよう。
酔いは感情を解放してくれるし、時には、固くなった腹を割ってくれることもある。
そうすると、話は盛り上がる。
話が盛り上がればその場は楽しい。
二人にとって、それが心地よかったのだろう。

そんな生活の中、故人は急に体調を崩して近くの病院に入院。
当初は軽く考えていた体調不良だったが、判明した病気は芳しいものではなかった。
大家女性が見舞いに行っても口からでてくる言葉は気弱なものばかり。
「部屋にあるものでほしいものがあったら遠慮なく持っていっていい」などと、元気になることを諦めたかのような話ばかりをしてくるのだった。
数日の療養で帰ってくるものとばかり思っていたのに、入院は長引き、結局、ここに帰ってくることはなかった。

「本当に楽しい時間だった・・・」
「こんなに早く亡くなるなんて思ってなかった・・・」
大家女性は、話の途中で何度も何度もそうつぶやいた。
そして、その都度、目に涙をうかべた。

「捨てるのももったいないですから、よかったら、持って帰って下さい」
帰り際、大家女性は、箱に入った缶ビールをテーブルにのせた。
共に飲む相手がいなくなり、買い置いていたビールは不用となったよう。
私にはそれを断る理由はなく、遠慮なく受け取ることに。
適当なところで話を締め、寂しさを滲ませる大家女性に見送られて現場を後にしたのだった。


人には、一人一人に一人分の命と人生がある。
亡くなってしまう命と、終わってしまう人生がある。
人生は、祭のようなものか。
それなりに賑やかで、それなりに沸き立ち、それなりに厳粛で、それなりに美しい。
それなりに楽しく、それなりに笑えて、それなりに大変で、それなりに泣ける。
そして、終わりが近いことを知ると、満足感や余韻とともに切なさや寂しさが湧いてくる。

誰の人生もいつかは終わる。
この人生もやがては終わる。
なんとなく自分には関係ないような、なんとなく遠い先のことのように思える死。
しかし、それはあくまで“なんとなく”。
そこには、人知を超えた摂理はあっても人知に納まる根拠はない。

だからこそ・・・
楽しいことばかりじゃないけど、楽しみたい。
嬉しいことばかりじゃないけど、喜びたい。
ありがたいことばかりじゃないけど、感謝したい。
早く終わってほしいような憂鬱な気分に苛まれることも少なくないけど、精一杯生きたい。
・・・そう思う。


こうして生きている毎日は、酣(たけなわ)の宴。
私は、過ぎていく日々の想い出を肴に、週飲五日で好きなビールを飲んでいる。
そのホロ苦さは、人生の旨味をあらわしているようでもあり、なかなかやめられないものである。



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Hot dog 〜後編〜

2013-03-12 08:24:02 | 特殊清掃
「え!?餓死じゃないんですか!?」
犬の死因は餓死と決めつけていた私は、ちょっと驚いた。
そして、
「もしかして、故人が?・・・・・最期が近いことを悟った故人が、“病弱の犬一匹を置いて逝くのは忍びない”と、犬を殺してしまったのか?」
と、普段から上等なことを考える癖をつけていない頭には、そんな考えが浮かんできた。
そして、女性が次に言葉を発するのを、固唾を呑んで待った。

「それが・・・餓死じゃなくて病死みたいなんです・・・」
「もともと、病弱な犬でしたから・・・」
女性が返してきた言葉は、私がまったく想像していなかったもの。
膨らみかけていた私のイヤな緊張感は、シワシワとしぼんでいった。

ことの真相はこう・・・
実は、故人ばかりではなく犬のほうも重い病を罹患。
それは重い病気で、長くは生きられない状態。
病気を患っていること、余命が長くないこと、独り身であること等・・・そんな犬に自分を重ねたのだろうか、故人は引き取り手のない病気の犬を引き取って飼いはじめた。

故人は、犬をとても可愛がった。
犬には毎日薬をやる必要があり、薬が切れるといつ命を落としてもおかしくない状態にあったが、そんな犬の世話をせっせとやいた。
また、犬のほうも故人になついているように見えた。
二人(一人と一匹)が連れ立って外を散歩する姿は、日常的に見受けられた。
事情を知っていた人の目には、そんな二人の姿が微笑ましく映ったことだろう。

「○○さん(故人)にくっついて死んでたそうです・・・」
女性は、そういって言葉を詰まらせた。


倒れて動かなくなった故人に寄り添って死んだ犬・・・
飼主の死後、どれくらいの時間を犬が生きていたのかはわからない・・・
ひょっとしたら、一時的に、寂しくて不安な思いをしたかもしれない・・・
薬が切れて苦しい思いをしたかもしれない・・・
でも、最期は、大好きな飼主に抱いてもらっているかのような気分で、安心して眠ったのではないか・・・そう思った。
そして、切ないような悲しいような気持ちではあったけど、そんな中にもなんだかあたたかなものが湧いてきたのだった。


隣人女性との話を終えた私は、一階の管理人室へ。
そして、管理人に部屋の状態を説明。
それから、遺族へ電話し同じことを説明。
具体的に、何をどうすればいいか、遺族の要望と見解をきいた。

独身で子供もいない故人の遺族は、複数の従兄弟。
その遺族は、故人の病状や犬の存在も把握。
更に、故人が犬を可愛がっていたこともよく知っていた。
また、死後の後始末についても、こと細かく故人から伝えられていた。

故人は、着実に死の準備を進めていた。
自分が亡くなった後、スムーズに処理できるよう現場となった自宅マンションを売却する手はずも整えていた。
その他の財産や資産も相続する人にわかりやすいかたちに整理。
更には、自分の墓も用意していた。

