──────この年の冬。

 東の大国ギルマラエス連合国軍が、北国アブランテ帝国の国境を越え、2大国の間で戦乱の火蓋は切って落とされた。

 国境紛争から始まったこの戦いは──────しかし、その両国とも全戦力を投入せず、ただ場当たり的に戦力を小出しにしていた。

 戦略理論上、戦力は時間と場所とを特定し、一気にそそぎ込む事が至上とされているのにも関わらず、両国はそれを行おうとはしなかった。

 そんな、戦略上愚案とされる戦い方を、なぜ両国がしなければいけなかったか?。

 ────────それは両国の西にあった。

 まだ西に魔導王国カルマンがある以上、そちらを無視する行動は出来ないのだ。

 2国間で戦いが起これば、必ず残った1国が漁夫の利得る事になる。

 この3国はいわば3竦みの状態であり、一触即発の状態でありながらも、どの国も全土を掌握するには決め手に欠けているので、多少の小競り合いはあるものの、危険なバランスの上で一応の平和は保たれている。

 あったとしても、ほとんどが今回のような小競り合いで、それもすぐに済んでしまうのだ。

 

 ──────しかし─────────

 

 その決め手を持った人間が、カルマンのさらに西にあるモルト王国にいた。

 たった一人で数万の軍隊を相手にし、さらに天変地異すら引き起こす事が出来る程の魔導師が。

 各国の王達は、他国の王や軍隊より、むしろこの男の動向に目を向けているのだ。

 

 

 

 

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ──────────────」

 お昼にはやや早い時間であろうか────

 魔導師協会総務課から、ある若者の悲鳴が聞こえてきた。

 まるで断末魔のようなその叫び声に───しかし、それが聞こえても誰一人気にとめた様子はなく、周りの人々はいつもと変わらぬ生活を続けている。

 その叫びが聞こえた時は、驚いた風にビクッとして仕事をする手を一瞬止めるが、それだけで、皆すぐにそれまでの仕事を再開していくのだ。

(・・・・・・・・・・・・またか)

 人々は、そう思ってこの悲鳴をいつも聞いている。

 もちろん、その悲鳴を目の前で聞いていたエルフの娘、ソフィアもその一人であった。

「・・・よく飽きないものだ」

 ぽつりとそうつぶやくものの、その声すらフィリオ・マクスウェルの悲鳴にかき消えてしまう。

 その悲鳴の主であるフィリオを締め上げているのが、この国ナンバーワンの女剣士エリカ・ヴァン・シャフィールであった。

 彼女は、ミドルネームに聖騎士の称号である『ヴァン』を名乗る事を許された程の騎士で、先の武神祭とゆう武道大会で優勝を収めた天才女剣士であった。

 その彼女が自分の彼氏と主張して譲らないのが、今締め上げられているフィリオである。

 いつもながらのその光景を眺めなつつ、ソフィアは我関せずとばかりにお茶をすすり、事が終わるのをただひたすら待っていた。

 

(だけど────さすがに今日のはフィリオが可哀想だと思うわ)

 

 ソフィアは表面上は無関心を装っていたが、心の中ではふとそんな風に思ってしまう。

 今朝早く毒蛇に噛まれたとゆう者が、この総務課のドアを叩いたのだ。フィリオにその治療をして貰う為に。

 そして、彼は適切な処理を施し患者は死に至ることはなく、それどころか、傷跡すら分からぬ程の治療を彼は施したのである。

 ・・・・・と、普通ならば彼は人に褒められる事をしたのだが、悪い事にエリカはそれに狂っように怒りだした。

 

 患者が───────────同年代の女の子と言う事で。

 

 エリカは、フィリオが女の子と親しげに話しているのを目撃すると、嫉妬の炎で彼を焼き焦がし、今もなおその業火は収まり気配を見せていない。

 そのとばっちりを受けまいと、患者はとっくの昔に、そそくさと総務課を後にしている。

 このような事が頻発するので、フィリオの治癒術者としての能力は高いものの、今ではよほど酷い怪我で急いでいない限り、彼に治療を頼む者はいなくなってしまっていた。

 そして、今朝のように危険な状態で患者が運ばれてきても、患者達はエリカの姿を見つけると、治療が終わるなり逃げるようにして帰っていくのだ。

 ・・・・・・・・・・・・・治療費も置いていかず。

 そして、いつも通り────────フィリオはエリカに締め上げられるのだ。

 そんな痴話喧嘩とゆうには過激すぎるさまを、ソフィアは頬杖をついて眺めていた。

(それにしても、相変わらずなんの呪文か分からなかったわ)

