魔導師協会。

 それは魔導を志す者達が、真理の追求と更なる人類の発展の為に作った組織である。

 高潔なその志の元、魔導師達は人々の幸せを求める研究に没頭─────もっとも、それは遙か昔の話で、現在ではその理念は、清掃業者にどこかへ運び去られてしまい、地下のマグマ層にでも放り込まれている様だが──────

 とにかく、過去の理念や現在の実状は別として、協会は全国各地にその支部があり、今では各国ごとに独立した魔導師協会本部がある。

 当然、ここモルト王国にも魔導師協会はあった。

 地形的に見ても大国の侵略ルートの上に有るわけでもなし、特別なレアメタルが産出するわけでもない。しかし、農産物には恵まれており、そこそこ裕福な国だ。

 だが過剰に生産出来るという程でもないから、他国が無理して侵攻してくるほど、うまみのある土地ではなかった。

 ひとことで言うと、ここは辺境の田舎国なのだ。

 

 

 

 

 天から柔らかい日差しが降り注いでいる。

 その陽光にメロディでも乗せるように、爽やかな風も舞っていた。

 夏も終わりに近づいていた時期だったが、どういう訳か今年はまだまだ真夏のような暑さが続いていた。

 だからだろうか? 不意に訪れた秋の風に、みな表情が柔らかくなっている。

 表情からも察する事ができるように、秋の風と言っても寒いわけではない。

 一年を通しても数日あるかないかと思えるほど、太陽と風の奏でるハーモーニーは人を優しく包んでくれた。

 暑くもなく、寒くもなく、本当にこの日は過ごしやすい一日である。

 そんな爽やかな日に、若者は窓越しに太陽の恩恵を背中に受けていた。

 すやすやと・・・・・寝息を立てながら。

 

 時刻はお昼少し前─────

 この時間に、いびきこそ聞こえてこないが机にうつぶせになり、どーどーと居眠りをしている男がひとり。

 彼の名前は、フィリオ・マクスウェル。

 フィリオは、まだ日も高いというのに安らかな顔で机を抱きながら、まどろむ睡魔に身を委ねていた。

 だらしなく開けられた半開きの口から、規則正しい寝息が吐き出されている。

 目は開いているのか閉じているのか分からない状態で、時折ピクッピクッと身体を痙攣させていた。

 ハッキリ言って、かなり間抜けな寝姿だ。

 しかし、こんなだらしない様子でも、彼の居眠りを咎める者は誰一人としていなかった。

 普通ならば、誰かが注意するなり、叱責するなりする状況ではあるが、しかし誰も何も言ってこない。

 それもその筈、この総務課には彼一人しかしないのだ。

 同僚も、上司も、そしてお客もいないこの部屋に、彼一人きり。

 この日─────

 いや、今まで一度たりとも、ここにまともな人間が訪れるような事は無かった。

 

 もっとも・・・・・まともでない客なら、よくここへ来ていたが・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

「フィリオ、フィリオ!」

 夢の向こうから・・・いや、テーブルの向こうから、女の子の声で呼ばれたような気がする。少し軽めの、きゃぴきゃぴした明るい声だ。

 眠りの世界に漬かっていたフィリオは、その声に現世へと手を引かれると、緩慢にまぶたを広げその女性をちらりとのぞき見た。

 大きなつぶらな瞳と、ちっちゃい顔。ショートカットで僅かに髪を揺らす彼女は、嬉しそうに目を細めている。

 しかし、彼は彼女を見ても何事もなかったかの様に、ゆっくりと元の体勢へと戻ってしまった。

「フィリオ!」

 

 ぱこぉぉぉぉん!

 

 次の瞬間。叫びとセットで、響きの良い音が部屋に聞こえた。

 彼の仕草を見た彼女の目つきが、ほんの少しだけつり上がると同時に、彼女の右手がうねりを上げたのだ。

 その結果、彼女の近くにあった木製トレイは、放物線を描かず直進してフィリオの頭部を直撃した。

 

 ぴくっ

 ・・・・ぴくぴく

 

「起きなよフィリオ!

 愛しのエリカさんがやってきたんだから」

 彼女はそれで気が済んだのか、受付のテーブルを軽々と飛び越えると、ニッコリ微笑んで、テーブルに突っ伏しているフィリオを楽しそうに眺めていた。

 彼女の名前はエリカ・シャフィール。

 いや、正確に言うと名前は、エリカ・ヴァン・シャフィール。

 聖騎士たる証である『ヴァン』をミドルネームに付ける事を許された、数少ない一人である。

 そんな彼女に、どうにか上体を起こしたフィリオは、一瞬怯えた風な目つきになりながらもこんな風につぶやいた。

「エリカ・・・・・・・・・たまにはゆっくりさせてくれよ。

 そうでなくても、昨日は遅かったんだから」

 ゆっくりとした口調で表情はけだるそうにしているが、しかし、瞳が痛みを訴えていた。

 木製トレイのストレートで眠気はすでに消え去っていたが、それに取って代わってズキズキと鼓動のような痛みが頭を埋めている。

 しかし、エリカはそんな事などお構いなしにいい返す。

「何いってんの!

 フィリオは一応ここの課長さんなんだから、居眠りなんかしてちゃダメよ」

「課長・・・・・ったって。

 総務課には僕一人しかいないんだよ。だから、実質ヒラだよ ヒラ。

 それに、ここに来て以来。お客さんなんて一人も来ないんだから」

 いわれて、エリカはちょっとバツが悪そうに言葉を詰まらせてしまった。

 彼のいっている事が真実なだけに、彼女も反論のしようがない。

 仕方なく彼女は笑って誤魔化すと、ふと何かに気づいたようで、ちょっと考える顔をした。

「・・・・・・ねえ。

 魔導師協会の総務課って一体何する所なの?」

 その質問に、フィリオはおどけたように肩をすくめて黙ってしまう。しかし、彼はその辺りの事情を知らない訳でも無かった。

 この国の魔導師協会には総務課の他に、開発部、儀典局、教育部など、様々な部課がある。名目上、総務課は各部署を管理する為に設置された部署だ。

 しかし、各部署は独立した一個の組織としての性格が強い。

 それを見事に表しているのが、独立採算制という方式である。

 独立採算制とは、それぞれの部署が、その方面での仕事を独自に行い資金を得るというもので、各部課ともそれを行っている。

 開発部は、マジックアイテムを生産販売し、教育部は貴族の子弟に魔法を教えその受講料を資金とする。

 そんな中で、総務課にはどの様な現金収入があるだろうか?

 さらに、管理される事を快く思うはずもない各部課が、さまざまな圧力を掛けて、総務課は総務部という名前すらはぎ取られ、見事に落ちぶれていったのだった。

 結果として総務課が有名無実の部署と化すのに、大した時間は掛からなかった。

 それでも総務課が無くならないのは、各部署を管理している、と言うお題目を失わせない為と、他のお偉方の名誉職のポストを失わせない為である。

(大人の事情・・・・・・・)

 

 

「ともかく、よ。

 一度引き受けたんだから、ちゃんと仕事しなさいよね」

「あのねぇ。引き受けたっていうの?

 あれが・・・・・・・・。

 八年ぶりに故郷に帰って一泊したら、次の日にはもう任命書が出来上がっていたのが」

「いい加減、タイミングが悪かったと諦めなよ。

 ちょうど前任者が死んじゃって、後がま決めるのにゴタゴタしている所に帰って来るんだもの。

 だいたい、魔導師なんかになって帰って来るのがいけないのよ。

 私はてっきり戦士になって帰ってくると思っていたのにさ。

 そしたら、一緒に騎士団に居られたのに。

 だいたいね、魔法使いなんて暗そうで何考えているんだか分からない連中は──────────」

 エリカは、彼が魔法使いだというのが気にくわない様子で、つまらなそうにちょっとむくれている。

 次から次へと出てくる魔法使いの悪口と、その顔から覗かせる表情から、魔導師なんか大嫌いと、伝わってくる。

 そんなあらん限りの悪口を口にしていた彼女だったが、しかし、次の瞬間、いきなり表情を変えて宣言する。

「でも、フィリオは別よ!!

