北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

ヒューマン

水口孝一さん(74)*強制労働犠牲者の遺骨発掘に取り組む実行委員会の共同代表*猿払であった戦争の悲劇伝える*一人残さず見つけたい     2009/05/10

<略歴>
 みずぐち・こういち 士別市出身。夕張で炭鉱関係の施設で働き、1956年に伯母夫婦が住んでいた猿払村に移住。村内の建設会社で大工として働いた。68年に水口工務店を設立。15年前から自治会長を務める。

 猿払村の旧日本陸軍飛行場建設に従事させられ、亡くなった朝鮮半島出身者らの遺骨発掘が、2006年から行われている。今年も3、4両日に実施され、7体分の遺骨が見つかった。実行委員会の共同代表を務める猿払村浅茅野自治会長の水口孝一さん(74)に発掘に取り組む思いを聞いた。

(稚内支局・吉田秀典)

 −−どうして発掘に取り組むようになったのですか。

 「私は1956年に猿払村に移住しましたが、当時から浅茅野飛行場近くの旧共同墓地に朝鮮半島出身者らが埋葬されていると村の長老たちから聞いていました。当時は、地域ではあまり触れたがらない話題でした。2005年、強制労働に従事させられた朝鮮半島出身者らの遺骨返還を進める『強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム』から話を聞きたいとの連絡があり、そのままにしてはおけないと思い、役場や地域の人たちに協力を呼びかけてきました」

 −−昨年までに12体分の遺骨が見つかりました。

 「12体分の遺骨のうち、土葬された遺骨が2体分、火葬された遺骨が10体分です。遺骨は浜頓別町の天祐寺に保管されています。ご遺族に遺骨をお返ししたいのですが、埋火葬認許証などの記録に改名させられた日本名しか残っていない方も多く、なかなかご遺族までたどり着くことは困難です。戦争から60年以上が過ぎ、ご遺族自身も存命かどうか分かりません」

 −−5月3、4両日、06年以来となる第2次発掘作業が行われました。

 「約50人が参加した大がかりな発掘となり、ほぼ全身の遺骨1体分を含む7体分の遺骨が見つかりました。強制労働に従事させられた韓国の池玉童さんが、66年ぶりに訪れ、発掘に立ち会ってもらいました。池さんにとって、つらい思い出が残るこの場所に来ることは、相当の覚悟が必要だったと思います。それでも来ていただき、本当にありがたかったです。今回の発掘で新たに、未発見の遺骨が残っている可能性も出てきました。今後、なるべく早く発掘を行い、一人も残さず見つけたいと思っています」

 −−戦後60年以上が過ぎ、戦争を知らない世代が増える中で、今の若者たちに発掘を通じて何を伝えたいですか。

 「06年の発掘には、日韓両国の大学生が参加しました。そのとき感じたのは、あまりにも両国の大学生の間で、自国の歴史について知識に差があったことです。もっと日本の学生は自国の歴史を勉強してほしい。身近なところで言えば、60年以上前、浅茅野であった悲劇を村の子供たちに記憶として伝えていきたいです」

 −−戦争は悲劇を生みます。

 「私も10歳の時、父がフィリピン沖で戦死しました。つらい思いをしましたが、大人になったら兵隊になるのが普通だと思っていました。今思えば、当時の軍国教育に感化されていたんですね。本当に戦争はもう、2度と起きてほしくない。みんな惨めな思いをしましたから」

記者のメモから

 「長い間、朝鮮半島出身者の人たちを山の中に放置してきた」。取材中、こう何度も繰り返した。これまで変わることなく持ち続けてきた思いという。この気持ちが、発掘活動を続ける原動力になっていると感じた。

北海道新聞社ページへ
戻る