常日頃、故人は、「残された人になるべく迷惑をかけないようにしたい」と言っていた。
だから、用意周到に、考えうる策を講じていた。
ただ、自分より犬の寿命のほうが長くなるかもしれないこと、また、自分が自宅で孤独死してしまうかもしれないことは想定していなかったのだろう。
摂理は意に反して働き、故人の方が先に逝き、犬が後からともなうかたちになってしまったのだった。

故人の思惑をよそに、故人宅は人間と犬の腐乱死体現場となってしまった。
ともなって、死後の後始末には、故人が策を講じていなかったことが加わった。
しかし、近隣住民も遺族も、誰もそれについて嫌悪感を示さず。
故人の生き陽が、その死に陰を払拭していたのだった。

晩年の事情を知っていた遺族は、犬を引き取ることを拒まず。
ただ、ヒドク腐敗しているため、体液は漏洩し、無数のウジと著しい異臭が発生。
そんな状態なものだから、私は、そのままの状態で引き取ることは勧めず。
協議の末、ペット火葬業者に引き取りと火葬を委託することになった。

ただ、そのままの状態では火葬業者が死骸を回収するわけはない。
ある程度の処理をして、業者が回収できる状態にする必要がある。
そうは言っても、それをやれる人間は特定の者・・・つまり、私しかおらず。
結局、特掃とあわせてその作業も私が引き受けてやることになった。


依頼を受けた私は、装備を整え再び故人の部屋へ。
室内をよく観察すると、確かに、キッチン隅の置かれた器には餌も水も残されていた。
また、犬用トイレもたいして汚れておらず。
それらは、犬が餓死したのではないことを証明しているようで、私は、餓死ではなく病気によって死んでしまったものと納得した。

リビングの壁に掛けられたコルクボードをみると、そこには何枚もの犬の写真が貼られていた。
可愛らしい写真の数々、微笑ましい写真の数々・・・中には、笑顔の故人が一緒に写っているものもあった。
それらの写真は、愛・正義・家族・友人・健康・仕事・お金etc・・・世の中には大切なものがたくさんあるけど、笑顔の時間と想い出もまた、何に劣ることのない大切な宝物であることを教えてくれているようでもあった。


私がはじめにやったのは犬の“納棺”。
人の納棺なら数え切れないくらいやったことがある私だったが、犬の納棺・・・とりわけ、腐乱死骸の納棺は勝手が違う。
生前は可愛らしかっただろうに、腐敗死体となってはその面影はなし。
私は、時々壁の写真を見ながら感情の±をコントロールし、死骸をきれいなタオルで包みなおした。

次に、柩を用意。
もちろん、その場に専用の柩があるはずはなく、私は代わりになりそうな段ボール箱を調達。
そして、箱の外に体液が漏れたら大変なので、トイレ用シートで内張りを製作。
それから、その中に犬を納め箱に封。
最後に、箱の外側をビニールで覆い納棺は終了した。

犬が片付いた次は、故人の痕始末。
人間の感情とはおもしろいもので、故人の生前の姿や過ぎた人生に思いを集中させると遺体汚物に対する抵抗感は低くなっていく。
更に、自分も、腐る精神や肉体をもつ同じ人間であることを思うと、汚物に対する嫌悪感は中和されていく。
普通の人にとっては普通じゃない汚れでも、普通じゃない人にとっては普通の汚れ。
普通じゃない?私は、普通じゃない所で普通に仕事をし、床に広がる元肉体を消し去った。

その後、間もなくして犬は荼毘にふされた。
そして、遺骨は墓に納められた。
故人が用意した墓に、故人の遺骨とともに。

請け負った仕事が終わったのは、それからしばらく後。
家財生活用品はきれいに片付き、ウジ・ハエもいなくなり、立ちこめていた異臭も消えてなくなった。
故人と犬の暮らしを彷彿とさせるものは何もなくなった。
ただ、ガランとした部屋には、切なくもあたたかな一人と一匹の命の余韻が残っていたのだった。



ちなみに、前編の現場・・・
結局、その現場の家財生活用品の撤去処分、清掃消毒作業は当社が請け負って施工。
過述のとおり、遺体の発見がはやく、特段の汚染はなし。
生活汚損も軽く、特段の作業を要することもなく、部屋はきれいになった。
まるで、何事もなかったかのような静かな余韻を残すのみで・・・

そして、「あのチビ犬は?」というと・・・
その後、犬は、新しい家と新しい名前と新しい家族を得て、あれからずっと私の家にいる。
つつましい食事と、かぎりある時間と、ささやかな幸せを分け合いながら。



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Hot dog 〜中編〜

2013-03-07 09:34:20 | 特殊清掃
「住民が騒いでいる!至急、何とかしてほしい!」
ある年の夏、マンションの管理会社から緊急の電話が入った。
「どうしました?」
と訊ねてはみたものの、特殊清掃をイヤというほどやってきた私は、相手が口を開く前から事情を察知。
その現場に急行するため、当日の予定を変更できるかどうか考えた。

現場は、郊外に建つマンション。
その一室で、一人暮らしの住人が孤独死。
推定死後経過日数は一週間〜10日。
暖かい季節であり、腐敗はある程度進行したはず。
そのため、部屋には、それなりの腐敗液汚染が広がり、それなりの悪臭が充満しているであろうことが容易に想像できた。

私は、やはり、当日の予定変更を余儀なくされた。
緊急性の高い本件を優先し、本来の現場は後回しに。
すぐさま車に乗り込むと、現場マンションの住所をカーナビに入力。
気持ちだけは急ぎながら、実際は安全運転で現場に向かって車を走らせた。


到着したのは、小さくも大きくもない一般的な分譲型なマンション。
私が来ることを管理会社から知らされていたのだろう、私がエントランスに入るとすぐさま管理人がでてきた。

「こんにちは」
「ご苦労様です」
「かなりニオってます?」
「え?いや・・・特に・・・」
「“住人の方が騒いでいる”と聞いてきたんですけど・・・」
「?いや、特にそんなことはありませんけど・・・」
「???」