 私の愛は職業なんかでは、ちっとも変わらないわ。

 約束通り、私をお嫁さんにしてよね」

 エリカはキュっと拳を握りしめ、力一杯力説して最後を締めくくった。

 もはや、これが私の生きる道とでもいわんばかりに。

 しかし、彼女の言葉に対して・・・・・・・フィリオは疲れたようなため息一つ。

「幼稚園の頃の話じゃないか。

 それも・・・・・・・・・」

 そこまで言って───だが、かろうじて続きの言葉を押し止めた。

(・・・・僕の首筋にナイフを突きつけて言わせた言葉)

 今でも、あの時の恐怖は夢に出てくるのだ。

 ちょっぴりゾクリとした思いを慌てて隠し、フィリオは恐る恐るエリカを見つめ直す。

(そんな事を言おうものなら、彼女に何をされるか判ったもんじゃない。

 いや、そんなそぶりを見せても怒るだろうな、きっと・・・・・・・・・・)

 しかし、幸運にも彼女は両手を胸の前で組んで天を仰いでいた。

 彼の僅かな仕草など、目にも止まっていない様子だ。すっかり自分の妄想の世界に入ってしまっている。

(────ほっ。

 どうやら、気づかなかったみたいだ)

 半ば夢見心地で妄想に片足を突っ込んでいた彼女に気づかれず、フィリオがほっと胸をなで下ろしたちょうどその時。

 バン、と何の前触れもなく扉が開かれた。

 

 

 

 

「やはりこんな所に居られましたか。ヴァン・エリカ」

 揚々とした声が、魔導師協会総務課のオフィスという名前だけ立派な、古びた木造ほったて小屋に響きわたったかと思うと、腰に帯剣し青いマントを掛けた筋骨隆々の男が入ってきた。

 日々の訓練の賜物であろうか、引き締まった顔つきの彼はカツカツと床を鳴らして歩み寄ってくる。

 そして彼は、そこにフィリオなどいないかのように、彼の目の前で仰々しくエリカに手を差し伸べた。

「貴女のような高貴な方がこんな所にいてはいけませんよ。

 さ、外に馬を用意してあります。一緒に狩りにでも行きませんか」

 爽やかな笑顔でエリカに軽く微笑む彼。おおがらの貴公子然とした、なかなかの美形である。

 ・・・・が、しかし。

「イヤ」

 間違えようもなく、ハッキリ、クッキリ、キッパリと、エリカはいい放った。

 貴公子の頬がピクリと引きつり、一瞬だけだが、その場の空気が凍り付いて時間が止まる。

 妄想を邪魔されたからか、エリカはかなり苛ついた様子で目つき鋭くその貴公子を睨み付けていた。視線に棘を作り、その先に毒でも塗ってあるような感じだ。

「また・・・・・・・・・・・」

 と、それにフィリオは、誰にも聞こえないような小さな声でつぶやき、心の奥で嘆息した。

 その嘆息から、彼はこの一連の台詞の結果が、どのようになるのか知っている風である。

 平静さを装いつつも、こめかみの辺りに怒りが浮かんでいる貴族を眺めつつ、フィリオは半ばあきらめの境地でこの行方を見守っていた。

 そして、事態は見事なほど、彼の予想通りに運ばれて行く事になる。

 ──────────不幸なほどに。

 

「・・・・・・・・・・・・ふ。

 このわたくし、フィルモルト伯爵家の長男たる者が、つい聞き逃してしまいました。

 さあ、まいりましょう」

「イヤ!」

(おーおー。笑顔がひきつってる、ひきつってる)

「・・・・わたくし耳が──────」

(・・・・・まだやるのか? この男。)

「イヤ!!

 私はフィリオとらぶらぶはっぴーな時を過ごすのよ。

 邪魔だからどっか消えなさい」

 言ってエリカは、見せつけるようにフィリオの腕をからめ取った。

 さすがにここまでされては、返す言葉も無くなったのか彼は引きつった笑顔で固まってしまう。

 もちろん、初めの一言で普通の人はこうなっている。

 しかし、彼の高すぎるプライドが、人とは違う行動を取らせたのであろう。

 その代わりと言ってはなんだが、その後の行動は、ごくごくありふれた月並みな行動だった。

(・・・・・・あのひきつった笑顔の底から、殺意のある視線が『僕に』向けられているのは気のせい───────じゃないだろうな、絶対)

 彼は固まった笑顔と、不釣り合いに殺意がみなぎる瞳でフィリオを睨み付けると、嫌みったらしくこう言った。

「これはこれは・・・・・誰かと思えば。

 八年ぶりに帰ってきたあげく魔導師なんぞになって帰ってきた、フィリオとか言う窓際族の男性ではないか。

 ・・・・・ああ、いやいや、これはつい本当のこ事を・・・・けっしてヒニクではありませんよ。

 ・・・・・・・・・念のため」

(・・・・・・・・他にどう解釈しろと言うのだろう?)

 筆字で大きく『殺意』と書かれた視線を浴びながら、なおも続けるフィルモルトを眺める。

「しかし、魔導師と言ってもいろいろいるもんですなぁ。

 この方のように、昼間から居眠りをしていられる身分の者もいれば、昼夜軍議で忙しい、仮面の魔導師オリフ様のような多忙の方もいらっしゃる。

 そうそう。漆黒の双剣との二つ名を持つ、魔導戦士にして盗賊のギゲルフのような者もいますな。

 あの盗賊は昨夜も出没したようですよ。

 もっとも、こちらの方は私が必ずやしとめてごらんに入れますがね」

 いって、彼は得意げに鼻を鳴らした。

 そして自信たっぷりの表情で、ちらりとエリカをのぞき見る。

 大抵の場合、こういう風に勇敢な事を言えば、女は向こうからやって来るのだ。

 黄色い歓声と、羨望の眼差しを受けながら、フィルモルトは女の心を鷲掴んでは虜にして来た。

 それは、このエリカとて代わりはないはず。

 勇敢な騎士と、うだつの上がらない魔導師ふぜいとでは、比べることすら間違っているのだ。

(今度こそ、彼女のハートを──────)

 

 しかし───

 

 エリカはすでに、フィルモルトの方を向いていなかった。

 もちろん、聞いてもいなかった。

 イスを一脚机に向け、フィリオの困り顔を頬杖ついて楽しそうに眺めている。

(・・・・・・・・あ、フィルモルトの顔中真っ赤。

 おまけに額に血管出てるし・・・・・・・・・・・・・・)

「クッ。

 ・・・・・・・・フィリオ・マクスウェル。

 この屈辱は決して忘れん! 覚えておれよ!!」

 捨てぜりふを残し、バタンと大きな音を立て、力一杯扉を閉めるフィルモルト伯爵家のご長男。

「・・・・・・・・・・・・・・・やっぱり」

 フィリオは、予想していたとはいえこの無惨な結果に力無くつぶやいて、悲しみを反芻していた。

 エリカにちょっかいだそうとする男の恨みを買ったのは、別に今日が初めてではない。

 今日のは確かにしつこかったが、それでも結果はいつもと同じであった。

 いつも通り、エリカに無下にされた腹いせをフィリオに持って来た。

(今日の被害は、扉が1つ・・・・・・・・・・・)

 彼はゆっくりと立ち上がると、そばでエリカが見守る中、ご長男が壊した扉を修理し始める。

(この扉を壊したのって何人目だったっけ?)

 そう思うものの、実際の人数など思い出したくもない。

 二桁を越えているのは確かである。

(何でいつも僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ?)