 ソフィアは、治療していたフィリオの呪文を何度か聞いているが、それを聞く度頭を悩ませていた。

 呪文の系統が治癒のそれと違うのだ。

 癒しの系統は多種多様な呪文があるが、基本的には似たようなモノがなのだが、彼の治癒呪文は明らかに違った。

 その上、彼はたった1つの呪文で毒も、怪我も治してしまう。

(どう考えてもおかしいわ。

 普通なら、解毒の呪文、治癒の呪文と分けてあるのだから。

 ────────でも)

 そこで、ソフィアの考えはいつも止まってしまう。

(・・・・まあ、もう少し様子を見ましょう)

 そして、いつもこの結論に到達してしまうのだ。

 そんな物憂げなソフィアの目の前では、ようやくフィリオの悲鳴が終わろうとしていた。

 

 

 

 バタン!。

 力一杯扉を蹴破り出ていくエリカと入れ違いに、エリーがその壊れた扉から入って来た。

 彼女は魔導師協会の受付嬢で、昼になると決まってここでランチを食べて行っている。

 それは、彼女の親友ソフィアがここにいるからでもあるのだが、今日は違う用事もかねて総務課に来ていたので、倒れているフィリオに視線を流す。

「またなの?」

 呆れ顔でそう言いながら、彼女は平穏なソフィアのテーブルに腰掛けると、もう一度ちらりと床に目をやると、ピクリともしないフィリオの姿を見た。

 しかし、別段助けようとする気配はない。

 ソフィアは、彼女に事の次第を説明すると、エリーはは苦笑するようにクスクスと笑い出し、イタズラっぽい瞳でを細めた。

「ちょっと、可哀想な気もするわね」

 彼女はそう言うと、もう一度ちらりとフィリオを見る。

 相変わらず、床でのびたままだ。

 

 ─────にやり──────

 

「どうしようかしらね?」

 エリーはことさら声に出してそう言うと、楽しそうにソフィアにウィンクして彼女を呆れさせた。

(・・・いつものことか)

 そう思って、ソフィアはどんよりと彼女を見つめる。

 ─────そう、いつもの事。

 また、いつものエリーのイタズラ癖が出てきたのだ。

 エリーは大人びた顔つきだが、性格はその顔に合わず笑い上戸でイタズラ好きだ。

 そして不幸なことに、フィリオは実にイタズラしがいのある男なのだ。

 人よりリアクションが大きく、ちょっとエッチな話になるとすぐに顔を赤らめてしまう、そんな絶好のカモ────いや、フィリオを彼女が見逃すはずもない。

「フィリオ君に、是非治療して欲しいっていう依頼があるんだけど」

 ──────────ぴくっ。

 そんなエリーの言葉に、フィリオの指が微かに動く。

「・・・・・・・・・・・今日の今日だぞ」

 やや呆れた風にソフィアは言うが、あまりに楽しそうなものだから、『止めてやれ』とは言わずにただその眉を曇らせるのみだった。

「台車でも持ってきて、連れていこうかしら」

(・・・・・・・・・・・・・をいをい)

 そんなエリーに、床のフィリオはずずずっ、ずずずっと這うようにして動いていく。

 それに気づかぬ振りをして、満面の笑みをこぼす彼女。

 そして、その彼が扉に近づいたのを見計らって、エリーはこう言ってのけたのだ。

「依頼人は50がらみの男性なのよ」

 

 

 