“住人が騒いでいる”という当初の情報から、私は悪臭が外にまで漏洩していると思っていた。
しかし、管理人によると実際は違うよう。
また、住人が騒いでいるといったこともない様子。
とにもかくにも、現場を見ないことには何も始まらない。
私は、部屋に立ち入ることにつき、遺族から了承がとれているかどうか確認し、問題がないことがわかると、管理人と共にエレベーターに乗り込んだ。

故人の部屋は、展望ひらけた上の階。
私は、玄関の前で臭気を確認。
管理人の言っていたとおり、異臭らしい異臭は感知せず。
また、“騒いでいる”らしき住人の姿も見えず。
私は、管理人に鍵を開けてもらい、手袋を着けた手でドアを引いた。

玄関ドアのこっちと向こうは別世界。
ドアを開けた途端に空気は一変。
向こう側からは、嗅ぎなれた異臭が鼻を突いてきた。
そのニオイに管理人はドン引き。
「一緒に入らなくてもいいでしょ?」
「遺族の許可はもらってますから、自由にどうぞ」
「見終わったら管理人室に来てください」
と言いながら、私に鍵を渡してエレベーターのほうに後ずさりしていった。

一人とり残された私だったが、心細いなんてことは一切なし。
嫌われるくらい冷静なまま、脇に抱えていた専用マスクを鼻口に装着。
それから、
「失礼しま〜す」
と、誰もいないはずの部屋にいつもの挨拶。
玄関の上がり口はきれいだったので、傍らにあったスリッパを勝手に借りて奥へと進んだ。

中は一般的な3LDK。
一人で暮らすには充分のスペース。
窓からの眺望も良好。
置いてある家具家電も安くなさそうなものばかり。
そんなところから、故人は、余裕のある生活をしていたことがうかがえた。

ただ、何点かの難点が・・・
リビングの床には遺体汚染痕。
部屋には異臭が充満。
また、衝突するほどではなかったが、無数のハエが乱舞飛行。
もちろん?足元には意気揚々?とウジが徘徊していた。

遺体汚染痕を観察して後、次はその周囲から部屋全体を観察。
すると、汚染痕から少し離れた床にバスタオルを掛けられた何かを発見。
それは、よからぬモノを想像させる形で・・・
嫌な勘が働いた私は、恐る恐るタオルをめくってみた。

タオルを少しめくったところ、タオルの下からは毛が顔をのぞかせた。
それは、ぬいぐるみであるわけはなく、どうみても動物の死骸であることに疑う余地はなかった。
動物の死骸があるなんてまったくきいてなかった私は、ちょっと・・・いや、かなり動揺。
一旦、タオルをもどし短く一呼吸。
ながく間をあけると抵抗感が増すだけなので、私はテキトーな頃合を見計らって一気にタオルをめくり取った。

姿を現したのは犬。
白い毛の小型犬だった。
故人の死の巻き添えをくったのか、そこには、死んだ犬が腐敗した状態で横たわっていた。
「うあ・・・まいったな・・・」
「可哀想に・・・餓死したのか?・・・」
ウジにたかられて変容した死骸を気持ち悪く思う気持ちはあったけど、同時に可哀想に思う気持ちも湧いてきた。
「もう少し発見が早ければ、死なずにすんだかもしれないのに・・・」
「動かなくなった飼主を前にして、変容していく飼主を前にして、異臭が充満し、ウジ・ハエが涌いてくる部屋で一人(一匹)腹をすかせて何日も過ごしてきたのか・・・」
そう思うと切なくて、また可哀想で仕方がなくなってきた。


物音が聞こえたのだろう、一通りの見分を終えて玄関をでると隣の部屋から住人がでてきた。
そして、年配女性であるその人は、私に何か話たそうにしてきた。
普段、世間話や雑談は苦手なのだが、仕事(業務)がらみのネタになると舌が滑らかになる私。
「お騒がせしてます・・・」
と声をかけ、苦情のひとつでも聞かされる覚悟をもって頭を下げた。

女性は、私の風体をみて、すぐに何者であるかわかったよう。
「ご苦労様です・・・」
と、深々と頭を下げてくれた。
そして、室内の様子を尋ねてくると同時に掃除をはやくするよう求めてきた。
私は「騒いでいる住人ってこの人か?」と思いながら、「打たれ役になるしかないか・・・」と諦めた。
しかし、女性は、クレーマーではなかった。
その求めは、「汚れが放置されるなんて○○さん(故人)が気の毒」「できるだけ早くきれいにしてあげてほしい」というもの。
それは、故人を気の毒に思う優しい気持ちからきているもので、それを管理会社に訴えていたのだった。
他の現場において、「クサイから早く何とかして!」「気持ち悪いから早く始末して!」と近隣住人に言われることは日常茶飯事だが、本件はそうではなかった。
とにもかくにも、そんな心づかいに気持ちをあたためられながら、私は、女性の話に更に耳を傾けた。

故人は、60代の男性。
大腸癌を患い、また、癌は各器官に転移。
“余命三年”との診断を受けていた。
三年という時間が長いか短いか、個人的に判断がわかれるだろうが、故人はジタバタしなかったよう。
抱える病や余命のこと、そしてまた死後のことも、この女性を含め親しい人に伝えていた。
そうして、死に向かって準備を整えながら穏やかに暮していた。

入退院を繰り返すのが日常だった故人。
だから、姿が見えなくなっても、誰も不思議に思わず。
姿が消えても、皆、入院して不在であるものとばかり思っていた。
しかし、何日かするうちに、故人宅の窓にハエがたかるように。
その数は日に日に倍増していき、さすがに「おかしい」ということに。
結果、警察が呼ばれることになったのだった。


