モルト王国には、4候家と呼ばれる大貴族がいる。

 ノイバウテン侯爵家。

 レスター侯爵家。

 クレロイド侯爵家。

 ザルムグ侯爵家。

 これら4貴族は、モルト王国の重鎮であり、その権勢も王に次ぐ実力を持っていた。

 そして、そのそれぞれが、候騎士と呼ばれる各家を代表する称号を持った騎士を抱えている。

 ノイバウテン家はローズ。

 レスター家は、ブラックフレイム。

 クレロイド家はフレア。

 ザルムグ家はライトニング。

 これら称号を持つ騎士達は、モルト王国を代表する騎士と言っても過言ではない。

 国王の任命する聖騎士の称号、ヴァンの称号は、国に多大な功績を残した者が与えられる為、唯一の例外を覗いて、国の宿将や功績を残した老武官がほとんどである。いわば、ヴァンの称号は名誉称号であった。

 それに対して、候騎士は強さのみが求められる。なぜなら、それが彼らの後ろ盾になっている4候家の格になるからだ。

 より強い騎士を抱えているとゆう事は、彼らにとって他家をしのぐステータスを手に入れた事を意味している。

 それも自分が称号を与えた候騎士が、他家の候騎士より強ければなおさらである。

 いつの頃からか、4貴族達は武神祭をその順位決定戦とし、そこでの順位が各侯爵家の順位となってしまっていた。

 候騎士が生まれた理由も、武神祭が開かれる訳も、すべては彼らの見栄と自尊心に塗り替えられ、その当初の精神も、今となっては闇に沈んでしまっている・・・・・・・・・・。

 ともあれ、現在は先の武神祭で準優勝したローズを筆頭に、フレア、ライトニング、ブラックフレイムの順になっていた。

 ところが事もあろうに、筆頭たるローズが名もない若者に倒されてしまった。

 それも、相手は貴族でもない平民の魔法使いなのだ。

 ・・・・・・・・・・貴族のメンツなど丸つぶれである。

 

 

 

 

「侯爵、もうお体はよろしいのですか?」

 恭しくお辞儀をして、一人の男が壮麗な部屋に入ってきた。

 部屋の主であるノイバウテン侯爵は、その男の声を聞き、難しい顔から安堵するような表情に変化すると、少し大げさとも思える手振りで彼を迎え入れる。

「おお、クロードよく来てくれた」

「お倒れになったと聞いて心配しておりましたが、お体の方はよろしいようで」

 もう一度恭しく軽く頭を下げるクロードに、ノイバウテン候は彼に近づき、親しげに彼の肩に手を置く。

「クロード、ここでは我々だけだ。その侯爵と言うのは止めてくれ。

 私と君の間で、爵位で呼び合いたくはない」

 言われると、クロードは苦笑するように顔をゆがめる。そして、今度は進められもしないのに、彼が座っていた向かいの席に座った。

 同じ師の元で剣を学んだ二人は、この時から親友へと戻ったのだ。

「コール。無理せずもう少し休んでいたらどうだ。昨日倒れたばかりだろう。

 君はしばらく安心して養生するといい。後の事は私に任せておきたまえ」

 クロードは、先ほどまでの格式張った口調ではなく、気軽な感じで彼にそう話しかける。

 ノイバウテン・コールはイスに座り直し親友の顔をちらりと見た後、小さくふぅっとため息を吐く。そうして彼は、親友の申し出に小さく首を横に振った。

 侯爵としては、自分の身体を心配してくれている彼の申し出は、とてもありがたいものだったが、彼にはその申し出に応じられない理由があるのだ。

「・・・そう言う訳にもいかん。

 娘がろくでもない事をしでかしてくれたおかげで、一族の者が騒ぎ立てている。何とかしなければ」

「その事は聞いている。

 決闘で負けた事もさることながら、負けた時の条件が問題だったな」

「その通りだ。

 あのバカ娘め。よりにもよって家の名誉にまで誓うことはあるまいに。

 おかげで、一族の者達が朝から駆けつけてきよるわ。

 家の名誉や、戦の女神・・・あの、聖女伝説の女神にまで誓ってしまっては、約束を違える訳にもいかん。

 ・・・・だが! だが!

 どこの馬の骨ともわからん奴に、一人娘をくれてやらねばならぬと思うと──────」

 侯爵は、自分で言いつつ怒りがわき上がり、それを押さえ込もうとして失敗した。

 言葉が続けられない程に悔しそうな表情になり、拳を強く握っている。

 悔しさや口惜しさが複雑に絡み合った親友に、クロードはしばらく黙っていたが、タイミングを見て、ふとこんな風に切り出した。

「・・・・だが、見かたをかえれば、今回の事件は幸運だったかもしれないぞ」

「幸運?」

 クロードの思いも掛けない言葉に、コールはうつむき気味だった顔を上げ、思わず問い返してしまう。

「そうだ。その決闘した相手のことなのだがな───」

 クロードの言葉はしばらく続いた。そして、その話が終わると、今度はコールの方から幾つか質問がなされ、二人の話し合いが1時間ほど経過した頃、ノイバウテン・コールの目が考える目つきに変わっていた。

「なるほど、確かに君の言うとおりだ。

 一度合ってみたいな。彼に」

「まあ、それは君の体が全快してからでも遅くはないだろう。

 何せ、20歳になるまでは結婚は出来ない。

 君の娘はまだ18。後2年もあるからな。そんなに急ぐこともあるまい」

「なあに、婚約を済ませておくことは出来る。

 こう言うことは、早くしないとな。

 悪いが、彼と会えるよう取りはからってくれないか?」

「分かった。おやすいご用だ。

 2,3日中に会えるようにしよう」

「頼む」

 コールは、信頼の置ける親友に軽く頭を下げた。

「任せておけ」

 クロードはコールの頼みを快く承諾すると、見送る彼を後に、ノイバウテン侯爵家の家を後にした。

 帰りの馬車の中。クロードは、揺れる車中で、向かいに座る一人の男に目を向けて言う。

「予定通りだ。

 後は、こちらの細工次第と言うところだが・・・・・・・・・今度はしくじるなよ」

 ノイバウテン・コールに向けていた視線とはまったく違う鋭い眼差しを、クロードは向かいの男に向けていた。それは、友愛や博愛など、微塵も感じさせない冷たい視線だ。

 さらに相手を責める意味も含まれていたので、相手の男は、ひたすら恐縮するしかない。

「今度こそ抜かりはございません。

 今回の計画に利用できる者もすでに動き出しております。

 伯の望まれる結果を実現させて御覧に入れられるかと」

「・・・・・・・・だと、いいのだがな」

 言って、クロードは向かいの男との会話を止めると、流れる外の景色にプイと目を向けた。

 その目には、ノイバウテン候家の広い庭が映っている。

 が、彼はその景色を眺めてはいたが、決して見てはいなかった。

 彼の頭の中には、フィリオ・マクスウェルへの憎悪の念だけで、他の入り込む余地が無いほど怒りで煮えたぎっていたからだ。

(あの悪魔め! 今度こそ容赦はせん!)

 

 

 

 

「ねっ、ね。どうなると思う?」

「どうなるって・・・・。

 何がだ?」

 ふたりの他、誰もいない魔導師協会総務課のぼろ小屋で、エリーとソフィアの二人が、差し向かいにランチを食べていた。

 ふたり共、食事はすでに軽く済ませ、トークタイムに移り変わろうとしている。

「だからさ。フィリオ君とエリカのことよ」

「・・・なるようになるんじゃないのか」

 いつもながら、表面上は素っ気ない態度を取るソフィアに、エリーはしつこく食い下がる。

「でもねぇーー

 レオナが絡んでくるとなると、いろいろと厄介よ。

 それに結婚の誓いもしちゃっているし。こうゆーのも、三角関係って言うのかしらね」

 うきうきと喋るエリーに、ソフィアはやや目を細くして呆れたように一言。

「・・・・・・・楽しそうだな」

「そ、そんなことないわよ。

 ただ、フィリオ君がかわいそうだなって思って・・・・・・・・」

「そのにやけた顔を見ていると、とてもそうおもえんのだが」

 言い訳をしようとするエリーに、ソフィアはピシャリと逃げ道を塞いでしまう。

 ちょこっと言いどもるエリーだったが、すぐに誤魔化すように話の筋を変えた。

「・・・・ま、とにかくよ。

 これからフィリオ君には様々な試練と苦難が待ちかまえているけど、見事それを乗り切れるように、暖かく見守って上げなくちゃ。

 何てったって、今、若い貴族の間じゃ、フィリオ君を何とか亡き者にしようといろいろと動きがあるみたいだから」

「ぶっ!」

 呆れ顔でエリーのごまかしを聞き流していたソフィアだったが、最後に聞き流せないセリフがあり、思わず吹き出してしまった。

「・・・・何よ、汚いわね」

「平然としているな! 一大事じゃないか。

 その事をフィリオは知っているのか?」

「知っているわよ。

 ・・・・・・と言うより、前々から暗殺騒ぎは続いていたからね。

 今更っていう感じだけど」

「前々からだと!」

 とうとう、ソフィアは身を乗り出してしまう。

「そうよ。

 だっていきなり、さえない顔したぽっと出の17歳の男の子が、外見と風評だけなら誰しもがあこがれるエリカの恋人になったのよ。

 それも身分の差は歴然としているのに、まるでそれを無視するかのように振る舞うから、我慢しきれなくなっている貴族は多いのよ。

 中には、フィリオを殺せば、エリカが自分の彼女になってくれると思いこんでいるバカもいるくらいですもの。

 貴族にとっては、平民の男の子の命なんて、自分のペットの命より軽いんでしょうね」

「だから、平然と言うなと言っているだろう!