「・・・・・・・はぁ」

 いつもの事ながら、まんまとエリーに一杯食わされて、身体に擦り傷を追加した彼は、治療を行うために、エリーの案内である貴族の屋敷へと向かっていた。

「・・・・・今日は厄日だ」

 小声だったが、がっくりと肩を落として言うその台詞に、ソフィアもエリーも苦笑しながら顔を見合わせる。

「ちょっと、からかい過ぎちゃったかしら?」

「・・・・まあ、人助けしてこれだけ酷い目にあったのだからなあ」

 二人は、少しバツの悪そうな表情で囁きあうと、まるで闇でもまとったかと思うぐらい落ち込んでいるフィリオを見る。

「やっぱり、ちゃんと謝っといた方が良いかな?」

「うーーーん」

 あまりの落ち込みように、二人が顔を合わせたちょうどその時だった。

「・・・すいませんねえ。

 ちょっと道を教えて貰いたいんですが」

 そう、フィリオに声を掛けてきた老婆がいた。

 その老婆の背丈はフィリオの半分程しかなく、その横には何か重そうな荷物が並んでいる。

 やけに、にこにこ顔で見上げるその老婆に、フィリオは緩慢にそちらの方を見て────────────

 無言で通り過ぎていった。

「おい!」

 いくら人助けして酷い目に合い続けているとは言え、ほとんど無視するように通り過ぎたフィリオに、ソフィアはちょっときつめの声を上げた。

 しかし、その言葉を遮るような声が、ことさら大きく聞こえてくる。

「ああ、年なんて取るもんじゃないねぇ。

 昔は言い寄ってくる男共の振り払うのに大変だったのに、いまじゃ惨めなもんだよ。

 それに、都会もんも冷たいったらありゃしない。

 こんな惨めな年寄りが困っているのに、話しも聞かずに通り過ぎようとしているし。

 昔は良かったよ。年寄りが困っていれば、何も言わなくても助けたもんだ。

 それにあの子も─────」

「・・・・何かお困りですか?」

 大げさに身振り手振りを交えながら大声で喋る老婆に、とうとうフィリオも折れた様子でそう声を掛ける。

 しかし、顔はまだまだ不満一杯で、もの凄く嫌そうだ。

 その顔つきを睨み付けるようにして見ながら老婆は一言。

「・・・別に嫌々助けてくれなくても良いんだけどねぇ」

 その言葉に引きつりながらも、フィリオはどうにか笑顔を作りだすと、老婆は表情を一変させてあれよあれよとゆう間に、フィリオに荷物を持たせてしまった。

「・・・・あの」

「親切な子だよ。

 荷物まで持ってくれるって言うんだから」

 ・・・・・・もちろん、フィリオはそんな事、一言も言っていない。

 もの言いたげなフィリオをそう言って黙らせると、老婆はソフィアとエリーの元へととことこ歩いていく。

「ちょいと道を尋ねたいんだがね。

 ファーレンとゆう貴族の屋敷に案内してくおくれ?」

 

 

 

「おばさま!」

 オービル・ブラックフレイム・ファーレンの屋敷に着くなり、迎えに出たミレニアム・ファーレンのその言葉で、老婆は嬉しそうに目を細めると、真っ先に彼女に抱きついた。

「おお、ひさしぶりだねぇ。元気にしていたかい?。

 しばらく見ない内にこんなに大きくなって。

 私の若い頃にそっくりだよ」

「お・・・おばさま」

 一気にまくし立てる老婆に、ミレニアムもちょっと困り気味だったが、すぐにソフィア達の姿を見て、慇懃な態度でお辞儀をした。

「いらっしゃいませ。

 治療をお願いした方達ですね、どうぞこちらへ」

 礼儀正しくそう言う彼女に、ソフィアもエリーも小さくお辞儀する。

 その少し後ろで、荷物に囲まれながら息を乱してうずくまるフィリオには────

「ほれ、何ぐずぐずしてるんだい。

 さっさと荷物を運んでおくれ!」

 ───老婆の容赦ない声が浴びせかけられた。

 部屋に通されたフィリオはようやく荷物を下ろすと、汗びっしょりの身体で荒い息を吐いていた。

 かなり疲れた・・・・・・いや、へたばっていたとゆった方が良いだろう。

 そんな様子だったが、フィリオは焦るように治療に取りかかると言い、すぐにオービルの所へと行ってしまった。

 ソフィアとエリーは取り残された形になり、ミレニアムの出してくれたお茶で喉を潤し、客間で治療が終わるのを待つ。

 元々、フィリオ1人でも良かったのだが、2人とも今日は暇だったので付いてきたのだ。

 どことなく所在なげに、2人はお茶を飲んでいた。

 そしてその同じ場所には、あの老婆もちょこんと座って、彼女らと同じ飲み物を飲んで座っていたのであった。

 しばらく無言が続いた室内だったが、やおら老婆が向き直り二人に話しかける。

「ちょっと、お訊ねしますがね。

 あのフィリオって子とあんた達はどうゆう関係だい?」

「関係?」

 突然そんな事を言われ、二人は顔を見合わせてしまう。

 どちらかが、恋人かと思われたかしら?。

 目でそうささやき合う二人に、老婆は言葉を続けた。

「いえね。ちょっとした好奇心なのさ。

 あんた達みたいな綺麗なお嬢さん方と、あの子とじゃ、どう見ても不釣り合いだからね」

「不釣り合い・・・ですか?」

 さすがに、ソフィアはその言葉にカチンときた様子で、声に鋭さを含ませる。

 確かに、フィリオの事を何とも思っちゃいないし、彼が不幸な目にあっても苦笑して済ませてしまうソフィアだが、彼がこの老婆の代わりに重い荷物を運んでここまで来たのは確かなのだ。

