「クレロイド候!」
バンっと大きな音を立て、ノイバウテン侯爵はイスを蹴って立ち上がった。
周りの視線が彼へと集まる。
モルト王国首都ウライユールにそびえる王城の会議室は重厚な作りで、大声を出しても外に漏れることはない。
しかし、侯爵は外にも聞こえよとばかりに怒鳴って、正面に座るクレロイド侯爵を睨み付けていた。
普段、温厚と評判なノイバウテン侯爵だが、怒る姿はなかなか迫力がある。
しかし、その迫力を柳に風とばかりに受け流すクレロイド侯爵。
にやにやと笑みさえ浮かべ、ノイバウテン侯爵を見つめ返していた。
「ノイバウテン侯爵、少し冷静に」
二人の険悪な雰囲気を慰めようと、クレロイド侯爵の横に座る、ザルムグ侯爵が人当たりの良い笑みを浮かべて仲裁に入る。
しかし、ノイバウテン候は、そちらの方にもギロリと睨み付けるような視線を送ると、さらに怒気を発散させようと口を開き掛けた。
しかし、それを遮るような声が後ろから聞こえてくる。
「侯爵様。少し冷静に」
背後から聞こえるその声に、ノイバウテン侯爵は振り向いた。
怒鳴る・・・・と思われたが、しかし、侯爵は追いつめられたような渋面を作っていた。
複雑な表情で何か言いたげな瞳を見せたが、渋々ながらも今度はおとなしくそれに従い席に座る。
その様子にノイバウテン侯爵の背後にいたロマンスグレーの紳士は、小さくだったが恭しく頭を下げた。
が、今度は主人の代わりとばかりに、男がゆっくりと立ち上がる。
身長が190センチもある彼が立つと、普通の人間なら見上げるような高さになる。
座って見れば、なおさらだ。
その姿に、周りは一瞬息を呑んだ。
しかし、それは彼の体躯から感じる威圧感からではなかった。
彼の姿から醸し出される雰囲気より、彼の名前とその睨み付けるような視線に威圧を見たからだ。
彼の名前は、クロード・シャフィール伯爵。
ノイバウテン侯爵とは幼少からの親友であり、かつ同じ剣の師を持つ同門の徒である。
そして、現在は侯爵の腹心中の腹心として名を馳せていた。
その彼が主人に代わり、狼を思わせるような精悍な顔つきでクレロイド、ザルムグ両侯爵を睨み付ける。
すると、睨み付けられた二人は次第にその表情の笑みを薄くした。
それは、この二人共が、この男の存在に最も注意をはらっているゆう証でもあった。
国一番の切れ者と名高く、その存在を『狼』とも『竜』とも例えられるシャフィール伯爵に見据えられ、両侯爵も自然と顔つきにも鋭さが増していた。
沈黙が────
まるで凶器のように二侯の心を蝕み、まるで恐怖を感じているような感覚が足から上ってくる。
・・・・コホン
そんな、危険な沈黙が突然途切れた。
咳払いをするをする音が聞こえてきたのだ。
それはレスター侯爵が、その場の雰囲気を和ませようとして出したものだった。
彼のおかげで刃が宙を漂っているような緊張感は和らいだが、それでも険悪なムードまでは振り払われない。
鋭い視線で彼らは牽制し合い、それから会議はまるっきり進まなかった。
結局、一旦休憩となり、それぞれは割り当てられた四つの控え室に戻った。
「くそっ!
あの2人はいったい何を考えているのだ!」
扉も閉まらぬ内に、ノイバウテン侯爵は机に向かって罵声を浴びせた。
声が外に漏れないようにと、シャフィール伯爵は静かに扉を閉める。
「こんな時期に軍備増強など!
他国をむやみに刺激するだけだとゆうのが分からぬのか。
聞いているのかクロード!
だいたい君も君だ!
あれほど言われて黙っているとは、君らしくもない!」
会議室でたまった鬱憤を晴らすようにするノイバウテン侯爵を見て、シャフィール伯爵は困った風にやれやれと肩をすくめた。
しかしそれは、ノイバウテン侯爵が暴言を吐いているからでも、自分で鬱憤を晴らしているからでもない。
「・・・・侯爵。
せめて城の中だけでも・・・・」
「分かっている!
