「そうか、ヴァーサが・・・・・・・・」

 呟いた男の瞳は、窓の外に光る闇夜の三日月を映し、寂しそうに落ち込んで見えた。

 そして重いため息を漏らそうとするが、しかし男は、すんでの所でそれを喉の奥にしまい込む。

 皆のいる前で、それを出す訳にはいかないのだ。

「もはや、二度と戻らぬ覚悟でありましょう」

 男の前で、片膝をついて恭しく頭を下げていた騎士の拳が、報告の間中、微かに震えて止まらなかったのは男にも分かっていた。

 彼も同じ思いなのだ。後悔しても、もはや遅すぎる。しかし、悔やまずにはいられない。

「・・・・・陛下!」

 男の周りに居並ぶ騎士達から、強い声が上がってくる。

 が、しかし、その男には彼らの声は聞こえず、代わりにある男への謝罪と願いが詰まっていた。

 

 すまぬ、導師よ。

 

 

 

「ねぇーー。フィリオー。

 ねえったら、ねったら、ねぇーーーー」

 ワンピース姿のエリカが、フィリオの腕を掴んで離さずに、もう3時間が経過しようとしていた。

 今日は二人とも、休日なのである。平和なデートを楽しむ日なのである。

「ねえ、買ってよぉーーーー」

 エリカは、可愛らしく、子供のようにだだをこねて、露店に並ぶ異国のペンダントをフィリオにねだっていた。

 この女性が、大の男達を震え上がらせ、少年少女達の羨望の的であるヴァンの称号を持つ剣士とは、今の状態からは想像もつかないだろう。

 当然、異国から着いたばかりの商人も、そんな事とは露知らず、ただの若いカップルの客と営業スマイルを浮かべている。

「どうです? コレなんか安くしとくよ」

 青銅で出来たペンダントが差し出されると、とたんにエリカの瞳がきらきら輝き始めた。

 古今東西、男をビンボぅーにさせる瞳の輝きだ。

 商人は、しめたとばかりに笑みを大きくし、フィリオはそんな二人を見て閉口するしかなかった。

(家に帰れば、もっと高くていい物がいっぱいあるはずなのに・・・・・・・)

 実際、エリカの宝石箱の中には、ルビー、サファイヤ、エメラルドなど、この商人が扱っている商品すべてを売り払っても、その中の一つさえ買えないほどの値打ち物がたくさんある。

 しかし、エリカには値段などどうでもいいのだ。

(フィリオからの・・・・・・愛する人からのプレゼントォー。

 キャァーーー、きゃー、キャーーーーー)

 エリカの頭の中は、もうすでに幸せでいっぱいなのである。

 

「ありがとうございましたー」

 商人の景気のいい声を後ろに聞いて、エリカは上機嫌でそのペンダントを両手の中にしまって握りしめている。

 ちなみに、フィリオの財布は、かなり軽くなった事は言うまでも無いだろう。

(・・・・・・・とうぶん、イモだけの生活だな)

 安物のペンダントとは言え、貧乏人のフィリオにとっては大金なのだ。

(祭りも近いってのに・・・・・・)

 秋も深まり、紅葉の季節となったこの時期に、他国からはいろいろな人達がやって来て、町はにぎわいを見せていた。

 それもその筈、今年は3年に1度だけ開かれる、『武神祭』と呼ばれる武道大会があるからだ。

 コレに優勝すれば、賞金もさる事ながら、高級仕官への道も開かれる。

 腕に覚えのある戦士達が、この日を待って日々修行に明け暮れているのだ。

 さらに、それを目当てに露店が建ち並び、町はいつもとは違う活気に満ちあふれていた。

 それに今年は、大きな注目もある。

 前回優勝者が、3連覇を成し遂げられるのか?。

 それが、町の人々の噂の元だった。

 前回優勝した人物は、若いながらもその剣技を称えられ、『ヴァン』の称号を国王より下賜されていた。

 この女剣士が、人々の期待を背負い、3連覇へ向けて自分を鍛えて・・・・・・いてほしいなぁ。と言うのが、騎士団の切なる願いである。

 紅の女騎士。

 炎の戦士。

 戦乙女。

 などなど、彼女の戦いぶりから、異国人が付けた名前は数知れない。

 それなのに・・・・・・ああ、それなのに!

 武神祭前のこの大事な時期に、エリカ・ヴァン・シャフィールは、男といちゃついていたのである。

「そう言えば、ヴァン、以外にも称号あったんだよね」

 フィリオは、並んで歩くエリカにふと訪ねた。

「ええ、王様から任命されるヴァンの他に、この国の4侯爵達が、それぞれに薔薇騎士を表すローズ、黒曜騎士を表すブラックフレイム、光雷騎士を表すライトニング、焔騎士を表すフレアの称号を与える権利を持っているわ。

 ま、そっちの方は一人までなんだけどね。

 ・・・あっ、それともう一つあるのよ」

「もう一つ?」

「そう。ふふっ、知りたい?」

 意外そうな顔で問い返したフィリオに、エリカは意地悪な笑みを浮かべていた。

「もったいぶらずに教えてくれよ」

「教えて上げてもいいけど・・・・・・・ここでキスしてくれたら教えて上げる」

「え゛!?」

 ちなみに、ここは道のド真ん中。

 それも、人通りの多い商店街のど真ん中。

「ねえ・・・・は・や・く」

 目をつぶって、フィリオにすり寄るエリカ。

 

 ──────ちゅ

 

 しばらくしてから、小さな音がして、唇にかすかな感触が伝わってくる。

(きゃぁぁぁぁぁーーーーーーー。路上でキスしちゃった!)

 ぺろっ

(・・・・・ぺろっ?)