「そういえば、ワンちゃんの死骸がありましたけど・・・」
「そう・・・○○さん(故人)がとても可愛がってたんですよ」
「かわいそうに、餓死したんでしょうね・・・」
「いやいや・・・それが、そうじゃないんです・・・」
餓死以外の死因が思い浮かばなかった私に、女性は意外な言葉を返してきたのだった。

つづく




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Hot dog 〜前編〜

2013-02-28 16:24:25 | 特殊清掃
「動物の引き取りもやってますか?」
ある年の冬、不動産管理会社から問い合わせの電話が入った。
動物死骸の処理をイヤというほど(イヤイヤ)やったことがある私は、
「はい・・・やってますけど・・・」
と、少々浮かないトーンで返答。
そして、
「料金は、腐敗具合や死骸がある場所等によって異なるので、場合によっては結構な金額になることもありますけど・・・」
と気の乗らない言葉を続けた。
すると、返ってきたのは、
「いやいや、死んだ動物じゃなくて、生きた動物なんですけど・・・」
と意外な言葉だった。

「生きてる動物ですか!?」
私は驚いた。
当社のサービスにそんなメニューはないし、そんな依頼を引き受けたこともなかったから。
死んだ動物も気が進まないけど、生きてる動物はもっと気が進まない。
だから、
「それはちょっと・・・」
と即座に難色を示した。
しかし、冷たくあしらうのは無礼なような気がした私は、
「引き取ってさしあげたいのは山々なんですけど・・・」
と、気がすすまない本心が露呈しないよう気をつけながら言葉を補った。
すると、
「やっぱり・・・そうですか・・・」
と、担当者は、断られることを予想していたかのように溜息をついた。

事情はこう・・・
管理している賃貸物件で借主の男性が自殺。
故人は一人暮らしだったが会社勤めをしており、遺体は一両日のうちに発見
早期発見と季節の低気温が重なり、遺体汚染はまったくといっていいほどなかった。
ただ、そこには、故人の家財生活用品が残置されたまま。
しかも、残されていたのはそれだけではなく・・・
故人が飼っていた犬が残されていたのだった。

借主の自殺について大家は嫌悪感を露に。
管理会社に対し、一刻も早く部屋を明け渡すよう遺族に働きかけることを指示。
しかし、当の遺族は、故人との関係が良好ではなかったようで、本件に関わりたくない様子。
管理会社に後始末を一任し、更に犬の引き取りも拒否。
結果的に、管理会社は、部屋を片付ける役目を負うことに。
家財生活用品の始末だけではなく、犬の始末までやらなければならなくなったのだった。

引き取り手のない犬は、役所に引き取ってもらうしかない。
しかし、そうすれば殺処分されるのは明白なわけで、担当者はそれを躊躇。
そうは言っても、飼主は自殺したわけで、故人や遺族に失礼な言い方になるけど、あまり気味のいい経緯をもった犬ではなく、身の回りに飼ってくれる人もみつからず
また、自分自身も犬を飼えない環境にあった。
大家の手前、一日も早く部屋を片付ける必要がある・・・
しかし、犬を始末することは躊躇われる・・・
その二肢の間に挟まって、担当者は困りきっていた。

動物の回収はともかく、家財撤去処分・消毒消臭となれば通常の業務。
結局のところ、現場に行ってみないと何も始まらないわけで、現場第一主義者の私は、現地調査に出向く日時を約束。
現場は極めて冷たい状況にあるだろうに、私は、担当者の心優しさにあたたかな気持ちを抱きながら電話を終えたのだった。


翌日、私と担当者は現地で合流。
立場に上下はないのに、彼は極めて低姿勢。
「変なこと頼んでスイマセン・・・」
と、犬を引き取る約束もしていない私に頭を下げた。
一方の私は、
「とりあえず、今日は部屋を見に来ただけですから・・・」
と、同情心に流されないよう冷たい一線を引いた。

鍵を開けて玄関を開けると、いきなり
「ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!・・・」
私の登場に驚いたのだろう、どこからともなく犬の吠音が響いてきた。
「うわっ!!」
私は驚嘆。
どこから現れるかわからない猛犬を警戒して身を強ばらせた。

薄暗い部屋に目を凝らすと、私の目に動くモノが映った。
更によ〜く見ると、それは小さな犬。
犬種をきかず勝手に中型〜大型犬を想像していた私は、拍子抜け。
「なんだ・・・こんなチビか・・・」
相手を見た目で判断する癖は、人間に対してだけではなく犬に対しても同じこと。
犬が小型であることを知った私の気持ちには急に余裕がでてきた。

そのチビ犬、しばらく吠えた後はダンマリ。
いくら吠えても無駄であること悟った様子。
その場に立ちつくし、何かを訴えるかのように私の方をジーッと見つめるばかりだった。

その時点で、故人(飼主)が亡くなってから数日が経過。
その間、餌と水は担当者がやっていた。
ただ、糞尿の始末まではされておらず、部屋はとても不衛生な状態。
糞尿は犬用トイレにおさまらず、その汚れは部屋中に広がっていた。
しかも、真冬の折、暖房らしきものはなく寒冷極まりなし。
飼主の死が、部屋を劣悪な環境に変えていた。

「大家さんからは早く片付けるように言われているんですけど・・・」
「結局、役所に連絡するしかないと思うんですが、殺されるとわかってて引き渡すのも忍びないですし・・・」
「そうは言っても、飼ってくれる人も見つからないし、私の家では飼えないですし・・・」
「もしかしたら誰か拾ってくれるかもしれないので、外に放そうかな・・・」
電話で聞いたとおり、担当者は犬を救済する策が打てなくて弱っていた。
一方の私も困惑。
“犬の始末はサービス外”として割り切ることもできたのだが、担当者の優しさを無碍にできない心持に。
同時に、悩み多き私と同年代の担当者と故人(飼主)に対して妙な同情心が湧いてきた。
それでも、
「どおしよぉ・・・来るんじゃなかったかなぁ・・・」
と、乗りかかった舟を降りるべきか、それともそのまま乗り込むべきか悩んだ。

