無数の針雨が赤レンガの壁に突き刺ささり、細かい雨音が朝から奏でられていた。

 昨日までの晴天が嘘の様に、空はどんよりと鉛色に包まれている。

 日の光はその雲越しにしか自己主張が出来ず、かすかな光で夜でない事を人々に教えるのみだ。

 しかし、このモルト王国では、雨は大地を育むものとして、非常に神聖なものとして扱われている。

 それは、国土の西に砂漠がある事と無関係ではないだろう。

 しかし、それでも雨は人の心を僅かながらに憂鬱にさせるものだ。

 モルト王国、王都ウライユールにある豪奢な館のバルコニーから、空をぼんやりと眺めている女性も心なしか憂鬱になっていた。

 細く長い指が口元を軽く撫で、漆黒の瞳はうつろに空を見上げている。

 ただ椅子に座って外を眺めているだけなのに、その女性がそうしていると、なぜか絵になっていた。

 美しい絵画や名工の彫刻から、そのまま出てきたような印象で、その女性の美しさは形作られている。

 そんな彼女に、執事風の初老の男が後ろから近づいて行き、やや離れた所から、恭しくお辞儀をした。

「お嬢様。

 お茶のご用意が整いましてございます」

「そう。

 すぐにまいりますわ」

 彼女は振り返りもせずにそう言うと、しばらくそのまま空を見上げていた。

 が、ふと、足下に何かがすり寄って来るのを感じて、その視線を下に下げる。

「そうね。お前も一緒に行く?」

「ぎゃ」

 

 

 

 

 昨日の天候が嘘のような青空の下、秋風に囁かれ、すすきがさわさわと泳いでいた。

 雨で濡れたまま、まだ完全に乾ききっていないそのすすきを、フィリオは年期の入っているカマ・・・いや、素直に言うなら、ぼろぼろになったカマだった物で、ずしゃずしゃと刈り集めている。

 一つ一つカマで刈り取り、それが三つの束になると脇に並べていく。

 彼はこんな作業を朝から始め、太陽が頂点に輝く昼になっても、飽きもせずに黙々と続けていた。

 ・・・しかし、もうとっくの昔に飽きて遊んでいる女性が約一名。その脇で不機嫌な顔をして彼を見つめていた。

「つまんないぃーーーーー。

 フィリオ! どこか他の所に行こうよ」

「エリカ。退屈だったら、帰ってもいいんだよ」

 

 けっして、

「エリカが勝手についてきたのに」

 とか、

「エリカ。自分の仕事に戻れよ」

 とか、口が裂けても言わない。

 

 そんな事を言おうものなら、すぐに事態がこじれて、今日の作業はそこで終わってしまうだろう。さらには怪我のおまけ付きで。

 あくまで、優しく諭すように言うフィリオなのだ。

「ちょうどお昼ごろだし、エリカは帰って食事でもしてくるといいよ。

 僕は、もうちょっとやってから帰るからさ」

「そんなぁーーー

 お昼は一緒に食べましょう。って言ったじゃない」

(うっ・・・・・・・・・・。

 この調子じゃ、帰って一緒に食事をしないとおさまらないだろうな・・・・・・・・・)

 毎度の事ながら、エリカは言い出したら一歩も引かない。

 今朝とて、「退屈だよ」「面倒だよ」「きっと飽きるよ」とフィリオが念を押して、エリカは、『大丈夫!』と自信たっぷりに言って強引について来てしまった。

 ・・・・もっとも、『大丈夫!』の方は、ものの一時間と掛からずに、言ったことを忘れてしまっているようだが・・・・。

 ともかくフィリオは、毎度の事とすぐさま諦め、刈り取ったすすきを大きな籠に入れると町へと帰る準備をし始めた。

 ・・・・・・と、ちょうどそんな時だった。遠くから馬の駆ける音が聞こえてきたのは。

 見れば、4騎の騎士とそれに続く馬車が1台。

 複数の馬蹄の音が、どんどんと大きくなり、それに伴って、その姿も次第に大きくなっていった。

 しかし、フィリオも、エリカも、その姿を一瞥するだけで、別にその他の反応を示さなかった。

 この近くに、狩り場にちょうど良い場所があるので、そこへ行く一団と思ったからだ。

 だがその一団は、二人に近づくにつれ、徐々にスピードを落としていき、そしてすぐ近くまで近寄った所でその進みを止めた。

 四人の若い貴公子風の男が、フィリオを馬上から見下ろし、そして、あざ笑うかのような笑みをにやにやと浮かべている。

(なんだろう?

 エリカがいる前で、僕にちょっかい掛けてくるとは思えないし・・・・・・)

 彼らは馬からさっと下りると、歩いて近づき、フィリオを威圧する様に囲んで行く。

「貴様がフィリオ・マクスウェルだな?」

 高圧的で尊大さがにじみ出ているその態度に、フィリオは怒りもせずコクリと頷く。

 フィリオにとって、彼らの尊大な態度がどうのこうの言う前に、隣にいる女性が怒らないように気を使うことの方が重要だった。

 もし、フィリオが少しでも不機嫌な態度など示そうものなら、彼女の強さが彼らに降り注ぎ、ますます、いろいろな所から睨まれてしまう。

 フィリオは、火のつきやすい爆弾を抱えて、自分に向かってくる火種から逃げなければならない宿命を背負っているのである。

 しかし、そんな思いなどお構いなしに、彼らはさらに尊大な態度で言う。

「そうか。ならば、ヴァン・エリカは何処にいる?」

「どこって、そこに・・・・・・・・・・・・」

 フィリオは何を言っているんだろう、と言う表情で視線を横にずらし、エリカのいる方へと視線を向けた。

 

 ──────が。

 

「・・・え?」

 そこには誰もいなかった。さっきまでエリカが立っていた場所には、所々に散らばる、ちぎれたすすきの葉しかなく、エリカの姿はどこにもない。

 フィリオは、一瞬自分の目を疑って、大きく瞬きをしたが、エリカがいないのは変わらない。

「どうした? エリカ・ヴァン・シャフィールは何処にいる?!」

 男達は声をやや荒げて言うが、フィリオは答えられる筈もない。何処に行ったのか聞きたいのは彼の方なのだから。

「隠し立てするつもりか!」

 違う男が、フィリオの胸ぐらを片手で掴むと、軽い脅しをかけてきた。

 男達は、フィリオがエリカの居場所を隠していると思いこんで、にわかに怒りの色を見せ始めている。

 しかし、フィリオは本当にエリカの居場所を知らないのだ。これを彼らに納得させるのは、まず無理と言うものだろう。

(これってもしかして、無抵抗に殴られなきゃならないのかな?)