 後に続くおかしな感触に、急いで目を開けるエリカ。

 そんな彼女に、なぜかぱたぱたとしっぽを振る小さな子犬のつぶらな瞳が飛び込んでいた。

「え゛!?」

「・・・あんたねぇ。

 浮かれるのもいいけど、もうちょっと周りの目を考えなさいよ」

 その子犬を手に抱えていたエリーが、呆れた声を出してエリカを見ていた。

「な、なんであんたがここにいるのよ!」

「何でって、ここはみんなの大通り。ソフィアとお買い物に来ただけよ」

 そんなエリーの登場に、エリカはあからさまに不機嫌になる。

(ちぇっ。

 いつもいつも、ホントにいいところで邪魔が入るんだから!)

 それを横目で見て、困った様子で苦笑いを浮かべるフィリオ。

(・・・ははっ。大体何を考えているか分かるのが怖い)

 そんな、ほのぼのとした会話が行われていたと同時刻────

 

 キィン!

 

 二つの金属音が重なり合い、小さな火花が生まれると、彼らはほぼ同時に後ろに飛んだ。

 飛び去りながら、彼は敵に向けて呪文を解き放つ。

「光りの槍よ!」

 彼の手から投げ出された細い光りの刃が、敵に襲いかかッて行く。

 が、敵はそれを予想していたらしく、防御の呪文を絡ませた左腕ではじき飛ばした。

 人気のない王城裏の森の中では、『仮面の導師』オリフが、正体不明の敵と戦いを繰り広げていた。

 黒い布を頭に巻き、顔を隠していたその刺客は、森の木々を巧みに利用して、オリフに襲いかかっては離れていた。

 障害物のある場所での戦いは、相手に分がある様で、すでにオリフのローブには、かわしきれずに所々刃物で切れたあとがある。

 しかし、導師も負けてはいない。敵の黒マスクの服にも、同じ様なあとがある筈だ。

 彼も、飛び込んでくる敵に致命傷とは行かないまでも呪文や刃を当てている。

 ハッキリとした手応えはまだ感じていないが、それはこちらも同様だ。まだ、導師も服以外切られてはいない。

 しかし、ほぼ互角の戦いを続ける相手に、オリフは僅かながらも危険を感じていた。

「私を仮面の導師と知っての事か!」

(我ながら、陳腐なセリフだ)

 そう思いつつも、導師は木々の葉に向かって怒鳴ってみせる。

 だが、敵からの返事は光り輝く刃だった。ザッザッザ、と三枚の刃がオリフのいた大地に突き刺さる。

 オリフは、それをバックステップでかわすと、呪文を唱えて森の木々の上まで一気に飛んだ。

「はあ、はあ、はあ」

 オリフは、その仮面の下から、乱れた息で下からの攻撃に備える。

 緑の生い茂る森の中から狙われるのは間違いないからだ。

 だが、ココなら相手の顔も見る事が出来るし、それに投げナイフなどがいきなり死角から飛んでくる事もない。

 しかし、空に逃げたオリフに、追っ手は攻撃を仕掛けては来なかった。

(隠れる場所のない空での戦いを、相手は嫌ったのか?

 それにしても・・・。

 こんなに大変だなんて。やっぱり、あの人の代わりになりたいなんて言うんじゃなかった)

 

 

 

 

「そちらは、ずいぶんと華やかだったそうですね。

 両手に花どころか、美人エルフまで一緒だったそうで・・・・・・・」

 恨めしそうに、嫌みを言うオリフに、闇に顔を隠している男は、はさしたる痛痒も見せずに鼻で笑う仕草をした。

「・・・・・・・それがお前の望んだ事だ」

「それは・・・・・・そうなのですが・・・・・」

 言われた通りであるだけに、オリフとしては黙るしかない。

「相手は、相当な手練れです。木々に隠れながら、投げナイフを使ってきました。

 襲われる心当たりはありませんか?」

 オリフは、自分の都合の悪い話題を切り替えようとしたが、それも一言で一蹴されてしまう。

「命を狙われる心当たりか? ありすぎてわからんな」

 ミもフタもない言い方をされて、オリフは再び黙ってしまった。

 重い空気が沈んでいく中、男はすっと立ち上がると、一言ゆう。

「───自分の身は自分で守れよ」

 そうして立ち去ろうとする男に、オリフは悔し紛れにこんな事を言った。

「まさか、あなたの計画が他に漏れているのではないでしょうね」

「計画が?

 それは無いな。もっとも、お前が他に喋ってなければ・・・だが」

 突き放す言葉に、鋭さを感じたオリフは、それ以上口を動かそうとはしなかった。

 パタンとしめた扉の音にすら、彼の冷たさを感じて、オリフはその男が出ていくのを黙って見送った。

「くそっ」

 

 

 その夜────────────

 

「くそっ」

 鏡の前で着替えるエリカは、そう吐き捨てると、赤い鎧に手を伸ばし掛けて止めた。

「鎧を着ている暇はないわね」

 小さく一言呟くと、エリカは愛剣を鷲掴みにして駆け出していた。

 寝間着から、シャツにズボンと言うラフな格好に着替え、エリカは部屋を飛び出ると、そのまま城へと走り出す。

 城門を抜けると、すでに篝火が幾重にも焚かれ、殺気立った衛兵や騎士達がせわしなく動いていた。

 そんな中、エリカは新米騎士らしい男を捕まえた。

「状況は!?」

 問われて、新米騎士は一瞬、あっという表情になる。

 彼は、あこがれの聖騎士に声を掛けられて、ほんのしばらくの間だけ、彼女と話している間だけ、自分の任務を忘れる事にした。

「──導師様の塔が、何者かに奇襲されたのです」

「それは知っている。

 私が知りたいのは、今がどういう状況かと言う事!」

「導師様は、重傷を負われたとの事ですが、騎士団がすぐに駆けつけ、追い返す事は出来ました」

「くっ。行け!」

 エリカは、歯ぎしりせんばかりにいらだち、騎士を突き飛ばすと、塔に向かって走り出した。

 その背を騎士が名残惜しそうに眺めている。

 が、エリカはそんな事には目もくれず、一目散に導師の塔を目指していた。

(騎士団が追い返した?