クロードと呼ぶなと言いたいのだろう」
そう言って、ノイバウテン侯爵はふんと鼻を鳴らした。
侯爵ははたまに公人としての立場を忘れ、シャフィール伯爵の事をファーストネームのクロードと呼ぶことがある。
自分の家の中とゆうのならそれも良いだろうが、ここは仮にも城の中なのだ。公人としての立場を考えなくてはいけない。
それを時たま忘れる親友に、クロード・シャフィールは思わず苦笑してしまった。
しかし、それも一瞬で、すぐに部下としての顔に戻ると、説明するようにこう言った。
「侯爵。あの二候の心の底が知れぬ内は、むやみに手を出さぬ方が良いでしょう。
それと───市内に不穏な空気があります。
まだ詳しくは分かりませんが、あの二候をたきつけた人物の手の者かと・・・・・・・」
そこから先は、二人はささやき合う様に話し合った。
たとえこの部屋に別の誰かがいても、よほど近くでなければそれを聞き取ることは出来なかったであろう。
そんな──────
不穏な空気が漂う王城内を証明するような事件が・・・・・・・・
いや、無関係な事で城下では一騒動起きていた。
「ぎぃぃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
気絶していたミレニアムが思わず飛び起きてしまう程、それは唐突に、そして強烈に響きわたった。
「え?
・・・・・・・・・・・・あ、レオナ様」
「ご無事でした? ミレニアム様」
横の絶叫をまるで無視するように、レオナは、ほっと胸をなで下ろす。
しかし、さすがにミレニアムは、横で繰り広げられている阿鼻叫喚の地獄絵図を無視できずに、怯えたようにちらっちらっと横目で見ていた。
そこには、噂でよく聞く男女が壮絶なバトルを繰り広げ、周囲から好奇の注目を受けていた。
・・・・もっとも、ただ一方的にやられるのがバトルと呼ぶのならば、の話であるのだが。
おもしろいように殴られ続けるフィリオ・マクスウェルと、そしておもしろいように殴り続けるエリカ・ヴァン・シャフィールに、思わずミレニアムは後ずさる。
(こっ・・・・・・この人達って)
誘拐事件が起きたばかりだとゆうのに、まるで、それがどうしたとでも言わんばかりだ。
そんな二人のさまに、ミレニアムの瞳は丸くなっていた。
「いい加減になさい!
ミレニアム様が怯えているじゃありませんか」
「えーーーーーー、だってぇ」
フィリオの胸元を締め上げつつ、エリカは不満の声を上げる。
が、ふと気がつくと、周りの視線が痛い。
みんながみんな、白い目で自分を見ているのに気づき、エリカは思わず頬を染めた。
ぱちぱちと数回わざとらしく瞬きをしたあと、コホンと一つ咳払い。
「─────フィリオ。大丈夫?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(こっ、この人達って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
冬も半ばのこの時期よりも、さらに冷たい風がひゅるるるるるぅ流れていく。
そして一同は思いっきり白けたムードのまま、とぼとぼとファーレンの屋敷へと足を向けて歩き出した。
「もう一度聞くが、狙われる心当たりは本当に無いのだな」
「・・・ありません」
心外だと目で訴えるミレニアムに、ソフィアは考え込むようにため息を吐いた。
「もちろん、身代金目当ての営利誘拐とゆう事でしたら───」
言いつつ部屋を見回すミレニアムに、しかし、ソフィアは納得したような表情はしなかった。
(営利誘拐は無いわね。
営利誘拐なら、もっと金持ちがたくさんいるし、それに何より、もっと楽に誘拐出来る相手を探す筈だわ。
わざわざ障害があるのを知っていて、候騎士二人に守られた彼女を誘拐するバカなんていない。