 まさか真っ昼間の、それもこんな見晴らしのいい場所で魔法を使う訳にもいかず、フィリオが半ば覚悟を決めた時だった。

「おやめなさい!」

 突然、男達の背後から、凛とした声が響いてきたかと思うと、彼らはその声に敏感に反応を見せ、フィリオを掴んでいた手をさっと離す。

 そして、4人の男達は直立不動の姿勢を取り、表情もキリっと引き締まった。

「・・・・まったく。

 これではまるで、わたくしが悪役のよう。

 暴力で事を解決しようとするのは野蛮な行為ですわよ」

たしなめる声がそう聞こえたかと思うと、男達はとっさに馬車へと向かって走り出した。

 そして、いきなりひざまずき、そしてその内の一人が恭しく扉を開ける。

(をいをい・・・・・・・。

 何かとてつもなく悪い予感がするんだけど)

 フィリオの不安感と、頬に流れる一筋の冷や汗をよそに、そこから一人の美しい女性が男の一人に手を預け、しずしずと馬車から降りてきた。

 その女性は真紅のドレスを身にまとい、品のある淑女風の出で立ちでフィリオの前に現れた。

 彼女は、見る者を魅了させる様な美しい出で立ちと、気品を感じさせる雰囲気を併せ持って降りてくる。

 ・・・が、たった1つだけ他のそれと違っているモノがあり、フィリオはそれを見て、ピクっと頬を引きつらせてしまう。

 なぜなら、彼女の左手に握られていたモノが、花や宝石のたぐいではなく、鞘に納められた細身の長剣であったからだ。

 彼女はドレス姿に手には長剣と言う、ある種異様な姿でゆっくりとフィリオに近づいて来た。

 対してフィリオはと言うと、蛇に睨まれたカエルの状態で、ピクリとも動けなかった。

 彼女に気圧されてしまい、苦笑いを浮かべるのみである。

 そんなフィリオを値踏みするかのような目つきでじろじろと眺めると、彼女は唐突にこう言った。

「・・・・噂通りですのね。

 私には理解できませんわ」

 呆れた風に肩をすくめ、その女性はさっとその髪を掻き上げると、もう用無しとばかりに、視線からフィリオを外した。

 そして、きょろきょろと辺りを見回してから大きく息を吸う。

「エリカさん! 隠れてないで出てらっしゃい」

 いきなり怒鳴った彼女のその声は、無様に裏返ったりはせず、張りを保ったまま周囲に響きわたった。

 エリカがどこか見えない所にいたとしても、この声は確実に聞こえた筈だ。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 がしかし、辺りの様子は変わらなかった。

 さわさわと風に揺れるススキが2揺れしても、さらにもう3揺れしても、エリカが出てくる様子はなかった。

「エリカさん。いるのは判っているんですのよ!」

 さらにしばし・・・・・・・。それでも、エリカは現れなかった。

 ススキが、さわさわと葉ずれの音をささやかせているこの風景に、変化はまったく起きない。

「エリカさん!

 このわたくし。レオナ・ローズ・ノイバウテンが呼んでいるのよ。出ていらっしゃい!」

 さらに、しばらく・・・・・・。でも、エリカは出てこない。

 フィリオも、エリカがこの近くに隠れている事は判っていた。

 何せついさっきまでここにいたのだから、そう遠くにいけるはずがないのだ。

(どうせ、そのススキの中にでも隠れているんだろうけど・・・・・・・・

 いい加減に出てきてくれないかな)

 フィリオは、かなり楽観的な事を思いながらも、すでに怒った様子でいるその女性を眺めていた。

(綺麗な人だけど・・・・・・。

 でも、たいていこうゆう時は、厄介な性格の持ち主だったりするんだよな)

 女性はさらに何度か呼びかけたが、エリカが姿を見せる気配は一向になく、彼女は、一目で判る程苛ついてきた。

 だが、淑女のたしなみなのか、顔を怒りで歪めたりはせず、ピンと張った様な眉をつり上げるにとどめている。しかし、雰囲気からは、思わず後ずさりしたくなるような感じがあった

 ・・・・が、彼女は何を思ったのか、表情にいきなり笑みが宿った。

(─────そ、そう言う笑みは止めて欲しいなぁ)

「・・・そうですの。

 そうゆうおつもりですの・・・・・・・」

 エリカの対応に、怒りから一変、小さな笑みに変わっている彼女。

(・・・諦めてくれた。────訳ないか)

 悲しい事に、その通りである。

「それでしたら、こちらにも考えがございますわ」

 彼女は宣言するようにそう言うと、いきなり、目にも止まらぬ早さで長剣を抜き払った。

「ひっ!」

 いきなり目の前に現れた白銀の切っ先に、彼は小さく悲鳴を上げた。

 その動きに切られると思ったフィリオだったが、彼女の長剣はフィリオの肩でピタリと止まる。

「この殿方がどの様になってもかまいませんのね」

 今度こそ、とゆう笑みがその女性からこぼれていた。これで、間違いなくエリカが現れると確信している。

 先ほどフィリオを脅していた取り巻き達と同様の事を平然とやってのける彼女。なおかつ、彼女に罪悪感は微塵も感じられなかった。

 ──────────が、しかしそれでも。

(シクシク・・・・・・・・・・・・・・酷いよ)