そして、結局、
「今日は、見に来ただけですから・・・」
と、再びこのセリフを吐き、口を濁すしかなかった。

私は、とりあえず、犬のことは仕事から外すことに。
家財生活用品の撤去処分・消毒消臭・クリーニングだけの見積書を提出する旨を担当者に伝えた。
それから、
「食べられるうちにたくさん食べとけ・・・」
と、再びその家を訪れることになるかどうかわからなかったため、置いてあった餌を器にテンコ盛りにし、また別の器に水をタップリ注いだ。
身勝手な人間の手に運命を握られた犬に対して、なんとも切ない気持ちを抱きながら・・・

当の犬は、少し距離を縮めてきたものの、ただただ呆然。
腹が空いていなかったのか、それとも、とても食べる気にならなかったのか、餌には興味を示さず。
薄汚れた身体とウンコまみれの足、そしてキョトンと私を見つめる目が不憫さと切なさを倍増させた。


孤独死の現場には、飼主の死の巻き添えになって死んでしまうペットがいる。
その死骸を片付けることも少なくない。
また、ペットだけ生き残っているような現場もある。
大方の場合、遺族や関係者が引き取ってくれる。
が、残念ながら、そうならないこともあるのである。

「いちいち深入りしてたらキリがない!キリがない!・・・」
「俺のせいじゃない・・・俺が悪いわけじゃない・・・」
そう思いつつも、何かスッキリしないものを抱えながら、私はその家を後にしたのだった。



また、別の話・・・
ある年の夏、特殊清掃の依頼が入った。
そして、私は、そこでも犬にまつわる切ない思いすることになるのだった。

つづく



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年頭の念頭

2013-01-28 14:21:11 | 特殊清掃
2013年 謹賀新年(既に死語?)。
今年も、つまらないことをグズグズ考えて、暗闇を暴走してやろうと開き直っている。
答をだせる頭を持っていないことは承知のうえで。

大晦日の31日は現場仕事はなかった。
一日中事務所にいて、たまっていた雑用やデスクワークを片付けた。
(デスワーカーにも少なからずのデスクワークがあるんだな。)
また、翌日も業務予定はなかったので、「明日(元旦)は休めそうだな」と、気持ちを完全にゆるめていた。

ところが・・・
夕方になって、一件の相談が舞い込んだ。
まだひと月も経っていない案件なので相談の内容まで明かすのは差し控えるが、依頼者はとにかく作業を急いでいた。
「今夜でもいいから来てほしい」といった具合に。
しかし、そのタイミングで、その仕事に行きたがるスタッフがいるわけはなく・・・
また、誰かに「行ってこい」とも言えず・・・結局、私が行くことに。
しかし、既に正月の前味に心身がゆるんでいた私。
楽したくて仕方がなく、とても行く気にはなれず・・・
私は、大人気なくグズった。
結局、翌日の朝一で行くことで、依頼者との協議は決着した。

帰途中、私の気分が浮かなかったのは言うまでもない。
ひたすら溜息。
「正月ぐらい楽させてくれよぉ・・・」とボヤきまくり。
そして、それだけにおさまらず、だんだんと頭にきはじめた。
ただ、これはボランティアでやらされるわけではなく、ちゃんとお金をもらえる仕事。
そして、仕事は仕事としてキチンとやるべきもの。
「不満に思ったらイカン!不満に思ったらイカン!」と呪文をとなえるように繰り返し、イラついていた自分をなだめながら家路を急いだ。
かくして、大晦日の夜の飲み食いはテキトーなところで切り上げ、翌朝に備えて布団の中で年を越したのであった。


元旦の道路はガラ空きで車は快走。
街には人影も少なく、雑踏が嫌いな私にはもってこいの環境。
晴れわたる空、澄んだ空気、人や車も少ない街、
高層ビル群も、東京タワーも、スカイツリーも、富士山までよく見えた。
そして、「これがすべて夢幻だなんて・・・生きてるってホント不思議なことだな・・・」と、新年早々、独自の思考性が頭を覆った。
同時に、「今年も現場業務に追われるのかな・・・」と、妙な疲労感も感じた。

毎年のことだが、私は、正月早々、疲労感を感じるクセがある。
一年の労苦を考えると、なんだか疲れるのである。
明るい話題が少ない世の中にあって・・・
生きにくくなるばかりのように思えてしまう世の中にあって・・・
終わりの見えない労苦や生活苦に、夢や希望を持つことさえおっくうになるような世の中にあって・・・
それでも、楽しいことや喜ばしいことを思い浮かべて、夢や希望を抱くのは私の自由・・・
しかし、そういかない・・・
まったく、この性格は災難としかいいようがない。


2013年に入ってまだひと月も経たないというのに、毎日、多くのニュースが流れている。
明るいニュースも暗いニュースも、そして、死のニュースも駆け巡っている。
それは、なにも遠いところで起きているものばかりではない。
私の身近なところでも、亡くなった人がいる。

知人の友人が急逝した。
まだ40代だった。
正月も、いつも通り家族と過ごし、亡くなる前夜も普段を変わることはなかった。
しかし、ある日の午後、家族がいる自宅で自殺を決行。
家族が気づいたときは既に息をしておらず・・・結局、そのまま亡くなってしまった。
ながく鬱病を患っており、近年は、いつそうなってもおかしくないくらいの状態だったとのこと。
だから、まわりの人間も、どう扱っていいものかわからず困惑していたよう。
そんな中で、結局、本人は自殺を決行してしまった。

