〜北半球南半球〜 オレは一週間を過ごしたナイロビを出て、北に向かった。 ……。 バカヤロー!! 神経使わせやがって!!! 危険が名物ってどんな街なんだよっ!!!! はあ……はあ……。ともかく、今夜からは夜の銃声に脅えることもない。日常生活の中で殺されないように注意する機会も大分減るだろう。とりあえずこれでアフリカは後半部分に突入である。鶴の恩返しで言ったら、おつうが部屋にこもってガッタンゴットンと秘密活動をし始めたあたりだろうか。 あーーっはっは! さて、上のように今のオレは油断すると自然に笑いがこぼれてしまうのだが、その理由はナイロビの危険から逃れることができたからというわけでも、インターネットで本上まなみの結婚を知りあまりのショックで気が触れたわけでもない。いや、厳密に言うとその2つの理由もたしかにあるのだが、もっと大きいものとしては、聞いておどろくなよ、なんともうすぐオレは赤道を越え北半球に入ることができるのである!! ……。 誰もおどろかなかったようだが、やはり故郷から遠く離れる身としては、北半球になるというだけでも日本に近づいた気がしてうれしいのである。そもそもオレは南より北がふさわしい人間なんだ!! 南野陽子より北野井子の方がすきだし、好物はウニ&イクラだし好きな武将は公孫讃だし(わかるのか?)浜松北高だしよく聞く音楽は喜多郎とキダタローだ。ちなみに、最近結婚報道が流れた北野井子の肩書きが元歌手になっていたのを見て、なんだか切ない気持ちになったのはオレだけだろうか。 さあ、赤道を越え北半球に入る瞬間は、カウントダウンを唱えたった一人だが盛大に突入を祝おうではないか。と思っていたらいつの間にかあっさりバスで赤道を通過したようで、終点である北半球の入り口ナニュキという町に着いてしまった。なんとなく赤道は赤いから越える瞬間がわかるんじゃないかと思っていたが、どうやらオレは大人達に騙されていたようだ。赤道が赤いというのはウソらしい。 すぐに安宿を見つけチェックインし、絶叫しながら水シャワーを浴びたオレは、宿のおばさんを見つけて尋ねてみた。 「すいませ〜ん。赤道まで行きたいんですけど、こっから歩いたらどのくらいですかね?」 「すぐよ。すぐ」 「そうですか?」 「大体3kmくらいね」 どんなすぐなんだよ!!!! じゃあ「歩いてだとちょっときついわね」の距離は箱根駅伝くらいか? うーむ。その距離感、激しく間違っている。DHC化粧品のCM起用タレントくらい激しく間違っている。まあでもとにかく、3kmくらいなら一生懸命努力すれば歩けない距離ではない。じゃあ、ちょっくら南半球まで歩いてくるか。というとなんかおおごとに聞こえるな……。 宿おばさんの言った通り、大体30分ほど町のメインストリートを南下すると、「赤道」と書かれた大きな看板が見えてきた。看板の周りはちょっとした土産物広場ができており、ずらーっと民芸品屋が並んでいる。なんだかうるさそうな予感がする。 色あせた看板に近づいてみると、そのすぐ下の地面には赤道を意味するラインが引かれていた。そのラインも白であり、「せめて赤で描けよ!!」とつっこんでいたオレが、赤道は英語で「equator」と言い、赤とは何の関係もないということを知るのは帰国する数ヵ月後のことであった(涙)。 まあそんなことはいいとして…… どうだ!! 汚いクツだろう!!! ……。 まちがえた。 どうだ!! 左足北半球、右足南半球だぜ!! 赤いMはMではなくウェスト(西)のWである。どうだ! と言っても、見てる方はどうでもいいしそんなことを自慢されても迷惑でしかないと思うが、本人にとってみれば興奮して写真を公開してしまうという、子供の写真を年賀状に印刷する新婚夫婦くらいの空気の読めない盛り上がりがあるのである。 嬉々として線をまたいだり、赤道を使って反復横跳びをしたりと不謹慎に騒いでいると、オレと同年代に見える割には随分偉そうにのけぞっている若造が近づいてくる。 「おい! そこの日本人!」 「なんだそこのケニア人!!」 「おまえコリオリの力って知ってるか?」 「知らん」 「まったく学がないやつだなあ。もしかしておまえ大学中退じゃないのか?」 「ほっとけ!! 履歴書には卒業って書いてるけど1回もバレたことないんだよ!!」 