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【三重】6世紀ごろの石室出土 亀山・ヤマトタケル陵墓周辺を初調査
神話上の英雄ヤマトタケルの陵墓とされる亀山市田村町の日本武尊能褒野(やまとたけるのみことのぼの)墓(能褒野王塚古墳)の周辺が初めて発掘調査され、小規模な横穴式石室や縄文土器の棺などが見つかった。墓を管理する宮内庁陵墓課の担当者は「周囲にある小規模古墳の年代や構造を知る手がかりになった」と話している。 調査は、墓の周辺で宅地開発が進んだため、境界線を示す準備として、宮内庁が十月七日から実施。ヤマトタケルの墓とされる全長九十メートルの前方後円墳の周辺にある十七基の円墳のうち、九基の三十一カ所を発掘して調べた。 調査の結果、六世紀ごろのものとみられる縦三・七メートル、横一・五メートルの横穴式石室を初めて確認。後世の盗掘により石壁の一部だけが残っており、副葬品の須恵器六点も見つかった。埋葬規模から、地域の有力者の墓とみられる。 このほか、縄文時代晩期(紀元前十世紀ご)のものとみられる土器の棺の一部が出土。宮内庁は、古墳が作られる前の時代も、周辺が墓地として使われていたとみている。 陵墓は、北勢地域では最大の前方後円墳で、古事記や日本書紀ではヤマトタケルが伊勢国能褒野で没したとされていることから、一八七九(明治十二)年に内務省がヤマトタケルの墓と定めた。陵墓は発掘調査されたことはなく、四世紀後半ごろに作られたとみられている。 (滝田健司) PR情報
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