また、別の知人の母親が急逝した。
まだ60代だった。
正月も、いつも通り家族と過ごし、亡くなる前夜も普段と変わることはなかった。
いつも通り家族と夕食を食べ、いつも通り床についた。
しかし、翌朝、いつまでも起きてこないことを不審に思った家族が気づいたときには、その身体はすでに冷たく硬直していた。
脳血管疾患による急死だった。

「人生って、ホントわからないもんだな・・・」と、つくづく思い知らされる。
2013年、どんな年になるかわからない。
どれだけの苦しいこと・悲しいこと・ツライことがあるかわからない。
どれだけ楽しいこと、嬉しいこと、愉快なことがあるかもわからない。
自分が気づいていないところで、この身体は病んでいるかもしれない。
自分が気づいていないところで、この精神は傷んでいるかもしれない。
死は、人生につきまとう。
いつも生のすぐそばにある。
それでも、人は死を遠くに置く。
遠いものと錯覚する。

仕事・勉強・お金・人間関係・健康・将来・天災etc・・・人は色んなことを心配しながら生きているけど、死ぬことを心配して生きている人は多くないと思う。
起こるか起こらないかわからないことを心配し、起こることを心配しない・・・
これを「生存本能」といってしまえばそれまでだけど、そこに人間の幼さが感じられて、「人間なんて可愛いもんだな」なんて思ってしまう。


先行きが不透明な人生は生きにくい感じがする。
しかし、人は、人生が不透明だから生きられる。
思い通りにいかないから、計画的にいかないからストーリーが展開する。
そして、その展開が人生を三次元化し色をつける。
それを「面白い!」「楽しい!」と受け止められるくらいに自分の人間性を引き上げていきたい。

それには、寛容であること、謙遜であること、柔和であること、勤勉であることが必要。
忍耐力、努力、品性も必要。
しかし、それらを身につけるのは極めて難しい。
また、薄情であること、冷淡であること、怠け癖、見栄、駄欲など、いらないものを捨てることも必要。
しかし、それらを身から剥すことは極めて難しい。
とりあえずは、楽して生きることより楽しく生きることを志向するべきだろうと思う。

格好つけるけど、私は、普段から「楽しようとしてはいけない」と自分に言いきかせ、現場にも率先して出かけ、過酷な作業も積極的に取り組むように心がけ、またそれを実行しているつもり。
そして、そのスタンスはこれからも維持していくつもりでいる。
それでも、生来の怠け癖は抜けず、また、楽をしたがる本性を捨てることもできていない。
皮肉なことに、楽しようとすればするほど苦しさが増す。
また、往々にして、新たな苦しみを招く。
結果、楽しくない時間を味わうことになる。

時間とともに人は衰える。
いつかはこの頭も、この身体もダメになる。
ただ、刻一刻と鈍くなっていく頭を抱えながらも、刻一刻と老いていく身体を抱えながらも、精神は刻一刻と鍛錬されていてほしい。
この精神は、頭より後に、身体より後にダメになってほしい。

それを支えるためにも、今年も、積極的に現場に走り、積極的に汗をかき、積極的に笑い、消極的に泣かされようと思っている2013年頭である。




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自我自賛

2012-12-31 10:15:55 | 特殊清掃
過ぎてみればはやいもの、2012年も今日でおしまい。
冷たく乾いた空気が、世相を反映している。
それでも、大晦日の東京は、雲が多いながらも晴天に恵まれている。

例によって、私の仕事納めは今日。
世の中には9連休の最中にある人もいるようだが、ま、他人事。
他人を羨ましく思うけど、置かれた境遇を恨めしく思うけど、まだまだ楽させてもらっている感もある。

とにもかくにも、また一年が過ぎた。
無事でない現場を渡り歩きながらも、一年を無事に過ごせたことに感謝・感謝。
大晦日の今夜は、ちょっと贅沢した料理に舌鼓を打ちながら、不調の心身と相談しつつ酒を楽しもうと思っている。

例年のことながら、今年も色々あった。
変りばえのない毎日を過ごしているはずなのに、思い返してみると色々あった。
変りばえのない毎日を過ごしているはずなのに、何年も前には想像もできなかった今年があった。


今年も多くの人が亡くなった。
来年も多くの人は亡くなるだろう。
そして、いくつもの死に遭遇することになるだろう。

死は人につきまとう。
しかし、人は死を嫌う。
それでも“死”に高揚し、美を重ねる。

死は、恐いものである。
それでも、美しいものとする。
感動的な話の多くには、死が織り込まれている。

このブログがまさにそう。
人の死を織り込みながら、感動的に、かつ美しくまとめようとしている
そんなことに傾倒する私は、一体、何者か。


この夏、ひとつ年上の従兄弟が死んだ。
交通事故死だった。
「不幸中の幸い」と言っていいのか、自損事故で従兄弟の他に死傷者はいなかった。

その昔、同じ学校に通っていたわけではないが、盆や正月など、小学生の頃は年に何度か顔を合わせることがあった。
そして、一緒に遊んでいた。
しかし、中学にあがると会うことはなくなり、お互い様だろうが、そのうち、その存在さえも忘れていた。

そんな中での急な知らせ。
第一報は父親からの電話。
父は、少し興奮し、運転の多い私の身を案じてくれた。

事故のニュースはテレビでも流れた。
事故の概要と現場の映像、そして「運転手の男性は搬送先の病院で死亡が確認された」と。
・・・即死だった。

当日の朝、彼はいつも通り出勤したのだろう・・・
予定されていた担当業務に就いたのだろう・・・
自分の家に二度と帰れないなんて、露ほども思わず・・・

彼の死は、何の前ぶれもなく訪れた。
死のかたちは、老病ばかりではない。
いきなり、瞬間的に訪れることもある。

生は、人の未来を固めてくれない。
時は、人の事情を待ってくれない。
死は、人の力を酌んでくれない。

年がら年中、人の死に接している私でも動揺があった。
ただ、縁が薄かったこともあり、性格が冷たいせいもあり、特段の情や悲しみも湧いてこなかった。
が、今更ながら、生の儚さと人生の不確定さを感じさせられた。