 それでも、やっぱりエリカは現れなかった。

「・・・あなた本当に、マクスウェルさんですの?」

 驚きと疑いが混ざり合ったその視線に、フィリオは諦めきった顔を縦に振る。

 彼女は、『信じられない』とゆった面もちで、じろじろとフィリオを眺めると、不意に小さくため息を漏らした。

「・・・もういいですわ」

 ため息混じりにそう言って、彼女は剣を手慣れた手つき再び鞘に納めると、興ざめした様子で振り返る。

 そしてそのまま、つまらなそうな表情で馬車へと戻っていった。お供の貴公子共々、来た道を帰っていく。

「な、何だったんだ今のは?」

 何がなんだか全然判らないまま、台風の様な一団に、フィリオはただただ呆然とそれを眺め見送っていた。

 

 

 

 

 訳の分からない一団が見えなくなってから、ススキの茂みから出てきたエリカと共に、フィリオは総務課へと帰ってきた。

 それまでエリカは、フィリオから先ほどの事について何も非難めいた事は言われなかった。

 黙って、ススキ入れたかごを背に背負ってフィリオは歩いてきたのだ。

 非難めいた事を言って、エリカの機嫌を損ねる事の方が、後々やっかいと思ったからだ。

 が、総務課にいた女性二人は、彼女の事を怒濤のごとく激しく責め立てた。

 二人とは、一人はソフィア。そして、もう一人はエリーである。

 この二人は、最近とみに仲が良い。

 なぜかというと、ソフィアはエルフとゆう事で、いまだ好奇の目で見られる事が多く、心を休めていられるのは、そうゆう目で彼女を見ない人間といる時だけだ。

 最初は、エルフを見慣れた導師オリフとフィリオだけだったが、すぐにエリーが加わった。

 この国で初めて同姓の友を見つけ、ソフィアは彼女との時間を大切にしている。

 エリーの方も、外の世界の事をいろいろと聞けるので、ソフィアと過ごす時間はかけがえのない物となっていた。

 今日は誰もいない筈の総務課で、その二人がランチタイムを過ごしていた処へ、エリカとフィリオが帰ってきたのだ。

 夕方まで帰ってこないと思っていたこのカップルに、エリーがなにげにその事を訊ると、事もあろうにエリカがうっかり口を滑らせたのだ。

 自業自得と言う他無い。がしかし、この後エリカが機嫌を直すまでつきあわされるのは、間違いなくフィリオだろう。

「あんたねぇ。

 自分のライバルがわざわざ会いに来たってのに、隠れているなんて酷いんじゃない?」

「フィリオが剣を突きつけられてもなお、隠れているとは・・・・・・・・・」

(今晩の夕食は、おごりで決まりだ。ああ、どんどんお金が無くなっていく)

 ソフィアとエリーの説教とフィリオの心の叫びを、エリカはしばらく黙って聞いていたが、その時間がしばらく以上になる筈もなく、エリカは猛然と反撃に転じた。

「ちょっと、だって相手はあのレオナよ。

 エリーも知っているでしょう。

 前の武神際で、あの子に勝った私が、その後どんな目にあったか!」

「そ、それは・・・そうだけど」

 エリカの反撃に、エリーはつい口ごもってしまう。

 しかし、その過去を知らないフィリオとソフィアは、その会話についていけない。

 当然、「何があったのだ?」と、ソフィアが訊ねてきた。

 

 レオナ・ローズ・ノイバウテン。

 この国で4侯爵と言われている程の名門貴族、ノイバウテン侯爵の娘である。

 彼女の姿は、本人が自覚する程美しい。しかし、彼女が非凡なのは、その外見だけではない。

 音楽や美術など芸術に秀で、社交界ではトップレディとして、鮮やかな花を咲かせている。

 ───と、ここまでなら、他の貴族の淑女の中にも一人や二人はいそうなのだが、彼女はさらに他のレディ達にはない特技を持っていた。

 それが剣技なのである。

 彼女はミドルネームに『ローズ』を付ける事を許された、侯騎士の一人でもあるのだ。

 4侯爵が、1家につき1人だけ任命する事を許された候騎士。

 その候騎士としての地位を、彼女は親の七光りではなく、トーナメントでの決戦で勝ち得たのだ。

 彼女の事を一言で言うなら、「知勇に秀でたスーパーレディ」と言うところであろう。

 ──────が、しかし─────────

 そんな彼女も、完璧ではなかった。

 たった一つだけ、人が欠点と呼べるところがある。

「あの気の強すぎる所と、高慢知己で高飛車な性格がなければ・・・・・・・・」

 エリカがため息混じりに言った一言に、レオナの欠点が集約していた。

「そんなに凄い性格なのか?」

「凄いなんてもんじゃないわよ。

 レオナは自分が一番じゃないと気が済まないタチだから、前の武神祭の後なんか、3ヶ月間も毎日再戦を申し込まれたのよ」

「三ヶ月間毎日か?!」

 エリカの言葉で、さすがにソフィアも驚きの声を上げている。

「それもエリカが勝ち越しちゃったのよね」

 さらに追い打ちを掛ける一言がエリーから出ると、エリカは大きくため息を吐いた。

「レオナのお父様のノイバウテン侯爵が、お父様の親友でなければ、彼女が勝つまで戦っていたでしょうから。

 おじさまに、領地に帰って神殿での精神修行を言い渡されていた筈なんだけど・・・・・・・・。

 さっきの調子じゃ全然変わっていないようね」

「でも、姿ぐらい見せても良かったんじゃない?」

「で、でもまあ、何となく苦手で・・・・」

 言葉を濁らせるエリカに、エリーはしょうがないわね、と言った顔つきになる。

「まったく、武神祭が近いこの時期なんだから、パーティとかでイヤでも顔をあわせなきゃいけないでしょうに」

「あら、大丈夫よ。私出ないから」

 エリカのその返事に、エリーから小さくため息が漏れる。

「そんな訳にいかないでしょう。

 武神祭連覇の掛かっているあんたがいなきゃ、パーティにならないわよ」

「・・・パーティね。

 でもそっちも出なくて済むでしょうから────」

「へっ?」

 エリカの言葉も途中に、フィリオが唐突に間の抜けた声を上げた。

「エリカ。今なんて言ったの?」

 驚きの表情で、目を見開いて訊ねるフィリオ。

「今パーティの事を、そっちもって言ったよね。

 まさか、エリカが出ないって言ったのは・・・・・・・・・・」

 フィリオの弱々しい問いに、エリカはあっけらかんとこう答えた。

「武神祭には出ないわよ」

 