・・・・・・・・・・・・・・しかし)
「お前ら! 少し静かにしろ!!!」
勢い立ったソフィアは、周りでぎゃぁぎゃぁと勝手気ままにわめき散らしている二組に怒鳴った。
まずエリカとフィリオ。
自分でズタズタにしたフィリオにも関わらず、エリカはかいがいしく看病している。
が、力一杯、それもぐるぐる巻きに包帯を巻くので、フィリオは時折痛みを隠すように嗚咽を漏らしている有様だった。
そしてもう一組は、レオナとその祖母コリー。
「あんたがいろいろやったって聞いてねぇ。
それで、婿の顔を見ておこうと・・・
それから、その人の剣術指南を頼まれて来たんだよ」
「わたくし、結婚する気など毛頭ありません!!!」
「いやだねぇ、この子ったら照れちゃって。
姿形は私の若い頃にそっくりだけど、もうちょっと素直にならないと、好いた男に嫌われてしまうよ」
「わたくしは、自分の心にこれ以上もないくらい素直ですわ!!」
わめき散らすその二人にソフィアの声はまるで届かず、もちろん、エリカとフィリオにも届いた様子はなかった。
「・・・・・おまえら」
肩をぴくぴくっと振るわせながら怒りを抑えるソフィアに、ミレニアムはやや困ったように視線を泳がせている。
そしてしばらくすると、知らせを聞いたオービル・ブラックフレイム・ファーレンが帰ってきた。
「ミレニアム! ミレニアムは無事か?!」
姿よりも先にそのバリトンが屋敷に響き、次いでドカドカと足音を踏み鳴らしながら彼が部屋に飛び込んでくる。
「ミレニアム!
無事だった・・・・・・・・・・・か・・・・・・・・・・・・・・・・」
しかし、部屋に入るなり、彼は絶句した。
─────────目を点にして。
「し、師匠・・・・・・・・・」
呻き出すようにそれを口にすると、コリーはよっこらせっと立ち上がる。
そして、オービルを値踏みするように見回した。
そんなコリーに、オービルは言いようのない威圧感を感じて身を仰け反るようにする。
「オービル。一体いつからお前はこんな薄情者になったんだい?
自分の娘が危ない時に、のこのこ仕事に出かけるなんて」
「し・・・・・・師匠。しかし─────」
「口答えするんじゃないよ!
まったく、こんな調子じゃこの先思いやられるねぇ」
しょうがないよまったく、と表情で付け加えた後、コリーは元の席に戻った。
そして、彼女は機嫌が悪そうにため息をつくと、肩をすくめた後で耳たぶを触る。
(まずいぃ!)
ファーレンとレオナ、そしてミレニアムやエリカまでもが、思わず心の中でそう叫んだ。
彼女がこの癖をする時は、本気で機嫌が悪い時だ。
コリーとその夫である、エルネウト・ノイバウテンは、彼に剣を教えた師匠である。
いや────彼だけではない。
エリカの父、クロード・シャフィールも、そしてレオナの父コール・ノイバウテンもこの二人に剣を教わったのだ。
彼らにとって、この二人はいわば頭の上がらない存在であり、50も近いとゆうのに、今だ子供扱いされることがある、甚だ困った存在である。
そして、それは彼らの子供達にも言え、エリカ、レオナ、ミレニアムもこの二人に批判的なことは言えない。
そんな、災厄とも言えるような存在が、機嫌が悪そうにふんぞり返って座っている。
(また、今度は何を言い出すんだか・・・・・・・・・・)
はっきり言って、オービルは頭が痛くなってきた。
「まあ、この子には礼を言っておくんだね。
ミレニアムがさらわれたのを助けたんだから」
しかし、以外にも災いをもたらすような言葉は出なかった。
言ってコリーは視線でフィリオを指す。
「・・・・え?」
話の流れが変わり、フィリオは意外そうな声を出した。
自分に話が振られるとは思っていなかった様子で、彼は目を丸くしている。
「おばさま!!