 すぐにフィリオを見つけないと───────」

 ガタッとイスから立ち上がり、そのまま、総務課を出ていこうとするソフィアに、エリーはお茶をすする合間に一言。

「大丈夫よ。エリカがいるから」

 その一言で───────ソフィアは元いた席に戻って来た。

「・・・・・・・確かに、エリカがいれば大丈夫か」

 ソフィアを負かした二人の女性の内の一人が、フィリオに四六時中くっついて離れないのだ。とりあえず、だがフィリオの身の安全は保証されている。

(それにしても、また剣の訓練をしないとな)

 ソフィアは、イスに座ったまま、自分の利き手である右手を軽く握って、それをしみじみと見つめていた。

 エルフの戦士というプライドを打ち砕いた二人の女性に、ソフィアは負け続けているつもりなど毛頭ない。

 現時点で負けているのなら、勝てるだけの力を身につければいい。

 生きている以上、彼女にとってはただそれだけの事なのだ。

(いつか必ず、あの二人に追いついて、追い越して見せる)

 心に再度そう誓うと、ソフィアは目の前にあるサラダのトマトにフォークを刺して口に運んだ。

 ランチも終えて、お昼のうららかなティータイム一時を過ごしている二人に、コンコンと扉をノックする音が聞こえくる。

「はぁい!?」

 珍しい事もあるものだと、二人は返事をして顔を見合わせた。

 

 この総務課に、まともな客は来ない。

 

 自分の家のごとく勝手に入ってくる数名以外、ここに用事のある者などいないはずだった。

 何せ、返事をした二人でさえ、ここの扉をノックした事などないのだから。

 となると、ノックをしているのは、見知った顔ではないと言う事になる。

 そして、もう1つ。

 ・・・・・・・・まともな客でも無いはずである。

 ソフィアは、一応ここの所属なので、彼女が不思議がりながらも扉を開けた。

 するとそこには、一人の無精ひげをはやした30歳程の男が立っており、意外そうな表情でたたずんでいた。

「どちら様です?」

 ソフィアの問いかけに、その彼はちょっと間を置いて瞬きを一回すると、すっと、ソフィアの手をとってこう言った。

「お美しいお嬢さん。

 あなたに会いに来たに決まっているじゃありませんか。

 はっはっは───────」

 

 パタン

 

 彼の笑い声も終わらぬ内に、ソフィアは彼の手をするりと振り解くと、扉に乾いた音を立てさせた。

「なぁに?」

「ただのバカだ」

 冷たくそう言い、ソフィアはイスに戻った。

 彼女がこの国に来てからと言うもの、美形のエルフとゆうだけでこうゆう輩はたくさんいた。

 道を歩けばナンパの山。家に帰れば、ラブレターと言う手紙と、貴族の強引な誘いなどにソフィアはいい加減うんざりしている。

 もっとも、だからこそここに入り浸って平穏な時を過ごしていたのであるが、それもこれまでのようだ。

 

 コンコン!

 

「またぁ?」

 うっとうしそうに、今度はエリーが扉の前に立つ。

「見ていなさい。こう言うヤツは一発ガツンと言ってやるから」

 そう言い、扉を開けたエリーに、相手は一瞬とまどいの色を表情に乗せたが、いきなり1輪の薔薇を差し出した。

「お美しいお嬢さん。

 あなたの前では、この薔薇すらかすんで見えてしまうでしょう。

 どうか、この薔薇を─────」

 

 ドカッッッ!!

 

 と、彼は突然その言葉も途中に、派手に横に吹き飛んでしまう。

「ったく、そのクソしょーもない癖、どうにかならないの?」

 そう言い放ち、その男の代わりに、エリーの前に現れたかわいい少女。

 10歳頃であろうか、その少女は呆れるような目つきで倒れた男を見下ろしていたが、エリーを視線の端に捕らえると、慌てた様子でぺこりと頭を下げた。

「あ、申し遅れました。

 わたし、リフィニア・セレスと申します。

 ここにフィリオお兄ちゃんがいると聞いてやってきたんですが」

 ブロンドのかわいい女の子が、礼儀正しくお辞儀をする。

 ────が、その時エリーは笑顔が固まってしまっていた。

 なぜなら、この女の子が、横で伸びている男を跳び蹴り食らわせて倒した張本人だからである。

 可愛らしくにっこり微笑む女の子に、エリーはなぜか後ずさってしまっていた。

 ガツンとやるつもりが、ガツンと一発まともに食らってしまっている。

 ───と、ちょうどその時。遠くの方から、フィリオとエリカの声が聞こえて来た。

「ねえ、エリカ。本当に武神祭には出ないの?」

「出ないわよ」

「・・・そうなんだ」

 即答するエリカに、ちょっと残念そうに言うフィリオ。

 ・・・・・・・・が、平穏はここまで。

「フィリオお兄ちゃん!」

 あの女の子が、いきなり走りだし、フィリオに抱きついたのだ。

「え、リ、リフィニア?

 どうして君がここに」

「お兄ちゃんに会いに来たに決まっているじゃない」

 いきなり抱きついてきた少女に驚くフィリオ。

 女の子は、満面の笑みでフィリオに抱きついている。

 

 そして・・・・・・・・・・・横からいきなりスチャリと音がした。

 

「どーゆーこと?」

 すでに抜剣したエリカが、その切っ先をフィリオの喉の辺りでゆらゆらと動かしていく。

 怒りのオーラをまとったエリカに、フィリオは少女を抱きつかせたまま、じりじりと後ずさった。

「ま、まて、エリカ、落ち着け。

 この子は、昔仲間だった男の娘でリフィニアっていうんだ」

 その言葉に、リフィニアは、ぱっと手を離してフィリオから離れ、ついと彼から目をそらす。

「酷いわお兄ちゃん、それだけじゃないでしょ。

 私と結婚の約束もしてくれたのに」

「わーーーー。

 待てリフィニア。そう言う話が通じる相手じゃ・・・・。

 ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ─────────────────」

 

 フィリオが、エリカにぼこぼこに殴られている中、リフィニアはそれを唖然と眺めるエリーにとことこと近づいて行き唐突に質問した。

「お聞きしますけど、あの人がエリカさん?」

「そ、そうだけど・・・・・・・」

「ふぅぅぅぅん」

 何か不機嫌そうな表情で、リフィニアはフィリオとエリカの二人を眺めている。

 その足下で、ピクピク痙攣している男。

(・・・・・・・・・やっぱり、まともな客じゃなかった)

 ソフィアとエリーは、あの扉を開けた事を心の底から後悔していた。

 

 

 

 

「ふん、もう勝手にすればいいんだわ!」

 カンカンに怒ったまま、エリカはぼろぼろのフィリオをそのままに、その場を立ち去って行く。

「ソフィア。フィリオをお願いね。私は、あっちをなだめてくるから」

 そう言って、エリーはずしずしと立ち去るエリカを親指で指さすと、ソフィアの答えも待たずに後を追って行ってしまう。

「あ、ちょっと!」

 ソフィアは、エリーを止めようとしたが、彼女はもう逃げるようにして行ってしまった後だ。

 エリーを見送った形になってしまったソフィアは、ちらりとその場にいた他3名を見る。

(どうやら、厄介な方を押しつけられた・・・と言うより、やっかい事に巻き込まれる前に逃げたわね)

 思わず首をすくめたくなる状況に、とりあえず、ソフィアはぼろぼろのフィリオとお客の二人を総務課に入れた。

 力無くイスに座らされたフィリオはすぐに気が付くと、回復魔法で怪我を治し、改めてお客の二人に向かい合った。

「久しぶりだな、フィリオ」

「ヴィルドこそ、相変わらず元気そうで」

 ようやくまともに喋れるようになった旧友達は、そう言って挨拶を交わし合う。

 彼は、ヴィルド・セレスと言い、昔フィリオと一緒に旅をしていたそうだ。

 背丈は190センチもあろうかと言う大男で、少し茶色がかった黒髪に、2枚目と3枚目の中間ほどの顔立ちである。

 そしてその娘の、リフィニア・セレス。

 少し癖のある金髪に、整った顔立ちは、父親より母親の血を濃く受け継いだと思われる。

 もちろん、むさいおっさんでしかないヴィルドに、似ていないからそう思えるだけであったが。

 そのリフィニアは、親をほったらかしにして、体中でフィリオの腕にしがみついていた。

 まるで、エリカが小さくなっただけのようで、ソフィアにはあまり違和感は感じられなかった。

「と、ところで、ずいぶん早かったな」

「早かった?」

 フィリオの言った一言に、ヴィルドは不思議そうに問い返す。

「え?もしかして・・・・・・・・・・・・。

 あ、いや、いいんだ。それより、この国には観光で?」

 彼の不思議そうな様子に、フィリオは、慌てて自分のセリフを誤魔化すと、話題を他へとすり替えた。

「何言っているの。フィリオに会いに来たに決まっているじゃない。

 ね、パパ」

「あ、ああ。そうだな」

 娘のセリフに、父親のヴィルドが適当に相づちをうつ。

「こいつがあんまりしつこいから、武神祭見物がてらに、な。

 それにしても、相変わらずお前の周りには美人が多いな」

 言って、ヴィルドはちらりと視線をソフィアに流した。

 それが、早く紹介しろとの強い要望であることをフィリオは知っていたから、一瞬躊躇するも、結局簡単に紹介した。

「ああ、こちらはソフィアさん。エルフ族の戦士だ」

 紹介されて、軽く会釈するソフィア。

 それに、ヴィルドはかなり大げさに芝居ががった口調で喋り出す。

「ソフィアさんとおっしゃるんですか。すばらしい名前だ。

 どうです、今度ぜひお食事でも?

