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地方
東日本大震災語りべ小屋開設 陸前高田の住職・佐々木さんが体験談 京都
■濁流が寺院、家族…全て流した 東本願寺で「報恩講」始まる
東本願寺(京都市下京区)で始まった「報恩講」で21日、東日本大震災の被災者が語る「語りべ小屋」が開設され、家族5人を津波で亡くした岩手県陸前高田市の本稱寺(ほんしょうじ)住職、佐々木隆道さん(50)が、参拝者らに体験を語った。
平成23年3月11日。地震発生時、佐々木さんは海岸から2キロ以上離れた自坊の境内にいた。防潮堤を越えて津波が来るとは想像できず、消防車が知らせにきて初めて、庫裏(くり)の2階へ上がった。
黒い濁流が家を流しながら迫まり、境内の蔵が浮き上がったのが見えた。水かさが上がり、天井板を破ろうとした瞬間、体が飲み込まれた。手が物に挟まれてねじり上げられ、死を意識したという。
何かの拍子に浮かび上がり、偶然、流れていた畳にしがみついた。「私はまだ死んでいない」。山手に流されるまま、家々の屋根やベランダにつかまって、ようやく避難所となった火葬場までたどり着いた。
自坊があった所には、スギの木数本が残っていただけだった。本堂の屋根が裏返った状態で見つかったのは、約500メートル先。別の場所に流されていた庫裏の2階からは、母の隆子さん=当時(75)=と妹の小友聡子さん=同(44)=が遺体で見つかった。
妻の宜(のり)子さん(43)とは3月17日、遺体で対面。父の廣道さん=当時(76)=は、6月になって火葬されていたことが判明したという。
佐々木さんは真宗大谷派の支援を受けて8月、別の場所にプレハブで本稱寺の仮本堂を建築。市内の仮設住宅で暮らしながら「寺を守るために生かされた」と、門徒たちの信仰を支える。
今年3月11日には、がれきの中から掘り出された本稱寺の釣り鐘にあわせ、全国各地の寺院が追悼の鐘をつく「勿忘(わすれな)の鐘」プロジェクトが行われた。
佐々木さんは「被災地はまだ復興に至っておらず、みんな『忘れ去られているのでは』という不安の中で過ごしている。現地に足を運び、被災者と普通の話をしてくださる方々を待っています」と締めくくった。
語りべ小屋は28日まで。1日2回、法要の後に行われ、東北3県の住職や一般の被災者ら9人が、日替わりで語り部となり、参拝者らと交流する。(小野木康雄)
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