そんな・・・・。結果的にそうゆう形になっただけではありませんか。
道を歩いていて、偶然ぶつかっただけでしょうに」
すぐにレオナが声を上げて批判する。
が、そのおかげで、フィリオが思わず口をついて出た言葉は、誰にも聞こえなかったようだ。
(まったく・・・・・・・相変わらず食えない婆さんだよ)
「マクスウェル殿。かたじけない」
レオナの言葉を無視するようにして、オービルは深々と頭を下げた。
彼にしてみればフィリオは娘の恩人に違いない訳だし、何よりコリーとゆう災厄を誤魔化せる絶好の機会を逃す訳にはいかなかった。
かなり大げさに頭を下げ、フィリオに礼を述べる。
それに、照れたような笑いを浮かべると、なぜかフィリオは立ち上がり─────
次の瞬間、ピクリと身体を振るわせた。
次いで、カタッと片膝をつき崩れ落ちると、言葉にならない呻き声をあげる。
短い嗚咽とその仕草に、誰もが一瞬何が起きたか分からなかった。
その肩に──────────黒い矢が突き刺さっているのを見るまでは。
「フィリオ!!」
エリカの悲鳴に近い声が響く。
一瞬で顔を真っ青に変えたエリカは、すぐに彼に駆け寄った。
忌々しげに刺さった矢を見ると、彼女はすぐにそれを抜こうと手を掛けた。
「止めろ! エリカ」
しかし、それを止める声がした。
「力任せに抜けば、傷口が広がり血が止まらなくなるぞ!」
声はソフィアだった。
彼女は柱や壁に隠れるようにして近づいている。
彼女は慎重に物陰に隠れながらフィリオの背後へと廻ると、開け放たれた窓を閉め、ガラスから外をのぞき見た。
闇夜の中の、さらに森の木々の中から放たれたと思われるその矢は、しかし、続いて放たれる様子はない。
すぐさま部屋のカーテンを閉め、中の様子を外から隠す。
「矢文?」
次に叫んだのはレオナだった。
それにソフィアは振り向くと、すでにレオナは矢にくくりつけられていた小さな紙切れを広げていた。
中に何が書かれているのかはさておき、まずはカーテンを締めて外から見えない様にするのが先決だ。
ソフィアは、物陰に隠れるように全ての戸とカーテンを閉める。
それが終わると、今度はフィリオに近づいた。
矢が刺さった肩口が見えている。
どうやら、フィリオの指示でエリカがローブを切ったようだ。
傷口は少し膨らんだようになっており、まだ血はそれほど出ていない。
それを見て、彼女は一瞬の迷いもなく矢に手を掛けた。
「少し、痛むぞ」
言うと、ソフィアは力一杯矢を押した。
「っく!!」
フィリオの奥歯に力が入り、顔は痛みに歪む。
が、彼女はそれを意に介さず、さらに矢を深く沈み込ませた。
「ちょっと!」
それを見ていたエリカは、悲鳴に近い声を上げた。
ソフィアを非難する表情がありありと浮かんでいる。
しかし、あろう事か彼女の声を制したのはフィリオだった。
「いいんだ・・・・コレで」
彼は囁くような声で言うと、再び痛みに耐えるよう歯を食いしばった。
「いくぞ」
さらに合図し、ソフィアは力を込めた。
ずぶっ
肉が避ける鈍い音。
それに思わず目を背けるエリカ。心なしか、少し震えているようにも見える。
フィリオの肩からは鉄のやじりが顔を覗かせ、それはフィリオの血を吸って真紅に彩られていた。
痛々しい傷口のその先から、赤い血がぽたりぽたりとこぼれ落ち、絨毯を黒く染める。
はぁはぁと痛みからフィリオは息が荒くなるが、その動作がさらに痛みを呼ぶようだ。
口元が小さく歪んでいた。
それに見向きもせず、ソフィアは手早くやじりをナイフで切り落とし、さらに用意された包帯でフィリオの肩傷を塞ぐと、今度は力任せに引き抜いた。
!!
痛みに息を呑み、一瞬呼吸が止まる。
「・・・・・・・・・・・・・・っく」
が、次の瞬間、痛みは小さくなっていた。
「これで、応急処置はだいたい終わったな」
ソフィアは、ほっと一息吐いて胸を撫で下ろす。
それに、フィリオも疲労感漂わせる表情だったが、小さく微笑み返した。
「ちょ、ちょっと、ちょっと!!
なによ! その和やかな雰囲気は!