 もちろん、最高級の料理を─────」

 いきなりのヴィルドの攻勢に、ちょっと怯んだ感のあるソフィアだったが、しかし、思わぬ所から助けが出された。

「・・・・・・ママにチクるわよ」

 リフィニアの冷ややかな視線と共に繰り出された冷たい一言で、ソフィアの手を取ろうとしていたヴィルドの両手が、時間が止まったようにピタリと止まる。その時、彼の頬には、うっすらと光るなにかが滲んでいた。

「リ・・・リフィニア。パパは別に──────」

 彼が言い訳がましく言い終えるより早く、リフィニアの小さな口が次の言葉を紡いでゆく。

「私、新しいお洋服欲しいんだけどなぁ〜〜」

 それが口止め料を要求している事は、初対面のソフィアにも判る。もちろん、前々からつき合いのあるフィリオならなおさらだ。

 ふたりのやりとりを見ていて、フィリオは呆れた口調でこう言った。

「変わってない。

 ・・・・・・・・・・・・・全然変わってない」

 

 リフィニアが父親から服代の銀貨を受け取り、ソフィアが付き添って一緒に買い物に行ってしまった後の総務課には、人知れず結界が張られていた。

 外から見ても、フィリオとヴィルドが世間話をしているようにし見えず、さらに漏れ出てくる会話も雑談以上のモノではない。

 しかし────中で行われている会話は、まったく別の代物だった。

「で、何しに来たんだ?

 少し前に使いをやって、来てくれるよう頼もうと思っていたから、僕としては好都合なんだが」

 いくぶんかシャープになったフィリオの口調に、ヴィルドも心なし鋭い目つきに変わる。

「だいたい察しは付いているんだろう?

 だが、俺の事の前に、確認しておきたいことがある」

「何だ?」

 ヴィルドは、なにげに問い返したフィリオに、一瞬間をおいてからこう訪ねた。

「仮面の導師は死んだのか?」

 その瞬間から、奇妙な静寂が訪れた。

 互いに相手の瞳を見つめて動かさない。問う方も、そして答える方も、その危険すぎる意味を知っていた。

 緊張の糸が二人の間でピィンと高い音をたてて沈黙の時を作り出す。

 フィリオも、そして、ヴィルドもピクリとも動かない。

「まだ・・・・生きている」

 静寂を破ったのは、フィリオの方だった。しかし、この終わり方は危険な終わりではなかった。

 フィリオの言葉に、ヴィルドは困ったような、それでいてどこか安心したような形容しがたい顔をしている。

「そう・・・か」

 重苦しい空気に包まれたその一言だけを呟き、ヴィルドは無造作に頭をかく。

 彼の視線は一回閉ざされ、そしてしばらくそのままでいたが、頭をかく手が離れた時に開かれた。

「で、フィリオ・マクスウェルとしては、これからどうするんだ?」

「判っているだろう。

 お前達が言う、『悪魔計画』とやらを実行する」

 そのフィリオの言葉に、ヴィルドは小さく苦笑した。

「・・・・『悪魔計画』ね。

 お偉方の中には、仮面の導師が自分の欲望の為に、人類全てをイケニエに捧げると思っているらしいが・・・・・・。

 真相を知っている俺としては低俗な喜劇にしか聞こえないな」

「・・・・・・喜劇か。しかし、俺が失敗すれば彼らの言う通りになる。

 あながち喜劇でもないんじゃないのか?」

「失敗?お前が?

 失敗するぐらいなら、自分の身を犠牲にしても、計画だけは成功させるんじゃないのか?

 ・・・・・フィリオ・マクスウェルとして」

 冗談めかしたヴィルドの言葉に、フィリオはすっと立ち上がると、一冊の本を本棚から取りだした。

「こっちへ来てから、いろいろと判った事があるんだ。

 この本は、ある民家の地下室から見つかった古代書なんだけど・・・・・とっ、このページだ」

 ぺらぺらと本をめくっていたフィリオは、ある場所を開いてヴィルドに手渡す。

 ヴィルドは、そこに書いてある文字に視線を落とした。

 古代文字で書かれていたが、ヴィルドの瞳は、普通の文字を読むように動いている。

 そして、そのページを読み終える頃には、ヴィルドの冗談めかした笑みは消えていた。

「今のままでは勝てない。

 で、お前を呼ぼうと思っていたんだよ。お前にその剣を作って貰いたくてな。

 期限は武神祭が終わる日まで」

 フィリオのその言葉に、体中の筋肉が凍ついたような動きを見せてヴィルドは言う。

「・・・・こう言うむっちゃくちゃな事をさらっと軽く言うな」

 

 

 

 

(・・・こんな事なら残っとけばよかったわ)

 エリーは、ごたごたから素早く逃げた。・・・・・・・と思っていたが、もっとも深い泥沼にはまってしまっていたようだった。

「お酒足りないわよ。お・さ・け!!」

 エリーの向かいで、真っ赤な顔をしているエリカは、『ハーブの森』のカウンターで三本目のワインを飲み終えた後であった。

(お酒弱いのに・・・・・・・・)

 エリーは、エリカの酒量をよく知っている。

 ワインの1杯で顔は真っ赤になり、2杯目でろれつが回らなくなる程弱いのだ。

 それが、一人で3本・・・・・・・・・・・・・。

 もはや、意地と気迫で飲んでいるとしか思えなかった。

「ふんだ!

 何よ、フィリオったら・・・・・・女の子とイチャイチャしちゃってさ。

 でれでれでれでれでれでれでれでれ───────────────────────っとしちゃって、みっともないったらありゃしない。

 ソフィアかと思えば、次はレオナにまで手をだして。

 そして、次はあんな小さな女の子にまで!

 私の事なんかほっぽりっぱなしで、部屋の中でなにやらコソコソしてるし──────────────」

(全部、フィリオ君のせいじゃないと思うけど・・・・・・・

 ついでに言うなら、レオナの事はあんたが原因なんじゃ)

 エリーは、心の中でそう思っていても、顔では迎合する風に小さく笑っていた。

 酔っぱらいに何を言ってもムダと知っているからでもあるが、エリカの場合は、怒らせでもして暴れられると手がつけられないからだ。

 真っ昼間っから、ぐでんぐでんに酔っぱらったエリカは、愚痴発生装置と化していた。

 ・・・・・・・・・・・・・そして、もう一人。

「お嬢様、もうお止めになって下さい。お体に触ります」

 二階の奥の方から、高齢な男性の声が聞こえている。

「うるさいですわね。

 だいたい、お屋敷のお酒が尽きたから、わたくしがここで飲んでいるのでしょう。

 執事として、まず反省するべきではなくて?。

 それにここは男子禁制ですわよ。さっさとお帰り。

 それと早くお酒を持ってきてちょうだい」

 若い女性の声で、理不尽でむちゃくちゃなセリフが聞こえてくる。

 向こうも、若い女性の酔っぱらいのようである。

 その会話が聞こえてき始めたのは、すでにエリカが酔っぱらった後だったので、彼女は判っていないだろう。

 だが、エリーはそれを故意に無視し続けた。

(・・・・さわらぬ神にたたりなし)

 

「ねえ。どうにかならないの?」

 『ハーブの森』の女主人ミレアは、そっとエリーに耳打ちする。

 もうそろそろ開店時間なのだ。

 エリカ達は、開店前に無理矢理この場所を乗っ取って飲んでいるのだが、この状態で店など開けられる訳もない。

 ミレアも、常連客でもあり世話にもなっているエリカに、無下なことなど出来ず、さりとて、この状態のままだと今日は休業せざるを得なくなる。

「ねえ、せめて二階に移ってくれない?」

 ミレアの2度目の耳打ちに、エリーはピクリと反応し、知らず知らずの間に冷や汗を流していた。

 すでに、二階からはあの執事の声は聞こえてこない。男だからと言う理由で、開店時間が迫る前に追い出されたのだ。

 しかし・・・・・・・・・。

「お酒が足りませんわよぉーーーー」

 ・・・・・・・・・・・若い女性の声は、今もなおハッキリと聞こえてきている。

(どうすりゃいいのよ、この状況!!)

 頭を抱えて大声を上げたくなる心境をぐっっとこらえて、エリーはどうするべきか、頭をフル回転させた。

 その間中、エリカと言えば、完全にろれつの回らなくなった舌で、解読不明の愚痴を垂れ流していた。

「こんにちはーー」

 と、そこへ店の戸を開ける客が一人。万事休す・・・・・・・・と思われた。

 が、その声の主に、エリーもミレアも安堵の息をもらす。

「やっぱりここだった。

 すいません。ご迷惑をおかけして」

 平身低頭して謝るフィリオに、エリーが何か言葉を掛けようとしたその瞬間。

 

 ヒュッ!