 それなのに、感謝するどころか、フィリオの事を格下の様に扱う老婆の態度に、彼女は怒りに似た感情を抱いていた。

「おばあさん。彼はああ見えて結構凄いんですよ。

 その重そうな荷物を1人で持っているのに、手ぶらの私達には一言も『持ってくれ』なんて言わなかったじゃないですか。

 もちろん、私達はただの知人ですけど」

 ソフィアが感じた事をエリーも感じたのか、彼女はやんわりと、しかし毅然と『知人』と言い放つと、老婆は二人が言いたい事が分かったのかちょっとバツが悪そうにする。

「いや、すまないねぇ。

 あの子には後でちゃんとお礼を言っておくよ」

 そう言うと、ぺこりとお辞儀する。

「ついつい、あの子がいる様な感覚になってしまってね。

 あの子も何か頼み事をすると、ぶつぶつ文句を良いながら、でもちゃんと頼み事をきいてくれたんだ」

 老婆が言う『あの子』がフィリオではないのは、二人にも分かる。

 いきなり、全然関係ない話を聞かされて詳しい訳は分からないが、しかしその話から想像は容易だ。

(孫か、子供かな?。

 フィリオに似ているのかもしれない)

 懐かしそうに話す老婆に、ソフィアとエリーはちょっと視線を合わせてしまう。

「ほんとにあの子は根は素直な子でね」

 そうして始まった昔語りは、フィリオの治療が済むまで、延々と続く事になる事を2人はまだ知らない。

 

 

 

「この腕の火傷の痕ですか?」

 フィリオは、オービルの比較的新しい火傷の痕を見て訝しげにそう言うと、考え深げにアゴに手をやる。

「どうしたのかな?」

「・・いえ、大した事ではないんです」

 そう言うが、フィリオはなかなか治療に入ろうとはせず、火傷の痕を見つめたまま考え込んでしまっていた。

 その様子を、ミレニアムとオービルはじっと見つめて待つ。

 部屋に静寂が訪れ、誰1人喋らないまま時が過ぎて行く。

 が、しばらくしてフィリオは何か吹っ切った様に肩の力を抜いた。

「じゃ、かかりましょう」

 彼はそう言うと、にわかに呪文を唱えだす。

 魔法の事に関しては、まるっきり素人のオービルとミレニアムであったが、真剣な眼差しで彼の呪文を聞き、動く指先の一つたりとも逃さぬ様相で彼の治療を見つめていた。

(どうも、おかしいなこの治療)

 そうは思いながらも、フィリオは治癒の呪文を唱え、ゆっくりと患部をなぞっていく。

 そして、その触れた面から次第に火傷の皺が取れていった。

 その様子を大きく目を見開いて見つめるオービル。

 彼の目からは、自分の怪我以上の何かを感じる事ができる。

 フィリオが悩んでいたのは、まさにこの事だった。

 だいたい、オービルがこんな火傷の痕を治したいと言ってくる事自体、フィリオには疑問なのだ。

 候騎士ブラックフレイムの座を長年守っているのだから、コレぐらいの傷跡など日常茶飯事の筈である。

 事実この程度の傷跡など、他にも彼は負っている。

 はっきり言って、出された腕には他の剣痕が幾つも通っていた。

 しかし、オービルはこの火傷の痕だけを治してくれと言うのだ。

 その上、この火傷の傷すらおかしい事にフィリオは気づいていた。

 この火傷の痕は、同じ程度の火傷の痕の上に、さらにつけられた物なのだ。

 つまり元々火傷の痕があった所に、ワザとたいまつか何かでもう一度火傷を負ったような感じなのである。

 どうしてこんな事になったのか皆目見当がつかないが、とりあえず治療をする事にしたフィリオは、その火傷の痕を綺麗に取り除くと、ふぅと小さく息を漏らして肩の力を抜いた。