 ようは、取り逃がしただけじゃない!)

 彼女の脳裏に、保身主義の老人達の顔が幾つか浮かぶ。が、今は、そんな事を気にしていられる時ではなかった。

 城中の通路を通ると、塔のある中庭にはすぐ着いた。

 無数の篝火に照らされた塔が、所々黒く焦げており、地面の芝にも焦げた跡が幾つか残っている。

 エリカが、ここが奇襲されたと言う知らせを受けたのは、もうベッドに入って寝ようかとゆう時だった。

 伝令は、彼女の玄関に来て言うだけ言うと、さっさと次の家に行った為詳しいことを彼女は知らない。

 今夜、この塔で何かが起きたと言う事以外は・・・・。

 エリカがさっと辺りを見回すと、その塔の目の前で、ローブ姿の男達が言い争いをしていた。

「コレは、命令だ!

 君も、協会の人間なのだから、上司の命令には従いたまえ!」

「・・・ですが」

「ガードを騎士団に頼んである。

 女と遊びほうけたり、管轄外の事ばかりいないで、たまには役に立ちたまえ!」

 年輩の男の声が、いらだち混じりにそう吐き捨てると、その場を立ち去ろうとして振り向いた。

 ────その瞬間だった。

 

 ドン!!

 

 エリカは、年輩の魔法使いを突き飛ばし、それを完全に無視すると、目をきらきらさせて若い方の魔法使いの手を取った。

「探したんだよ! 

 もう! 私がどんなに心配したか。

 ・・・でも、無事で良かった。さ、こんな危ない所にいないで私と一緒に帰ろ」

 夕方、フィリオが導師の研究の手伝いをするから城に行かなければならない、と聞いていたエリカは、城で事件が起きたと知り、飛ぶような勢いでここに走って来たのだ。

 そして、塔の前にいたフィリオの手を取って無事なのを知ると、そのまま彼を引っ張るようにして立ち去ろうとする。

「ま、まて、ヴァン・エリカ!」

 突き飛ばされ、芝生の夜露に濡れた顔と切れた芝が服に張り付いた初老の男は、声を荒げて彼女を止めた。

「何です?」

 自分が突き飛ばしたことなど、『何のこと?』と言いたげにエリカは答えて、さらに彼の怒りに油をそそぎ込む。

 実際、彼女はフィリオの姿を見つけた時から、彼の手を取るまでの間の事は、まるっきり関知していない。

 フィリオしか見えていなかったのである。

 それを知っている筈もなく、初老の男は自分を突き飛ばして平気でいるエリカを怒鳴りつけようとしたが、口に出る寸前でそれを思いとどまった。

 彼女の後ろにいる男。この国の宿将で、彼女の父親である男の事を思い出したからである。

 あの男に睨まれる訳には行かない。仕方なく彼は、口調を和らげる事にした。

「ヴァン・エリカ。

 彼にはまだ仕事が残っているのですよ」

「仕事?」

「ええ、たった今、我々が任務を与えました。

 彼なら、きっとその任務を遂行出来ると期待しております」

 口調は柔らかだが、棘のある言葉で言う。

 初老の男は、内心ほくそ笑んでいた。

 これで、エリカの困る顔を見ることが出来る、と言う確信があったからだ。

 言い残して、初老の魔法使いはその場をあとにする。

 そして残されたフィリオは、当然の事ながらエリカに訊ねられた。

「任務って何?」

 問われたフィリオは、少し困った様な顔をしている。

「それが・・・・・」

 

 

 

 

「なかなか、似合っているぞ。

 こーゆーのを、馬子にも衣装、と言うのだろう?」

 ソフィアは、目の前にいる仮面の男にからかい口調でこう言うと、次にふてくされているエリカに目をやる。

 彼女は不機嫌そうに、その仮面の男の横に座って、なにやらぶちぶちと呟いていた。その横で、仮面の男は彼女のご機嫌取りに余念が無い。

 もちろん、その横にいる男とは、フィリオ・マクスウェルその人である。

 魔導師協会がフィリオに与えた命令とは、『導師オリフの影武者』であった。

 フィリオの任務とは、導師オリフの命を狙っている者をおびき寄せる為の囮なのである。

 背格好が似ている事と、仮面をかぶれば誰だか判らないだろう、とゆうので安易に彼に決まったのだ。

 もちろん、エリカは、危険だと猛烈に反対した。しかし、フィリオがこの役を降りられる筈もなく・・・・。

 仕方なく彼は、導師オリフの館で仮面をかぶっていた。

「しかし、騎士団も大変だな。

 事もあろうか、王城に侵入され、騎士団の面目は丸つぶれだ。

 腕の立つ騎士を15人も、それに衛兵は30人も越えて、面目躍如に躍起になっている」

 館の窓から見える衛兵や、扉を開けた拍子に見える騎士を眺めて、思わず言ったソフィアのその言葉に、エリカはいきなり反論の声を上げる。

「私は、フィリオが心配だからここにいるのよ!

 他の連中みたいに、騎士団の面目だとか、名誉だとかは関係ないわ」

「・・・・・・・・・・はいはい」

 一瞬の沈黙のあと、ソフィアはため息を吐かんばかりに呟いた。

 いきなり怒鳴られたので、ちょっとドキリとしてしまったのが妙にバカらしい。

(あんたはそうでしょうけどね。

 でも、普通は、男が女を守るものでしょうに。

 ああ、私も・・出来たら本物の導師様が私を守って下さらないかしら?)

