猪瀬さんがトラブルに陥っている件で、選挙時に彼を応援した東浩紀さんが批判を受けているようです。

岩上安身「不良品(猪瀬知事)をお薦めした責任を痛感します、とか、頭を下げようとは思わないのか」~東浩紀「思わないですね」 - Togetter


罪を犯すかなどわからない

外野ながら、ぼくは東さんのスタンスに賛同します。

何かというと、ぼくもこの種の批判をしばしば受けるんですよね。話の規模感は違いますが、「イケダハヤトはウェブサービスを色々『これは面白い!』と紹介しているが、ダメなサービスや、潰れていくサービスも多い。ヤツは信用ならない」みたいな。


東さんといえば、logmi関連で同様の批判?をもらっていましたね。あげつらうわけではないですが、こういうことがあるんですよ、という話として紹介しておきます。

logmiというサービスが5月にリリースされたとき、ぼくは「仕組みが謎だけど、全自動書き起こしbot「logmi(ログミー)」に期待!」という記事を書きました。タイトルにもあるとおり、この時点ではどういう仕組みで運営されているのかは「謎」でした。

その1ヶ月後、logmiにぼくと家入さんと東さんの対談記事が「勝手に」書き起こされる事案が発生しました。ぼくは別段気にしなかったのですが、東さんがクレームを出し、記事は公開差し止めとなりました。

で、これを見たぼくのアンチの人たちが「イケダハヤトが著作権侵害のサービスを絶賛している!」みたいな批判を展開します。

念のため確認したら、イケダ師は絶賛しておりました。

東浩紀氏が問題提起!!全自動書き起こしbot・ログミー(logmi)の著作権侵害疑惑を考える。 | よかろうもんブログ

この批判に関して東さんは、こんなツイートを残しています。意図はよくわかりませんが、少なくとも、ぼくを誉めているようには取れませんね。

強調しておきますが、ぼくが記事でlogmiを取り上げた時点では、記事本数は5〜6本で、著作権についての記述もありませんでした。許可を取ったのか取っていないかもわからず、「恐らく取っているのではないか?」と考えて記事を書いたのを覚えています。

さて、このときぼくに落ち度はあるのでしょうか?第三者として期待したウェブメディアが、後に著作権侵害を起こしたとき、ぼくは何らかの責任を負うのでしょうか。

無論、そんなことはないでしょう。東さんが仰るように「のち罪を犯すかどうかなんて」わかりませんし、もしぼくに責任があるのなら、「それでは誰も支援できなく」なってしまうでしょう。


ちなみに、logmiはこの騒動ののち、著作権についての説明を記しています。この運用が良いのか悪いのかはよく分かりませんが、引きつづき今後の展開に期待したいところです。

※記事内の各発言の著作権は発言者の方に属します。問題のある場合は、発言者様ご自身からご連絡をいただきましたらすぐに削除いたします。また、発言者様のご要望があった場合には、記事テキストを無償でご提供させていただくこともできます。

ログミーとは? | logmi [ログミー]

ぼくは書き起こされてもなんとも思わないので、著作権者としては別にどうとも思わないですかね…。ここら辺は「「無断転載」の何が悪いの?」でも書いています。強いていえば、自分の著作物が誰かに利用された際に、自動的に通知が行くといいですかね。


日本人はなぜ人を誉めないのか

で、長々と説明してしまいましたがここからが本題。ぼくはいったい何を言いたいのか。この日本社会においては、何かに期待したり、それを応援したりすることには、リスクが伴うということを指摘したいのです。


たとえば、あなたがぼくを誉めるとします。「イケダハヤトは面白い!」

さて、その10年後、もしもぼくが倫理的に間違ったこと、たとえば殺人を犯したとき、今の日本社会だと、あなたはその発言の責任を問われることになる可能性があります。

「10年前、お前はあの殺人鬼を『面白い!』と賞賛した!人を見る目がない!影響力があるんだから責任感をもって発言せよ!」


一方で、もしもみなさんが10年前に「イケダハヤトはなんか危うい気がする。いずれ殺人でもするんじゃないだろうか…?」と意味深な発言していたとします。

その場合は、みなさんは「先見の明があった人」として賞賛されるでしょう。まるで予言者のようです。予言が外れていたとしても、あなたは特にダメージを受けません。それどころか、ぼくが社会的に成功したときには、「心配はいらなかったようだ、彼はよく頑張っているんだね」と訳知り顔をすれば、なんだか賢そうに見えます。


日本人は人を誉めないといいますが、それはこういったメカニズムが働いているからなのでしょう。この国においては、誰かを誉めることは「リスク」なのです。このリスクは「誰も誉めない、絶賛しない」という態度を貫くだけで、完璧に回避することができます。超簡単な対策ですね。


しかしながら、「誉めことば」の発生が抑制されれば、それだけ人々が自己肯定感を得ることは難しくなっていきます。会社のなかで、家庭のなかで、学校のなかで、「誉めことば」がまったく流通せずに、「将来のリスク」ばかりに目が向けられるのなんて、普通にいやですよね。でも、ぼくらはそういう社会をこの手でつくりあげてしまっています。


誉めることがリスクではなくなる社会を、子どもたちには残していきたいです。「将来のことなんて誰にもわからない」のは、間違いのない真理なんですから、そういう前提に立つべきだと思いますけどね。と、そんなことを東さんのツイートから考えましたとさ。