「終わりました」

 簡潔に言う彼をよそに、オービルは火傷があった場所をまじまじと見つめている。

「・・・いや、すまない。ありがとう」

 どこか上の空とゆう感じでオービルはそう言うと、フィリオは小さくお辞儀して部屋を出ていった。

 オービルとミレニアムの何か言いたげな視線を背に感じつつ、フィリオは部屋を出て階段を下りて行った。

 そして、ソフィアとエリーに声を掛けようと客間に寄ると、引きつらせた笑顔のまま老婆の長話につき合っていた2人を見つけた。

「おや、早かったんだねぇ」

 先ほどから休み無しで話し続ける老婆の矛先がフィリオへと変わった事に、ソフィアもエリーもほっとした様子で胸をなで下ろしている。

 何せ、一人で滝の流れのごとく喋り続けるのだ。

 ほんのしばらくの間だったとは言え、2人はものすごく疲れた風に見える。

 しかし、当の老婆は、まるで疲れなど感じさせぬパワフルな声でこう言った。

「待っていたんだよ。

 さ、今度は私につき合う番だ。この町を案内しておくれ」

「────え゛」

 その老婆の言葉に、フィリオの表情と身体は完全に、一瞬も待たずに硬直してしまった。

 こんなのにつき合っていたら、どんな目に遭わされるかわかったもんじゃない。

 固まった表情はそう告げている。

 そんな露骨に嫌がっている様に老婆は半眼で睨み付け、迫力を込めて一言。

「何か文句でもあるのかい?」

「おばさま!」

 たじろぐフィリオの後ろから、老婆をたしなめるミレニアムの声が聞こえて来る。

「おや、ミレニアム。どうしたんだい?。

 治療は終わったんだろう」

 フィリオに言う様な命令的で高圧的な口調ではなく、優しく語りかける様な口調に、ミレニアムは言いにくそうに言葉を詰まらせてしまう。

 そしてちらりと助けを求める様にフィリオを見るが、彼はその時違う事を考えていた。

(おばさん、じゃなくておばあさんだろうに)

 ドカ!!。

「今、何かよからぬ事を考えていたろう!。

 顔に出てるんだよ。顔に!」

 老婆はフィリオの心のつぶやきを敏感に感じ取ると、彼を思いっきり蹴りつけた。

「・・っ」

 フィリオはそれに顔をしかめる間もなく、老婆にローブの裾を捕まれ引っ張られて行ってしまう。

「ほら、ぐずぐずするんじゃないよ!」

 老婆はそう言うと、フィリオを連れてさっさと出ていってしまった。

 その力強さにやや呆然としながら、何も言えずに見送ってしまったエリーとソフィアは、はっと気づいたようにすると、またもや互いに目を見合わせてしまう。

「すいません。おばさまったら強引で・・・・・・」

 そんな2人に申し訳なさそうな視線を送っていたミレニアムは、すこし所在なさげにしていたが、侍女の1人が現れ、別の来客を彼女に告げると瞳に明るさを灯して出迎えに出て行ってしまう。

 完全に取り残された2人は、しばし絶句し・・・・・

「──────────帰ろっか」

「そうだな」

 気力の尽きた表情で、静かに頷き合っていた。

 

 

 

 

「まったく、相変わらずとろいねあんたは」

 老婆は後ろを歩くフィリオに、背を向けながら喋っている。

 それに、フィリオは一言も返さず、ただ黙って老婆の後をついて歩いていた。

「さて、ここらでいいかね。

 私としては、あんたに頼みたいことが幾つかあってね」

 ──────────そう言った次の瞬間。

 木の陰で日差しがまだらに大地を照らすその場所で、フィリオとそして老婆が一瞬にして煙の様に消えてしまった。

 

 

 

 

「あぎゃぁ」

 レオナの胸に抱かれたアルフォンスは、エリーとソフィアにまるであいさつするようにいななくと、自分を抱いている腕をぺれぺろと舐め始めた。

「ごきげんよう、レオナ様」

 相変わらず何の生物か分からないアルフォンスを連れ、レオナが現れるとミレニアムは嬉々として目を輝かせていた。

「ごきげんよう。ミレニアム様。

 あら、あなた達もいらっしゃったのね」

 レオナは上品にそう口にするが、すぐにいぶかしげな口調で警戒するような口調でこう言った。

「今日はあのマクスウェルさんはいないんでしょうね」

「あ・・・ああ。さっき出ていった」

 レオナが来て帰りそびれたソフィアがそう答えると、彼女は満足げに小さく頷く。

「と、ゆう事はもう聞いていらっしゃるわね」

(・・・・・・・・・何を?)

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何を?」

 猛烈にいやな予感が全身を駆けめぐり、ソフィアは心の中で訊ね返すも、すぐには声に出せず、しばらく沈黙してからようやく声に出して言う。

「何って・・・・マクスウェルさんは、治療を終えて帰ったのでしょう。

 で、あなたがここにいるとゆうのなら護衛の件の話は──────」

 レオナがそう喋る最中に、細くなったソフィアの瞳はエリーに向けられる。

「わ、私は知らないわよ。

 私に来た時は、確かにフィリオ君への治療の依頼だけだったんだから」

 慌てて弁解するエリーの目の前で、ミレニアムはそっとレオナに耳打ちをした。

「────え゛」

 それを聞いた彼女はいきなりそう絶句すると、氷の彫像の様にピクリとも動かなくなってしまう。

 その脇で、困ったようにレオナを見つめていたミレニアムが、そろそろとソフィアとエリーに話し始めた。

 

 脅迫状が来たのは、武神祭が終わってすぐの頃だった。

『すぐに領地へ帰れ。』

 その文面で、数回に渡り手紙が投げ込まれ始めたのだ。

 初めの内はそれを無視していたが、朝の散歩に出ていたミレニアムが何者かに襲われてから、相手は色々と手を出すようになってきた。

 そのほとんどは父親のオービルと、ミレニアムの親友のレオナの手により撃退されたが、この2人は剣の腕はともかく、魔法の方がからっきしで、相手に魔法使いが現れると負けないまでもかなりの苦戦を強いられて来たのだ。