「うそを書いちゃいかんよ」 「あの……そうやって突然外人に説教を垂れているあなたはだれですか?」 「オレか? オレはプロフェッサー(教授)だ。ヒマな時にこうやって赤道の周辺で観光客に実験を公開しているんだよ」 「教授と名乗るわりには若いな……。どこの大学のプロフェッサーなんですか?」 「……。いいか、コリオリの力というのは……」 「あんたただの自称教授だろ!!!」 「まあ聞きなさい。北半球と南半球では、たとえば風呂場の栓を抜いたとき、渦が出来る方向が変わるんだ。北半球なら右回りに、南半球は左回りに」 「あ、なんか聞いたことある」 「そうだ。誰でも一度は聞いたことがあるだろう。それがコリオリの力だ」 「それがってことはその渦の向きが違うという現象をコリオリの力と呼ぶの? 現象を指す言葉なら○○の法則とか○○の定理とかになりそうな気がするんだけど。現象そのものというよりもその現象の中でどこかに発生して現象を作り上げる力のことを指すんじゃないの??」 「……。コリオリの力はコリオリの力なんだよ!! クレームは禁止だっ!! じゃあ早速実験に移るから」 大体、オレはそんな選択科目を申し込んだ覚えは無いのだが、ここに来た旅人はこの授業が必須なのだろうか。とはいえ、魅惑のチキルームやカントリーベアシアターではどんなに他の客が冷めていようともちゃんと係員と一緒に手拍子をするほどの真面目なオレは、この突然始まった課外授業を欠席することはできない。代返頼めるやつもいないし。 彼が使ったのは、水差しとじょうご、そして折れたマッチ棒である。じょうごにマッチの切れ端を浮かべて、出口を指で押さえて水を注ぐ。そして指を放すと水が流れ出る時に渦を作り、マッチがくるくると回るのだ。 「ほらみろ。ここは北半球だから時計回りなんだ。じゃあ今度は南半球に行ってみよう」 そしてそのまま赤道から10m南、つまり南半球に移動して同じ実験をすると、見事に渦が反時計回りになった。 「どうだ! さらに、今度は北半球でも南半球でもない、赤道の真上でこれをやるとどうなると思う?」 「その得意そうな口ぶりからしてどっちにも回らないんだろう」 「……。そういう言い方をされると気分悪くなるな……」 「すいません。何せ私は1を聞いて10を知る男、歩くクイズドレミファドンと呼ばれていまして」 「まあ実際に見せてやろうじゃないか」 教授は看板の真下、つまり完全な赤道直下に移動して同じように水を注ぎ始めた。しかし、今回はなんだかさっきと比べてものすごく慎重にやってるような気がする。うーむ。あやしい。 「よ、よーし……ほら、見てみろ。ここではマッチ棒はどっちにも回っていかないだろう?」 「なんか最初の2回に比べて今のだけ妙にゆっくり水を流してたような感じがするんですけど……」 「何を裕次郎島倉千代子!!! この非国民が!! ちゃんと自分の目で見たものを信じなさい。事実北半球と南半球では全く逆方向に渦ができていただろうが!!」 「まあたしかに……」 「わかったろう、これがコリオリの力だ!!」 「だからこれはあくまで現象であって、コリオリの力って言うならそれはどこに加わるどんな種類の力でどんな理由で発生するのかを説明してくれないと……」 「シャーラップ!! じゃあこれで円満に実験は終了したから、授業料としていくらか払いなさい」 「予想通りの展開!!! 仕組みは全然教えてくれなかったくせに……。っていうか、あんた理論は全くわかってないんじゃないの?」 「バカもん!! 理論とか法則は、実験の結果を踏まえておまえ自身が考えることである。これから宿に帰って自分で考えるように」 「こういう時だけもっともらしいことを……」 オレは仕方なくショーの見物料として小銭を渡すと、インチキ若教授は満足そうに去って行った。しかし本当にわずか赤道から10m移動しただけで、コリオリの力というのはちゃんと働くものなのだろうか? そもそも、前提としてこの看板自体がちゃんと赤道の真下にあるのかあやしいもんである。なにせ、このナニュキの町には道を挟んでいくつか赤道を示す看板があるのだが、右図のようにどう考えてもそれぞれの看板が指している赤道の位置がずれているのである。一応地元民にクレームをつけると、「場所がちょっと離れてるからずれて見えるだけさ! ちゃんと同じライン上にあるんだよ!」