 表情は戦士のソフィアのまま、頭の中ではうら若き乙女のソフィアが支配していた。

 彼女は、きりりと締まった表情のまま、自己の世界へと旅だっていのだが、すぐにエリカの睨むような視線に気づき現実へと引き戻された。

「な、何だ?」

 不自然なくらい真剣な眼差しに、いつもとは違う感じを受けたソフィアは、思わず言いどもってしまう。

 そんなドキリとしていたソフィアを見つめて、エリカは、ずいっ、と深刻な表情を彼女に近づけ、これまた深刻な口調で問いかけた。

「そう言えば、なんでソフィアまでここにいるの?」

「・・・なぜか、だと?

 こいつを刺客から守る為にいるのだが・・・・・・・」

 何を今更とゆった風に言って、ソフィアはフィリオを親指で指さす。

(ま、本当は本物の導師が現れるかもしれないから、とは言えないわね)

 ソフィアは、あの獣の森の中での出来事をまた思いだしたが、今度は自己世界へと旅立つ暇はなかった。

 ソフィアのその答えに、エリカが異常な反応を見せたからだ

「・・まさか、まさかまさか。

 フィリオが大事な人だからここにいるの?」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

(・・・・・・・・はいはい)

 呆れて物が言えないとはこの事だ、とばかりにソフィアは、心の中で閉口して肩をすくめてみせる。

(エリーが、フィリオをからかう理由が判る気がするわ。

 いつも、こんな調子じゃ、こっちがおかしくなってしまいそう。

 導師様ならいざ知らず、何で私がこんな男に!!)

「・・・ねえ、違うわよね」

 なおも食い下がるエリカに、ソフィアは、この状況を少しだけからかってやろうかと言う気持ちになっていた。

 ・・・・・・・・・・・・もちろん、フィリオはそっちのけで。

(・・・・はぁ。

 元々、僕を狙うヤツの事だから、仕方ないと言えば仕方ないんだけど・・・・・・・・。

 それにしても、何の因果で『仮面の導師』の偽者の役を僕がやらなきゃいけないんだ?)

 三者三様の思惑が、見事にすれ違いながら、いつ来るかも判らない刺客を3人はただ呆然と待っていた。

 

 

 館の外には、細く削れた三日月が、薄青く辺りを照らそうとするが、夜の闇はそれを容易に飲み込んでいた。

 闇に穴を開ける星々の煌めきは、月の代わりとばかりに瞬くが、その微々たる力では闇には到底及ばない。

 そんな暗闇の中、15人もの騎士が、導師の館の警護にかり出されている。

 彼らは、衛兵がちょっとでもだらけた様子を見せようものなら、容赦のない罵声を飛ばし気合いの入った様子を皆に示していた。

 若い騎士達の気合いの入れように、年輩の衛兵は、久しぶりに見る規律の整った姿に密かに感動していた。

 城の守りを突破した賊を捕縛するか倒すかして、何としても騎士団の汚名を返上をしなければ、と皆殺気だっていると思っていたのだ。

 

 ・・・・・しかし、彼らの心の中にある思いは少し・・・・・・いや、かなり違う。

 

(あんの野郎!!

 この状況で、女二人といちゃいちゃと)

 多少の違いはあるものの、ほぼ全員がその殺気を向けていたのは、『賊に』ではなく、『フィリオに』だったのだ。

 深夜にまで及ぶ警護に加えて、守る筈の人物は偽者。さらに、自分達が守る筈の偽者役が、事もあろうに日頃からしゃくに障っていたフィリオだ。

 こんな状態では、任務など馬鹿馬鹿しくてやってられないと言うのが彼らの本心であった。

 だが、騎士団としての面目もあり、ヴァンの見ている目の前でフィリオにちょっかい出すわけにも行かず、彼らは衛兵にちゃもんを付けて怒鳴り散らす事ぐらいしか、怒りのもって行き場がなかっただけである。

 だが、三日月がちょうど、林の大杉にさしかかった頃。

 ──────その怒りのもって行き場が、彼らの前に現れた。

 

 

 堂々と表門玄関に現れた黒装束の男は、現れるなり一瞬にして、衛兵二人を倒しそのまま玄関の扉をくぐって入る。

「雑魚は邪魔だ。どけ!」

 男はそこにいた騎士に吐き捨てる様に言うと、彼らを無視するように歩み始めた。

「賊だ、現れたぞ!」

 騎士の声が館に響き、すぐに仲間達が集まってくる。しかし騎士は仲間の到着を待たずに腰の剣を抜くと、無造作に脇を歩こうとする賊に切ってかかって行った。

 賊はそれを難なくかわすと、騎士の腕に手刀を振り下ろし、騎士が剣を手放したところをすかさず、もう一度。今度は首筋を手刀で叩いた。

「・・・グッ」

 悲鳴にもならない呻き声をもらし、騎士は呆気なくその場に倒れてしまう。

 うつろに開いた目は、再び歩き出した賊と、それを阻もうとする同僚の騎士を映し出していたが、彼の意識はすでにその瞳の奥にはなかった。

「雷よ。

 我が意に従いて、宙を舞え!」

 呪文は、族の手にを中心に蜘蛛の巣のように放射状に広がると、三人の騎士を一度に包み込む。その糸に包まれた騎士は、触れたとたん騎士達はビクンと大きく体を仰け反らせた。

 次の瞬間、糸の切れたマリオネットのように、ドサ、ドサ、ドサッと音を立てて崩れ去る騎士達。

(・・・・弱い)

 賊は、心の中で呟いて、自分を見つめる騎士達に視線を巡らせた。

 頭もすっぽり黒いターバンで覆い尽くし、口と鼻も黒い布で覆って、瞳だけがあらわになっている賊が、騎士達を刺し貫くような鋭い視線を巡らせる。

 案の定。その騎士達は、賊への不気味さから後ずさりし、後退し始めた。

(こんな弱い騎士達では・・・・・・・・)

 賊は、騎士達を追う様にして、一番奥の部屋まで進んでいった。

 そこに───目的の人物がいると思って。

 しかし、そこで彼が見たモノは、信じられない光景だった。

 賊が見た光景とは、騎士達が我先にと裏口から外へと逃げ出している姿である。

「なっ!」

 唖然とたたずむ黒装束。

 しかし、彼ら騎士達からしてみれば、勝てそうもない相手にわざわざ向かっていく理由がなかったのである。

 フィリオを逃がすため?

