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【三重】

かっぱの恐怖、今も 約束破りキュウリ栽培30年

「キュウリ作らず」の禁を解く際に建てられたカッパ碑=熊野市飛鳥町の大又川河岸で

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 水難をもたらすかっぱを近づけまいと、キュウリの栽培を三百年間禁止してきた熊野市飛鳥町小阪の平(だいら)集落が、栽培の禁を解いてから今年で三十年の節目を迎えた。キュウリの栽培を避ける住民は今もおり、かっぱの恐怖を払拭(ふっしょく)するには時間がかかりそうだ。

 大又川のほとりにある高さ四十センチの石碑。「キュウリ作らず」の禁を解いた一九八三(昭和五十八)年、住民がおはらいをした場所だ。平集落は大又川が蛇行する内側にあり、稲作農家など十一世帯が暮らす。

 市史によると、集落近くでは大雨の時、川に落ちて死ぬ人が多く、かっぱの仕業と恐れられた。ある時、牛を引きずりこもうとしたかっぱが、逆に陸に引き上げられ、村人から袋だたきにされた。かっぱは「自分の好物のキュウリを作らないのならもう出てこない」と許しを乞い、解放された。

 平集落では、かっぱとの約束に基づきキュウリ栽培は固く禁じられ、かっぱがとりわけ好む「へた」は食べずに捨てるよう伝えられた。農業の手取りを増やそうと、一九八〇年代初頭にキュウリ栽培の機運が高まったが、禁の解除をめぐって住民らの話し合いは何度も紛糾した。地元の農業桑原清志さん(66)は「長老たちが特にかっぱを恐れた」と振り返る。

 結局、おはらいをすることで決着。ただ、今も二軒はキュウリの栽培をしないままだ。このうち、同町野口から平集落の農家に嫁いだ桑原ヒサヨさん(93)は「先祖が禁を守ってきたのに、あえてキュウリを作るなんてできない。かっぱはやはり不気味だ」と明かす。

 かっぱと人間の約束は各地に残っており、民俗学者の柳田国男の著書「遠野物語」などにも登場する。平集落では、かっぱとの約束を記した経本がかつて存在し、かっぱ除けのため河原に埋めたとする伝承もある。かっぱが川に引きずり込んだのは、人間ではなく常に牛だったとの異説もある。

 (小柳悠志)

 

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