私の時はダメだって言ったくせに、ソフィアの時はそのまま引き抜かせるなんて!」
ブーたれて、二人の間に割って入るエリカ。
その時、はからずも彼女はフィリオの傷口に触れたのだが、フィリオはそれを悟らせまいと忍の一字で堪え忍ぶ。
「・・・・・・・だっ、だってさ」
弓矢の傷を治療する時において、最も注意しなければならないのは、傷口の拡大である。
特に返しのあるやじりは無理に抜こうとすると、傷口を広げ最悪身体に残ってしまうことがあるのだ。
その場合、まずやじりを排除することから考えねばならない。
医者がいるのなら別の方法もあるが、今は敵がいつ来るか分からない状態だ。
ソフィアがやったように、まず反対側まで矢を突き出してやじりを外に押し出し、それを取り除いてから矢を抜くとゆう手順で、少なくとも傷口を広げない為の応急処置をするしかなかったのだ。
「・・・・・うっ」
説明を聞き、思わずエリカは言葉に詰まってしまった。
しかし、胸の中でもやもやする気持ちは全く晴れない。
なぜなら─────
(ふんっだ! ソフィアさんといちゃいちゃしちゃってさ)
フィリオを助ける役目を、ただ単に自分がやりたかっただけなのだ。
だから、エリカのうっぷんは晴れるどころか、ますます膨らんでいた
しかし、ソフィアもフィリオも不思議そうに首を傾げるだけで、彼女の気持ちに気づかない。
「もういいわよ!」
怒り顔のまま叫ぶと、彼女は振り返る。
「レオナ! その紙にはいったいなんてかいてあるの?」
このもやもやしたのを別の所に向けようと、イライラした口調のまま彼女はレオナに振った。
しかし、以外にもそんなエリカにレオナは乗らなかった。
いつもなら、弾けたように言い返すレオナが、だ。
それどころか、素直にその手紙を差し出している。
いつもと違うレオナに、エリカはいぶかしげに首を捻って、それを受け取った。
そして中身を見た彼女はひとこと。
「なにコレ?
なんにも書いてないじゃない」
彼女の言うとおり、矢につけられた紙には何も書かれていなかった。
完全な白紙の状態で、あるものと言えば、折り曲げられた後ぐらいだ。
「どうゆう事?」
「とりあえず──────」
首を傾げ悩む一同に、コリーはため息を吐くようにこう言った。
「敵が来ないなら、その男の治療が先だと思うんだがね」
「ふぅっ」
フィリオは夜道を歩いていると、ふと一息ついたようにため息を吐き出した。
彼は月と星々が瞬くその下を、一人夜道を歩いている。
さんざんエリカが一緒に行くとごねるのをコリーが強引に引き留め、フィリオは医師の所に行くと屋敷を出たのだ。
もちろん、傷など自分で治せるだろうとも言われたが、両手が使えないと術が使えないなどと言い訳して来た。
「これで・・・・・・・・・」
(──────しばらく、時間が稼げたな)
フィリオの瞳が不気味に揺らめく。
────と、刹那の瞬間に闇夜に消えた。
タンッと一足飛びに城の塔まで飛ぶと、最上階からの秘密通路を通って地下に降りる。
その先にある薄暗い部屋には、出迎えるように恭しく頭を下げた導師オリフが彼を待っていた。
「どうやら、黒幕はザルムグ候とクレロイド候の御二人のようです」
オリフは前置き無しにそう言うと、フィリオは小さく頷き話の続きを促す。
「御二人は自己の主張する方針をレスター侯に呑ませるために、候が孫のようにかわいがっているミレニアム様を人質に交渉をすすめるおつもりだったご様子。
レスター侯が折れれば、残るはその主張に反対しているとは言えノイバウテン侯爵のみ。
三侯爵家が主張する政策ならば、国王も飲まざるを得ないと考えたのでしょう」
「・・・なるほど。
営利誘拐などではないと思っていたけど、政治駆け引きの材料に使う気だったのか。
特権階級の考えそうな事だ。
───手は打ってあるんでしょう?」
「はい。
二候には少し脅しを掛けておきました。
実行グループをかばうような事は出来なくなっています」
少し伏し目がちに、オリフは報告をそう締めくくった。
「・・・・さすがですね。
ですが、そんなに格式張った言い方をしなくても良いですよ。