「え゛」

「は?」

 エリーとソフィアが、大きく目を見開いてエリカを見つめ、しばらく沈黙が訪れると、フィリオは半ば諦めを感じさせる表情で、引きつった笑みを浮かべていた。

 もはやフィリオには、笑うしかないのだからしょうがない。

「エリカ。あんたそれ本気で言ってるの?」

 責める口調のエリーに、エリカは平然と言い返す。

「だって、結婚前のお肌に傷なんかつけたくないもの」

「あ、あんたねぇーー。今更なに女の子みたいな事いってんの!」

「ちょっと、それどういう意味よ!

 だいたいね、これからはフィリオが私を守ってくれるんだから、これでいいのよ」

(ついこの前、賊から彼を守っていたのはどこの誰だったかしら・・・・・・・・・・)

「と、とにかく。

 出ないのだったら、武神祭関係者に早く知られておかないと・・・・・・」

 呆れて頭を抱えているエリーに代わり、ソフィアは一番まともな意見を言う。

 が、しかし・・・・・・・・。

「何で?

 登録しなければ、出ないのが判るんだから、わざわざ言わなくても・・・・・・・・」

「言わなきゃダメ!」

「言わなくてはダメだ!」

 エリーとソフィアに怒鳴られて、エリカは渋々首を縦に振った。

 

 

 

 

──────そして次の日────────

 

 城内は騒然となっていた。

 ヴァン・エリカが武神祭の出場を辞退。そのニュースは、すぐに箝口令が敷かれ町に出ることはなかったが、城内は事の真偽を確かめるべく、集まった貴族や武神祭関係者でごった返している。

 そして、その中に怒りでプルプル震えているレオナ・ローズ・ノイバウテンの姿もあった。

「エリカさんは、いったい何処にいるんですの!?」

「はっ。それが、城内の何処を探しても見あたらず、現在町中を探しているとの事ですが、今だエリカ・シャフィール様は見つかっておりません」

 申し訳なさそうに言う執事の言葉に、レオナはイライラを隠しきれない様子で、下がりなさい、と言い放つ。

(武神祭に出場しないですって!

 そんな事、私は絶対に認めませんわよ)

 長剣を持つ左手に思わず力が入るレオナだったが、ふとバルコニー越しに見える空の雲を見て、何かを思いたって立ち上がった。

「誰か! 馬車の用意をなさい」

 

 

 

 

 水色の空をゆっくりと流れる雲を眺めながら、エリカは草むらに寝ころんでそれを眺めていた。

(気持ちいい)

 少し冷たいそよ風を頬に浴びて、彼女は雲を眺めていた目をゆっくりと閉じる。

 遠くや耳元から聞こえる、さらさらとした葉ズレの音。

 肌に感じる太陽の暖かさ。自然の全てが、彼女に祝福を授けている感じがする。

「エリカ。ホントにいいの?」

 が、しかし。そのエリカの幸せを妨げる声が、すぐ近くから聞こえてきた。

 エリカが目を開け、上体だけを起こすと、そこには屈んで彼女を見ているエリーがいた。

「いいのよ。

 昨日だって、私を無視しちゃってススキを刈ってたんだから。

 何かの材料とか言っていたけど・・・・・・・・」

「そうじゃなくて!」

 エリカが、遠くでススキを刈っているフィリオを眺めながら言ったそのセリフに、エリーは力一杯否定する。

「そうじゃなくてお城の方。

 今頃きっと大騒ぎよ。こんな所にいていいの?」

「だって、人にあれやこれや聞かれるのイヤなんだもん」

「イヤなんだもん。じゃなくて・・・・」

「もう! この話は今は無し。

 せっかくみんなでピクニックに来たんだから、もっと楽しみましょうよ。

 ソフィアみたいにさ」

 エリカの言葉に、少し疲れた様子のエリー。

(確かに、私とソフィア、エリカとフィリオ君の四人でピクニックに来たんだけどね)

『※注。昨日、エリカが暇だったから、エリーとソフィアを無理矢理連れて来たとも言う』

 ソフィアは、久しぶりに緑に包まれて、楽しそうに草木と戯れ林の中。フィリオは、何の為なのかススキ刈りを再開している。

(確かに、ここまで来てお城の事を気にしてもしょうがないわね)

 エリーまでエリカに説得されてそう割り切ると、エリカがやっていた様に、草の絨毯に寝ころんで大きく深呼吸した。

 暖かい日の光。時折、さわりとそよいでいく風。その心地よさに、エリーも自然とまぶたが閉じていく。

 草の香りがする空気を吸うだけで、なぜか体の中がリフレッシュされる気がしてくる。

 彼女のふくよかな胸が大きく上下するたび、エリーは次第に睡魔に身を委ねていった。

 そして、うつろにぼやけていく意識が、眠りにつくかつかないかの微妙な所で、いきなり耳をつんざく女性の声が響いてきた。

「エリカさん! 今日こそは逃がしませんわよ!」

 

 声にビクンと反応して、同時に体を起こすエリーとエリカ。

 そして、二人が見たモノは、怒りのオーラを身にまとわせて現れたレオナ・ローズ・ノイバウテンの姿だった。

「エリカさん。とうとう見つけましたわよ!