 

 と、彼女の脇を風が走り、エリーの髪を1凪する。そして、その風はフィリオに抱きつくと、そのまま離さず抱きついた。

「・・・・・・・・・なんだろうねこの子は」

 エリカがフィリオを見つけるやいなや、駆け出して彼に抱きついた・・いや、飛びついたのである。

 いま、彼女は彼にしがみついたまま、うれしそうな笑顔で微笑んでいる。

「はぁ・・・・やれやれ。

 じゃ、僕はエリカを送ってきます」

 さして困った様子も見せず、フィリオはエリカを支える様にして店を出て行く。

 そんなふたりの様子を見送って、ミレアはちょっと苦笑してしまった。

「・・・なんだかちょっと羨ましいわね」

「羨ましい?」

 エリーは、意外な彼女の言葉に問い返した。

「だって、あんなに酔っぱらっても、ちゃんと迎えに来てくれるんですもの。

 それに、あの時の彼女の顔見たでしょ。あんなにうれしそうにして。

 私もあんな風に笑ってみたいわ」

 どこか眩しそうに言うミレアの台詞に、そう言われてみるとちょっと羨ましい、とエリーも思った。

(あれだけエリカが、むちゃくちゃ振り回しているのに、フィリオ君ったら、いやな顔ひとつしないで、あの子につきあっているものね。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 なんか、本当にちょっと悔しいわね)

「それにしても、フィリオさんって結構力があるのね。

 いきなり抱きついてきたエリカさんを抱き止めて、そのまま立っていられるなんて。

 ねえ、そう思わない?」

 しかし、エリーはミレアの言葉など聞いている様子もなく、そのまま黙ってエリカが座っていたイスに腰掛けると、

「ねえ、お酒ちょうだい」

 

 

 

 

 人気の無い朝もやの中、フィリオは一人小さな土器を火に掛けていた。

 総務課の裏庭で、小さなかまどに火を入れて、なにやら作業を行っている。

 時折吠える炎が、かまどと土器の隙間から漏れ出て、その炎が筆となり蓋付きの土器に黒い線模様を描いている。

 オレンジ色の輝きが彼の頬に淡い赤みを彩り、その瞳にはかまどの中で猛り狂う焔が映っていた。

 フィリオは、そのかまどから出る熱気に汗を滴らせながらも、その炎と土器に細心の注意を払ってそれを見つめる。

 と、そこへ人の気配が、小さな足跡が聞こえて来た。

「フィリオお兄ちゃん何やっているの?」

 フィリオがちらりと横目で見ると、リフィニアが眠そうなまぶたを擦ってそこに立っていた。

 昨日の宿はこの総務課の建物だったので、物音に気づいたリフィニアが見に来たのだ。

 でも、しっかり服は寝間着から着替えている辺り、彼女の母親のしつけがしっかりしている事を物語っていた。

(マチルダさん、恐ろしい人だったからな)

 昔の事をちょっぴり思い出して、ゾクリと背筋に寒いものを感じると、ふと気になる事を思い出してリフィニアに訊ねた。

「ねえ、パパはどうしている?」

「パパ?」

 かわいい顔でちょっと首を傾げる仕草をすると、少女は答えた。

「昨日の内にスマキにして、この建物の中に鎖で繋いでおいたから、まだいると思うけど」

 かわいい顔のまま、さらっと とんでもない事を言ってのけたリフィニアは、視線で総務課の建物を指す。

「あ、相変わらずだねぇ・・・・・・・・」

「だってこうしないと、何処の女の人の所に行くのか判らないもの。

 もしそんな事になったら、後で私もママにも怒られちゃうわ」

 フィリオは苦笑して聞いていたが、その『怒られる』が、どれほど過酷な事なのかを知っているだけに、リフィニアを責める気にはなれない。

「ヴィルドも、子持ちなんだから、少しは落ち着けばいいのに」

「ダメよ。

 パパったら、後で酷い目に合うの判っているのに、いっっつもナンパに明け暮れているんだから。そのくせ、そのナンパも一回も成功したためしがないし。

 何考えているのかしら、まったく」

 呆れるように言ってから、リフィニアはフィリオが見ていたかまどを見つけた。

「何・・・・やってるの?」

「これ?

 これはね・・・・・・いいや、もう出来るから見ててごらん」

 そう言うと、フィリオは、鉄製の道具を幾つか取り出すと、それの一つを使って土器の蓋を取った。

 中はオレンジ色のドロリとした液体が緩い流れを描いている。

「ん、もういいな。

 熱いからちょっと下がってて」

 手にしてあった道具で土器を挟み、フィリオはそれを金属製の金型に流し込んだ。

「ねえ、何が出来るの?」

 見ていたリフィニアから質問が出るが、フィリオはそれに答えなかった。

 しかし、少女はフィリオの態度にに怒った様子は見せなかった。彼が小さく呪文を唱えていた事に気づいたからだ。

 じっと、金型に流れ込んだオレンジ色のそれを見つめるリフィニアの瞳に、好奇心の輝きが灯る。

 その視線の先では、オレンジ色の物体にフィリオの呪文がキラキラと渦巻き輝いていた。

 七色の粉雪が舞い降りている様なその光景に、リフィニアはドキドキと小さな胸をときめかせて見つめている。

 光の舞いは、時に集まり、時に広がってリフィニアの心をくすぐり、少女の瞳を釘付けにしていた。

 ・・・・・・・・が、突然それが止む。

「・・・・・・・・失敗しちゃった」

 フィリオがため息と共に漏れだした言葉で、その輝きが止むと、オレンジ色の物体は透明な輝きに変わっていき少しづつ固まっていった。

「やっぱり難しいな。

 見て。こんなに失敗しちゃったんだ」

 そう言って、フィリオは袋の中に詰められていた失敗作をリフィニアに見せた。

 袋の中には、5個のそれが、完全に固まった状態で無造作に転がっていた。

 しかし、リフィニアの瞳はそれを見てさらに輝きを増す。

「ねえ、これ一個貰っていい?」

 袋の中をじっと覗いていたリフィニアは、唐突にそうおねだりしてみる。

 それは失敗作と言っても、それは宝石の様にキラキラと輝いていた。

 『かわいいおんなのこ』としては、それを欲しがるのはむしろ当然と言えるだろう。

「ねっ、いいでしょ」

 目線をそれに釘付けにしたまま、リフィニアはフィリオに再度ねだる。

 フィリオの方も気軽に、いいけど、と答えると、早速彼女の品定めが始まった。

「赤と青、それに緑とピンク。そして無色透明のやつね」

 リフィニアは、それを一つ一つ手に取ると、登り掛けている朝日に掲げたり、目に近づけたりしている。

 その間に、フィリオは、粉末状にした白いススキの灰を、再度土器の中に入れていく。

 彼は、再びガラス作りの準備に取り掛かっていた。

 ススキからガラスが出来る事は、ガラス職人の間ではわりと有名な事だ。

 フィリオが、その事を知ったのは、旅先で見つけた書物からであった。

 まず、ススキを黒くなるまで燃やし、次にそれを適当に砕いて土器に入れ、白くなるまで熱する。

 そして、乳鉢で粉末状になるまで粉々に砕いてから、もう一度、今度は解けるまで熱するのだ。

 ───だが、それが一番の問題だった。

 その時の温度は、軽く1000度を超えなければならないからだ。

 小さなかまどなどでは、絶対に出せる筈のない温度であるが、フィリオはその問題を魔法でクリアーした。

 彼は、たえず炎の呪文をコントロールして、この作業を可能にさせたのだ。

 ・・・・しかし、一般的にゆうなら、それが一番難しい事なのであるが。

 

「うん。これが良い」

 そう言ってリフィニアが手に取ったのは、親指大程の大きさの少し角張った球体で、透き通るような透明感を持ちながら、日にかざしてみても、向こう側が透けて見えない程深い緑色のガラスだった。

 とても、失敗作とは思えないそれを見つめて、リフィニアは無意識に身体をむずむずさせている。

「ねえ、ちょっとお散歩してくるね」

 よほどうれしかったのか、一カ所に止まっていられないとゆった風で、リフィニアはすでに歩き出していた。

「あんまり遠くに行っちゃダメだよ」

「うん。判った!」

 朝もやの中に消えようとしているリフィニアは、元気いっぱいにそう答えると、完全にもやの中に消え去って行く。

 

 

 

 

「ふぅーーーーーう」

 ソフィアが、苛立った様子で大きくため息をつき、頬づえをついている。

 だが、それは彼女だけではない。総務課にいる他の者達も、ほぼ似たような状態だった。

 そこには、エリー、エリカに、ヴィルドがそろっている。全員が同じように眉間にしわを寄せていた。

 太陽がほぼ頂点に達しているこの時間になっても、早朝に散歩に出たはずのリフィニアがまだ帰って来ないのだ。

「リフィニアーーーー」

 ヴィルドが、総務課の中をおろおろしながら、時折唸るような声を上げていた。

 自分の娘が、地理に疎い異国の地で、行方不明になっているのだから仕方ないのだが、せまい総務課の中で唸るような声は、かなりうっとうしい。

 二日酔いで、机にへたばっている女性には特に・・・・・・・・・。

 昨日さんざん飲んだエリカは、今朝、当然の事ながら二日酔いに襲われていた。

 それでも、意地と根性でこの総務課に来たのだが、そこで力つきてしまったのだ。その上、お目当てのフィリオは、リフィニアを探すために外に出ているのであるから、その苦労も泡と消えてしまっている。

 

 それはともかく─────────────

 

 他の者達は、10歳にも満たない迷子の女の子を心配して、眉間にしわを寄せていた。

 いつもなら、このウライユールは、それほど人通りも多くなく、王都としては少し寂しいくらいなのであるが、今は武神祭目当ての観光客やらで道には人が溢れかえっているのだ。

 良い人悪い人含めて、人混みに溢れている今のウライユールは、いつものようなのどかな田舎町では無くなっていた、。

 ───しばらくして、リフィニアを探しに行ったフィリオが帰ってきたが、彼は入るなり首を横に振った。

「ああああああ─────────リフィニア!!!」

 頭をかかえんばかりにうろたえるヴィルドに、フィリオはもう一度探しに行こうと、振り返った。

「ねえ、あんたがフィリオ・マクスウェルって人?」

 フィリオが振り返った時、総務課の建物の前に、いつの間にか数人の子供が集まって彼に声をかけてきた。

「そうだけど・・・・・・何か用かい?」

「ん、と。

 これをあんたに渡すように頼まれたんだ」

 そう言って、一番体の大きい男の子が、持っていた手紙を渡した。

 四つ折りに折られていたそれを開き見て、フィリオは一読すると、再度その子に視線を流す。

「これを頼んだのは、どんなヤツだった?」

「金持ち風のおじさんだったよ。

 ね、もういいよね。貰ったお金でこれから遊ぶんだ俺達」

「あ、ああ。ありがと・・・・・・・う?」

 フィリオは、にこにこ顔で無邪気に手を差し出す子供達に、きょとんとした表情になる。

「駄賃だよ。

 ただで使いっ走りなんかやるわけないだろ」

 その子供の一言に、フィリオは一瞬固まり掛けたが、冷静を装って財布の紐を解くと、銅貨を人数分手渡した。

「ちぇ。これっぽっちかよ。まあいいや。じゃあな」

 相手がフィリオでなければ、絶対に殴られていたであろうセリフを残して、子供達はわいわいと一塊りに去っていく。

「おい、フィリオ」

 後ろから声を掛けてくるソフィアを無視して、彼はヴィルドに一言。

「すまん。僕のせいでリフィニアがさらわれた」

「な・・・・」

 ソフィアは、すぐさま彼の持つ手紙をひったくりそれを読む。

「大事な女は預かった。

 返して欲しくば、セレセアの森まで来い」

 言ってソフィアは、フィリオから手紙を奪い取ると、力任せにもみくちゃにした。

「おのれ!。

 小さな子供を誘拐するとは」

 怒気で荒くなった声を出し、ソフィアは切れ長の目つきを鋭く跳ね上げる。

(エリーが言っていた、フィリオを殺そうと企むバカ貴族と言う訳ね!)