 却下!!! 絶対イヤ。あんなヤツの為に死にたくない。

 

 騎士の名誉?

 家系だから騎士になっただけ。元々、危険な事は衛兵がやるべき。

 

 部下の衛兵達の事。

 衛兵など、代わりはいくらでもいる。

 

 そうして、騎士達は館を後に、暗い月夜の道をひたすら逃げて行ったのだ。

 

「・・・え?」

 賊は、その無様な姿に、再び小さく呻いていた。

 しかし、信じられない物でも見たような唖然とした目つきは変わらない。

(騎士が───任務を捨てて逃げ出すだと?!)

 それは、彼の常識では考えられない光景だった。

 騎士とはすべからく高潔で、名誉ある行動を取らなければならない。

 それが彼の騎士像であるにも関わらず、目の前の騎士達は、命惜しさに敵に背を向け逃げ出している。

 ピクリとも動かない賊を、残った衛兵が遠巻きに囲んでいくが、賊は相変わらず唖然としたままたたずんでいた。そして完全に囲まれた頃になって、ようやく我に返った風に辺りを見回す。

 完全に囲まれてしまったが、しかしそれでも賊は動揺した様子も無く、妙にしみじみとこう言った。

「・・・あんなのが上にいるのでは、お前達も苦労するだろう」

「やかましい!!!!」

 よりにもよって、侵入してきた賊に同情心たっぷりの口調で言われたのだ。衛兵達はたまらなく恥ずかしい気分になった。

 中には、その空気に耐えきれず、大声で賊に罵声を浴びせて、それを誤魔化そうとする者も出始める。

 が、賊はその声を無視して、静かに呪文を唱えた。

「睡魔よ。

 眠り息をまき散らし、もって心の安息とせよ」

 次の瞬間、衛兵達はふわりとした空気になでられた。

 すると、ある者は膝から崩れるように、またある者はそのまま後ろに倒れ込んでしまう。

 眠りの呪文に、賊を取り囲んでいた三十人近い人数が、一斉に倒れて寝息をたてると、賊は倒れた衛兵達を踏まないようにして、その部屋を後にした。

(・・・・・・・・・虚しい)

 妙な絶望感と敗北感に苛まれた彼が、肩を落として来た道を返ろうとした矢先だった。

 二人の女性に守られた仮面の男を見つけたのは。

 

 

「やるな! あの人数を一度に眠らせるとは」

 ソフィアは、レイピアの剣先を賊に向けて威嚇していたが、賊は残念そうなため息を小さく吐いた。

「やめておけ。お前では私に勝てん」

 沈んだ声でそう言うと、賊はそのまま切っ先に向かっていく。

「くっ! なめるなぁ」

 バカにされたと思ったソフィアは、そのまま剣を体ごと押し出した。

 賊はそれを左に一歩動いてかわすと、ソフィアの手を取って後ろへと引く。

 前に出た勢いをかわされ、それに賊が彼女の腕を引いたことも重なって、ソフィアは勢い余って床へと倒れ込んでしまった。

 そこへ追い打ちを掛けるような呪文が──────あれば、ソフィアは生きてはいなかったであろう。

 しかし、賊はそれをせず、ただ、彼女に背を向けていた。

 なぜなら、彼の視線の先には、剣を抜き払ったエリカの姿があったからだ。

「・・・今までのようにはいかぬか?」

 どことなく笑みを感じさせる声で、賊が言った次の瞬間。キィン、と高い金属音が響いた。

 賊とエリカは刃を重ねている。賊が細身のナイフを繰り出し、エリカはそれを刀身の柄に近い部分で受けたのだ。

「・・・なかなか、やるな」

 その言葉に、エリカは後ろへ飛び退き、相手との間合いを取った。

 賊は、器用に手の中でくるくるとナイフを回し始め、それがランプの明かりをキラキラと反射させていた。

「ソフィア。フィリオをお願い」

 エリカは短くそう言うと、突きの型をその光に向けた。

「はっ!」

 短い声に続き、高い金属音が奏でられる。

 エリカの突きを左のナイフで受け流すと、賊は開いた右側を繰り出してくる。

 彼女はそれを前に一歩踏み出る事でかわすと、身体ごと賊に体当たり。

 相手が僅かにひるんだその隙に、横凪ぎに剣を振るが、賊はそれをしゃがみ込んでかわした。

 その間、ソフィアは奥の部屋に入っていた。そこから大回りすると、戦いの場を通らなくてもフィリオのいる場所に出られたからだ。前もって、この館の構造を調べていたのが役にたった。

 急いでフィリオの所に走り着き、彼を守るようにして立つソフィア。

 しかし、この勇ましい二人とは対照的にフィリオは、ただ一人役にも立たず呆然としていた。

 怯えてパニクって無いだけましとゆう有様で、何も出来ずに時折指をピクリっとさせるだけで完全に棒立ち状態だ。

(・・・・・・・・・・・なっさけない!

