青山氏はその後の報道番組でこの審議の際にあった傍聴席でのちょっとしたいざこざについて触れ、反安倍反青山らしい当該一般人に対し、青山氏自身のブログで扱うから反論があれば受けて立つ旨を語っていた。
だがこれは不公平なやり方である。彼は自身にとって都合の悪いコメントは削除する方針であり、私も経験済みである。ろくに反論も出来ないということだ。このことも頭にあり普段は見ない彼のブログを覗いてみた。
最新記事は11月20日投稿のもので参考人意見陳述について書かれてあり、傍聴席での一幕についての言及は無かった。(ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ)
薄い内容のものだったが読んで驚いたのはその文章の拙さ。
「東京の夜景のなかを運転していて、「こんな時でもドライビングは愉しいな」と思いました。」
などまるで小学生が書いた作文のようだったが、国会での一仕事の直後のものらしく、好意的に見れば開放感が手伝っていた為とも考えられる。
だがそれにしても幼稚な文章。青山繁晴氏の著作に『ぼくらの祖国』というのがあり、かなり売れていた本のようなのだが、あの拙い文章を書く彼が本当に本を書いたり出来るものなのか、と不信感を覚えた。
アマゾンHP内の『ぼくらの祖国』を見るとさわりの数ページが[この本の中身を閲覧する]というリンクから立ち読み可能だった。
ひらがなが多く平易な文章で書かれてはあったが表現はわりと上手で、あのブログを書いた人物と同一人物の手によるものとはとても思えなかった。たとえば下記の記述。(立ち読みの9ページ目)
「その無残な現実を通して、わたしたちは、根っことは気づかなかった根っこ、大きくて深い土台があったことを、これまでの立場の違いを超えて、知りつつある。」
けっこう凝った表現。
ん?
「わたしたちは」?
他の箇所での一人称複数形は「ぼくら」または「ぼくたち」で統一されているのに、この部分だけ「わたしたち」。
普通はありません。一人の人物が書いた文章の中に「ぼくたち」と「わたしたち」が混在する様なことは。
おそらくゴーストライターがうっかりこの箇所だけ普段使い慣れている「わたしたち」使用してしまい、青山氏も出版社も気が付かなかったのでしょう。
有名人の代わりにゴーストライターが書いているというのはよく聞く話ではあるし「青山繁晴というネームバリューで売れていて読んだ人も満足しているのだからそれで良い」と言われたらそうなのかも知れません。ですが「著者」というからにはやはり自分で書くべきもの。そうしないからこういう恥ずかしいことも出てくる。
『ぼくらの祖国』に感銘を受けて青山ファンになった人も少なくないはず。他の人物ならいざしらず、相手は売国に突き進む安倍晋三を時に嘘を混じえて擁護している青山繁晴氏である。
私はこれを看過しません。
私のブログは基本的には常にコメントを開けてある。反論があったらどうぞおっしゃって下さい、青山さん。
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