ついこの間、アイツは力を使いすぎましたから、しばらく出てくる事もないでしょうしね」
「はい。
ですが、こうしたいのです」
人好きのする笑みで言われた言葉に、しかしオリフは厳格に短く答えると小さく頭を下げる。
それが敬意からでたものか、それとも恐怖から出たものなのかフィリオには分からなかった。
しかし、それを問いただす訳にもいかず、ただ静かに見つめる。
「とりあえず、実行犯グループには僕自身が手を出さないと。
あ、と。それから、今度からはもう少し痛くない方法を考えて下さいね」
そう言って、彼は折れた矢を、手で弄ぶようにしてオリフに見せた。
セレセアの森の奥。死者を誘うような青白い光りを放つ三日月が、そこにいた彼らに降り注いでいた。
そして、その横に石造りの古びた遺跡がたたずんでいる。
無数の蔦が絡まり、所々風化しているものの、人目につかないように行動する根拠地としては打ってつけの場所と言えよう。
事実、彼らはここを拠点に、ここ数日ウライユールで暗躍していた。
そんな彼らが、遺跡の入口で火を焚き、沈黙の中で夕食を口にしていた。
「いったい、どうなっているんだ」
火を囲む四人の内の一人が、苛立ち紛れに吐き捨てるが、残りの三人は返事もせずただ無言で食事を取っていた。
「この町は呪われてでもいるのか?。
早朝に仕掛ければ正体不明のヤツに全員ノされちまうし、透明化の呪文で近づこうとしたら途中ですぐに効果は切れちまう。
空から襲撃をしようとすれば今度は野鳥の大群だ。
とどめは襲撃掛ける前に、どっかの野郎が矢なんか射かけてやがる!」
「少し静かにしろ、ゼール」
干し肉ちぎりながら、クルーガーはたしなめるように言う。
しかし、それは逆効果だったようで、ゼールはなお声を荒げてこう言った。
「クルーガー。お前にも言いたいことはあるんだぜ。
なぜ、あの時ローズを仕留めなかった。
あのエルフが強いからとゆっても、所詮お前の敵じゃないだろうが」
怒りの言葉に、しかしクルーガーは聞き流す風にして、干し肉を口に運んでから答える。
「言った筈だ。
あの時点でローズを殺せと命じられていなかった、と。
それに、あのエルフはお前が思っているよりもかなり手強い相手だ。
用心に越したことはない」
「へっ。
ようは、ニコールのヤツが油断しすぎたのが原因だろう」
「!
私に何か文句でもあるのかしら?」
赤い髪を炎のように揺らしながら、彼女は鋭い目つきをゼールへと返した。
「ああ、言いたい事は山ほどあるね」
「止めないか!」
押さえつける風にクルーガーが怒鳴ると、二人とも言い合いは止めたが、険悪そうにそっぽを向いてしまった。
ただ一人、興味なさげに食事を続けるトルアルトは、そのスキンヘッドの頭を時折撫でながら鶏肉にむしゃぶりついている。
しんっと静まり返り、ぱちぱちとたき火の音だけが聞こえる夜の森。
そんな中───────ふと、なにげに視線が向いた。
大した動作ではない。機敏に素早く動いた訳でもない。
しかし、それが普通と違ったのは、四人全員が一度に同じ方向を向いた、とゆう事であった。
「おや、さすがに分かりましたか」
と、その視線の先。森の闇に包まれた奥から、若い男の声が闇の中から聞こえてきた。
瞬間的に、四人は武器を掴み立ち上がった。
彼らは、あらかじめ侵入者を察知するような仕掛けをこの森に施しておいた。
森の入口だけではなく、蜘蛛の巣の様に森全体を覆っているそのおかげで、森に入って来た人間がどこにいるかさえ分かるようになっていたのだ。
にも関わらず、この声の主は、その探知に一度も掛からずにいきなりそこへと現れた。
(油断のならない相手)
四人は一様にそれを感じ取り、臨戦態勢で、敵であろうそれに向かっている。
獲物を狙う狩人の様に、四人は集中力の高まった視線をその一点に集めた。
姿を見せない相手に、クルーガーはがらにもなく喉を鳴らす。
冷静沈着をモットーとし表情を表に出さないクルーガーであったが、森の中にいる人間のプレッシャーを感じると、そんな事など吹き飛んでしまっていたのだ。
(この私をプレッシャーだけでここまで追いつめるとは・・・・!)