 大の男が女に守られるなんて)

 思わず頭を抱えたくなるソフィアだが、実際にそんな余裕はなく、彼女の目は賊の動きとそしてエリカの剣から離れる事は無かった。

 エリカの剣の動きは荒々しくもあり、そして流れるような流麗さも持ち合わせていたが、しかし、賊の動きはそれを凌駕しかねない程素早く、彼女の剣激のことごとくを撃墜していた。

 間合いを取って戦おうとするエリカに対し、懐に入って一撃を狙う賊の、一進一退の攻防が続く。

 

 永遠にも続くかと思えたが、しかし、それは突然やってきた。

「雷よ。火花となれ」

 賊が呪文を唱えた。その瞬間、突如として閃光が生まれエリカの目を襲う。

 今まで剣だけで戦っていただけに、その作戦は完全に成功し、意表を突かれたエリカは腕で目を隠して後ろへと飛び退く。

 目の見えないこの瞬間を逃す相手ではない!

 そこまで考えられた訳ではないが、とっさに身体が反応し後ろに飛び退いたのだ。

 しかし、賊はこの一瞬を攻撃の為には使わなかった。

 以外にもエリカと、ソフィア、さらにはフィリオの横を通り抜け、一直線に外へと飛び出して行ってしまう。

 エリカが次に目を開けた時、目を隠すソフィアと呆然と見送るフィリオの向こうで、賊は背を向け玄関の扉をくぐろうとしていた所だった。

「待ちなさい! 逃がさないわよ」

 エリカはすぐさま後を追うが、外に出た所で、彼女は思わず立ち止まってしまった。

「な・・・・真っ暗じゃない!」

 長い間光のある場所にいて、かつ、閃光で目をやられていたエリカには、薄暗い月夜はまるで暗黒の世界だった。

 僅かに瞬いている星など完全に闇に食われ、足下すら定かではない。

 遅れてソフィアも出てきたが、反応はまったく同じだった。

 しばらく待てば見えてくるのだろうが、それでは賊を取り逃がしてしまうのは確実だ。

「ちっ!」

 エリカは短く舌打ちすると、一か八か暗闇に飛び込んだ。

 ソフィアは一瞬躊躇するも、結局エリカの後を追った。

 賊の逃げた方向は音で判る。目に見えるのとは違い、少し先に衣擦れの音と、地を蹴る音がハッキリと2人の耳には聞こえていた。

 そして、ガサッ、っと言う音も─────────────

(ガサッ?)

「───あ?」

 と、声に出した時には遅かった。

 確かに賊の音は聞こえていたのだが、しかし、生い茂る茂みや木の幹、さらには地にうねる大木の根は音を出さない事に気づいた時は遅かった。

 次の瞬間、木の根につっかえ、枝葉に顔をつっこみ、次には蜘蛛の巣が彼女たちを待ちかまえていたのだ。

 ひっくり返って、茂みに足を持ち上げられたその格好は、もしその目に映れば赤面間違い無しのあられもない姿であった。

「もう! なんであいつはこんな中を早く走れるのよ?」

 どんどんと足音が遠ざかっていくのを耳の奥で聞きながら、何とか立ち上がろうとするエリカ達。

 

 しかし────この時、二人はまだ気づいていなかった。

 すでにここには二人しかいない事を・・・・すぐ近くにも、そして屋敷の方にもフィリオがいない事を─────────

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ────────────」

 黒装束姿の賊は、女性二人の追撃をどうにかかわして、森の中へと逃げおおせていた。

 太い木の幹にその背を預け、乱れた呼吸を整えている。

 導師の館が町のはずれにあった為に、森に逃げ込むのは容易だった。

 彼は元々夜目利く上に、魔法の光りをその目に浴びていない為、暗闇でも難なく障害をかわせたのだ。

(しかし、このような田舎に、あれほどの騎士がいようとは・・・・世は広い)

 エリカの事を思い出し、賊はほっと胸をなで下ろす。

 同年代には敵なしと言われた彼だったが、それは改めなければならないようだ。

 いくら、慣れない2刀流の短剣で戦ったとは言え、あそこまで追いつめられるとは正直思っていなかった。

(あのまま戦えば、負けていたのは私かもしれぬ。

 あの年齢で、その上女性。

 ・・・出来る事なら今度は剣で戦ってみたいものだ)

 魔法を使ったとゆうより、使わされた、と言うのが彼の正直な気持ちだ。

 そうしなければ、彼女から逃げられないと思ったのだ。

 実際、あの魔法を使わなければ、こうも簡単に逃げられなかったろう。

 だからこそ、今度は堂々と一騎打ちをしてみたいと言う思いに駆られていた。

 しかし、その前にすべき事がある。一戦士として、強い敵と戦い勝つ事より、彼はそれを優先させねばならなかった。

 ともあれ、今は一時の清涼を求めようと、顔に巻いてある布を取り、熱くなった体を冷たい夜風にあてて、これからの事を考えていた。

「とにかく、導師様にもう一度・・・・・・・・」

 ふと、口をついて出た一言だった。

 それも、小声で間近に近づかなければ、聞き取れぬ程の小さな声である。

 にも関わらず───────────

 

「もう一度?」

 

 彼のつぶやきに、明朗な声が返って来た。

 ハッとして、うつむき気味だった顔を上げ、青い月の光に顔をさらけ出した彼はそこにある人影を見つける。

 それは、深緑色の仮面を付け、首から下をローブで覆い尽くした姿で宙に浮いていた。

 『仮面の導師』その人だ。

 導師は、星が煌めく空に浮き、彼をその仮面の隙間から見下ろしていた。

 鋭い眼孔と、威圧感。そして何よりも、今までの偽者とは明らかに違う強力な魔力を感じ、彼は思わず片膝をついた。

「導師様。おひさしぶりにございます」

「確かに・・・・・久しいな。ヴァーサ」

 導師はそう言うと、すぅ、と音も立てずに彼の・・・ヴァーサの前に降り立った。

「しかし、騒がしてくれたな。

 二度も僕を狙って来るとは・・・・・・・カルマン王は僕の首を所望か?」

 人をからかっている様に聞こえる台詞。だが、それが冗談などでない事は、聞くヴァーサ自身がよく知っていた。

「とんでもございません!