 そこで、ソフィアに白羽の矢が向けられたのである。

 

「なるほど。

 確かに魔法使いが相手なら戦いづらいだろうな」

 説明を聞き、ソフィアはそっと腕組みをして考え込んでしまった。

「どうしたのよ?」

 話を快諾すると思っていたのか、エリーは意外そうに訊ねる。

 ミレニアムからは依頼料も提示されており、それは貴族と言う事もあってかかなり割高な感じがするのだ。

 しかし、ソフィアは迷うように考え込んでいた。

 しばらく黙っていたソフィアだったが、にわやに口を開くとその考え事を口にする。

「・・・・どうも妙だと思うんだが」

「何が妙なんですの?」

 煮え切らない態度のソフィアに、レオナはイライラした風に突っ返す。

 それを、さらりと無視するようにソフィアは続けた。

「相手が彼女を誘拐したいのなら、もうとっくに誘拐は成功している。

 夜に忍び込んで、眠りの呪文を掛けてからさらえば、朝までだれも気づくことはない。

 それに、相手の魔法使いだってわざわざ候騎士2人に正面から戦うようなマネをしている。

 他の人間で足止めして、魔法使いが彼女をさらい、そして空でも飛んで逃げれば追う事は誰も出来なかった筈──────────────

 ・・・・・・・・・・・・・なんだその目は」

 喋りながらじっと自分を見つめる視線に、何か妙な感じを受けたソフィアは、言葉を途中で止めた。

 そんなソフィアに、レオナは代表して一言。

「あなた、昔誘拐のお仕事でもしていたんですの?」

「・・・・・・・・・をい」

 レオナの言葉に、ソフィアは睨み付けるような視線で返すと、彼女は「冗談ですわ」と笑って誤魔化す。

 やや憮然としつつも、ソフィアは話を続けてこうまとめた。

「・・・・とにかく、相手の目的が誘拐とは思えない。

 脅す事が目的か───

 それとも、他の何かかもしれないと言う可能性が高い。

 まあ、とりあえず数日間護衛はしよう」

 その説明が終わり、ミレニアムやレオナはしばらく少し考えるような仕草をするが、不意にレオナは閃いたように目を見張りソフィアを見つめた。

「とにかく、護衛のお仕事は引き受けて下さるのですね」

(・・・・・・・・・考えるのがめんどくさかったって感じね)

 簡潔すぎるその言葉に、ソフィアはやや釈然としないものを感じるが、口には出さずただコクリと頷いた。

(・・・・・さすがに、ちょこっと虚しいわ)

 結構ちゃんと説明したつもりでいたのに、理解されなかったむなしさを、心の中で人知れずため息を吐いて慰めるソフィアであった。

 

 

 