 やはり昨日のはここに隠れる為のお芝居でしたのね」

 ドレス姿に、ハイヒールとゆういでたちで、草原を闊歩してくるレオナ。当然、その手には長剣が握られている。

 エリカはそれを見て、一瞬、ヤバッ、とゆう表情をするが、もはや逃れられないと観念したのかその場からは動かなかった。

 そして、ズンズンと近づいてくるレオナを、引きつった笑みで迎える。

「は、はろー。レオナ久しぶりね」

 何とか誤魔化そうと言う魂胆がミエミエのエリカに対し、レオナはいきなりシャッと剣を抜く。

「エリカさん。勝負ですわ!」

 有無を言わせぬ迫力で、レオナは騎士が戦いの前に行うように、自分の目の前で剣を構えた。

「ちょっ、レオナ。待ってよ! 今、私丸腰なんだから」

 エリカが、両手を広げて何も持っていない事を彼女に知らせると、レオナはさらに険しい顔つきになった。

「ヴァンの称号を持つ者ともあろう人が、剣も持っていないとは何事です!

 だいたい、今度の武神祭の出場を辞退するなどもってのほか。他の誰が許しても、この私が許しません!

 あなたは武神祭に出るのです!

 そして決勝戦で私と戦い、今度こそ、赤の色が誰にふさわしいか決着をつけて差し上げますわ」

「いや、別に私は・・・・・・」

 エリカが何かを言おうとした矢先、それを無視して、レオナの言葉がさらに続く。

「ローズの称号を持つこのわたくしこそ、真紅の色が最もふさわしいに決まっておりますわ。

 今まではあなたにお貸ししていたこの色も、ようやく本来の持ち主の元へと戻ることが出来るのです」

 その彼女の台詞に、エリカはうんざりとした表情になっていた。

 

 赤、紅、炎・・・などなどの赤系の色と、それらを表すモノ。

 それらはすべて、この国ではエリカを指す言葉となっている。

 彼女が、武神祭で赤い服を着て戦うさまから、人々が勝手に付けているのだが、ヴァンの称号を得た今も、町では彼女をそれらで呼ぶ者も多い。

 が、しかし、レオナはそれがおもしろくなかった。

 理由は、彼女の持つ『ローズ』の称号である。

 ローズから、赤い色を連想するのはたやすい。そして、レオナの性格を考えれば、彼女のとる行動は一つしかなかった。

 かくして、『赤い色がどちらにふさわしいか対決』は、延々と繰り返されているのだ。

 自分の言いたい事を言い終え、レオナが自分自身の台詞にうっとりしかけていたちょうどその時。がさごそと、茂みからソフィアが現れた。

「そこで面白いモノを見つけたぞ」

 言う彼女のその手には、ちょうど胸にすっぽり入る位のぬいぐるみがある。

 いや、ぬいぐるみと思っていたそれは、生き物らしくずんぐりとした胴体に、小さな羽、そして小さなしっぽ。

「どうだ? 珍しいだろう」

 そう言って、片手でそれの首根っこを掴むソフィア。

 と、レオナは、彼女を見たその瞬間、青ざめそして次に赤くなった。

「きゃぁぁぁぁ、アルフォンス!!」

「ぎゃ」

 レオナの悲鳴に近いその言葉に、その生物は返事をするかのように声を出す。

「アルフォンス!」

 そのぬいぐるみの様な生物を、ソフィアの手からひったくると、レオナはすぐさま胸に抱え込んだ。

「きゃーーーー。かわいい!!」

 エリカは、ソフィアからひったくられたアルフォンスを見つめ、思わずレオナに近づいていく。

 まん丸いつぶらな瞳と、ほんのちょっとだけ出た口に鼻。

 全身がぽわぽわの白い毛に包まれ、生き物と言うよりぬいぐるみに近いその生物に、エリカの手はついアルフォンスのおでこを撫でた。

「おやめなさい!」

「いいじゃないの。ちょっとだけ抱かせて、ね」

「ダメです!

 アルフォンスは、わたくしのなんですから」

 エリカに背を向けるような形で、アルフォンスを隠すレオナ。

「ケチ!」

「ケチとはなんですか、ケチとは!」

 二人が言い争う横で、エリーから、ここにいない間のおおよその事情を聞いたソフィアは、呆れた様な顔をしながら二人を眺めていた。

「しかし、なんだな。

 この国では、こう言う性格の人間でないと、強くなれない規則でもあるのか?」

(・・・・・・・・・まったく、痛いところをズバッとついてくるわね)