さて、自分の死はどうか。
いつ、どういうかたちでやってくるのか、日々、考える。
そして、いつまでたってもあらたまらない生き方に悩む。

今年も、たくさんの死を扱った。
今年も、たくさん余計なことを考えた。
今年も、たくさん小さなことに悩んだ。

たいしたことはやっていないのに、たくさん愚痴った。
たいしたことはやっていないのに、えらく高ぶった。
たいしたことはやっていないのに、すごく疲れた。

今年一年、自分は何をやってきただろうか・・・
何を得て、何を蓄積してきただろうか・・・
ただ働き、ただ食い、ただ飲み、ただ遊び、ただ寝てきただけか・・・

それでも、今日、自分が生きていることには意味と理由がある。
自分が、その意味と理由を知らないだけで。
人は、ただ生きている、ただ生かされているだけではない。

楽観的な人、余計なことを考えない人、小さなことで悩まない人を羨ましく思う。
しかし、自分の中のどこかに、そのような人を見下している自分がいる。
そして更に、このように自分の偽善性や悪性を吐露する自分がいる。

善人にみられるために偽善者を自称する。
賢者にみられるために愚者を自称する。
自分を肯定するために自分を否定する。

小さなことに悩む自分を、真摯な人間に思うことがある。
自分をダメ人間と卑下する自分を、謙虚な人間に思うことがある。
弱く愚かな自分を嫌う自分が、実は好きだったりする。

そんな自分は何者か。
善い自分も悪い自分も、強い自分も弱い自分も、賢い自分も愚かな自分も、すべて自分。
認めたくなくても受け入れるしかない自分、赦せなくても認めるしかない自分、好きでもあり嫌いでもある自分。

ある意味で、人間は変われる。
しかし、ある意味で人間は変われない。
この自分でこの人生を生きていくしかない。

ただ、どうせ生きるなら、元気に生きたい、明るく生きたい、正しく生きたい。
寛容に、謙虚に、勤勉に、柔和で、笑顔で。
だから、そうでない自分の中に葛藤・苦悩・戦いが生まれる。

それらを頭に反芻し、文字に記し、心に刻む。
時間がすぎるばかりで進歩しない人生を、成長しない自分を諦めないために。
そして、まだ知らない自分を知るために、顔で泣いても心で笑うために。

かくして、つまらない自我自賛ブログかもしれないけど、くだらない自我自賛ブログかもしれないけど、2013年も書いていくつもり。
気の向くまま、細々とでも。
そして、社会の下にいながらも、社会の陰で働きながらも、上を向いて明るく生き抜くことを志すつもりである。

せっかく生きてるんだから。



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今の俺 俺の今

2012-12-14 16:58:57 | 特殊清掃
季節は冬になり、世の中は師走を迎えている。
クリスマスや正月をひかえ、街は虚勢を張るかのように賑わっている。
やはり、世の中は明るい話題に乏しい。
経済の低迷、国力の低下、政治の混迷・・・それらから派生する数々に問題・・・
冬に寒さにも引けをとらない時代の冷たい空気が、人々の不安や不満を駆り立てている。

個人的にも同様。
相変わらず、現場には率先してでているものの、気分が浮かない。
ま、これは今始まったことではないわけで、もはや、思考法や精神力ではどうしようもない。
更に、今年は持病の喘息まで再発してしまい、困った状態である。

以前に書いたことがあるかどうか忘れたけど、私は“喘息もち”。
最初に喘息の発作に見舞われたのは、20代半ばの秋。
この仕事に就いて一年くらいの頃で、仕事上でかなりのプレッシャーを抱えていた頃のことである。

当時・・・ある日の晩、急に咳が続いたかと思ったら、呼吸が急激に苦しくなった。
それは一日だけでは終わらず、以降、毎晩続くように。
あまりの苦しさに気持ちはイラつき、身体は置き所をなくした。
外の空気を吸えば楽になるかと思い、夜の外を徘徊したこともあった。

そんな状態では夜もろくに眠れず、さすがに耐えられなくなった私は病院へ。
血液検査の結果、アレルギー対象物質はみつからず。
自分では、原因は仕事上のストレスだと思った。
何はともあれ、診断は「喘息」。
薬を処方してもらい、発作は薬で抑えることができるようになった。

以降、数年は、気管拡張剤を携帯する日々が続いた。
今にしてみれば懐かしいかぎりだが、作業中に発作が起こり、薬を吸いながら作業を続けたことも何度となくあった。
ただ、ここ何年も大きな発作に襲われたことはなく、自分が“喘息もち”であることさえ忘れていたくらい。
それが、今年の秋になって再発した次第なのである。

日常的ではないものの、普通に過ごしていてもたまに息苦しくなる。
更に、酒を飲むと、それが顕著にあらわれる。
20代の頃ほどの重症ではないものの、そんな具合だからあまり酒が飲めなくなってしまった。
先日行われた会社の忘年会でも酒は一滴も飲まなかった。
そんな具合だから、飲みの誘いも極力断っている。
酒って、我慢するものツラいけど、具合が悪くて飲めないのもまたツラい。
ま、健康のことを考えれば、その方がいいのかもしれない。



現場は古いアパートの二階。
間取りは1DK。
亡くなったのは初老の男性。
死後数日。
寒冷の季節、遺体の腐敗はさほど進行していなかった様子。
部屋には生ゴミ臭にも似た低異臭があったものの、遺体汚染痕と思われるような目立った汚れは見当たらなかった。