「何かいるな」

 ソフィアがそう言ったのは日もだいぶ傾き掛けてきた頃だった。

 まだ、フィリオ達は帰って来ておらず、部屋にはミレニアムとレオナもいたが、ブラックフレイムのオービルは少し前に城での会議の為にこの屋敷から出ていってしまっている。

 もちろん、エリーはとっくに魔導師協会の受付に戻っていた。

 2階の部屋で、僅かな気配を感じたソフィアは、動きも機敏にテラスに出て外を見た。

「なっ」

 そこで、彼女は思わず絶句してしまう

 ─────────空一面のカラスの群に。

 ガァ!!。

 まるで威嚇するようにいななく鳥達は、この屋敷を包み込むように取り囲み羽ばたいている。

「何なの?」

 後から続くレオナも驚愕の声を上げ、黒く塗りつぶされている空を見上げていた。

 がぁがぁといななくカラスの群は、まるで黒い刃の様に空を駆けめぐり、見る者に言いようのない恐怖と不安を植え付ける。

「がぁ」

 レオナの胸にいたアルフォンスが負けじと吠える様な声を上げるが、姿形が迫力を削り取っているのであまり迫力はない。

「いいのよ。アルフォンス。

 お前まで鳴かなくて」

 レオナはアルフォンスの頭をなでつけてなだめるがが、アルフォンスは小さな牙を見せつけ空の鳥達を威嚇し主人のレオナを守ろうとする。

 そんなアルフォンスの仕草に、レオナもソフィアも気が紛れたのか、表情に柔らかい物が帰って来た。

「こんなに鳥達が集まるなんて・・・・・・・・」

 しかし、ミレニアムは夕暮れの空に、闇色のカラスが舞っている不気味な光景に、不安そうな声を出していた。

「ノイバウテン様。扉を閉めませんか?。

 私、怖くなった来ましたわ」

 ミレニアムはそう言うと、そそっと一人部屋へ戻っていく。

 ────────が。

 ヒュン。

 空気を切り裂く細身の長剣がミレニアムに襲いかかった。

 その光の軌跡を彼女はすっと左にかわすと、しゃがみ込むようにして倒れた。

「きゃ!」

 小さな悲鳴を上げ、ミレニアムはその剣を振り下ろした人物を見上げる。

「・・・・・ノイバウテン様・・・・・・なぜ?」

 そう─────今、彼女を襲ったのはレオナ・ローズ・ノイバウテンだったのだ。

 レオナは、剣の切っ先をミレニアムに合わせたまま、キッと睨み付けている。

「何をするんだ!」

 ソフィアもそう叫ぶが、レオナはまるで耳を貸さない。

「あなた・・・だれですの?」

 レオナはミレニアムを見据えたまま、そう言うと、くいっとミレニアムのアゴの辺りまで切っ先を進めた。

「・・・・や・・・やめて」

 震える声でミレニアムはそう言うが、レオナには止める様子はない。

 その代わり、小さく震えるミレニアムを見据えながら彼女はこう言った。

「あなたはミレニアム様ではないわ。

 私がミレニアム様のことをファーレンと呼ばないように、あの人も私の事をノイバウテンとは呼ばない。

 姿を現しなさい!。偽物!!」

 ヒュッと空気を切る音が聞こえたかと思うと、ミレニアムの顔の布がすさっと床に落ちる。

 その瞬間、ミレニアムはトンボを切って後ろに飛んだ。

「やれやれ・・・・・・・・互いの呼び名なんて初歩的なミス」

 自嘲気味にそう言った彼女は、頭に着いていた大きな籠を無造作に脱ぎ捨てると、赤い髪をあらわにし、にやりと笑みを浮かべて立ち上がる。

「ミレニアム様はどこ?!」

「・・・さあねぇ」

 からかうように肩をすくめる彼女に、レオナの剣が空気を裂いた。

 しかし、今度は空を凪ぐのみである。

 からかう風であっても、さすがに候騎士と呼ばれるレオナを前に油断はしない。

 すぐに飛びずさり剣の間合いから逃れたのだ。

 ──────が、そこにソフィアの呪文が加わった。

「雷よ。

 光と影を紡ぎ轟音を響かせよ!」

 ぎゅぃん。

 一瞬だが、強烈な空気の振動に、爆発したような光が加わり、部屋は光と闇だけのモノトーンの世界に包まれる。

「・・・っく」

 小さく声を漏らす赤い髪の女。

 ソフィアの雷の呪文は、確実に相手になダメージを与えたようだ。

 刹那に輝いた光の後、女は左肩を押さえてたたずんでいた。

 そして、少し後ずさるが、左足もダメージを負っているのか少し引きずるようにしている。

「さあ。観念なさい」

 レオナの声に、しかし赤い髪の女は口元をゆがめるのみ。

 その様子に、レオナは目つきを鋭くさせる。

「なんとしてでも──────」

 ──────そうレオナが言いかけた時だった。

「ミス・ファーレンは今、屋敷から出ようとしている」

 どこからともなくそう声が聞こえると、赤い髪の女の後ろの扉から、覆面で顔を隠した男がすうっと現れた

「そいつの仲間ね」

 突然現れた男にレオナはそう叫ぶと、切っ先をその男に向けたが、彼は戦う意志など無いようにただ呆然と佇むのみで静かにレオナを見つめる。

「・・・戦う。と言うのなら相手になりますが。

 よろしいのですか?。ミス・ファーレンを放っておいて?」

「・・・・・・・・くっ」

 その言葉に、レオナは奥歯に力を入れ、動きが一瞬止まってしまう。

 しかし、ソフィアはそれで気持ちを切り替えた様子だ。

 賊達を無視しすぐにテラスに出ると、今まさに連れ去られようとしているミレニアムの姿を見つけた。

「レオナ!。こっちが先だ」

 急かすようにして叫ぶソフィアの声に、レオナは目をつり上げて覆面男を睨み付けるが、すぐに彼女も目の前の敵よりミレニアムの方を優先させ剣を引く。

「わたくしの名前はクルーガーと申します。

 候騎士であるローズ様とは、これからもお会いする事があるかと。

 ・・・では、失礼しさせて頂きます」

 そこまで言うと、男はまるで霧にでもなったかのようにふぅっと消え去った。

 もちろん、あの赤い髪の女性も一緒に。

「・・・・・・・・・・なっ」

 その光景に、レオナは声も上げられず目を見張ってしまう。

「行くぞ!」

 そのあまりに信じられない光景を目の当たりにしたレオナは、呆然と彼らのいた所を見つめていたが、ソフィアは高度な転送呪文の一種と知っているので、すぐに彼女の手を取り飛翔の呪文を唱え空に舞った。