 苦笑するしかないエリーは、ソフィアの言葉を受け流し、エリカとレオナの口げんかを一緒に眺めていた。

 ・・・・・・・・・が、終わりそうにないので、途中で仲裁に入る。

「もう止めなさい。みっともないから」

 男女であれば、キスでもするのか?とゆう所まで顔を近づけて口げんかする二人を、どうにか引き剥がしてようやく話は元に戻った。

「とにかく、あなたは武神祭に出場するのです」

「イヤ!」

「出場するのです!」

「イ・ヤ・よ!」

 まったくかみ合わない二人の険悪なムードに、エリーとソフィアは嘆息するしかない。

 嘆息混じりに、ソフィアは、つい言ってはならない事を言ってしまった。

「本当に強いのか? この二人」

 ソフィアは、前の賊と戦うエリカを見ているので、その剣技の程を知っているのだ。

 自分が軽くあしらわれた賊と、互角に戦えるエリカ。

 その彼女と、同等の強さを持つと言われるレオナが弱い訳がないのは判っているのだが、この騒ぎを見ていると、エリカも含めてあまり強くないような気がしてくる。

 が、自尊心の強いレオナは、その言葉にピクリと反応した。

 レオナが、キッとソフィアを睨め付ける。そして、こんな時に限って、ソフィアの腰には剣が吊されていた。

 自然の中に入る時は、護身用として必ず持ち歩くそれ。普段なら、危険を回避し、身を守る為にあるそれは、今回に限っては裏目に出てしまった。

「お疑いなら、勝負して差し上げますわ」

 そう言ってアルフォンスを後ろに置き、剣の試合風に間合いを取るレオナに、ソフィアは慌ててこう言った。

「ちょっと待て。その格好でやるつもりか?」

 ソフィアが言ったその格好とは、赤いドレスにハイヒールの事である。当然、動きづらい事甚だしい。

 しかし、レオナは当然と言いたげに、剣を持つ手を胸の前で構えた。

「ちょうど良いハンデですわ」

 その態度に、ソフィアもカチンと来たらしく、無言でレイピアを抜き放つ。

「世の中が広いと言う事を教えてやろう。

 エリカ、判定と合図を頼む」

 十分に二人が離れ、向かい合うのを確認してから、エリカは合図した。

「じゃ、行くわよ。

 はい」

 パアンと、エリカが大きく手を叩いて試合は始まった。

 レオナは剣を前にかざし、ソフィアは右下に構えている。

 ザッと、先に動いたのはソフィアだった。低い姿勢で、レオナに向かう。

 が、レオナの長剣は、円を描くようにソフィアのレイピアを払うと、その円の軌道を変えてソフィアを襲う。

 ソフィアは、それを身をひねって何とかかわすと、しきり直そうと一歩下がる。

 その時、レオナの突きが繰り出された。それをソフィアは、レイピアで受け流すべく彼女の剣に絡めた。

 が、それがレオナのねらいだった。

 ソフィアがレイピアを長剣に絡めた時、レオナは突きの動きを回転させるものへと変え、彼女のレイピアを跳ね上げた───────

 そして・・・・・・・・。

 

「これまでですわね」

 ソフィアのレイピアが跳ね上げられたその一瞬に、レオナの長剣が彼女の顔先に突き付けられたのだ。

「そんな・・・・・・・・」

 ソフィアは、目の前の剣先に戦士としてのプライドをずたずたに引き裂かれて、画然としていた。

「なかなか、お強い方でしたわね。

 ホーーッホホホホホホホホホ」

 左手が口に添えられ、勝ち誇った高笑いをするレオナに対し、ソフィアはドレス姿の相手に負けたと、がっくりと肩を落としてうなだれていた。

「さあ、エリカさん。今度はあなたの番ですわよ。

 武神祭に参加するのです。そしてわたくしは、あなたに勝って、赤の色を私のイメージカラーとするのですわ。

 ああ、真紅の鎧に身を包んだわたくし・・・・・。

 それも、オートクチュールの薔薇をイメージさせるデザインで、わたくしは優勝杯を受け取るのですわ」

「・・・・・相変わらず、自分だけのディープな世界ね」

 思いっきり呆れた声を出すエリカに、てっきりレオナは怒り狂うかと思いきや、しかし以外にも彼女は軽く笑ってこう言い返した。

「エリカさん。

 わたくし、あなたほどディープな世界はもっておりませんわよ」

「わ、私のどこがディープだって言うの?」

「だって、マクスウェルさんと言いましたかしら。

 あのような殿方が趣味だなんて。人それぞれ趣味や嗜好があるのは理解しているつもりですが・・・・・・・・・・。

 ディープな世界ですわ。ほほほほ──────」

「なぁんですって!!!!!」

 レオナの言葉に怒り狂ったエリカは、ギンと目つきを鋭くする。そしてパッと振り返った。

「そこ! 一緒になって笑ってるんじゃない!」

 見るとエリーは大爆笑。ソフィアさえも、声を殺してクスクス笑っている。

 エリカは二人を一喝し、レオナに向き直った。

「私のフィリオは凄いんだからね!」

「あら、どう凄くてらっしゃるのかしら?

 わたくしの見た処では、単なるぽーっとした殿方の様にお見受けいたしましたが」

 またも、エリカの後ろで笑い声がする。それにエリカはキュと拳を握りしめた。

(あんた達、後で覚えてなさいよ!)

 エリカは、後ろの二人を小突いてやろうと心に決めて言い返す。

「フィリオは、ちょっと前まであの山の東に行っていたんだから。

 あんたみたいに、この国の中だけでいい気になっている、井の中の蛙とは違うのよ」

「あら、聞き捨てなりませんわね。

 でしたら、あのお方はわたくしよりも凄いという事ですの?」

「当然よ!」

 もうすでに、エリカのセリフは、売り言葉に買い言葉になっている。

 自分の言っている事を、半分以上理解しないまま、口が勝手に動いている状態だ。

「でしたら、わたくしとあのお方が勝負して、わたくしが勝ったらどうします?」

「武神祭でも何でも出てやろうじゃない!」

 その答えがエリカから出ると、レオナの顔に勝ち誇った笑みが浮かんだ。

(相変わらず、単純な方ですこと)

 レオナは、こうなる様にエリカを挑発していたのだ。

「それでは明日の昼に勝負、と言う事でよろしいですか?。

 場所はそちらの良いように」

「いいわ。首を洗って待ってなさい!」

「ふふっ、明日が楽しみですわ。

 それではごきげんよう。

 ほーーーーーーーっほほほほほほほほ──────────────」

 アルフォンスを胸に抱き、かん高い高笑いを上げて帰るレオナ。それを、エリカは怒り心頭の面もちで見えなくなるまで睨み付けていた。

 

 

 

 

────さらに、次の日───────

 

「まだ言っていないですって?!」

 フィリオとレオナの戦いを見に来たエリーが、総務課の前でエリカに向かって大声を上げた。

「ちょ、そんな大きな声を出さないでよ。

 なにか、ちょっと言い出しづらくって・・・・」

「だからって、もうすぐレオナが来るんでしょう。

 それなのに、まだフィリオ君に何も言ってないの?」

「だからお願い!」

 と、エリカはパンと手を合わせて頭を下げる。

「エリーから言ってくれない?」

「いやよ」

 一瞬の間も置かず、勘違いしようのないその台詞に、エリカは情けない顔でだだをこねたがエリーは聞く耳持たなかった。

「それぐらい自分で言いなさい。

 だいたい、レオナの挑発に乗ったのはエリカでしょう」

「そんなぁーーーー」

 情けない声を出してごねるエリカをシッカと捕まえて、エリーは総務課のウラに廻った。

 そこで、フィリオが昨日とおとといに集めたすすきを燃やしていたからだ。

 彼は火の番をしているのか、本を片手にそれを読みながら、時折すすきを火にくべている。

 フィリオは、本読みに集中している様で、視線を本に固定したままエリカとエリーが近づいているのに気づかない。

「フィリオ君」

「わぁあ!!!」

 そして、エリーが掛けた気軽な一言に、体中をビクンと跳ね上げた。

「ああ、なんだ。エリカにエリーさんか」

 声を掛けたのが二人と知り、驚いた様子からほっと胸をなで下ろすフィリオ。

「何かご用ですか?」

 にこやかに言うフィリオのその一言に、エリカはうっと言葉に詰まった。

「ほら、自分でちゃんと言いなさい」

「だって・・・・・・・・・」

 シュチュエーションだけを見ると、好きな相手になかなか告白できずにいる若い女の子と、それを応援するおねーさんに見えなくもないが、今回の場合、フィリオに待っているのは、初々しいデートではなく『決闘』の二文字である。