 怒りを隠そうともしないソフィアに、フィリオは慌ててこう言った。

「待って下さい。

 みんなで行けば、リフィニアに危険が及びます。

 ここは、僕一人で・・・・・・・」

「一人で行くつもりか?!」

「正面からはそう見えるようにします。みんなは、物陰にでも隠れていて下さい。

 そうすれば、相手も油断するでしょうから。

 僕が合図をしたら・・・助けて下さいよ」

 ほんのわずかな会話と、最後の戯けたフィリオの台詞で、ソフィアはちょっと怒りの矛先が鈍ってしまった。

 代わりに彼女の心に冷静さが舞い降りてくる。かっ、と血が上った頭が、緩やかに冷えて行く感じだ。

 そうなると、自分がとても危ない事をするところだったとソフィアは気がついた。

 人質を取られている事をすっかり忘れて、怒りに我を忘れてしまっていた彼女は、内心恥ずかしい気分になったが、表面上は冷静さを保ちきった。

「囮になると言うわけだな。判った、そうしよう」

 ヴィルドも大きく首を振って同意する。

 ────が、話がまとまり、いざ出かけようと言うときになって、フィリオの袖を掴む手があった。

「うぅぅっ───────」

 二日酔いで、机とフィリオにしがみつくエリカである。

 気持ち悪さから今までの会話に参加していなかった彼女だが、フィリオに捕まり無理矢理起きようとしているところを見ると、彼女も行くつもりのようである。

「エリカ。君はここで待っていて」

 

 プルプル

 

「・・・・・・・どうしてもついてくる気?」

 

 コクコク

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 次の言葉がどうしても出ないフィリオ。見かねて、ソフィアがいきなりエリカを抱え上げた。

「ええい。時間がないんだ」

 こうしないと、いつまでたってもフィリオの袖を離さないと思ったソフィアは、そのまま彼女を担いで走っていく。

 と、当然振動が・・・・・・・・。

「うっ・・・・・・・」

「吐いたら、その場に捨てて行くからな」

 ソフィアの冷たい一言に、エリカは喉まで出かかった酸っぱい物を無理矢理飲み込んで必死にこらえる。

 

 そして─────────────

 

 相手の居場所はすぐに分かった。

 完全武装した5人の男が、森の近くの小さな小屋に陣取って、待ちかまえていたからだ。

 しかし、その周りはただの草地で、身の隠せるようなところなど無く、フィリオと他の者とはかなり離れなければならなくなった。

 状況はかなり不利である。さらに人質がいる以上、迂闊なまねは出来ない。

 かなり離れた草むらから、身を潜めて眺める先に、5人の男達に向かうフィリオの姿があった。

「あの子はその小屋の中か?」

 フィリオが、ちらりと小屋を見てそう言った。

「自分で確かめてみたらどうかな?」

 抑揚もなく冷徹に言い放たれた言葉と共に、男達は一斉にフィリオを囲むようにしていく。

 彼らの手には、白銀にきらめく長剣や、痛々しい棘のついたメイスが握られていた。

 物腰や雰囲気から、彼らの目的がフィリオを『痛めつける』事ではなく、『殺害する』事である事が分かる。

 コクリと喉をならすフィリオに、男達は鉄仮面の下から不気味な眼光を覗かせ、無言でじりじりと間合いを詰めていった。

 囲まれている為、後ずさる事も出来ずにたたずむフィリオ。

「うぉぉぉ!」

 男の一人が、気合いの言葉を吐いてフィリオに斬りつけた。

 

 

「くっ、覚えてやがれ!!」

 最後まで残っていた男はそう言い残し、フィリオを背にして逃げ出していく。

 フィリオは、一瞬呆然と彼らを目で追っていたが、すぐに意識を小屋へと向けた。

 古くなった木戸をバンっと勢いよく開け放ち、小屋に飛び込むフィリオ。

 その様子を遠目で見ていたエリカやソフィアは、伏せていた草むらから飛び出し、もうすでに走り出していた。

 でも、時折よろけて足を絡ませては転びそうになるエリカ。それでも彼女は、フィリオが心配で必死に走っていた。

 小屋に入ったフィリオは、依然出てくる様子がない。

 リフィニアがいるだけなら、もう出てきてもよさそうなのに。

 もし、あの小屋の中にまだ相手がいたら・・・・・・・。

 不意をつかれて相手の刃に掛かっていたら・・・・・・・。

 そう思うと、不安でたまらなかった。しかし、彼女の体の半分はまだ昨日の酒が残っていて、思うように動いてくれない。

 そのもどかしさが、彼女をさらにイライラさせた。

「ぎゃぁぁぁぁっぁぁ────────────」

 後少しで小屋に着くとゆう時に、フィリオの悲鳴がエリカの耳に飛び込んでくる。

「フィリオ!!!!!」

 思わず彼の名を叫び、小屋に飛び込む。

 そして、エリカが見たモノは──────────────

 

「ど、どうしてあなたがここにいますの?」

 寝間着姿をシーツで隠し、真っ赤になって怒鳴っているレオナの姿と、頬に一撃を食らった形跡のあるフィリオが倒れている姿であった。

 

 ───────ピクリっ───────

 

「な、何ですかあなた達まで!!」

 レオナはこの状況を把握しているのか、入ってきたエリカ達に怒鳴り散らすが、エリカはそんな事、ちぃとも聞いていなかった。

 彼女は殴られた頬をさすりながら、起きあがろうとしているフィリオをギンっと睨み付けると、そのまま胸ぐらを掴んで彼を起こし上げる。

「ど・う・い・う・こ・と?!」

「ど、どうって僕にも何がなんだかさっぱり・・・・・・・」

 彼の言葉も、エリカはやっぱり聞いちゃいない。

「レオナが大事な人ってどう言うこと?」

 エリカは、ソフィアが握りつぶした脅迫状の内容をしっかりと覚えていた。

『大事な女を預かった』

 文面の『女』の文字が、レオナであるとわかった事で、エリカの理性や知性は嫉妬の炎に焼き焦がされていた。

 もはやこうなっては、彼がズタボロになるまでエリカの怒りは収まらない。

「いや、あの・・・・・・・・」

 ムダとは知りつつも、一応言い訳しようとする。

 しかし、当然、彼の言い訳を聞くようなエリカではない。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ──────────────────────」

 ──────────2度目の悲壮な絶叫が、狭い小屋の中に響いてゆく。

 

 

「どうですかな?。

 5人の完全武装した男達の前に立つ勇気。それに、その5人を一瞬で倒したその手並みは?」

 クロードは、遠くの丘からみすぼらしい小屋の前で行われた戦闘を見てこう言った。

 彼の横でノイバウテン侯爵は腕組みをしてなにやら考えている。

(・・・・・・・・もう一押しだな)

 心の中で、クロードはほくそ笑んでいた。

「ううむ。我が娘のために、命の危険を省みず助けに向かうとは・・・・・・・・。

 前に子供を助けるために、あの森に入ったと言うのもうなずける」

 考え深げな侯爵の声に、クロードは密かにガッツポーズをする。

「伯爵様」

 その二人に、後ろから弱々しく声を掛ける男達がいた。

 彼らは小屋の前にいた5人の男達である。

「おお、ご苦労だった。

 すまなかったな、お前達に悪役などをやらせてしまって。

 このクロード・シャフィール。心より礼を申すぞ」

「は、伯爵・・・・そ、それよ・・り・・・がぁ───」

 そう言うと、男は事切れたように倒れ込んでしまった。

「おいどうした?」

 そのあまりの異様さに、クロードは駆け寄ると、男は青い顔で小さく呻いていた。

「おい。しっかりしろ!」

 しかし、彼からの返事は、苦しそうなうめき声だけで、意識すら無い様子だ。さらに彼に続いていた4人も、ほとんど同じ状況で大地にうずくまっている。

「どうしたのだ、彼らは!?」

 事の異様さに、ノイバウテン候も色を変えて近づいて来た。

「誰か! 医者だ、医者に連れていってやれ!」

 馬車にいる付き人にそう命じると、彼らは従者達に馬車にかつぎ込まれ、そのまま医者の元へと去っていった。

「どうしたのだ。いったい?」

 原因不明の状況に、ノイバウテン候もシャフィール伯も首を傾げるばかりで、答えは見つけ出せずにいる。

 そのうちに、小屋の方に動きが見えたため、彼らの事は一時置き、まずはそちらを優先させた。

「では、彼に会いに行くか。

 まずはこのような茶番を仕組んだことを詫びねばな」

 ノイバウテン侯爵は、付き人が残した馬にまたがると、友人のシャフィール伯爵を連れだって小屋に向かった。

「しかし、魔導師ながら5人の男達を倒すとは・・・・・ううむ」

(まあ、彼らにはやられるように吹き込んでおいたからな。

 侯爵と言えども、あんな遠くからでは八百長とも判るまい。

 フィリオの小僧を良く見せる為とは言え、苦労させられる。

 しかし、これで、侯爵もあいつを気に入ったはずだ。

 そうなれば、ふふふふふっ・・・・)