「風よ。

 我を包み込み空の住人とせよ」

 

 

 

「ちょっと間に合わないかもしれないねぇ。

 責任取ってくれるんだろう?。

 あんたのせいでこんな大事件になっているんだから」

「・・・・分かりましたよ。

 この事件を解決すれば文句はありませんね」

「ああ、もちろんだとも。

 そうしてくれれば、こっちも話を合わせようじゃないか。

 ほれ、行っておいで」

 

 どん。

 

「うわぁぁぁぁーーー」

 やけに高い声を上げ、フィリオは出会い頭に彼らとぶつかり、黒い大きな何かが彼にのしかかってきた。

 気を失っている黒いそれは、そのままフィリオを押しつぶして彼は立ち上がる事すら出来なくなる。

「貴様!」

 まるで視界がない先から、怒気が膨れ上がっているのがよく分かるが、彼にはどうすることも出来ない。

 ─────しかし、次の瞬間その怒気は嗚咽に変わった。

「・・・がっ」

「ほっほっほっ──────

 まだまだ若いもんには負けんよ」

「このばばあ!」

 ドカ!!。

 ・・・・・ずさっ。

 ────なにやら脇に落ちてきた感じがする。

 フィリオは、もがくようにして外の景色を見ようとするが、黒い布が邪魔であまり効果はなかった。

 そうこうする内に、もう1人の足音が後ずさるようにして少しずつ遠ざかっていく─────────────が。

 がしっぃぃぃぃぃ!!。

(おや?。

 ・・・・・この音は)

 フィリオが、その打撃音に妙な何かを感じた時だ。

「・・・・おばさま!!」

「おや、久しぶりだねぇ。エリカ」

 

 

 

 エリカは、今朝の事を謝ろうとフィリオを探していたのだが見つからず、ほとんど一日中町を探し歩いていた。

 そして日も傾き掛けた頃、エリーから聞き出した場所に向かおうと歩いていたら、目の前で連れ去られようとしているミレニアムを見かけたのである。

 そして次の瞬間、角から出てきたフィリオが誘拐犯達とぶつかったのだ。

「フィリオ!」

 叫びつつ彼女は剣を手に走り出した。

 しかし、黒装束達との距離はまだある。

 黒装束達は怒気をはらんだ声を上げるが、次には苦しそうに身をよじらせていた。

 さらに脇から出てきた見慣れた・・・・しかし、あまり関わり合いになりたくない人物が出てきて、黒装束の1人を一撃でのしたのだ。

「ばばあ!」

 そう怒鳴る黒装束に、その人物の目が光るのが遠くからでもよく見えた。

 この人が、そんな事を聞いておとなしく・・・いや手を抜いてくれる筈がない。

 案の定、その言葉を吐いた男は腹に一撃、さらにはアゴ、そしてこめかみと連打されて糸の切れた人形のように崩れてしまった。

 残る1人は、形勢不利と悟ってか、じりじりと後ずさるも、後ろから来るエリカにまったく気づかず、後頭部に一撃を当てられ呆気なく昏倒してしまう。

「・・・・おばさま!!」

「おや、久しぶりだねぇ。エリカ」

 そう2人が会話を交わしたすぐ後だ。

 空からソフィアとレオナが降りてくる。

「───げ!!」

 とんっと降り立ったレオナは、いきなり、ささっとソフィアの後ろに隠れるようにしてしまった。

「なんだい、レオナ!。

 あんたその年になってきちんと挨拶も出来ないのかい?」

 その言葉に、レオナは渋面する。

「まったく。我が孫ながら情けない」

「───えぇぇぇぇぇ!!!」

 老婆のその一言に、地面で倒れているフィリオから大きな声が上がった。

「・・・・なんだい、そのすっとんきょな声は?」

 睨み付ける風にミレニアムの下でもがくフィリオを、エリカは気づいたように助け出す。

 助け出されたフィリオは、信じられないと表情で叫びながら交互にレオナと、そしてその祖母のコリー・ノイバウテンを見る。

(・・・・・うそだろ)

 一瞬、気を失いそうになるフィリオだったが、ふと横にいる女性の顔に雲が掛かっているのに気づいて動きが止まる。

 妙に瞬きの多くなって、フィリオは彼女を見た。

「・・・・何で、ミレニアムさんとここにいるのよ」

 小さくつぶやく声だったが、彼の耳にしっかりと聞こえたその声────────

 徐々にそれは大きくなり、その声の主は目つき鋭くフィリオを睨み付ける。

「・・・・あ・・・あぅ・・・」

「どうしてフィリオとミレニアムさんが一緒にここにいるのよぉぉぉぉ!!!!」

 

 


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