 その事を知らされたフィリオは、アングリと大きく口を開けて、次に引きつった笑いを浮かべた。

(そりゃ、笑うしかないわよねぇ)

 エリーはしみじみそう思うと、彼の不幸に同情した。

「で? いつなのその決闘は」

「あははっはは・・・・・・今日のお昼だったりするのよ。これが」

 エリカの言葉に、ズンと暗くなるフィリオ。

「はぁ。

 じゃ、まあ、とりあえずここの後始末と、それから着替えるとするかな」

 もはや何を言ってもムダと悟っているフィリオは、それだけを言うと、火を木の棒で消し始め、その燃えかすに水を掛けてから、その灰を麻の袋に入れると、足取りも重く総務課の建物へと入っていった。

 フィリオが、その建物の中に消えてからしばらくして、レオナの馬車が到着する。

 彼女は、昨日と同じ様なドレスにハイヒールでしずしずと現れた。

「エリカさん。

 今謝れば、許して差し上げますわよ。

 わたくしは、あなたが武神祭に出てきて下さればそれで良いのですから」

「誰が!レオナこそ、せいぜいがんばる事ね。

 だいたい、フィリオが勝ったらレオナはどうするのよ。私だけがリスクを負っているんじゃ割に合わないわ」

 そのエリカの言葉に、レオナはおもしろそうに大きく笑った。

「おほほほほほっ。

 まあ、一応そう言う事でしたら」

 目で大笑いしながら言うレオナに、エリカの怒りのボルテージはぐんぐん上がっていく。

「そうですわねぇ。

 わたくしが負けたら、あのお方の婦人にでもなりましょうかしらね。

 あら、そうですわ。後々になって口約束だからと、ほごにされては困りますのでお互いの剣に掛けて誓いませんこと?」

 負ける事など、これっぽっちも考えていないレオナに、頭に血が上っているエリカはすぐさまその場で宣誓する。

 怒りがあまりに大きかったので、レオナの言葉がどういう意味か正確に判断できず、ただ馬鹿にされたとしか判っていなかった。

「それでは、わたくしも・・・・

 わたくし、レオナ・ローズ・ノイバウテンは、この決闘における約束を、剣にかけて誓います。

 ついでに、戦の女神にも・・・なんでしたらわたくしの、ノイバウテン家の名誉にも誓っちゃいますわ。あと、何か誓って欲しいのがありますかしら?。

 ほーーーーーーっほほほほほほほほ───────────────」

(むっかあ!!!!!)

 もはや止まらないとゆった風の高笑いに、エリカの奥歯が悲鳴を上げる。

(・・・・またやってる。

 エリカが一言謝れば済むのに・・・・・・・。

 かわいそうなフィリオ君)

 そんなやりとりからしばらく経ってから、フィリオが木刀を手に現れた。

「そちらの方は魔導師と聞いていますから、手加減して差し上げますわ」

「はぁ。ありがとうございます」

 とことん高飛車なエリカに、とことん低姿勢のフィリオ。

 周りには、エリカ、ソフィア、エリーの三人だけではなく、レオナ付きの男が数人。

 それに、どこからか、この事を着つけた野次馬が数人いる。

「さあ、どこからでもかかってらっしゃい」

 そう言って、練習用の木刀をかまえるレオナ。

「へっ? そのままでやるんですか?」

 そのフィリオの言葉に、ソフィアはちょっとうつむき気味になる。

「わたくしのこのドレスとハイヒールと言いたいのでしょう。

 そんな事は良いから、さっさと掛かってらっしゃい」

「いいんですか本当に?」

「いいと言っているのです。さあ!」

「・・・・はぁ。それでは分かりました」

 そう言って、フィリオも両手で木刀をかまえる。

「そう、それでいいの。さあ、かかってらっしゃい!」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 そして、しばらく・・・・・・。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 さらに、しばらく・・・・・・たっても両方とも動こうとしない。

「何をやっているんですの?

 どこからでもいいから掛かってらっしゃい」

 イライラのつのるレオナに、フィリオは困ったように頭をかいた。

「いやぁ・・・・・だって」

 優柔不断な答えに、レオナはさらに苛つく。

「そっちが来ないのでしたら、わたくしからまいりますわ」

 言って、レオナは手にある木刀をフィリオに突き出した。

 が、フィリオはそれを後ろにかわすと、そのまま、ドンドンと後ろに下がっていった。

「ええい。観念なさい!」

 フィリオを追ってレオナも前に進む。

 それでも、フィリオは後ろにほぼ全力と言っていいスピードで走っている。その為、なかなかレオナの剣の間合いに入ってこない。

 そのうちに・・・・・・・・・・・。

「あぁ・・、きゃぁ!