 馬上の人となったクロードは、内心の笑みを必死でこらえつつ、セレセアの森を横目に進んで行く。

 すると、いくらも行かない内に、突然小さな女の子が森から飛び出してきた。

 女の子に驚いた馬が一瞬暴れ掛けたが、馬を扱うことになれていた二人はすぐに馬を落ち着かせるよう手綱を引いた。

「危ないであろう!」

 その子に叱責の言葉を投げかけるシャフィール伯爵だったが、その少女は彼らにかまわず一目散に逃げ出していた。

「あ、こら、待て!」

 子供とは言えあまりの非礼さに、もう一言怒鳴ろうとした伯爵だったが、すぐにそんな事などかまっていられなくなってしまう。

「ぐぉぉぉぉぉぉ─────────────」

 

 

「なぜわたくしがこんなところにいるんですの?!」

 酒臭い息を振りまきながら、二日酔いでぐらぐら揺れる頭で、レオナは必死に自分の今の状況を思い出していた。

 しかし、完全に混乱していた頭で、この状況を理解するのは不可能だった。

 こんなみすぼらしい小屋に寝間着姿でいる自分。そして、起きて最初に見たモノは、フィリオ・マクスウェルの顔。さらに、エリカが『浮気者』と叫びながら彼をどつき回している。

 もちろん、この状況に自分の父親が一枚かんでいるなど思いも寄らないレオナである。

(昨日は、ついお酒を飲み過ぎて・・・・・・・『ハーブの森』で飲んでいたところまでは覚えているんですけど・・・・・・・・・・

 そう言えば、あの男子禁制の場所で男性の声を聞いてような・・・・・・・

 まさか・・・・・・・まさか・・・・・・・・・)

 見る見る内に真っ青になっていくレオナ。彼女のシーツを握る手にぎゅっと力がこもる。

 記憶にある男性の声が、エリカを迎えに来たフィリオの声と気づくはずもなく・・・・・・・・。

「あ、あなた! わたくしに何をしたんですの!!」

 真っ青な顔で、溢れんばかりの涙まじりに言うレオナに、エリカの怒りのボルテージは、昨日の酒など吹き飛ばしていた。

 

 ぐぉぉぉぉぉぉぉぉ─────────

 しかし、ちょうどその時。突然外から大きな咆哮が聞こえてきた。

 獣ようなその雄叫びに、外を見たソフィアがその正体を口にする。

「オークの群だ!」

 声を聞いて、フィリオを殴る手を止め、外に飛び出すエリカ。見ると、二人の騎士がオークの群と戦っている。

「お父様!!」

 シーツを体中に巻いて外に出たレオナと、剣を抜いたエリカの声がだぶって響く。

 その声に────

 レオナの父、コール・ノイバウテンと、エリカの父、クロード・シャフィールが馬を走らせ近づいて来た。

「お父様なぜここに!」

「話は後だ! 奴らを倒すぞ!」

 エリカ親子の会話は、そのままオークとの戦闘に変わって行く。

 そして、レオナ親子は会話などせず、父親が自分のマントとショートソードを娘に与えてオークに躍りかかる。

 たかだか四人と考えたのか、オーク達はひるみもせずこの四人と剣を合わせた。

 刃こぼれが酷く、拾い物としか思えない様な刀身をひらめかせ、オーク達は人間が傷つき倒れる事を思っただろう。

 ・・・しかし、現実は違った。

 人間の剣戟に、オーク達はまったく反応出来ないでいた。

 かろうじて一撃目は剣が重なり合うものの、人間が繰り出す二撃目にはまったく反応できずに切り伏せられてく。

 いや、もし反応できたとしても、錆び付いた剣ではへし折られるのが関の山だったろう。

 中には一撃目から、剣をへし曲げられ、そのまま切り伏せられているオークさえいるのだ。

 この四人は、国の中でもトップクラスの騎士達であり、手入れの行き届いた剣を持っていた為、ほとんど一方的にオーク達は追いつめられていった。

 がしかし、数で押すオーク達は、怯むことなくしゃにむに突っ込んで来た。さすがに数で勝るオーク達相手に、4人だけでは多勢に無勢だ。

 それでも、体力の続く限りは、まだ人間達の方が押していた。

 だが、それも体力が続くまでの間だけ・・・・・・・。

 しばらくすると、疲れの出始めた人間達を、少しづつではあったがオーク達が圧倒し始めていた。

「セレセアの森とは言え、なぜこれほどの数がいる?!」

 侯爵の叫びに答えられる筈の人物は、まだ戦闘に参加していなかった。

 フィリオは、小屋の物陰に隠れていたリフィニアを見つけると、じっとその視線を彼女に向けていた。

「あ、あははははは。

 森の中で遊んでいたら、見つかっちゃって」

 可愛らしく誤魔化そうとするリフィニアに、じっと視線を向けるフィリオ。

 それが笑顔で微笑んでくれていない事に、リフィニアはさすがに気づく。

「ご・・・・・ごめんなさい。

 これの使い方が分かったから、つい・・・・・・・・」

 しゅんとして、フィリオから朝貰った宝石を差し出し、素直に謝るリフィニアに、フィリオは小さくため息をつくとそっと軽く頭を撫でてやった。

 いつの間にか彼の顔は、苦笑するようなほほえみに変わっていた。

「もう、遠くで遊んじゃダメだぞ」

 それだけ言うと、リフィニアを小屋に隠し、フィリオは戦いの中に身を投じた。その頃にはヴィルドもソフィアも剣を取って戦っていたが、圧倒的な数の差は覆せる筈もなくじりじりと押されている。

「フィリオ。あいつらに何とか言ってくれ!。

 バラバラに戦っていたんでは勝てない!」

 ソフィアにそう言われて4人を見ると、モルト王国のトップ騎士達は、4人がそれぞれバラバラに単独で戦っている。その為に、一度に複数の敵を相手にしなくてはならない状況になっていた。

「一度戻って下さい! 体勢を立て直しましょう」

 怒鳴ってみるフィリオだが、まったく無視する4人。

「くっ。みんな一対一の、試合形式でしか戦った事ないから」

 フィリオのつぶやきは、モルト王国全てに言える事だった。

 ここ数百年、戦争のないこの国は、実戦の経験がほとんどないのだ。

 盗賊集団などもいたが、それを取り締まるのは騎士の仕事ではない。

 さらに、この国では、わがままさえ言わなければ食うに困るような事もないので、犯罪者の数も、他国と比べて格段に低い。戦乱に明け暮れている他の国から比べれば、まるで天国のような状況だが、いざこのような状態になると、その弱さが露呈してしまう。

「きゃあ!」

 と、レオナの声が上がったかと思うと、彼女は足を引きずる様な格好で必死にシーツが落ちないように片手で押さえていた。

 彼女は寝起きの上に、元々戦える格好ではないのだ。

 それでも今まで戦えたのは、ひとえに彼女が強いと言う事を表していたが、それもここまでだった。とうとう足に傷を負ってしまった。

 彼女をかばう風にしてヴィルドがオークに立ちはだかり、フィリオはすぐに怪我をした彼女に近寄った。

「大丈夫ですか?!」

 駆け寄り、傷口を手当しようと手を伸ばすが、彼女はその手を叩くように振り払った。

「近寄らないで!」

 その言葉に閉口するフィリオ。だがしかし、見た限りではかなりの深手を負っているように見えた。

 彼女はかろうじて立っているものの、傷を負っている左足はすでに血だらけで、気の弱い女性なら見ただけで失神してしまっている様な有様だ。

 すぐに治療魔法を掛ければ、彼ならば傷跡すら残さず完治出来るが、そのままにしておけば出血多量で気を失い、最後には死んでしまうだろう。

 そう判断した時、フィリオの行動は素早かった。

 彼は少し乱暴にレオナの手を取ると、彼女の怪我をしている方の足を払って彼女を倒すと、そのまま治療呪文を口にした。

「いたいっ!

 なんですのあなたは!?

 わたくしをこんな目にあわせておいて──────」

 

 バチン!!

 

 言うが早いか、彼女の手は勢い良くフィリオの頬を叩いた。

 が、彼は微動だにせず、治療呪文を止めようともしなかった。その無言の迫力に、レオナは一瞬気圧されてしまう。

 シーツの隙間からこぼれている彼女の血だらけの足に、フィリオの手がゆっくりと動き傷口を癒していく。

「───命の一欠片よ。

 癒しの力となりて、その輝きを我に示せ」

 小さな光の粉が、彼女の傷をなぞっていく。

 光はさらさらと流れるようにして、レオナの真っ赤な足を包み込んでいった。

 彼女が、傷口にほんのりとした暖かみを感じると、徐々に痛みが和らいでいき、フィリオのつぶやきが終わる頃には、もう痛みなど感じない程回復していた。

 血で汚れた真っ赤な足は変わらないが、傷口はもう完全に塞がっていて、その後すら判らない程である。

「あり・・・・・っ!」

 怪我を治してくれたフィリオに、思わずお礼を言いかけたレオナだったが、自分の足がふともも辺りまであらわになっていた事に気づくと、さっとそれを隠し、真っ赤な顔でキッとフィリオを睨み付けた。

「こんな事ぐらいで、わたくしが恩に感じると思っているわけではないでしょうね!

