山崎豊子さん死去:大阪でお別れの会 「大地の子」ら涙 「日中の懸け橋として尽力します」
毎日新聞 2013年11月24日 大阪朝刊
高校と大学で奨学金のお世話になりました。高校入学の頃は中国から日本に来たばかり。山崎先生にお会いした時も日本語がままならず、感謝の気持ちを表せずにもどかしい思いでした。先生には経済面だけでなく、日本で生きていくための勇気と自信を与えていただきました。私はまさに「大地の子」の孫です。日本の社会の一員として役目を果たせていることを誇りに思います。先生から学んだことを胸に、今後も日中両国の懸け橋として尽力していきます。
□10期生代表、神戸市在住の女性会社員(25)
突然の訃報に接し、私たち一同は深い悲しみでいっぱいです。偉大な先生に支援されながら勉強できることを大変誇りに思いました。私も社会人になり、自分自身で生活できるようになりました。私だけでなく、毎年、財団の援助を受け自立し成長していく人がたくさんいます。先生は私たちに日中の懸け橋になるよう願われました。今、日中関係は冷え切っています。しかし、私たちは先生の遺志を継ぎ、日中が本当の意味での良きパートナーとなるよう努めていきます。
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■ことば
◇山崎豊子文化財団
日本に帰国した中国残留孤児の孫らの学資を支援するため、山崎さんが1993年に設立。事務局を堺市の自宅横に置いた。孤児の苦難を描いた「大地の子」の他、「不毛地帯」「二つの祖国」の戦争3部作の著作権と現金を財団に寄付し、その印税を活動費に充てた。大阪府在住で、現在は公立高校に進学する中国残留孤児3、4世が対象。毎年約15人に支給し、これまでの奨学生は延べ300人に上る。