 そんな彼の心の悲しみなど知る筈もなく、エリカはニコニコ微笑んで、・・・・・・・・・・手伝ってはくれなかった。

 

 

 

 

「よう。元気でやっているか?」

 昼食も終えたお昼過ぎ。

 総務課のほったて小屋に、又一人、まともでないお客がズカズカと入ってきた。

「よう、カイル」

 フィリオは、親しげにその名前を呼んだ。彼は、この国で数少ないフィリオの友人である。

「相変わらず、ここには喧噪が絶えないって感じだな」

 毎度とは言え部分的に新しくなった扉を見て、おおよその事態を把握したのか、カイルは面白そうにそう言った。

『笑える災難は見てておもしろい』

 彼の顔には、そう書いてある。

「ほっとけ」

「まあ、そんなに怒るなって。

 あんな有名人を彼女に持ったんだ、少しぐらいの妬みや嫉み、宿命と思わなきゃ」

「・・・・・・宿命・・・・ねえ。腐れ縁と思うんだが」

 その言葉にとうとう笑い出したカイルは、手近なイスに腰掛けた。

 彼は、一応事の次第の全てをフィリオから聞いているので、笑いと同情の両方を示している。しかし、見た目は大笑いしている風にしか見えない。

「でも、俺も初めはびっくりしたぜ。

 あのエリカ嬢に幼なじみの婚約者がいるなんて聞いた時にはさ」

「・・・・・・だからそれは・・・・・・もういい」

 フィリオの言葉には、疲れとあきらめがこもっていたが、カイルはそれを無視して話を続けた。

「それに、エリカ嬢が普段あれほど毛嫌いしていた魔導師を恋人にするなんて、当時の男達をどれほどがっかりさせたか。

 お前、そこら辺分かっているか?」

「・・・もう十分その責めは受けたと思ったんだがな」

 つぶやくフィリオに、カイルはカラカラと笑う。

「一度や二度毒殺されかかったり、月の無い夜の襲撃が五、六回あったからって、貴族の坊ちゃん達には、毛虫一匹死んだ事より些細な出来事だって」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・爽やかに言うな、爽やかに」

 

 ───────そうなのである。

 エリカを狙う貴族の子弟とその親たちは、彼女がフィリオを好きだからといって、そこで諦めたりするような、そんな軟弱な精神の持ち主達ではなかった。

『フィリオが邪魔なら消せばいい』

『あいつさえいなければ!』

 そう思った彼らは、何の躊躇もなくフィリオを消しに掛かったのだ。その上、他の事ならまだしも、保身術に長けた彼らである。証拠を残すような者は、1人としていなかった。

 だが、証拠が無いからと言って暗殺騒ぎが無くなる訳ではない。

 もちろん、昨日の夜中に来た数人の黒ずくめ達が、記憶の中をさまよって、忘却のエリアに行くにはまだまだ時間がかかというものである。

 

「はぁ」

 とことん疲れ切ったフィリオは、肩とため息で心情を見事に表した。

 それを横目で見ていたカイルは、声を殺して嗚咽する。

 もちろん、その嗚咽は『友人が酷い目にあって可哀想だから』ではない。

 いまにも吹き出して大笑いしそうなカイルに、フィリオの目がどんよりと曇っている。

 そんな彼が、ふと、その嗚咽を止めた。そして、まるでついでを思い出したかのようにポンと手を叩く。

「あっ、そうそう。

 お前に王城から使いが来て、それを知らせに来たんだった。

 昼までに来い、ってさ」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 ──────しばしの沈黙。

 あっけらかんとろくでもない事をいったカイルに、フィリオはどことなく疲れを感じさせる声でゆっくりとつぶやいた。

「そう言う事はもっと早く言えよ」

「ああ、わりい、わりい」

 しかし、彼の言葉には罪悪感など微塵も無かった。

 ちなみに、衛兵を仕事にしているカイルは、この時間は城門に詰めていなければならない筈である。とうぜん、むやみやたらに抜け出して良いはずがない。

 しかし、伝令役としてならば、城門から離れここへ来ても不思議ではなかった。 

 つまり、彼がここに来た目的は、間違いなくフィリオに城からの知らせを伝える為であった。

 それなのに、今は昼過ぎ。

 昼までに着かなければならないのに、今はもうお昼過ぎ・・・・・・・・・。

 もちろん、遅れたら怒られるのはフィリオだ。間違ってもカイルではない。

 それなのに目の前の男は、なおも出されたお茶を悠々と味わいながら飲んでいた。

(こっ、この男は・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 フィリオは、手早く藍色のローブをタンスから引っぱり出すと、2,3度はたいてからぞんざいに羽織った。そして、そのまま総務課を飛び出ると、一目散に王城内の魔導師協会本部へと向かう。

 ちなみに、扉に鍵は掛けない・・・・・もとい、扉に鍵はない。

 金目の物が無いためだ。人に頼んで鍵を付けると、その鍵が一番高い物になってしまうかもしれないほど、ここはびんぼぅなのである。

 悲しい思いはさておいて、フィリオは小走りに城門へと向かった。

 全身すっぽり包み込んでしまうローブを身に付けて走ると、さすがに汗が吹き出てくるが、これが王城での魔法使いの決まりになっているのだ。しょうがないと、心の中で自分に言い聞かせる。

 王城の門をくぐり中庭に出ると、彼はすぐに右に曲がり、壁づたいに真っ直ぐ進んだ。そして、すぐに赤レンガの建物に突き当る。

 その建物の前で、彼は足を止めた。

 彼を見下ろす様なこの建物が、この国の魔導師協会の中心地点。魔導師協会と呼ばれる建物だ。

 この建物には、教育部と儀典部、そして最大勢力である開発部の本部がある。

「やっぱ、びんぼぅって悲しい」

 ふと、あのほったて小屋と比較してしまったフィリオ。

 とりあえず、その悲しみは横に置いといて、彼はその扉に手を掛け開いた。

 当然そこの扉は、油をちゃんと注してあり音もなく開く。

(こういう事に気づくのって、やっぱ貧乏だからだよな・・・・・)

 入るとすぐ、フィリオは知り合いの女性と目が合ってしまった。

(・・・・・あ)

「あら、フィリオ君」

 気軽に声を掛けてくれたその女性の名前はエリー。この魔導師協会で受付をしている大人びた女性だ。

「あの・・呼ばれたって聞いたんですけれど」

「ああ、ちょっと待ってね。今すぐ聞いてくるから」

 フィリオの言葉にそう答えると、彼女はそそくさと奥へと入って行った。

 3階まで吹き抜けになっている受付でしばらく待っていると、エリーは入った場所とは違う場所から出て来た。

「こっちじゃなくてお城の方、仮面の魔導師様がお呼びだそうよ」

「へ・・・・・・お城?」

 間抜けな声で聞き返すフィリオ。

 普通、城には協会員の魔導師とは別に、城仕えの宮廷魔導師がいる。

 彼らは魔導師協会に属しているものの、協会との関係は薄くあまり関わり合いを持ちたがらないのだ。

 当然、両者には縄張り争いがあり、城での仕事は彼らの独占となっている為、協会員は城の仕事はしないという不文律もある。

 それなのに彼女は、城の・・・それも生きた伝説と言われる『仮面の導師』が呼んでいるといった。

 彼はフィリオの人生とはまったく違う道を歩んだ高名な魔導師で、その二つ名を出せば大国の王すら震え上がると言われるほどの魔導師である。

 数万の軍勢を一瞬で消し飛ばしたとか、10万の使い魔や精霊を従えているなど、武勇や逸話に事欠かない、生きた伝説と呼ばれる人物だ。

 

「ええ、何かしらね。」

 首を傾げ、ちょっと不思議そうにしてエリーは言うが、フィリオが彼女から目を離した一瞬のスキに、いつの間にかネコを思わせる小さな笑みを浮かべていた。

「・・・ああ、それはそうと、また他の国のお話聞かせてよね。楽しみに待ってるから。

 んっ、そ・う・だ。

 今度はそのお礼に・・・・大人の女と言うモノについて、朝まで教えて上げましょうね」

 艶っぽい笑みと挑発する仕草で、彼の顔をサワリと撫でる彼女に、フィリオは思わず仰け反り、一瞬にして顔を真っ赤にさせた。

「じゃ、じゃあ。行ってきます」

 上気した顔で彼はそれだけ言うと、そこから逃げるように走り去っていった。

 その後ろから、弾けたような高らかな笑い声が響いている。

 さらに、どこかにいたのだろう。違う女性の笑い声も聞こえていた。

「・・・まったく・・・・からかうのもいい加減にしてほしいよな」

 真っ赤な顔をして抗議するが、その声はフィリオ以外の誰にも聞こえない小さなつぶやきだった。

 