 このたびの一件は、すべて私の一存で行った事。

 国には一切関わり合いはございません。

 導師様を探す為に、このような手段をとってしまった事。後でいかような処分も、受ける覚悟でおります」

 ヴァーサは恐縮した様子で、さらに頭を下げる。

 彼はオリフを偽者と見抜き、本物の導師を見つけるために、偽者を襲っていたのだ。

 偽者を潰していけば、いずれ本物がでてくると信じて。

 その思惑は当たり、今彼の目の前には本物の『仮面の導師』が立っていた。

 彼に引き出された形になった導師は、ヴァーサの言葉にしばらく沈黙していたが、小さな吐息と共にこうつぶやいた。

「まあ、死人が出ていないからな。その事は目をつぶろう。

 それにしても全員、電撃による麻痺や眠りだけで殺さずに倒すとは、なかなか腕を上げたな。

 ・・・・・・・で、何用だ?

 カルマン王国の近衛騎士が、隣の国とは言え、あのスタイビール山脈を越えて観光でもないだろう?」

「はっ。それにつきましては、導師様にお願いがございます」

 明朗な声に続き、ヴァーサはそこで一つ間をおいた。

 導師に、話を聞くかどうかの返答を暗に求めたのだが、導師は何も言わなかった。

 ヴァーサは、その沈黙を応と受け止め話し始める。

「北の隣国アブランテが、旧ザイラム王国の生き残りと手を組み、我がカルマン王国は─────」

「・・・もういい」

 ヴァーサの言葉の最中に、失望の色濃い声が静かに響く。その声は、どことなく悲しくもあった。

 だが、その表情に気づきもせず、ヴァーサはは驚き、導師を見つめ返す。

「・・・・導師様。

 もういいとは・・・どういう事です?」

 信じられないと言う言葉を、顔一杯に表現して彼は見上げる。

 その驚愕の表情は、絶望の淵を覗いた感さえあった。

「俺はもう二度と、国家間の争いに身を投じるつもりはない」

「・・・・そんな。

 今、導師様のお力添えがなくば、我がカルマン王国は───────」

「・・・滅びる。と言うのか?」

 導師のつぶやく言葉に、ヴァーサは大きく頷いた。

 彼は、いつの間にか地に着けていた膝を伸ばし、導師と同じ視線の高さで話していた。

 騎士として、願いを聞いて貰う立場の者として、それは礼儀を失した振る舞いであったが、彼にとっては、協力を断られた事がそれほど以外だったのだ。

 かつて、味方として導師がそばにいた時は、彼は国の為ならばどの様な戦場にも赴いた。

 たとえそれが絶望的な戦いであっても、1人しか戦場にいなくても導師は戦った。

 国の為に、そして、そこに住む人々のために。その導師が、国家の一大事を聞こうともしない。

 別人とも思える変化に、ヴァーサは我を忘れて詰め寄ったのだ。

 ─────が、彼が立っていられたのはここまでだった。

「ならば、滅びてしまえ!

 たった一人の・・・・個人の力がなくては存続出来ない国など、今滅びずともいずれ朽ち果てていくだろう。

 それに、少なくとも、自分達の力で問題を解決しようとしない奴らになど、手を貸すつもりはない!」

 そうキッパリと言われたヴァーサは、一瞬の間を置いた後、まるで糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 見開かれた目は、虚しく宙をさまよい焦点が定まっていない。

 それは怒鳴られたからでも、導師の怒りを買ったからでもなかった。

 安易に導師の力を求めていた自分が、ものすごく卑小な存在に思え、それが彼を絶望の淵へと追いやったのだ。

 ヴァーサは、近衛騎士として敵に向かうのではなく、この国へ導師の助けを求めに来た。

 それを導師に突き付けられて、ヴァーサは自分が何をしたのか理解したのだ。

 自分の正義や平和の為には、他を犠牲にする。

 それは、導師の・・・いや、ヴァーサも忌み嫌うモノでもあったのだ。

 

 ヴァーサの仕えるカルマン王国は、かつてザイラム王国と言われた場所にある。

 ザイラムと言う古い国を潰して、カルマン王国は産声を上げたのだ。

 ザイラム王家は、自国の発展と防衛の為に、国民を魔導実験の実験体とした。

 『自国防衛には仕方のない事』

 それが、ザイラム王の主張する言い分だったが、ヴァーサ達はそれを邪悪とののしり、現カルマン王と共に立ち上がったのだ。

 ・・・・・・が、ヴァーサは、旧ザイラム王国と同じ事をやってしまった。

 旧ザイラムは、魔導の力を得る為に、国民を実験体として犠牲を強いていた。

 それより遙かに小さい事ながらも、ヴァーサは、仮面の導師の力を得る為に、この国の人間を傷つけてしまっているのだ。

 カルマン王国を守る為に・・・・・・・

 今は、導師の力に頼り国を守ろうとする自分と、魔導の力に頼り国を守ろうとした旧ザイラムの人間とが重なって思えてくる。

 

 ──────彼は、その事に気づいてしまったのだ───────

 