 わたくしをこのような所にさらってきて、どうするおつもりでしたの?」

「あなたをここへ連れてきたのは、あなたのお父上ですよ」

「ウソ!」

 そんな事あるはずがないと、レオナは力一杯否定する。

「本当ですよ。でなければノイバウテン侯爵がここにいる理由が見つかりません。

 それと、たぶんですが、今回の黒幕はシャフィール伯爵ですよ」

「おじさまが?」

 信じられないと言った風に言う彼女。

「前の決闘をきっかけに、僕とあなたをくっつけようと思ったんでしょう。

 ここにいた護衛と思われる人達も、僕が一度も手を触れていないのに、ばたばたと勝手に倒れていき、芝居がかった口調で捨てぜりふを吐いて逃げて行きましたから。

 僕に対する侯爵の心証を良くしようとしたんじゃないでしょうか?」

「どうしてそんなことを?」

 レオナは、疑問をそのままフィリオにぶつける。

 当然の疑問に、フィリオは疲れたようなため息を漏らした。

「普段のエリカの姿を見れば判るでしょう。

 嫁入り前のかわいい一人娘が、訳の分からない男の所に通っているんですよ。

 父親としては反対したいところでしょうが、エリカのあの性格じゃ言って聞く筈もないですしね。

 それで僕の方に圧力や嫌がらせが掛かったり、今回のように他の女の子とくっつけようとしたり。

 ま、色々と手を尽くしていると言う訳ですよ」

「軽く言わないで!

 わたくしは、あなたと結婚すると誓ってしまったんですのよ。

 わたくしは・・・・・・・・・」

 言葉に詰まったレオナは、後悔という言葉をかみしめていて、それ以上言葉を出せないでいた。

 それに対して、フィリオは肩をすくめて、ぽつりと一言。

「やれやれ、本当に僕の意志などお構いなしなんですね」

「なんて人なの!

 このわたくしが、こんなにも悩んでいるとゆうのに。

 あなたも男ならば、自分の事より女のわたくしの事を心配したらどう?!」

 彼女の言葉に、フィリオは小さく肩をすくめてみせる。

「はいはい。

 それじゃ、ひとこと言って良いですか?」

「何よ!」

 もうほとんど、やけくそ気味に言うレオナに、フィリオは疲れた様にぼそりと言った。

「その結婚の誓いって、僕が拒否すればそれで終わるんじゃないんですか?」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 寒すぎる風が、レオナの脳裏にひゅるるるるると通り過ぎていく。

 両方の合意が無ければ結婚は出来ない。

 それは、この国の法律でもあり、この国が出来た伝説の聖女の言葉にもそう記されている。宗教的にも、彼が拒否すれば絶対に結婚は出来ない。

 レオナがもし本気でフィリオを好きになっても、フィリオが否定すれば誓いは無効となるのだ。

「ふふふふっ・・・・ほっほっほっほっ・・・・・ほーーーーーほっほほほほほほ───────────」

 跳ね上がる様な高笑いと共に、レオナは完全復活した。

 二日酔いも、足の怪我も、全て吹き飛ばすようなその高笑いに、オーク達も一瞬、びっくりしてしまう。

「やはりわたくしには、神さまが祝福して下さいっているんですわ。

 ほーっほほほほほほほ─────────────」

「神さま・・・・ねえ」

 フィリオが言ったそのつぶやきに・・・・誰も気づいてはいなかったが、危険な響きが含まれていた。

 

 そうして、レオナが復活した後、戦闘はさらにエキサイトした。

 エリカの剣が大きめのオークを袈裟切りにし、その彼女を他のオークが狙って槍で突いてくる。それを、クロード・シャフィールが叩き折り、返す刀でオークの腹を凪いでいた。

 が、やはり、数で圧倒的なオーク側に押された形で、じりじりと引かなければならなくなっていた。

「くっ、こうなったら少々荒っぽいが、あの中心に魔法でも打ち込んで────────」

 レオナが復活しても、結局4人の戦い方は変わらず、ソフィアが苦肉の策を口にした矢先。

 

 どぅぅん!!

 

 と、いきなり、オーク達の群の真ん中に爆発が巻き起こり、その場にいた全員を驚かせる。

「こら!!!

 なにやってんのよあんた達」

 

 どぅううん!!!

 

 怒号と共にもう一発。

 その声に振り向けば、何とリフィニアがその怒号を浴びせていたのだった。

「ぐずぐずしないで、さっさと戻れ!」

 子供の言葉でも、いきなりの爆発で気を呑まれていた4人は、思わずそれに従ってしまう。

 そうしてもう一つ。今度は風の魔法をオーク達に投げつけると、リフィニアはビシッと、彼らに命令した。

「そこの4人はエルフのねーちゃんの指示に従って!

 フィリオは、その時々に応じて支援魔法を!

 パパはフィリオの援護よ」

「エ、エルフのねーちゃん・・・・・・・・・」

 ソフィアが自分を指さし絶句する中、レオナが何かを言いかけようとするが、リフィニアはキッと睨み付けて、

「文句があるなら、あのオークを倒してからにしてちょうだい!

 あの程度の敵に手こずっている分際で意見なんて10年早いわ。

 それとも・・・・私の炎の魔法で守って上げましょうか?」

 嫌みっぽく言うリフィニアに、とっさに返す言葉が見つからず悔しそう頬をぴくつかせるレオナ。

 それを見て、フィリオは一言ヴィルドにそっと呟いた。

「・・・・マチルダさんに似てきたな」

「お、お前もそう思うか・・・・・・」

 

 ぼぅん

 

 小声で話す二人の足下に、炎の呪文が降り落ちる。

「そこ! ぐだぐだ言ってないでさっさと行動なさい!」

 もはや完全に、小さな女の子に主導権を握られていた大人達は、再度オーク達と刃を交えた。

 が、今度は前のようにはならなかった。

 ソフィアの声で、四人は背を預け合う様にして戦っている。

 連携プレー、とは言えないまでも、個人個人バラバラに戦っている時より、遙かに戦いやすくなっていた。

 ソフィアは集団戦闘も経験している為、それぞれが離れすぎないように、その時々に指示を出し、4人の騎士達はそれに従ってオーク達を切り伏せていた。

 もはや、これだけで、オーク達に勝ち目は無かった。

 トップクラスの剣技を持つこの四人に、正面から戦って勝ち目などあるはずもない。

 ましてや、その後ろから魔法が雨の様に飛んでくるのだ。

 それら魔法の攻撃は、前衛の剣の一撃に比べれば貧弱だが、炎が飛んでくる恐怖に、それを避けようと動いたところでバッサリとやられてしまう。

 見る見るうちに、オーク達の死体の山が築かれていった。そして、それが、仲間のオーク達の足下を邪魔して、さらに彼らを不利にさせていく。

 それはソフィアの巧妙な戦術によるものだった。

 彼女は、全員に気づかれないように少しずつ戦う場所を後ろに下げさせていたのだ。

 そんな中、オーク達の中でも、少しは頭の働くヤツは、これら精強な4人の壁を大回りして後ろの魔法使い達へと切り込む者もいたが、たいていはソフィアかヴィルドに切り伏せられていく。

 が、それでも、僅かにほころびが生じて一匹のオークが、一番弱そうな子供・・・・・・・・・リフィニアへと、その錆び付いたナイフを逆手に持って飛び込んできた。

 リフィニアは呪文を唱えたすぐ後。

 ソフィアは他のオークと剣を交じらせ、ヴィルドは今オークを切りふせたところ。

 この二人では、とうてい間に合いそうもなく、リフィニアはそのつぶらな瞳で醜く歪んだオークの笑みを間近で見ていた。

 が────────その瞬間。

 オークの動きが、凍り付いたように止まる。

 振り上げられた赤茶色の刃が宙に向けられたまま、醜く歪んだ笑みのまま、その動きが凍り付いたように止まっていた。

 

 ドグッ!

 

 と、次の瞬間。ヴィルドがそのオークの胸板を後ろから刺し貫くと、そのオークはその時から時間を取り戻したように動き始めた。

 断末魔と共に、どす黒い血ヘドを吐きながら崩れていく。

 オークに剣を突き刺したまま、ヴィルドはちらりとフィリオを見た。

 フィリオは背を向けたままだが、このオークの動きを止めたのは間違いなく彼である。

 見もしない相手を金縛りにし、さらにはヴィルドが剣を突き立てる前に、オークの心臓を止め、その一連の行動を誰に気づかれるでもなく行うなど、伝説と唱われた魔導師でもなければ出来るはずがない。

 ヴィルドは、フィリオの腕が落ちていない。・・・いや、ますますその腕に磨きが掛かっている事に、コクリと喉をならしつつも、娘を助けた恩人に短く感謝の念を抱いた。

 しばらく善戦していたオーク達だが、そのほとんどが屍に変わると誰からともなく逃げ始め、それがきっかけとなり、他のオーク達も蜘蛛の子を散らす様に我先にと逃げ出した。

 

 

 血生臭い臭いが鼻を突く中、一同はほっと安堵の息をつくと、話は町に戻ってからと言う事になった。

 みんないきなりの戦闘で疲れていたし、何よりこの危険な森の近くにいつまでもいることが不快だったからだ。

 その帰り道、エリカはかなり不満そうな顔つきで、じとりとフィリオを無言で見つめていた。

(な、何かやったっけな僕・・・・・・)

 彼女の視線に冷や汗をかきながら、フィリオは緊張しながら歩いてゆく。

 しかし、ノイバウテン候はエリカの態度に気づかないのか、町には行った頃を見計らって、歩きながらフィリオに話しかけてきた。

「マクスウェル殿。どうか、我が娘を幸せにしてやって欲しい」

「ぶっっっ!!」

 フィリオと、そして、エリカとレオナの声が重なり合う。

「いや、あの侯爵様・・・・僕は・・・」

 ──などと言うフィリオの声はかき消えた。

「なんて事をおっしゃるのお父様!