依頼者は、同じ敷地内の一軒家に住む大家。
「貴重品は警察から遺族に渡されたようです」
「たいしたものは残ってないでしょうが、遺族に渡したほうがよさそうなものがあったら私に預けて下さい」
とのこと。
故人には娘がいたが、何分にも遠方で、部屋の片付けは大家が一任されているようだった。

現場の規模は大勢でやるほどのものではなし。
家具も家電も一人で運べるような小型のものばかり。
その量もそれほど多くはなし。
時間に余裕のあった私は、この仕事は一人きりでやることにして、準備にとりかかった。


腐乱死体現場や自殺現場の処理は特にだが、作業を一人でやることに依頼者の多くが驚く。
死や死体を忌み嫌うことに由来する何かしらの固定観念があるのだろう。
ただ、私は、一人でやれることは一人でやる主義。
肉体的には大変だけど、精神的に重い分、精神の土台が安定するからである。
そしてまた、賃金が懐にたまり、自分という人間の核力が心にたまるからである。


特別汚損のないこの現場には、特殊清掃は必要なし。
必要な作業は、部屋に残置されている家財生活用品の荷造りをし、それを運び出し、一般的な清掃と簡易消毒消臭をするのみ。
私は、軽易な作業を軽易じゃない気持ちで黙々と進めた。

「?」
押入れの中に風呂敷に包まれた四角形。
持ち上げてみると、結構な重量感だった。

「?何だろう・・・」
風呂敷を解いてみると、中には漆黒の箱。
更に箱の蓋を開けてみると、中には分厚い本のようなものが入っていた。

「家系図?」
表紙には「○○家 家系図」の文字。
どうも、故人の家の家系図のようだった。

「どうしよ・・・」
貴重品として返すか、ゴミとして処分するかどうか迷った。
しばし考えた結果、遺族に渡すことにした私は、箱の蓋を閉め、元通り風呂敷に包んだ。

その後、その家系図は大家を通して遺族の手に渡された。
それを受け取った故人の娘は、中を見ただろう。
そして、自分のルーツを目の当たりにして、何か感じるものがあったかもしれない。
少なくとも、“親切の押し売り”にはならなかっただろうと勝手に思っている。



家系・・・
私については、もう父方と祖父母も母方の祖父母も亡くなっている。
叔父や叔母にも既に亡くなっている人は多い。
平均寿命にはまだ間があるものの、両親も高齢になっており、死去していなくなるのもそんなに遠い未来のことではなさそう。
亡くなった人にもかつては“今”があり、老齢の両親にも“今”があり“今”があった。
その時々に苦悩や泣き笑いがあったはず。
それもみんな過去・・・夢幻と化した。

そういう私も立派な?中年オヤジ。
何となく生きていたら、いつの間にかこの歳になっている。
何歳まで生きることになるのかわからないけど、生きてきた月日と残された月日を比べると後者の方が短いはず。
もう、“今”を思慮なく浪費していい歳ではない。


気持ちが晴れない。
気分が浮かない。
私の頭からは、憂鬱が抜けることはない。
楽しく遊んでいても、楽しく酒を飲んでいても、ゆっくり風呂に入っていても、眠っていても、「必ず」と言っていいほど頭のどこかに憂鬱がある。

でもまぁ、それも「自分」。
元気に、明るく、前向きに、楽観的に生きられなくても、それが自分。
弱く、暗く、後ろ向きに、悲観的にしか生きられなくても、それが自分。
変りたいけど変れないのも現実の自分。

そんな人生や自分自身に価値を見出せない自分でも、誰かの役に立っていること、何かの役に立っていることがあるかもしれない。
自分の中で消化できない劣等感が、社会の中で消化されることもあるかもしれない。
自分の中で消化できない後悔が、歴史の中で消化されることがあるかもしれない。

ダメな自分と戦うことには意味がある。
ダメな自分を受け入れることも同じ。
そしてまた、ダメな自分と戦えなくて悩むこと、ダメな自分を受け入れられなくて苦しむことにも大きな意味がある。
どんな苦悩や艱難にも意味があり、“今”は、次々と過去になる。
人生の意味は、一人の人生だけで完結するものではなく、ある意味で、一人の人生を超えて、社会的に・歴史的に完結するものなのではないかと思う。

社会の中で自分自身をどう生かすか・・・
歴史の中で今をどう生きるか・・・
“今”という瞬間において自分が正しいと思うほうを選択し、“今”という瞬間において自分が正しいと思う行いをすること・・・
社会的な大正義を志すことも大切だけど、同じように、個人的な小正義を持つことも大切・・・
つまり、自分にとって本当に大切なものを大切にすること・・・
・・・「今を大切に生きる」って、そんなことじゃないかと思っている今の私である。







付録

「自分にとって大切なものは何?」という質問に対して「家族」と答える人は多いと思う。
しかし、実際のところ、本当に大切にしているだろうか。
家族を大切にしていることを、日々、実感できているだろうか。
また、家族は大切にされていることを、日々、実感しているだろうか。
自分が漠然と大切に思っているだけで、日常生活で表現していないことが多くないだろうか。

よい息子・娘、よい夫・妻、よい父・母であろうと意識・努力しているか・・・
それどころか、愚痴をこぼし不平不満をぶつけ、挙句の果てには外で抱えてきたストレスを家族に向かって発散していやしないか・・・
愛想よくするどころか、その顔は仏頂面で凝り固まっていないか・・・

家族同士、気持ちのいい挨拶を交わすこと、相手の労苦をねぎらうこと、相手の立場になって話を聞くこと、素直に謝ること、感謝の気持ちを言葉にすることetc・・・
たったそれだけのことでも、“今”は随分と充実するのではないかと思う。

善は急げ・・・・・「明日があるさ」との油断・慢心してはいけない。
“個人的な小正義”を表すべきは、刻一刻と過ぎている“今”なのである。





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