「・・・あなたが、『仮面の導師』」
「そうです」
クルーガーの問いに闇から短く答えが返ると、彼は他の三人に目配せした。
────────導師に会ったら逃げろ────────────
彼らは、最重要としてそう命じられていた。
しかし、それでも彼らはその場を動かなかった。
その命令を聞いた時は、「信用していないのか」と不満にも怒りにも思ったが、こうして間近に感じると、それがどれほど正しいのかがよく分かる。
まるで、廻りにある森の闇全てが、彼らに襲いかかってきそうな気配を肌で感じ、さらにはのし掛かってくる魔力の重圧に、膝が屈しそうなほどであった。
それなのに、彼らは動かなかった。
いや────動けなかったのである。
もはや、逃げる事に四人とも微塵の迷いもない彼らだが、ある一つの疑問が頭について離れなかった。
はたして───────
この相手から、逃げる仰せることが出来るのだろうか?
「紅蓮なる魔界に住みし黒竜よ!
汝の牙、汝の爪たる極焔の炎をここに表せ」
と、四人の中の一人。ゼールが呪文を唱えた。
「止めろゼール! 無駄だ」
「うるせえ!
このままじゃ、どのみちおだぶつだ!」
クルーガーはとっさに叫ぶが、彼の手の中にはすでに魔界の炎がくすぶっていた。
異界を渡るとゆう黒竜の生み出す炎が、彼の作り出す結界より僅かに漏れ出ている。
しかし、それでもなお、それは術者であるゼールの腕すら焼いていた。
多少の森など、その大地ごと蒸発させてしまう程の威力はあろう。
だが、ゼールはそれを打ち出せずにいた。
(コントロールが!)
彼の腕は小刻みに揺れている。
呪文のイメージコントロール。さらに呪文制御が、ゼールだけではとても追いついていなかったのだ。
このままでは、彼の手を起点に黒竜の炎が暴れ出し『仮面の導師』の前に自分達がその炎に蒸発させられてしまう。
「ゼール! これはカリにしとくからね」
そう叫ぶと、ニコールがゼールの呪文制御に加わった。
「・・・・手伝う」
「────っく」
トルアルトもクルーガーもそれに手を貸す。
もはやコレしかないと、四人は気力を振り絞って呪文制御に集中した。
暴れる黒竜も、四人総掛かりの前に、次第に大人しくなっていく。
「いくぜ、化け物。
食らいやがれ!!!」
ギュィン
一瞬の内に黒い光の球体が弾き出され、黒竜の牙と爪は、辺りの空気を凪ぎ払いながらまっすぐに進んだ。
牙でかみ砕かれ爪に引き裂かれた大気は、高い悲鳴を上げまっすぐに仮面の導師へと迫っていく。
そして─────
きぃ
「すいませんが、この呪文だと影響が大きく廻りに気づかれてしまいますから」
事も無げにそう言うと、導師は黒い炎によって浮かび上がった右手で、その黒竜を握りつぶした。
黒竜は小さく呻くような悲鳴を上げ、一瞬で消え去っていく。
「・・・・・・・な」
四人総掛かりで制御した呪文を、この目の前の男は、まるで子供の投げたボールのように受け止めたのだ。
よくよく考えれば、四人が制御をしている最中、導師はただそれ見ていただけ。
あの時、導師が簡単な呪文の一つも唱えれば、あの黒竜は制御しきれず四人とも一瞬で蒸発してしまった筈なのに・・・・・・・・。
クルーガー・・・いや、四人ともそれに気づき、力無くがっくりとうなだれて、座り込んでしまう。
絶望の谷底に突き落とされた彼らに、導師は淡々とこう言った。
「ミレニアム・ファーレンを誘拐しようとしたのはあなた方ですね。
単刀直入に言いましょう。この町から出て行きなさい。
さもなくば、僕が相手になります」
その言葉に、ザワリとした殺気を含ませるのを忘れずに。
断った場合、一瞬で殺す、と無言の圧迫を彼らに与えたのだ。
四人ともそれを感じたが、彼らは絶望からはい上がり意外そうに目配せをしている。
(見逃してくれる?)