 フィリオはもう一度、扉の前に立っていた。

 今度は、大人が2、3人いっぺんに入っても、楽々通れるほどの大きい扉だ。

 それをくぐり、しばらくして・・・・・・・・・。

 フィリオは、なぜ自分がこのような場違いな所にいるのか、皆目見当がつかなかった。

 なぜなら、目の前には白髭をたっぷり蓄えたモルト国王が、こちらを眺めていたのだから。

「────────フィリオ・マクスウェル。

 汝に盗賊の討伐を命じる」

 王様の傍らにいた、装飾のない緑色ののっぺりとした仮面を着けた男。

 『仮面の導師』と呼ばれる男は、国王の代わりに宣言する口調でそう告げた。

 目をまん丸くしているフィリオにかまわずそれらは続けられ、そして何がなんだか分からないまま、まるでゴミにでも出されるような感覚で、ぽいっと放り出された。

 謁見の間からつまみ出されて、フィリオはこの事態が判らずに、きょときょとと、辺りを不安そうに見回していた。

 そんな彼に、白い目がここぞとばかりに集中する。

 貴族が謁見の順番待ちをしている中、フィリオは彼らを飛び越えて、いきなり王様に合わされたかと思うと、訳の分からない任務を与えられ、事情も判らずつまみ出された。

 と、真相を知っていれば少しは態度も違うのであろうが、事の事情を知らない順番待ちの貴族は、平民に先を越されたと、あからさまに侮蔑と非難の視線を浴びせていた。

 そんな白い視線に晒されていた中、彼の肩をポンポンと誰かが叩いてきた。

「フィリオ! 会いたかったよ」

 彼女は大声でいうと、声と同時に人目もはばからずいきなり抱きついてきた。

 もちろん、こんな事をするのは、フィリオの彼女を宣言してはばからないエリカ以外ににはいなかった。

 ただ、ここで忘れてはいけないのが、彼女は完全武装の鎧を着けているのに比べ、フィリオは普段着の上に安物のローブを羽織っただけ。

 鎧の固い鉄板。それも所々強度を増す為に出っ張りも作られているその鎧に、力の限り抱きつかれて締め上げられていた。

 しかし、それでもフィリオは悲鳴すら上げる事すら許されないのだ。

 そんな事をすれば、すぐに涙を浮かべて「私のことが嫌いなのね」などという反則技を掛けてくるだろう。

 しかし、そんな苦労をしても、周りから白い目で見られるのはフィリオであった。

 嬉しそうに抱きつくエリカに対してではなく、痛みを堪えているフィリオに、非難の視線・・・・ではなく、殺意にも似た視線が集中する。

(も、すきにして・・・・・・・)

 

 

 

 

「一緒の任務だね」

「・・・・・・任務って?」

 初めて質問する事を許されたフィリオは、じっっっっと見つめるまなざしに問いかけた。

 彼の腕を取り、寄り添うようにしているエリカは、フィリオの腕に頬をぺったりとくっつけ、見上げながら答える。

「うん、盗賊退治。

 近頃街道沿いの山を根城にした盗賊を倒すのよ」

「へ・・・・・・」

 フィリオは、キョトンとしてエリカを見つめた。

(何でそんな事に王都の、それも歴代で二十三人しかいない聖騎士のエリカが出て来るんだろう?

 たかだか、盗賊退治なんて何十人かを送りつければすむのに・・・・・・・・・・)

 そのフィリオの疑問を見透かしたかのように、エリカはこう付け加えた。

「あ、そうそう。その盗賊ね、かなり有名人みたいだよ。

 確か名前は・・・・・ギゲルフ。漆黒の双剣ギゲルフよ」

「ちょっと待てーーーー!!!!」

 思わずそう張り上げた声に、周りの視線がさらにきつくなっていく。

(何で、いっっつもこんな目に・・・・・・・・)

 思わずうずくまって、床に『の』の字など書きたくなったが、万力で締め上げられているようなこの状態では不可能である。

 彼にできるのは、せいぜい心の中で、涙を流すのが精一杯であろう。

 

 漆黒の双剣ギゲルフ。

 この国ではまだそれほど有名ではないが、世界的に見ればかなりの有名人であった。

 何人かの部下と共に、諸国を歩きながら、行く先々で盗みを働く大泥棒。

 それに噂では、剣士としての腕前もさることながら、魔導師としての知名度も高い。

 50人を一太刀で切り捨てたとか、町を一個消し去ったとか、ウワサを総合すれば、ほとんど化け物とも言える強さになる。

 ただ、あくまで噂を総合するとそうなるのであって、多少の脚色も考慮に入れなければならないだろう。

 しかし、どこの国も手を焼いている、凄腕の盗賊団である事に代わりはなかった。

 

「しばらく、一緒にいられるね」

 この状況を理解しているのか、フィリオの腕を放さず、ニッカと微笑むエリカ。

 そんな彼女に、フィリオは天井を仰ぎ見て、ため息をつこうかという時だった。

「やれやれ、せめて王城の中ではおとなしくなさい。お二人さん」

 突然、後ろから声が掛かりふたりは振り向いた。

 すると、遠巻きに見ていた貴族達の間に、先ほど王の横にいたマントに緑の仮面の魔導師オリフが、呆れたような雰囲気を漂わせて立っていた。

「これは仮面の魔導師様」

 フィリオは、うやうやしく頭を下げる。

 エリカは騎士らしく、胸の前で左腕を横に置き軽く会釈した。

「仲良き事は結構ですが・・・せめて王城の中では自重しなさい。

 他の人の目もありますからね」

 そうたしなめられ、エリカは不満そうな表情を見せたが、さすがに国の重鎮を前にしては承知せざるを得ない。

 渋々ながらも彼の手を離すエリカに、満足げにオリフは小さく頷いた。

 そして次にフィリオに視線を向ける。

「フィリオさん、私の部屋に来ていただけませんか?

 少しお話したい事がありますので」

 その言葉に、エリカはちょっと不思議そうな顔になる。

(あれ?)

 導師オリフから妙な気配を感じたのだ。なんだか脅えているような雰囲気がある。

 彼女は、ほんのしばらく導師を見つめたが・・・。

(・・・・ま、いっか)

 大して気にもとめずに、しばらく会えない意中の男を見つめなおした。

「分かりました。

 じゃあエリカ、また後で」

「うん、じゃあまた」

 ちょっと残念そうに、しかし、エリカは元気に声を出す。

 軽く手を振ってフィリオを見送る彼女に、フィリオはちらりと一回だけ振り向くと、導師の後を付いていき、彼の部屋へと向かって歩いた。

 

 

 

 

 仮面の魔導師の部屋は、王城の庭にある塔にある。

 その塔の、誰も知らない、いつもは封印された地下扉の奥で、さらに幾つもの扉をくぐり、それに鍵と魔法とで、厳重に鍵を掛ける仮面の魔導師。

 そして魔導師の部屋へと到着した時、仮面の魔導師オリフの仮面の下から一筋の汗が頬を伝っていた。

「・・・下手な芝居だ。

 エリカは貴様の恐怖を感じ取っていたぞ」

 暗闇と、僅かな光しかない部屋で、導師とそして彼は向かい合いたたずんでいた。

 彼の声は間違いなくフィリオ。

 しかし、それには普段無い、威圧と威厳が上乗せされ、オリフの頭上にのし掛かっていた。

「あなたが凄すぎるだけですよ。

 よくこれだけの魔力を、普段押さえられていられますね」

 オリフの声は、まるで重い荷物を背負っている者のように吐き出されていた。

 部屋には、本棚とそこに置かれている本しかないが、ここは禍々しいとさえ思える空気がある。

 それに気圧されて、導師は声を震わせないでいるのがやっとなのだ。

 重苦しく、焦燥感を感じさせるその声は、とても一国の重鎮が、組織の下っ端に語りかけるとは思えない。

 この時、導師は自分が跪いているのでは、とさえ錯覚してしまう程の感覚があった。

 それほどの圧迫感がここにはある。

 

 これではまるで、反対の立場のよう─────

 