 両手で大地と草を鷲掴みにして、ヴァーサは自分の行ってしまった事を悔やんでいた。

 自責の念に苦しむヴァーサを見て、自分の言いたい事をヴァーサが理解したと悟り、導師は小さく息を吐いた。そして、いきなり大声を上げる。

「それから・・・・・・出てこい!」

 突然の声に、ヴァーサはぴくんと反応した。

 しかし、導師の顔は、すでに別の所へと向けられていた。誰もいないはずの森の闇へと。

 だが、その誰もいないと思われた森から、抑揚のないくぐもった声が聞こえて来た。

「・・・・・・・やはり気づかれていましたか」

 闇の中から聞こえるその声に、ヴァーサは目を見開いた。

 ここには2人しかいないと思っていたのが、もう1人いると分かって、ヴァーサは慌てたのだ。

(まずい。

 導師様に、助力を求めたのが外に漏れては、外交問題になりかねない)

 うろたえるヴァーサに、導師は彼の前に立った。

 その闇の中の目からヴァーサを隠すように。

「いつ頃から気づいていらっしゃいました?」

 暗闇から声が囁いてくる。

 その問いに、導師は無造作にこう答えた。

「町にいる時に、な。

 確か貴様は、青銅で出来たアクセサリーを露店で売っていたな」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 耐え難い一瞬の沈黙が、辺りをさわさわと流れる。

「お人が悪い。最初から知っていたと言う訳ですね」

 そう言って、暗闇から夜露に濡れた草を踏みつけ現れたのは、中年の商人風の男だった。

「貴様は何の用でここに来た?」

「私も、そこの方と同様、ヘッドハンティングに」

 身振り手振りで、妙に芝居じみた言葉で言う男に、導師は鼻で笑う様な仕草をする。

「ふん。

 森で俺の影を襲っておいてよく言う」

 その一言で、中年の男に緊張の糸が張り詰める。それを無視してさらに導師は付け加えた。

「アブランテ王は僕を敵に回すつもりか?」

「まだ、私は何処の国の者とも申してませんよ。早合点はよして下さい。

 陛下と私は、何の関係もありません」

 平常を装った声でそう言った男だったが、すでに彼は蜘蛛の巣に捕まった蝶のごとく、導師の術中にはまっていた。

「・・・・馬鹿が。

 アブランテ以外の人間が、あの男を陛下と呼ぶか」

「なっ・・・・・・・・」

 はめられたと知って、男は初めて表情を強張らせる。

 導師が、カマを掛けるつもりで、アブランテの名前を出したことを男は悟ったのだ。

 ───自分の不始末。

 男の手が、ゆっくりと懐へと手が伸びようとしていたのを、導師が声で制止する。

「やめておけ。お前が死んだ処で状況は変わらん。

 それに、貴様には伝言を頼みたいしな」

 間者とゆう性質上、自分で自分の口を封じるのは安易に考えられた事だった。

 それを導師に止められ、男は大きく鼻から息を吐き出す。

 男は自分の死を恐れてはいない。もし、恐れているのなら、ハナから間者などにはなっていないだろう。

 間者とは、自分の命と引き替えに任務を遂行し、その任務につごうが悪ければ、自分の口さえ封じる事が出来るプロフェッショナルなのだ。

 が、彼は恐れていた。それは自分の不始末により、国が滅びるかもしれないとゆう恐れだった。

 それほど、アブランテ人にとって『仮面の魔導師』の名は驚異的な名前なのだ。

 数多の戦場を駆け抜け、数十万の兵士を血の池にたたき落とす血塗られた仮面の死神。

 アブランテでは『仮面の導師』とは誰も言わない。

 アブランテで彼の名と言えば、誰しもがこう言うだろう。

 『仮面の悪魔』、と。

 

「そういう顔をするな。しばらく僕は忙しくて誰の手伝いもできない。

 それより、アブランテ王への伝言だ。

 今回の事は目をつぶろう。

 しかし、今度同じ様な事があれば、昔のように騎士団一個が消し飛ぶぐらいで済むと思うな。

 ・・・・・・行け」

 男は、一瞬だけ躊躇したが、目の前の男の言う事を信じる以外の道はなかった。

 もしここで導師の要求を突っぱね自害したとしても、導師はアブランテ本国に使いを出して、その伝言を伝えるだろう。

 その使者が、彼の使う魔獣でないとは言い切れないのだ。そして、その魔獣が別の使命も帯びていたら────────────

 男は、森の闇の中へと吸い込まれる様に消えていった。

 

「さあ、お前も帰れ」

「しかし、私は・・・・・・・・」

 言いよどむヴァーサに、導師は苦笑しつつ言う。

「勝手に国を出てしまった以上、帰国は死をもってか?

 この国の騎士団の連中に、少しは見習わせたいな。

 だが今回はこの国の騎士を見習え。何が何でも生き残るこの国の騎士をな。

 お前には、それ位がちょうど良いだろう」

「私に生き恥をさらせと?」

 ヴァーサのその言葉に、導師は苦笑のゆがみをさらに増す。

「お前は騎士だろう。騎士ならば、君主の命に従え。お前は、まだ死を命じられてはいない筈だ。

 帰って君主の処分を受け、そして自分の国を守れ。

 言えるのはそれだけだ」

 それだけを言い残し、導師も森の闇に消えていく。

 細い、刃のような三日月に見られながら、ヴァーサは導師を見送って、しばらくその場に立ちつくしていた。

 ───────青く、淡い光を浴びながら。

 

 

───────そして──────────

「・・・で、どうしてたの?」

「だ、だから、二人を追って森に入ったんだけど、真っ暗で・・・それで木の根につまづいてちょうどその先に太い幹があってね。

 それで、そこに頭をぶつけたんだと思うんだ。その証拠にココに、ほら、たんこぶがあるだろう。

 それで、ついさっきまで気絶して・・・・ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────────────」

 エリカの腕ひしぎ逆十字に、フィリオの絶叫が館に響く。

「私がどんなに心配したと思っているの!」

 そんなエリカとフィリオに、やれやれまたかと、ソフィアは肩をすくめていた。

 

(はぁ────いつになったら、本物の導師が誰か分かるのだろう?)


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