殺されるとばかり思っていた彼らは、導師の言葉にささやかだが求めるような視線をクルーガーに投げかけた。
「・・・・・・・分かりました」
クルーガーは短く言う。
相手の真意は分からないが、それでも蛇に睨まれたカエルの様に、ここでこうしているよりマシと思い、導師の提案をクルーガーは呑んだ。
しかし、屈辱感から重々しく出ると思ったその言葉だったが、意外にさばさばとした口調だったので、クルーガー自信少し驚いてもいた。
(敵に情けを掛けられ、生き恥をさらすとゆうのに・・・・・。
それだけ、私自身の何かがこの化け物との差を認識しているゆう事か?)
クルーガーは仲間が消えていくのを確かめてから、ふと振り返った。
まだ、導師は闇の中だ。それでもなお、彼は導師に見せるようにとすっと手を出した。
「『仮面の導師』殿。先ほどは失礼しました。
これは、我が主から言い使ってきた物です。
あなたにお会いして、無事生きていられたら最後に渡すようにと」
そう言うと小さく頭を下げ、彼は森の中へ消えていった。
そこに────小さな宝石を一つ残して。
四人が森を抜け西へと去っていくまで、フィリオは使い魔を通して彼らを見つめ、たたずんでいた。
そして、彼らがウライユールより完全に消えてから、ゆっくりと月下に姿を現す。
クルーガーが残した宝石に手を伸ばし、やや目を細めてそれを見る。
その雫状の宝石は、瑠璃色に輝き月の薄い青色輝き僅かに反射している。
トラップはない。ましてや呪いも掛かっていないごくごく普通の宝石のようだ。
フィリオの手の中で、淡く輝くだけの宝石。
だがしかし、意味がない訳ではなかった。
その宝石の表面に刻み込まれた、小さな紋章に意味があったのだ。
バギィン・・・・ギィィィ!
その紋に、思わずフィリオの手は宝石を砕いてしまった。
手の中に残るカケラが、なおもその力に耐えられず、気味の悪い音を響かせている。
「・・・・あいつか」
目つき鋭くフィリオは虚空を睨む。
その視線がついと西に向けられ─────────────
「・・・あいつか。
ではないでしょう。あいつか、では!!」
シリアスにフィリオが視線を鋭くしたその矢先───────彼の後頭部にオリフの怒ったような声が聞こえてきた。
「先ほどの会話を聞いていましたが、まだ癖が抜けきれないようですね。
あの様な場合、仮面の導師ならば『僕』ではなく『俺』です!!」
「・・・・あ。いや、あの」
「それから、姿を見せないのは良いとしても、声をそのまま聞かせたのはいかがなものでしょう?
声から相手があなたの正体を知る場合とてありますから」
「・・・いや・・・その」
フィリオは何か言いたげだが、それにかまわずオリフは言葉を続ける。
「やはり、特訓あるのみです」
「それだけはいやだぁぁぁ!!」
「だだをこねないで下さい。
あなたのその演技下手が全ての計画を狂わせるかもしれないのですよ」
「だからって、真っ暗闇の地下道のど真ん中で発声練習は嫌だっ!!!」
『仮面の導師』
『伝説の魔導師』
『全ての魔導師の頂点に立つ者』
などなど、彼につけられた勇名はいくらでもあるのだが、たった一つだけとてつもない欠点があった。
それが─────演技力である。
台詞を読ませれば棒読みしかしないし、表情を作ることも出来ない。
今までは、そのとてつもない魔力と表情を隠せるマスク、さらにはそれが冷徹さを醸し出してもいたのだが、今の様な会話では、とてつもなく稚拙な幼稚園のお遊戯レベルなのだ。
そんなフィリオにオリフは気が遠くなる思いがする。
その正体が知れれば、フィリオだけでなくオリフもまた身の破滅を導く事になるのだから彼としては必死だ。
「とにかく、今晩は徹夜で訓練です。
イヤとは絶対に言わせませんからね」
その丁寧な口調が、敬意から出たものなのか、それともからかっているものなのか、フィリオには分からなかった。
それよりも、今彼の身に降りかかろうとしている『地下空洞での一晩中発声練習』が頭の中を支配して離さなかった。