 いや、それ以上に・・・。何かもっと、生殺与奪の全てを奪われているようにも感じられる。

「貴様もそうなってもらわねば困る。

 ・・・少なくとも、命が大事ならな」

 目をすぅっと細め、まるで獲物を品定めするかのような顔になるフィリオ。

 彼の瞳の奥に、冷酷で残忍な光りが、ちらちらと見え隠れする。

 それに、ゾクリと背中を冷やしたオリフは、小さく息を呑み次の言葉を待った。

 しばしの沈黙が辺りを包み込み、やがて静かにフィリオの声が響いてくる。

「・・・・・ところで、なぜ漆黒の双剣の始末をこのような形にした。

 返答次第によっては・・・・・・・・その首、闇に消えると思え」

 口調はそれほど強くはない。しかし、そこには感情という物がカケラも感じられなかった。

 冷徹なその台詞。それがただの脅しでないことは、聞いていたオリフの汗の量が証明していた。

 すでに彼の首周りのローブが汗で変色し、それが肩にまで伸びようとしている。

 やや涼しく感じられるこの部屋では、普通に汗など出るはずがない。

 それは精神が、死の恐怖という炎にあぶられた結果出た冷や汗だった。

 国の重鎮として権勢を振るう男が、冷や汗でローブを変色させている。

 17歳の小僧に─────

「いえ、ヴァン・エリカ殿のご指名で・・・・・・」

 卑屈なオリフの言葉に、フィリオの右まぶたがピクンと揺れる。

「ひっ」

 ごく小さな悲鳴を上げ、後ろに一歩引くオリフ。

 その姿に、まともな話にもならないと思ったのか、彼の禍々しい雰囲気がいくらか緩んだ。

「猿芝居はいい。

 本当の事を話せ、それが契約だ」

 つまらなそうに言うフィリオに、恐る恐るオリフは答える。

「漆黒の双剣の名は、あなたにとっても無関係では無いでしょう」

 

 

 

 

 光がこもれ落ちる森の中の街道に、馬のひずめの音が響いていた。

 草が生えていないというだけの街道だが、それでも彼ら以外の通行人がいないというのはあまりにもおかしな風景だ。

 この街道に盗賊団が出るという噂が立って2月あまり───以来、ここは誰も通らなくなってしまい、この有様だ。

 そこを、彼らは通り過ぎようとしていた。

 先頭を三十がらみの騎士が二人、中央に魔導師姿の男を後ろに載せた白銀の鎧に身を包んだ女性が一人。

 その後を、ものすごい目つきをしながら前の二人、いや前の男にだけ、その視線を浴びせかける騎士が一人と、穏和な表情の僧侶が一人。

 フィリオは、その殺意を感じる視線に苛まれ、ここ数日生きた心地がしなかった。

「ねえ、やっぱり僕は歩こうと思うんだけど」

「えーーーーー、何で?!」

 猛烈な抗議の声と、非難がましい瞳がフィリオに襲いかかる。

 と同時に、彼女の胴に廻されていたフィリオの手に痛みが走る。

 離さない、と宣言しているかのように、彼の手を掴んだエリカは、そのままそれをギュっと握りしめたのだ。

 その上さらに、後ろの視線───

 フィルモルト家のご長男の視線が、またぐぅぅぅぅぅっと鋭くなる。

 しかし、その光景に見かねたのか、それとも呆れたのか、フィリオに助け船が出された。

「ヴァン・エリカ。

 そのままフィリオ導師の手を潰すおつもりですか?」

 後ろを歩く僧侶。オシリスが助け船を出してくれ、エリカは慌てたようにそれを離した。

 しかし、その代わりとばかりに、フィリオに手綱を持たせ、その胸の中に顔を埋めるようにくっつくモノだから、フィルモルトの血走った瞳はさらにすごみを増した。

 しかし、今度はオシリスも助けてくれず、困った様に苦笑するだけだった。

 ちなみに、前を歩く騎士は『我関せず』を貫き、振り向こうとすらしない。

 もっとも、これが一番、賢明な行動である。

 そんな道中で、ふとある時エリカがこう訊ねた。

「ところで、漆黒の双剣ってどんな顔をしてるの」

 もちろん、エリカはフィリオに話しかけたのだが、しかしそれにさっと出てきたのはフィルモルトだった。

 待っていましたとばかりに、一枚の人相書きを取り出す。

「これが手配書ですよエリカ。この男が漆黒の双剣ギゲルフ。

 そう言えば、この手配書。

 どことなく、ある無能魔法使いに、似ているような気もしますが・・・・・・・・・。

 まあ、そんな無能男と比べられては、いくら盗賊と言えど可哀想ですな。

 何せこやつは名前の通り二つの剣を自在に操り、さらには魔法も使える凄腕の魔法剣士という事ですから。

 ですがこの私が居る限りこのような雑魚など・・・・・・・・・」

 が、その言葉も終わらぬ内に、彼は絶句してしまった。目の前に向けられた切っ先に、言葉は止まり視線が集中する。

 その剣の柄を、エリカが怒りを込めて掴んでいた。

「ヴァンと呼びなさい。今はあなたの指揮官です。

 今度そのように呼び捨てれば、警告だけではすみませんよ」

 この時のエリカは、威厳と華麗さを併せ持って、聖騎士と呼ばれるにふさわしい凛々しい姿だった。

 間違ってもフィリオには向けない、彼女のもう一つの顔だ。

 そんな彼女に睨まれ、フィルモルトの顔から一瞬にして血の気が無くなっていた。

 いつもの自信満々の彼は消え失せ、驚きと恐怖に包まれた表情が彼を支配する。

「は、はい」

 かなり引きつった声が出されると、エリカはもう一度ギロリと睨み付けてから、剣を鞘に戻した。

 切っ先が目の前から消え、フィルモルトはほっと胸をなで下ろすと、すぐにフィリオに向けて殺意を向ける。

(何でいつも・・・・・・・・・)

 ちなみに出立前。フィリオが騎士達の規律を考慮して、ヴァン・エリカと彼女の事を呼んだ時、彼女はとてつもなく不機嫌になり瞳に涙を潤ませ、エリカって呼んでくれなきゃ行かない、などとだだまでこねた。

 仕方なくフィリオは、エリカと呼び捨てにしている。

(・・・・誰か・・・誰か僕を助けてくれ)

 ・・・・・・・もちろん、助けてくれる人などいる訳がない。

 

 

 日が傾くと山の時間は一斉に動き出すものだ。すでに、空はオレンジ色に染められ始めている。

 今日は野宿という事になり、かまど作りや水くみなどフィリオは余念がない。

 身分が一番低いという事もあったが、この中で一番野営に慣れているだろうと思い、彼は仕事をかって出たのだ。

 その間、騎士二人は時間つぶしとばかりに狩りに出かけている。

 そんな中。フィルモルトがフィリオの代わりに料理を作ると言い出したが、その異様な目の輝きと、不敵な笑みを浮かべる彼に、鍋に毒でも仕込むのではないかと、誰もそれを認めずフィリオは調理役を守りきった。

 いま、フィルモルトは薪取りに出かけている。

(薪になら毒も込められないだろう。

 ・・・・・・なんで僕がこんな目に・・・・・・・・シクシクシク───────)

 フィリオは、石を組み合わせた簡単なかまどを作り上げると、フィルモルトが持ってきた薪に手際よく火をつけた。

「へーーーー、手慣れたモノですね」

 感心した声を上げたのは、オシリスだった。

 男性の割に色白でひょろっとした感じのある僧侶は、フィリオの後ろから物珍しげにのぞき込んでいた。

「いや、八年も旅に出ていたもので野宿は慣れているんです」

「八年も!? ずいぶん長い間旅に出てらっしゃったんですね」

「父に連れられて仕方なく。

 もっとも、その父も旅先で死んでしまったんですけれどね」

「あ、いや、これは申し訳ありませんでした。

 ・・・ご冥福をお祈り致します」

 オシリスは短く祈りの言葉を捧げると、さりげなく話題を変える。

「それにしても、狩りに出たお2人遅いですね」

 彼の言葉通り、まだ騎士達は帰ってきていない。

 弓を持って出かけた2人だが、まだ獲物が捕れないのだろうか?

 そろそろ空も星が輝き始め、ほとんどがダークトーンに包まれている。

 夜の闇に紛れた動物を狩るのは不可能だから、もう戻っていても良い筈なのに、彼らの姿はどこにも無かった。

「獲物が見つからないのでしょう。私が行って来ます」

 珍しく、フィルモルトが自分から腰を上げた。

 腰の剣をガチャリと鳴らし、森の中に消えて行く。

 その姿を見送り、フィリオは思わず考える仕草をしていた。

(おかしい・・・・・・絶対おかしい。

 あのフィルモルトが自分から仕事を買って出るなんて・・・・・・。

 もしや、獲物そのものに毒でも塗る気か!)