と言っていたが、念の為片方の看板から赤道の線に沿って草むらをトゲに刺さりながらずんずん進んでみると、たどり着いた場所はもう一方の看板とは程遠い場所だった。 そもそもこの実験がインチキでないはずならば、オレがやっても同じ結果が得られるはず。オレは、水差しとじょうごをこっそり拝借して、自ら赤道のラインの真上に立った。マッチをじょうごに浮かべてゆっくりと水を…… 「バカもーーん!!!!!」 「おうっ!」 声に驚くと、さっきの若教授が血相を変えて駆け寄って来ている。 「それはおまえのようなシロウトが触っていいもんじゃない! 返しなさい!!」 「いや、ただの100円ショップで売ってそうな水差しじゃないですか」 「うるさいっ! ケニアに100円ショップなんてない!!」 「いいじゃないですか、やらせてくださいよ〜」 「ダメだ! もうおまえはあっちいけ! しっしっ!!」 教授は意地悪にもオレから実験道具を取り上げると、もう国に帰れとばかりにガルルルとうなり出した。教授のとる態度ではない。というか、その必死さが先ほどの実験の信憑性を著しく下げているような気がするのだが。 オレは仕方なく実験を諦めると、近くの売店を冷やかしに行った。客はオレ一人に対して土産物屋が7、8軒。当然のごとくオレを取り合う土産屋のアタックは激しい。ねるとん紅鯨団に一人だけ参加した清純派美人の心境である。しかし彼らは一体どうやって食っていってるんだろうか。赤道直下でオフシーズンも無いだろうから、常にこんな閑散としているのだろう。明らかに供給多寡である。需要曲線と供給曲線の均衡について如何に考えているのかを、ぜひ先ほどの教授に聞いてみたい。 とある一軒の土産物屋で、オレは店を経営する黒人の兄妹につかまった。毛深くワイルドな兄と、ウーピーゴールドバーグを若く磨いた感じの妹である。別にこっちは土産物屋に興味はないのだが、この町では赤道をまたぐくらいしかやることがないのでオレはヒマであった。 「ハロー」 「あ、はろー。」 気さくに声をかけてくるウーピー。兄さんの方も商売はぬきにして、たまの来客を喜んでくれているようだ。 「日本人か?」 「そうだけど」 「おまえは、シングルか?」 「アルバムです」 「ノンノン。そうじゃない。結婚してるか? っていう意味だ」 「そっちのシングルか。あの、なんていうかですね、やはり結婚して家庭を持つというのはそれはそれで幸せなことだと思うんですけど、でき得る限りの期間独身の自由を堪能するというのも人生のひとつの楽しみではないかと思うんですよ。やっぱり結婚は幸福と束縛の2面性があって、尊敬する田嶋陽子先生も結婚は国が子宮を管理する差別の制度化であると……」 「早い話がシングルだってことだな?」 「そうだよ!! したくてもフラれたんだよ(号泣)!!!」 「じゃあちょうどいい。どうだ? よかったらオレのシスターをやろうか?」 「……。いやそんなもん本人の了承なしに勝手に……」 「いいよなあ?」 「別にいいけど」 「こら!!!! ちょっと待て!! お兄さん、あんたかわいい妹をオレなんかに……」 「いいよ。やるやる」 「お歳暮のハムじゃないんだから!! そう簡単にやるやる言うな!!! ちょっと! あんたもオレと結婚したら日本に来なきゃいけないんだよ。いいの?」 「うん。なんかケニアも飽きてきたし。日本行く」 「……」 「おまえよかったな〜。黒人の女はあっちの方は激しいぞ〜」 「……え? そ、そうなの??」 「ああ。毎日何回でも大丈夫だ。絶対満足するぞ」 「う、うへへっへへへへ……」 「よし。これでめでたく成立だ。こいつを連れてっていいから、おまえは牛30頭だけ用意して俺に贈るんだぞ」 「へ? い、いやそれは無理ですけど……」 「なに? おまえは金持ちなんだから30頭くらい余裕だろう」 「ムリですお兄さん!!! 貯金を全部使って旅に出てるから帰国したら一文無しです!!」 「なーんだ」 「……」 「……。結婚は認めん!!!!!」 「おにいさーん!!!!」 「おまえににいさんと呼ばれる筋合いはない!!」 「ぐげー」 そしてオレは小屋を追い出された。 若いウーピーは多少残念そうだったが、まあ結婚とはそもそも物ではなく愛が……とか語る以前にこんなコントがネタあわせなしで普通にできるという、この町は結構オレに合っているのかもしれないと思う赤道の町ナニュキである。 |