 わたくしは、このような男と結婚する気などございませんわ!」

「───とまあ、このように素直ではない。その上少々勝ち気だ。

 多少は手こずるだろうが、わしの為と思うてたのむ」

「いえ、ですから・・・・」

「イヤです。ぜぇぇぇぇぇたいに、イヤです!」

 フィリオのセリフはまったく無視されて、父娘の会話はなされているが、双方相手の言う事などまるで聞いちゃいない。

 だから当然、自分の言いたい事を言うだけになっている。しかし、レオナも侯爵も、一歩も引く様子は無かった。

 レオナの方は、やっとあの忌まわしい制約から抜け出せたというのに、後戻りなどしたくないから。

 そして侯爵の方は、やっと見つけた花婿候補を逃したくない一心で。

 実は、レオナの人気は、彼女に関係のない人間達の間では高い。

 しかし、実際に彼女と触れ合う貴族の子弟達には、かなり評判が悪いのだ。

 あの高飛車な性格もその一因なのだが、最大の理由は、『女のくせに剣士である』とゆう事が原因だった。

 ほとんどの貴族は保守的で、女性とはこうあるべきだ、と言う概念にとらわれている。

「男勝りに剣など振り回して・・・・」と言う陰口を、侯爵は一度ならず聞いていた。

 そんな娘に、結婚の、いや見合いの席すら設けられる事もなく、その上、彼が用意した男に、娘が結婚を頷くはずもなく・・・・・。

 ほとほと困り果てていた所へ、フィリオという男が降ってきた。

 侯爵の親友のシャフィール伯はこう言った。

「この際、市民階級でも良いではないですか。

 彼は、少し前に子供を救うため、セレセアの森に救出に入っているのです。

 あの、森の恐ろしさを知っていて、なお子供を救った彼の勇気は賞賛に値するものですぞ!

 それに、形式上とは言え、彼はご息女を剣で倒した。

 ご息女も自分で言い出した以上、彼との結婚を拒むことは出来ますまい」

 彼の言葉に侯爵は、なるほど、と手を打ったのだ。

 シャフィール伯の目的が、自分の娘に付いた悪い虫を排除する為と、ある程度知りつつ、侯爵は彼の言葉に乗ったのだ。

 娘が幸せに結婚出来るなら・・・と。

 そして、悲しい事に、侯爵はその考え事態が保守的なものであると気づいてはいなかった。女の幸せは結婚である、と言う考えに。

 とりあえず、その為に彼はフィリオという男を知らなければならなかった。

 だからこそ、茶番をシャフィール伯に頼み、彼の行動を見ていたのだ。

 そして、彼は勇気と誠実さだけなら、この国のどの騎士達より優れていると侯爵は結論を出した。

 後は──────彼を教育するだけである。

 まだ17歳の彼を再度教育し直し、20年ほどで自分の気に入る男に仕上がれば、万々歳なのだ。

 彼にとって、相手の男は性格さえ良ければ誰でも良いのだ。どんな男でも、自分の納得行くように再教育させるつもりでいるのだから。

 ようは、レオナの意志が結婚に傾くかどうかが問題だった。

 それに関してフィリオは問題ない。なにせ、レオナが自分でその事を言い出している以上、断れる訳がない。

 そしてフィリオは、そんな父娘の言い合いを、ただ傍観する・・・・・・・暇すらなかった。

 

 じっっっっっ──────────────

 

 エリカの視線が、また一段と鋭くなり、睨め付ける様にフィリオを見る。

 一言もいわずただ黙って見つめるエリカに、フィリオは極度の緊張感を保ちつつ歩いていると、いつの間にか総務課へと着いてしまった。

 そこで、エリカはいきなり全員を無視して総務課に飛び込むと、中から扉を閉めてしまう。

 フィリオが開けようとするが、鍵がない筈の扉は堅く閉ざされ開かない。

「エリカ・・・・・・・」

 扉越しに語りかけるが、返事は沈黙で返ってくる。

 ちなみに、すでにソフィアはいない。つき合いきれなくなって、町に入ったとたん、とっくに逃げ出していた。

 そして、ヴィルド、リフィニア親子も、今まさに逃げ出そうとしている。

 さらに、ノイバウテン候とレオナの二人は、今だ周りを無視して言い合っているし、その横でシャフィール伯が、改心の笑みを浮かべ勝利を確信して立ち去ろうとしていた。

 この状態では、他からのフォローはまったく望めない。

「・・・・・・エリカ」

 もう一度話しかけると、今度は呟くような小さなすねた声で返事が返ってきた。

「私のこと・・・守ってくれなかった。

 レオナの傷は治療したのに」

「ま、まさか怪我していたのかい?」

 驚いてフィリオがそう言うと、少しだけ扉が開いて手が出てくる。

 そして人差し指を、一本だけ差し出していた。

 差し出された指先には、何かでちょっとひっかいたような傷と、その傷を表すように出来た、やや茶色く変色したかさぶたがあった。

「・・・驚かすなよ」

「だって、これだって怪我の内だよ。

 フィリオが、レオナのふとももさわってる間にできたんだよ」

「ふともも触わってるって・・・・・・・・・・・・・」

 エリカのすねた声に、つい小声で呟いてしまうフィリオ。

「それに、いっつもフィリオったら私の事みてくれないでさ。

 最近なんか、ちっとも相手してくれないじゃない。

 何か一人でやってて、私はのけ者で・・・・・・・フィリオの周りには、いっつも女の子がいるし───────」

 

 かさっ

 

 エリカのすねた声が、少々ぐずり始めた頃────

 扉から出されていたエリカの手の平に、小さな小指の先ほどの何かが握られた。

「本当は武神祭のお守りにと思っていたんだけど、エリカ出ないんだろう。

 だから、誕生日のお祝いにと思って黙っていたんだ」

 彼の声に、エリカが外に出した手を引っ込めて、それを見つめる。

「結構作るの大変だったんだよ。

 何度も失敗しちゃって・・・・・」

「これがこの前から作ってた物?

 ・・・・・・私に?」

 フィリオの台詞を遮り、不安そうな、それでいて、どこか期待したような震える声が聞こえてくる。

「・・・ふぅ。他の誰にあげるって言うの、そうゆう物」

 

 その言葉で────────────

 ばっと扉が開かれて、扉の角がフィリオの屈み気味だった頭を見事に直撃した。

 そしてエリカは、頭を抱え倒れそうになっていた彼を捕まえて、そのまま力一杯抱きしめた。

 彼女の手には、一つのペンダントが握られている。

 それは銀色の鎖に、滴状のクリスタルガラスが飾られ、中にキラキラと輝く12色の星が散りばめられていた。

 そのそれぞれの12の星は───────────

 いや、そんな事より、エリカは自分の為に、フィリオが時間を掛けて手作りの品物を作っていてくれたことに感激していた。

 これがただの木製細工でも、彼女は感激していることだろう。

「私、武神祭に出る!

 だって、こんな良いお守り貰ったんだもん。出なきゃ申し訳ないわ。

 ね、ね。だからね。

 誕生日のプレゼントと優勝祝いは別にちょうだいね」

 うれしい中でも、しっかり者のエリカ・ヴァン・シャフィールであった。

 

 

 

 

「悪かったよ。

 まさか、本人がここに来ているとは思いも寄らなかったんでな」

 導師オリフが帰ってから、闇の中からそう詫びる声がする。

「しかし、ススキからガラスが出来るなんて、良く知っていたな」

 ヴィルドの声が暗い地下室に響く。

「昔、教わってな。

 材料代を掛ける訳には行かなかったんでそうしたまでだ」

「材料費が掛かっていない?。

 鎖はミスリルとオリハルコンの合金だぜ。

 そりゃ確かに、お前の所には腐るほどあるんだろうが」

 苦笑してふざけるようにして言う男。

「それにしても、一瞬のすれ違いざまに呪いを掛けていくとは腕は、衰えていないようだ。

 もっとも、後でのこのこあの5人をコッソリ治療して廻ったのだから、終わりは間抜けなんだけどよ」

「・・・言うなよ。

 お前の娘を助けようと思ったやったんだから」

「ああそうだな。

 言い忘れたが、娘を助けてくれて助かった、礼を言う。

 もっとも、あの子にあんな物やったのが原因なんだがな」

「・・・言うなって。

 まさか、もう召還呪文を唱えられるとは思っていなかったし、いきなりアレを使えるとも思っていなかったんだから」

「まあ、そう言う事だな。

 マチルダの奴がいつの間にか教えていたらしい。

 それにしても、あと10年もしたらと思うと、少し怖いものがあるな」

「少しか?」

「・・・・・・・・・いや、だいぶ」

 和気あいあいと話す二人に、オリフはローブの下で密かに汗をかいていた。

 オリフは、この男の顔を知っている。

 かつて『仮面の導師』に戦いを挑み、唯一死ななかった・・・・いや対等に戦えた男。

 グレートドラゴンを従え、大陸に知らぬ者なしと言われた強者。

 竜の騎士ヴィルド・セレスティ。

 宿敵同士の筈のこの二人は、今、目の前で親友のように会話をしている。

(・・・・・・最近分からない事ばかりだ。

 あのお方は、最近機嫌が良くなったり悪くなったりするし・・・・

 これでは、本当に気分次第で私は消されてしまう)

「ああ、そうだ」

 闇から、手が指し伸ばされる。

「・・・手紙を」

 彼はそれだけ言うが、オリフには一瞬何のことだか分からなかった。

「お前に渡した手紙だ。届ける筈だった」

「あの手紙ですか?。

 言われたお宅にいた女性にお渡しましたが・・・・・・・・」

 かたぁぁぁぁぁぁぁぁん。

 静寂の部屋に─────────乾いた音が鳴り響いた。

 

 


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