 フィリオは一瞬そう危惧したが、よく考えれば他のみんなも、自分自身も殺しかねないその方法を彼が取れるわけがない。

 フィルモルトもいなくなり、そこに残されたフィリオ、エリカ、オシリスは、何もする事も無いまま、かまどの火を眺めて雑談を交わしていた。

 そのほとんどはフィリオの旅話で、残りの2人は聞き役に徹していたが、しかし周りが完全に闇に包まれ、空から太陽の支配力が失せる頃になると、エリカがすっと立ち上がった。

「いくら何でも遅すぎるわ。

 私たちも見に行きましょう」

「そうした方が良いようですね」

 オシリスも、一度天を見上げてからゆっくり腰を持ち上げる。

 暗闇に浮かぶたき火の炎が、立ち上がった拍子にかすかに揺れるとそこに松明がかざされた。

 その先に炎が灯ったのを見てから、フィリオは何も言わずに手早くたき火を消す。

 燃えカスに水を掛けて、火の後始末をしていたその時。

 

 カチャ!

 

 と、エリカが剣に手を掛けた。

「気配がするわ、気をつけて」

 油断無く身構え、囁く彼女。

 この時ばかりは、いつもフィリオにくっついて離れないエリカではなく、ヴァンの称号を持つ聖騎士エリカの顔だった。

 にじみ寄るざわりっとした気配に、全神経を放ちながら、それを追っている。

 スチャと白銀の刀身を抜き、虚空に向かって構えると、どこからともなく下卑た笑い声が聞こえてきた。

「へっへっへっ無駄な抵抗は止めるんだな。

 お前達のお仲間は、とっくにあの世へ送ってやったぜ」

「有り金全部出せば、命だけは助けてやる。

 もっとも、そこの女は、金以外にももらうモノがありそうだが」

 嫌らしい下品な声とそれに同調した笑いが、そこかしこから木霊する。

 どうやら、森の闇に紛れた敵に完全に囲まれてしまったようだ。

 フィリオは、おどおど、きょろきょろと辺りを見回し、オシリスは、上半身は神の威厳に守られていたようだが、彼を守る筈の騎士が3人もいないもんだから、下半身までその威厳が伝わらぬ様でカクカク震えていた。

 そんなだらしない男達を後目に、エリカだけは剣を片手に堂々としていた。

「そんな月並みな──想像力のかけらも感じさせない言葉しか出せない三下は黙ってらっしゃい。

 あんた達、漆黒の双剣の配下にしちゃあ、ずいぶん弱々しいわよ」

 彼女の冷ややかに見下す口調に、まだ見えぬ敵はあからさまに憎悪を膨らませた。

 ザワリとした殺気が風に運ばれてくる。もっとも、彼女にして見ればそれが狙いだった。

「うるせい!

 ギゲルフのお頭がいなくたって、お前ら3人ぐらい俺達だけでどうとでもなるんだぜ」

 凄みを利かせた声が聞こえてくる。

 しかし、エリカはふふっん、と鼻で笑う笑みを浮かべた。

「何がおかしい」

 激昂した野盗の声は、さらに凄みを増す。

「・・・・・いえね。

 わざわざ自分達の頭の名前を教えてくれた、バカな生き物がいるなー、と思っただけよ」

「き、貴様!!」

 そこまできて、やっと自分たちが騙された事に気づく野盗達。

 漆黒の双剣の配下かどうかなど、一目で分かるはずも無い。

 それに、まだ野盗達はほとんどが闇に隠れたままだ。

 つまり、エリカはカマをかけ、相手を挑発する事によって相手の出方を見ていたのと──────もう一つ。

 こちらの方がより重要だが・・・・・・・・時間稼ぎをしていた。

「────雷よ。我が敵を貫き賜え!」

 フィリオの長い詠唱がつぶやき声で終わった時、大地に三人を囲む円が現れ、そこに薄光りの壁が出来たかと思うと、それから外側に向かって、狂おしいばかりの雷撃が生まれた。

 それは辺りを昼間のように光りに包み込み、うなりを上げて野盗を襲う。

 

 ギャン!!

 

 その瞬間、およそ人とは思えぬ悲鳴が、ほぼ同時にあちこちから聞こえる。

 雷撃は1秒もたたずに虚空の闇へと姿を消したが、しかし、その威力は今だ辺りにその爪痕を残していた。

 大地そのものから焦げ臭いにおいが立ちこめ、雷撃が通った後がまるで傷跡の様に黒ずみ、雷撃の威力を雄弁に語っている。

「すご・・・・・・・・」

 エリカは思わず、言葉に詰まってしまった。

 フィリオが呪文を唱えていた事には気づいていたが、彼女はせいぜい1人か2人をしとめる術と踏んでいたのだ。

 が、彼の呪文は一瞬に全員をしとめてしまった。

 後わずかに遅れていたら、野盗の群れに切り込んで、彼女の運命はどうなっていたか、分からない。

 もしかしたら、彼らと同じ運命をたどっていたかも・・・・・・・・・・・・。

「すごい呪文ですね、フィリオさん」

 呆気に取られていたエリカに変わり、オシリスがフィリオを褒め称える。

「いえいえ、そんなことないですよ。

 エリカが時間を稼いでくれたおかげで、何とかあの長い呪文を唱え終わる事が出来たんです。

 そうでなければ、詠唱の半分も終わらない内に、バッサリやられていたでしょうから」

 へらへらと笑うフィリオに、なぜかエリカはいつもの様に抱きつく気分になれなかった。

 じっと彼を見つめ、そしてギュっと手を握る。

「・・・エリカ?」

 不思議そうな顔のフィリオ。そんな彼に、エリカは思わず、自分でもよく分からないまま力を入れた。

「・・・ぃ」

 短く低い悲鳴。

 しかし、エリカはしばらく手をそのままに、離してはくれなかった。

 

 

 ──────────さて。

 

 何とか生きていた盗賊を縛り上げると、エリカはアジトへの場所を吐かせた。

 男は実にあっけなくアジトの場所を吐いてしまった。

 もちろん、拷問などという野蛮的な行為はしなかったし、する時間もなかった。

 単にこういったのだ。もう一度、同じのを食らわせる・・・・・と。

 そのかいあって、3人は大してして歩きもせずに、そのアジトを見つける事が出来た。

 実にシンプルな洞窟が大地から口を開けており、たき火を囲んで二人の見張りが入り口の前に座っている。

 すでに、松明の炎は消えており、暗闇の中から、月明かりを頼りにその洞窟を見る3人。

 見張りは洞窟を背にしており、なぜか妙な緊張感を漂わせて辺りをうかがっていた。

 襲撃される事を事前に知っているかのように、彼らからは油断など微塵も感じられない。

「あれじゃ奇襲は無理ね」

 エリカがいうように、奇襲対策は万全の様だ。

 見張りだけではなく、入り口の周りは切り開かれ切り株がいくつか見られる。

 恐らく襲われるのを考慮して、身を隠したまま接近できないようにしているのだ。

 洞窟の周りは、ちょっとした広場になっており、身を隠して近づくのは不可能。

「どうしますか?」

 オシリスは、エリカをちらりと見やり、訊ねてくる。

「どうするもこうするも、奇襲がダメなら・・・・・・・・」

「・・・強襲しようなんて言い出すんじゃないだろうね」

 フィリオが、ため息とも思えるような呆れた口調で冷たく言い放つと、エリカは一瞬で凍りついた。

 ─────うるうる───────

 どこか懇願する様な表情でフィリオを見上げた。

「・・・・・・・やっぱり」

 右手で頭を支えるようにしてつぶやくフィリオ。

「・・・・・・・まったく。

 少しは正攻法以外の方法を考えなくちゃ、命がいくつあってもたりないよ」

 そういうなり、なにやらごそごそと手元を働かせだした。

 暗くてよく見えないが、何かを組み立てている様子だ。

「エリカが短剣を扱えればよかったんだけれど。

 ・・・・・・・出来た」

 大した時間も掛けずにそう言い、彼が月明かりに出した物は小さな木製細工だった。それには、細い糸が付いている。

「ちょっとここで待ってるんだよ」

 そういって彼は姿を消した。そして、しばらくすると後ろ向きに戻って来る。

「いいかい。

 これから見張りの一人がどこかに消えるから、その間にもう一人の方をしとめるんだ」

「どうしていなくなるの?」

 その問いに答えもせず、フィリオはクイッと腕を引く。

 

 ───!!

