タイガーマスクに愛を貰った子どもたち 卒業後も行政が応援を
毎年ジョン・レノンの『ハッピー・クリスマス(戦争は終った)』が街じゅうのあちらこちらで流れるこの季節になると、「タイガーマスク運動」のことを思い出す。10月28日付の毎日新聞に、本名を公開しないことを条件に生い立ちや寄付の理由にかんする取材に応じた最初の「伊達直人」(仮名)さんの思いが報じられていた。
報道によるとこの人物は取材時点で40歳の男性で、福岡県出身。3歳の時に母が亡くなり、実父とされた人物には「俺の子じゃない」と言われ、絶縁。幼少期は親戚らの家を転々と移り住む生活だったという。11歳の時に預けられた家で「お前がいるから家庭がぎくしゃくする。謝れ」と謝罪を強要され、「生まれてきてごめんなさい」と口にした時、自分のような境遇の子どもたちの力になりたいと思うようになったという。
22歳で上京して就職後、足立区の児童養護施設に寄付を始めたが、入所前の「一時保護所」にいる子どもは学校にも行けないと知り、ランドセル10個を購入して深夜に自宅のある群馬県の児童相談所の玄関前に並べた。「ランドセルも入学式もない自分たちにはサンタも来ない」と不安になっている子どもたちを元気づけたい一心だったと、伊達さんは語っている。
その後の「タイガーマスク運動」の広がりは、記憶に新しいところである。精神科医の斎藤環さんは、2011年1月23日の毎日新聞で、「また年の瀬がめぐってきたら“伊達直人”には帰ってきてほしいものだ」と書いている。以前は「孤児院」と呼ばれていた児童養護施設だが、現在はむしろ「保護者はいるが保護者から受ける虐待のため離れて生活せざるを得なくなった子ども」が圧倒的に多く、2008年2月の厚生労働省による調査では全体の53.4%がそのような境遇の子どもであるという。
1973年以降、特別育成費の支給によって入所児童の高校進学は一般化したが、大学進学は学費の面で厳しい場合も多い。また、高校を卒業した時点で児童養護施設を出なければならず、「保証人」の問題で進学や就職・賃貸住宅の契約が出来ずにホームレス状態に陥ってしまうケースがある。(Wikipedia)
草の根レヴェルでこれほどすばらしい運動が広がる私たちの国なのに、せっかく伊達直人さんたちに愛と希望を貰ってすくすくと育っていった子どもたちが些細なことでまた道を阻まれることのないよう、保証人不要の住居の紹介はじめその気になれば行政にできることは山ほどある。かつて中学・高校を卒業して施設を退所した子どもたちの強力な受け皿であった中小零細製造業の就職先は、今やほぼ壊滅してしまった。“寅さん”映画のタコ社長も今はもういなければ社長の工場も、もう無い。ならばなおのこと、政治がきめ細かな思いやりをもたなければ打つ手がない。大学に行けるエリートの子どもたちのことばかり考えているような政治では、伊達さんたち、タイガーマスクたちの善意も無駄になってしまうのではないだろうか。