 でっ!!」

 レオナの短い悲鳴の後に『べしっ』とゆう音がすると、レオナの持っていた木刀がカラカラと大地を転がった。

 走っていたレオナが、自分のドレスを踏んづけて転んだのである。

 まあ、ドレス姿もさることながら、ハイヒールで走っていたのだから、そのうちに転んでいただろうが・・・・・・・・・・。

 高い鼻をしたたかに打ちつけ手をあてたレオナが顔を上げた所へ、いつの間にか近寄っていたフィリオの木刀が突き付けられていた。

「一応・・・・・・これで僕の勝ち。ですよね」

「なんじゃ、そりゃぁ!!!!」

 ギャラリーから矢の様なブーイングが上がる。

 これも・・・まあ、当然と言えば当然であろう。

 馬鹿馬鹿しい終わりだが、フィリオはこうなる様に仕向けたのだ。それに彼には、レオナの実力も思惑も彼女の持つ雰囲気や仕草で分かっていた。

 

 彼女がハイヒールやドレスなどと言う出で立ちで強いのは、彼女の持つ技の性質にあった。

 『迎撃』と呼ばれるこの技は、相手が動いた後、その剣筋を読んで対応する技である。

 しかし、迎撃は先に動いた相手より早く、そして、正確に動くことが要求される難易度の高い技だ。簡単に使いこなせる技ではない。

 この技が使えるとゆうだけでも、彼女の剣の腕が一流であることを物語っている。

 だが、この技にも致命的な欠点がある。それは相手が動かないと動きようがないとゆう事だ。

 現にフィリオが動かない間。彼女もピクリとも動かなかった。

 おそらく、今まで戦ってきた相手は、彼女のドレス姿に冷静さを欠いて、彼女の最も得意とする戦闘スタイルに飛び込んでいったものと思われる。

 だからこそ、フィリオは動かなかったのだ。いつもと違う反応に、レオナも困惑した事だろう。

 結果、レオナの方が冷静さを欠いてしまい、ドレスやハイヒールの事も忘れて走り出したという訳だ。

 

「だって、あの格好見れば子供だってこう考えるだろ。まともに戦ったんじゃ、全然勝てそうにないんだから。

 だいたい魔法使いの僕に剣で戦えなんて言うんだから、これぐらいいいじゃないか。

 それに、さんざん戦う前に言っただろ。それでいいのかって」

 彼の台詞に、さすがに誰も何も言えなくなった。

 ローズの名を持つほどの有名な剣士が、下っ端魔法使い相手に剣で戦いを挑み、さらに、自分からドレス姿にハイヒールと言う姿で現れているのだ。

 これを踏まえた上で、まだ何か言える程ずうずうしい人間はこの場にはいなかった。

 

 しかし・・・・・・・・・・・・・フィリオはまだ知らないのだ。

 自分が勝ったらどうなるのかを────────────

 

「じゃあ、まあ今回は、フィリオの勝ちと言う事で・・・・・・・・」

 非公式の私的な決闘と言う事もあり、渋々ながらも、周りのギャラリーがフィリオの勝ちを認め始める。

 何となく冷えた空気の中、ギャラリーは一人、また一人と帰っていった。

 そして、関係者以外全員帰ってしまった後、フィリオはその場の雰囲気が、予想していた物と違う事にやっと気づいた。

「ど、どうしたんだよ?

 言われた通りに戦ったんだよ。

 そりゃ、負けると思っていたんだろうけど、そんな訳の分からない複雑な表情しなくてもいいじゃないか。

 勝ったんだから・・・・・・・」

 言いつつ、フィリオは不穏な空気を察して、言葉尻が次第に弱くなっていった。

 レオナが真っ白になって茫然自失とし、その取り巻き達が殺気だっているのは分かる。

 しかし、エリカは笑顔と怒り、さらには悩む仕草を繰り返し、エリーとソフィアは口をやや開けた状態で、フィリオを哀れむ様な顔になっていた。

(理由を聞くのが、とてつもなく怖い気がするんですけど・・・・・・・)

 笑顔の引きつるフィリオを見て、さすがにかわいそうに思ったのか、エリーが彼に勝った場合の状況を耳打ちする。

「え゛?!」

 戦闘前の宣言を聞き、笑顔が引きつった状態で凍り付くフィリオ。

 そのまま絶句し、額には玉のような油汗が滝のように流れ落ちていた。

 こうして、ほぼ全員が絶句する中、冷たい空気は次第に重くなっていったのだった。

 

 

「・・・可哀想に、ノイバウテン侯爵は聞いたその場で倒れたそうですよ」

「だまれ!

 俺が貴様を呼んだのは、そんな事を聞くためではない」

 その言葉に、導師オリフはかすかに体をビクリと振るわせた。目の前の彼から、どす黒い殺気が感じられる。

(怒った?)

 オリフは、いつもと違う相手の様子に・・いや、昔の導師に戻った相手に、瞬間背筋が寒くなった。

 目の前の男にとって、オリフを跡形もなく消し去る事など造作もない。彼がちょっと気を変え、手をひらめかせるだけで、オリフの命運はそこで尽きてしまうだろう。

 過去、彼に気に入られなかったと言うだけで、一瞬の火花に変わった者をオリフは知っていた。

 それでも今までは、彼の弱みを握り、協力する事で、何とかその命を繋ぎ止めてきた。それに、最近判った事だが、タブーとなる事さえ言わなければ、彼はオリフに寛容である事も判った。

 ・・・・しかし、そのタブーにむやみに触れると、そこで人生が終わるのも判っていた。

 この国に来る少し前から、導師の様子が少し変わった事は感じていたが、時折見せる氷の様な冷たい視線は、相変わらず変わっていない。

 彼は、笑いながら、人の人生を止める事ができる男なのだ。

 よけいな詮索は、彼の機嫌を損ねてしまう。それはすなわち、オリフの死を意味していた。

 だからこそ、いままで彼の奇異な行動もある意味目をつぶってきた。

 しかし、彼は今更ながらに後悔した。

(もう少し、自分のやっている事。彼のやろうとしている事を調べておいた方が良かったのではないか?

 間違いなく、人間社会すべてを敵に回す計画の意味を、考えた方が良かったのではないか?)

 オリフは、心臓の鼓動がかすかに早まるのを感じて、彼の次の言葉を待っていた。

 次の言葉が、この世との永遠の別れでない事を祈りつつ、いささか緊張の色濃い表情を彼に向けている。

 そんなオリフに、彼はつまらなそうにこう言った。

「貴様はこれを届けろ。死にたくなければさっさと行け!」

 


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