 

 その時、見張りの動きに変化が見れた。

 どきっとした様子で、フィリオの言う通り、1人が剣と緊張感を片手に歩いていなくなる。

「今だ!」

 その言葉より早く、エリカは躍り出た。

 一直線に向かう先には、全然違う方向を見ていた見張り。

 フィリオの仕掛けで出た物音を聞き、1人は持ち場を離れてそれを確認していた。もう1人もそちらの方向を見ていたので、見張り達は完全に意表をつかれている。

 

 キィィン!!

 

 完全な奇襲。

 しかし、エリカの一刀は見張りの剣に受け止められた。小さな火花が散る。

 が、剣士としてのエリカは、並の男では反応できない動きを見せた。

 剣が交わった瞬間、円を描くように剣を閃めかせ、見張りの脇腹を薙ぎ払った。

「ぐ・・・ぅぅぅぅ」

 低いうめき声を上げ、男は倒れ込む。

 物音を確かめる為にヤブに入っていたもう1人の見張りが、急いで戻ってきた時には、すでに仲間は死体と化した後。

 男はとっさに声を上げようとするが、その前にエリカの剣が襲いかかってきた。

 まるで猛獣のような動きに、男は声も上げられず逃げ出す。それが功を奏してか、彼は剣撃を何とかかわした。

 しかし、エリカは彼が逃げるのを知っていたかのように、二檄目を用意し、その剣に血を吸わせた。

 声も上げられず、袈裟切りに切られ、沈んで行く2人目の見張り。

 剣に付いた血を振り払い、エリカはカチッと剣を納めた。

「いや、すごいです。さすが聖騎士さま」

 オシリスは、感動した様子でエリカに近づいていく。

 拍手でもしそうな勢いで彼女を褒める彼。

「お二人ともすごい。

 とても・・・・・・・・・・・・・・」

 

 ・・・ヒュン!

 

 その瞬間、空気を切り裂く音が聞こえ、オシリスの笑みが固まる。

 ──どさ。

 何の前触れもなく、まるで操り人形が糸を切られたように、鈍い響きをたててうつ伏せにオシリスは倒れた。

 その背中には、短剣と矢が、数本深々と突き刺さっている。

「オシリスさん!」

「おっと、動かない方がいい。

 今貴様を狙っている矢は、一つや二つじゃないんだぜ」

 フィリオの動きに、闇の中から声が聞こえる。

 それは───────聞き慣れた声だった。エリカが、総務課のぼろ小屋に来た後良く聞く声。

「フィルモルト! あんたか?」

 その声に、森の暗闇から人影が1つ出てきた。

 落ち葉を踏む音と共に、それは月下に姿を現し、見下すような視線でフィリオを見る。

 間違いなく、あのフィルモルトであった。

「やれやれ・・・・・・・・貴様だけを殺し、エリカのピンチに颯爽と現れる私の崇高で完璧な作戦が全てパァになってしまうとは・・・・神の試練とは過酷な物よ」

 悪びれた様子も見せず、さらっといってのけた彼は、陶酔しきった様子でさらに続ける。

「しかし、この世の正義の為にも、この試練は必ず乗り越えてみせる。

 私の様な神に選ばれた人間が、正義を行わなくてはいけないのだ!」

 その演説口調に、その場にいた全員。盗賊達も含めた全員がこう思った。

 

 『おのれに正義があるのか?』

 

 自分の欲望の為に、フィルモルトは盗賊と手を組み人を殺している。

 そんな彼に正義があると信じているのは、当の本人だけなのであるが、一番厄介なのは、当の本人がそれを自覚していないという事であろう。

「・・・・・おい、ちょっと待て」

 と、演説も終わり感極まった感じのフィルモルトに、闇の中から声が掛けられた。

 闇の中からもう一つ人影が月下に現れた。黒い頭巾姿で現れたそれは、フィルモルトの横に並ぶ。

「本当にそれが作戦だったのか?」

「当然だろう・・・・・・・どうかしたのか?」

 頭巾でくぐもった声の中から、驚きと、そして疑いが色濃く現れていた。

 しかし、言われたフィルモルトは、何を当然の事を、といった感じで返事をする。

「冗談で言っているとばかり思っていたが・・・・・・・・」

「なにをいう。

 これ以上完璧な作戦があるものか!

 あの男だけを殺し、彼女のピンチに私が駆けつけ、ばったばったと盗賊達を切り倒す。

 かくして、エリカは私に惚れる。

 完璧な作戦ではないか」

「・・・・・・・・・・・・・・その場合、切られる俺の部下はどうなるのかな?」

「いくらでもわいて出る雑魚部下など、私に切られる為に存在するのだ!」

 キッパリ言い切るフィルモルト。その彼に、悪意と殺意に満ちた視線が集まる。

「な、何だ? 何か文句でもあるのか?

 私は貴族だぞ、貴様らのようなゴミに───────」

 

 ・・・・トス────────────

 トス、トス、トス、ざくっ!!

 

 その台詞も終わらぬ内に、ヒュンと飛んできた矢や毒つきの短剣が、頭や胸を貫いて、うめき声すら出せずにフィルモルトはバタリと倒れた。

(・・・・・・・やっぱり自業自得だよな)

 足下に転がるフィルモルトの死体を見て、仕切り直しとばかりに、黒頭巾の男はコホンとひとつ咳払いをした。

 この白けたムードはその程度では収まらなかったが、それでも気休め程度にはなったろう。

 黒頭巾は、まるで何事もなかった風にこちらに向き直っていう。

「さて、そろそろここら辺りも危なくなってきたのでな。

 引き上げさせて貰う事にしよう。

 もちろん、君たちには消えて貰う。

 雇い主は死んだが、バカなこいつに前金で全額払って貰っているんでね」

「あんまり歓迎できないプロ根性ですね」

 フィリオの言葉を、ジョークと受け止めたらしい。そこかしこから笑い声が漏れ聞こえる。

「ははっ。

 それだけではないよ。

 我々の事を知っている者はなるべく少ない方がいい。

 さて、おしゃべりはここまでだ。先ほどのように、時間稼ぎをされてはかなわんからね」

 言って黒頭巾は、呪文を唱えた。

 これは・・・・・・眠りの呪文!

 フィリオが気づいた時にはもう遅い。

 エリカの周りに、魔法独特の空気のゆがみが現れていた。

 彼女は首を振り抵抗するが、すぐに意識が無くなり、剣を持ったまま力を失ってしまう。

 手に持つ剣と共に崩れる彼女。その拍子に、その刃がエリカの顔に近づいた。

 

 ズッ!!

 

 だが、フィリオの手の方が一瞬早かった。剣が彼女の顔に当たるすんでの所で、エリカを抱え込めた。

 その代わり、彼の手の甲が傷ついたが、彼はそんな事など気づいてもいないように、ほっと安堵の息を漏らしていた。

 ぽたりと落ちる赤い血に、黒頭巾は感心したような顔をする。

「先ほどの剣技を見る限りでは、飛んでくる矢でも確実に払う事が出来そうだったんでね。

 悪いが、そちらを先にさせて貰ったよ。

 しかし、貴様も外見とは違って少しは根性があるようだ。褒めてやろう」

 薄く笑って、フィリオを見る黒頭巾。

 しかし、フィリオは、淡々と聞こえてくる黒頭巾の声を無視して、エリカを優しくゆっくりと大地に寝かせた。

 無視されたのが気に入らなかったのか、黒頭巾は小さく舌打ちする。

 と、次の瞬間、細いナイフが黒頭巾から放たれた。

 刃光が闇を切り裂き、一直線にフィリオへと襲う。

 彼は、エリカを寝かせようと、黒頭巾に背を向け屈んでいた。

 そして、深々と彼の肩へ──────────────────

 

 カッ!!・・・・カラン

 

 が、次の瞬間、ナイフは高い音を立てて大地に転がっていた。

 そして、フィリオの手がエリカから離れた刹那。

 

 ───────彼の周りの空気が変わった───────────

 

 常に余裕を持っていた黒頭巾が異変を感じ、思わず戦闘態勢に入ってしまったほどだ。

 黒頭巾の腕に鳥肌が立ち、全身を冷気が駆けめぐっていく。

「ひとつ・・・・・聞いておきたい」

 先程までとは別人のような、圧力のある声が響く。

「漆黒の双剣の名をかたっているのはお前か?」

「・・・・・やれ」

 危険と感じ取った黒頭巾の命令は早く単純だった。

 訳の分からない相手と、その圧倒的な威圧感に、黒頭巾の余裕はすでに微塵もない。

 そして、それは彼の配下も同様で、次の瞬間には無数の矢が一斉にフィリオに向かって放たれていた。

 同時に放たれた複数の矢を回避するのは不可能。

 その上、そのどれもに毒が塗ってある。かすっただけでも死に至る猛毒だ。

 しかし───────その矢はどれもフィリオの身体まで到達する事は無かった。

 むなしく、途中の何もない空間で弾き返され地に転がる。

「風の防御か!

