日光の「玄関口」にある、その名も「神橋」。ゴッド・ブリッジ? 美しいです。日光の社寺は富士山より前に、とっくに「世界遺産」になっているんですよね。
続き。30分後に次のバスがあったので、乗る。あっ、食事中の方は注意。ゲ○の話なので。
整理券を取って、階段を上がると、目の前に外国人の大きな背中が。屈んでいる。満席だが、通路はあいている。なのに、通れない。「ちょっと…」。背中を押す。
よく見ると、子どもがゲ○を。通路はゲ○まみれ。父親が介抱していたのだ。
これを読んでいる方は私が大のゲ○嫌いであることを知っているはず。ここで、これか! もうキレる寸前だ。
それに気がついていないらしく、運転手さんは私に「奥に入ってください」「入れないんですけど」。乗客が「子どもが戻しているんです」と言った。
気持ち悪いだけではなく、当然、ニオイもする。それでも、黙って、乗っている乗客の皆さん。偉いなあ。
私はやむなく、階段のところに立つ。バスガイドがいるところ。でも、これは我慢できない。こっちまで気持ちが悪くなる。ああ、あの光景が目から離れないよー。
次のバス停で降りた。まったく余分なお金がかかっている。まだ時間はあったが、もう気分的に限界。さっさと帰りたくなる。次のバスで「東武日光」駅に行った。
「いろは坂」では当然、酔う人はいるだろう。だが、あとで聞いた話では突然、通路で戻すことなど、ほとんどなく、ゲ○袋は用意されているし、ひどければ、降ろしてくれるという。また、そんなに乗り物に酔う人は最初から乗らないと。
つまり、めったにない瞬間に、よりによって、ゲ○嫌いな私が「遭遇」してしまったのだ。それも日本人ならともかく、外国人なので、運転手さんもどうすることもできず。
白人でも、東洋系でもなく、インドとか、あちらへんのカンジの人。勘弁してよ。ただ、出入り口付近なので、降りる人はみんな、そこを通ったはず。何か、対策はないのかね。
今日
今日
今日
続き。間違いなく言えることは「馬返」にロープウェイは、ない。ならば、なぜウソを言ったのか。こういうときは悪いことばかり考える。わざとウソを言ったのではないか。私がバカにされたのか。そんなわけがないんですけどね。
答えは「馬返」で降りるところまでは正しい。そのあと、反対側のバスに乗って「明智平」に行く。じゃあ、なぜ「中禅寺温泉」から直接「明智平」には行けないのか。その時点では私にはわからなかった。そういう発想がなかった。
「いろは坂」が一方通行だから、です。言われてみれば、そうなんですけどね。「馬返」は2車線があり、トイレなどのスペースもある。ここで逆に戻る、というわけ。
だから、案内の人は、こっちがそれぐらいはわかっていて、ただ降りるバス停がどこかを聞いた、と思ったのでしょうね。説明不足。いわば「馬返」は経由地点。
「いろは坂」には第1と第2があるのです。
中学生までは乗り物酔いがひどかった私ですが、プロレスのおかげで、あちこちに行くようになり、じきに克服。40数年ぶりに体験した「いろは坂」はぜんぜん平気。むしろカーブに、いい意味で「酔って」いました。これ、楽しい!
しかし! イライラはこれで終わりではなかった。これで終わりだったら、まだ時間はあったので、中禅寺湖に「仕切り直し」で行ったのですが…。「悪いことは重なる」とは、こういうことを言うんだなって。
華厳の滝に感動したあとは、湖マニアとしては当然、中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)を見たい。なんでも、華厳の滝や中禅寺湖を見渡せる、ロープウェイがあるという。上から眺められる湖は最高だ。
中禅寺温泉のバス乗り場で聞いた。「ロープウェイというのはどこで降りたらいいのでしょうか?」「馬返(うまがえし)です」。ここから2つ目だ。
でも、本当は「明智平」だ。
初めて来たに等しい私はそんなこと知らないから、鵜呑みにした。
「次は馬返」のアナウンスで、ブザーを押す。近くの乗客が「こんなとこで降りる人、いるんだ」。その疑問は当然なのだ。だって、なんにもないのだから。工事の関係者がちょっといるだけ。
どう見ても、ロープウェイなど、ない。おかしい。付近を探す前に、次のバスを見る。その時間帯だけ幸いにも、なぜか5分後にまた来る。それに乗ってしまえば、まだよかったのだが。
次に来たバスに乗り、運転手さんに聞いた。「ロープウェイはここで降りる、と言われたんですが」「ハイ、そうですよ。ここで降りて、この先の…」。騒音でよく聞こえない。
乗り場だけなら自分の聞き間違いもあるが、運転手さんもそう言っている。乗らないで、付近を探すことにした。「この先」と言ったので、10分ほど歩く。ここは、いろは坂だ。
誰も歩いていない。車がビュンビュン通るだけ。それだけでも危ないのに。すると! 「鹿の飛び出し注意」の看板。急に怖くなる! さらに行くと「サルに注意」。サルに出会ったときの注意まで書いてある。俄然、怖くなる!!
もしサルに襲われたら、助けてくれる人など誰もいない。
身の危険を感じて、元に戻ることにした。工事の人に聞いた。「ロープウェイなんて、ないよ。見れば、わかるでしょ」「昔、ケーブルカーが走っていたみたいだけど、昭和の初期の話だよ」。
確かに、見れば、わかります。でも…。この結末や、いかに? わかりますか? いまとなっては、もう笑うしかない。そのときはイライラがピークに達していたが…。続きは明日。
そうだ、栃木にはわが母校があったのだ。
両毛線に乗っていたら「佐野」という駅があった。普通は「厄除け大師」を思い出すだろう。しかし、プロレス者の私は違う。
佐野といえば、佐野市民会館。日本プロレスの末期、高千穂明久がジョニー・バレンタインを破って、UNヘビーの新王者になった。昭和48年3月8日。
いま、これを知った人は「快挙」などをイメージすると思う。でも、当時はまだそういう「概念」じたいがなかった。カブキさんには悪いけど、高千穂、よくやった! よりも、バレンタイン、なんで若手に負けているんだよ! というカンジかな。そっちのショックの方が大きかった。バレンタインといったら、超大物ですから。
いまなら「事情」はわかるんですけどね。
日プロ最後の日は4月20日、群馬県吉井町。だから、私にとっての栃木、群馬は日プロ末期のイメージが強いのです。
ちなみに足利市は栃木県だが、地元の人によると「よく群馬県に間違えられる」そうです。なんとなく、わかる…。栃木と群馬って、混同しやすいのです。
皆さんはどんな「連休」をお過ごしでしょうか。私は明日は出ません。歩いて、足が痛いので。休養に努めます。全日本のビッグマッチが長野(ビッグハット)であるのか。
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