 いつの間に!!」

 風の防御呪文で、飛んでくる矢をはじき返したと思った黒頭巾はそう叫ぶと、相手の実力を見誤った事を悟った。

 この状況に、黒頭巾は舌打ちし睨み付ける。それをにらみ返し、フィリオは再びつぶやいた。

「もう一度聞く。

 漆黒の双剣の───ギゲルフの名をかたったのはお前か?」

「・・・・・・・そ、それがどうした」

 フィリオの落ち着き払った声に、絞り出すように答える黒頭巾。

 それは、劣勢に立たされた者のトーンだ。

「ちぃ」

 短い声を出し、黒頭巾は突っ込んだ。その手には、片方ずつ二枚の刃がきらめいている。

(敵の懐に飛び込めば魔法は使えまい。

 いくら魔法使いでも、魔法が使えなくては!!)

 体術に自信を持っていた黒頭巾は、フェイントを織り交ぜフィリオに近づく。

 しかし、フェイントをするまでもなく、フィリオは一切の攻撃をしなかった。

 黒頭巾に反応できないのか、それともしないのか、フィリオはただ棒立ちのままで彼が近づくのを黙って見ている。

 そして、黒頭巾はフィリオの首を自身の射程内に捕らえた。

(取った!)

 必勝を感じたそのその間合いは、確実に黒頭巾のモノ。この間合いで、今まで幾人もの首を落としてきたのだ。

 

 ・・・・・・だが。

 

 今度の相手は、めんどくさそうに黒頭巾を一瞥すると、その刹那、彼の前からいきなり消えた。

 それが、俊敏に、なめらかに動いた結果と知る頃には、フィリオは黒頭巾の後ろを取って、強烈な一撃を後頭部に叩き込んでいた。

「ま、魔法使いごと・・・き・・・・・・・・・」

 呻いて、黒頭巾は力を失い崩れ落ちる。それを見た部下達は、一斉に飛び出してきた。

 およそ30人。

 皆、それぞれに武器を持ち、駆け寄ってきている。

 その集団に、フィリオは自分から飛び込んだ。

 集団の先頭の3人が待ちかまえ、同時に彼に斬り掛かる。

 が、フィリオはそれをすれ違いざまに斬って捨てた。

 ──────黒頭巾から奪い取った二本の刃で。

 さらに、黒い風となり、盗賊達の脇をすり抜けて行く。

 その後には、バタバタと倒れた盗賊達の死体の山が大地を埋めた。

 もし、この光景を横で見ていた人間がいたら、必ずこう思うであろう。

『野盗達が、自分達から彼の刃に当たっていった』と。

 それほど、彼は流麗に動き、盗賊達は何も出来ぬまま倒されていったのだ。

 ───まるで疾風。

 襲い掛かってくる野盗者達を、フィリオは風となって斬り捨ててゆく。

 ある者は吹き飛ばされ、ある者はその場で血を吹き出しながら息絶えていった。

 左右の刃が、まるで踊るように闇の中で煌めくたび、数体の死体が生まれ、恐怖の声と断末魔の悲鳴とが重なっていった。

 違いすぎる技量の差に、賢明にも逃げ出す者もいたが、彼らには炎の槍の呪文が容赦なく襲いかかって刺し貫き焼き尽くした。

 逃げ出す事も、ましてや相手を倒す事も出来ず、次々と物言わぬ死体と化していく野盗達。

 もはや、野盗達の前にあるのは、『死』という永遠の眠りしか存在しなかった。

 

 

 黒頭巾が気が付き辺りを見回した時、ちょうど最後の一人が燃え上がっていた。

 たった一人の魔法使い。それも二十歳にもみたぬ小僧に、部下全員が原型すら止めぬ姿になり果ててしまっている。

「ぐっ・・・・・・・まさか・・・・・・・貴様本物の」

 その光景に、黒頭巾は震えながら思わずつぶやいてしまった。

 そして────────それが彼の最後の言葉となった。

 次の瞬間、赤と黒とオレンジ色の爆炎が彼を包み込み込むと、彼はチリすら残さず消滅した。

「風の結界と、ただの魔力による圧力の違いも判らぬのに、人の名をかたるのは止めておいた方がいいぞ」

 

 

 

 

「いやーーーーー。さすがですね」

 盗賊が一人残らず死に絶えた時、どことなく人をバカにしたような声が、頭上から聞こえてきた。

 フィリオは、面白くなさそうに顔を上げる。

 そこには、月と・・・そして宙に浮かんでいる仮面の導師の姿があった。

「さすが本物。

 すごい技を見せて貰いました」

 パチパチと手を叩き、ゆっくりと降りてくる魔導師オリフ。

「ずっと上から後を付けてきた癖に、手助けもなしか」

 軽蔑のまなざしで見るフィリオに、オリフは平然と笑顔を見せる。

 いつもならば、恐れおののきながら聞く彼の声に、しかし、今は笑みさえ浮かべる余裕があった。

 オリフは、この後始末は自分しか出来ないと知っているからだ。だから、今は殺される心配はない。

 そうと知っているからこそ、この化け物相手に軽口もたたけるというものだ。

「私は自分と言う者の器を知っていますからね。

 差し出がましい事は控えたのですよ。

 それにしても、こんなに弱いとは思いませんでした。

 漆黒の双剣を語るのなら、もう少し強くなくては・・・・・・・ねえ」

「明日は我が身と思わんか?」

 フィリオの皮肉っぽい言い方にも、オリフは動じた様子も見せずに、肩をすくめてこう切り返す。

「別に。

 あちらはかつてあなたに。

 『仮面の導師』に敗れた『漆黒の双剣』の名をかたった偽物。

 私はまだ倒されていないあなたの。

 『仮面の導師』のカタリ────あなたの偽物ですからね」

 

 

 

 

「エリカ、エリカ」

 聞き慣れた声。

 ぼんやり見える人の顔。

 少しづつだが、輪郭がはっきりとみえてくる。

 見慣れた・・・・・・・大好きな顔!

「フィリオ!」

「く、くるひい、エリカ。

 手を、手をどけてくれ」

 エリカは彼の言葉を聞き入れ、腕の力を抜くが、それでも、フィリオからは離れようとしない。

「申し訳ありません。

 私が来るのがもう少し早ければ」

 仮面の導師は、すまなそうにエリカにつぶやいた。

 その横には、顔に布きれが被せられた死体が三つ。

 一つは僧侶オシリスの、残りの二つは騎士姿。

「エリカが倒れた後、仮面の導師様がいらっしゃって助けてくれたんだ」

 フィリオの説明に、首を横に振るエリカ。

「仮面の導師様の責任ではありません。

 全責任は、隊長たる私が・・・・・」

 恭しく、頭を下げるエリカ。

 困ったような仮面の魔導師に、フィリオの視線が鋭く流れる。

「・・・・・いえ、私も悪いのです。

 漆黒の双剣たるギゲルフは、その昔私が成敗したのです。

 それをあなたに黙っていたのですから。

 それに、不名誉なことですがフィルモルト殿が黒幕という話。

 味方に内通者がいたのですから、あなた達だけでも生き残れてよかったですよ」

 静かに語る仮面の魔導師に、エリカは、はいと返事する。

 王都に帰ったフィリオとエリカは、英雄としてもてはやされた。

 一足先に帰った仮面の導師が、エリカの活躍で盗賊団が壊滅したと、国王に報告した為である。

 かくして・・・・・・・・フィリオは、いつも通りのぼろ総務課に戻り、エリカはそこに通う日々を日課とする平日に戻った。

「フィリオ。起きてよ!」

 

 


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